第四章「開かれた扉」 第二話 煙草ぐらい自分で買おな (二)
(二)
八幡署の捜査会議を終えて、俺は屋上の喫煙所で、カシャンと、オイルライターの蓋を開け、煙草に火をつけた。百円ライターにはない、独特のオイルの香りを胸いっぱいに吸い込んで、ぷはぁーと、八幡の空に煙草の煙を吐き出した。
この僅かな時間が、俺の繊細な心を癒やしてくれる。
しかし、その大切な至福の一時を、台無しにしているのが、こいつらやった。
神楽は、いつものこととして放っておくとして、今日は、スキンヘッド安田と久世のおっさんまで付いてきた。
「お前、ええ加減、煙草やめた方がええぞ」
久世のおっさんが「煙草くれ」という仕草をしながらしみじみ言うてきた。
《はあ?人の煙草吸っといて、言う台詞やないやろ。しかもや、今時、煙草も吸えん刑事は役に立たんとか言うて、何本もハイライト勧めてきたん、おっさんやんけ》
心の中で俺は文句を言いながらも「ははっ、そうっすねぇ」と、はぐらかした。
その横でスキンヘッド安田が、俺から貰った煙草の煙を吐きながら「そやぞ、ウガンダ。健康によくないで」と、相づちを打つ。
《ほな、お前が先にやめろや》
自分も煙草を吸っているのを差し置いて「健康に――」と言える神経は、さすが脳筋の感覚や。
ちなみに奥さんから聞いた話やが、安田がスキンヘッドになった理由は、やはり「たばこやめるわ宣言」をした数分後に煙草を吸ったからやという。
《まあ、嫌いやないけどな》
「安田、科捜研の話、どない思った?」
煙草を吸わない神楽が近くにいたので、久世のおっさんは、気を遣って煙を空へ向けて吐きながら会議の感想を聞いた。
「めっちゃ綺麗な人やなと、思いました」
……まあ、この程度の返答は、脳筋の挨拶みたいなもんや。
でもその一言に、神楽が即座に反応した。
「へぇ。朋子ちゃんに一報を入れておきます」
「そ……そやけど、今日の会議は驚くことばかりでしたね」
神楽に睨まれて、一瞬固まったスキンヘッド安田やったが、話をすり替える事に成功した。
《こら、やめろお前ら。そんな話は会議でせえや》
と、俺は何度も目で訴えたが、無視された。
久世のおっさんが人差し指と中指を口に当て、「煙草くれ」のサインをした。
《おっさん、さっき煙草やめろって言うとったやろ。それに二三回吸って消すなや。もっと大事に吸えや》
という、心の声は出さずに、煙草を差し出して火をつけた。
「四年前の事件と、また繋がったちゅう話か」
おっさんが煙をフーッと空へ吐き出しながら訊く。
そうや。
柴田ゆかりの事件で、もう一つ残っていたDNAが、大迫と繋がったんや。
「四年ですわ」
感無量なのか、安田が鼻をすする。
そのとき久世のおっさんが「せやけど不思議やのお」と、空を見ながら言った。
「四年も分からんかったもんが、次々と出てきよる」
「はい。誰かが、隠されていた真実の扉を、こじ開けているように感じます」
神楽も、相づちを打った。
《何やそれ》
毎回、俺の至福の時間を邪魔する、こいつらの存在自体が不思議やけどな。
「せや。けどな、室田康太のときは川上優子を被疑者死亡で送致や。山根あかりの件は、合田に殺人容疑もつけて送致した。大迫の場合は、あくまで可能性や」
おっさんの言いたいことは分かる。
けど、何か分からん違和感は、拭いきれへん。
それは、ここにおる全員が感じとることやった。
川上優子は自殺。
合田雄二は黙秘。
すでに二つの事件は、一つは被疑者死亡で送致され、もう一つは起訴まで進んでいた。
大迫真司は他殺の可能性が高いが、自殺の線も捨て切れんと言うことで、現時点で伏見署との合同捜査本部の立ち上げは見送られた。
「柴田ゆかりの件も、暴行した奴が分かっただけですから」
安田が、悔しそうに話す。
「あーっ、くそっ」
安田が急に叫んで、腕立て伏せを始めた。
その様子を俺は冷めた目で見ていた。
《腕立てして、事件が解決するんやったら、推理小説はいらんねん》
しかし、嫌いやないで。
と言う言葉も、添えてやった。
暑苦しい安田を横目で見ながら、俺はもう一度、一連の事件を整理して調べ直す必要性を感じた。
まず山根あかりや。
四月三十日未明に合田に頭を殴られた上、首を絞められ失神状態で暴行された挙げ句、もう一度首を絞められて殺害された。
そのとき、あかりのベッドを触って見えた映像が、誰かが差し出した「手」と『大丈夫ですか』という男の声や。
その後、息苦しくなった感覚が正しいとしたら、あかりを殺した人間が「別に」おったということになる。
次に室田康太は三月三十一日午後十時頃に、川上優子に刺殺された。
血のついたナイフに触れたとき、俺が見たのは、室田を後ろから羽交い締めにしていた男がおったことや。
その男の目が気になった。
鋭い眼差しの中に言いようのない悲しみを帯びた目は……。
そうや――柴田修一の目に似ていた……。
『妻と、娘を思ってくれたから……とでもしておいてください』
そや。あのときの悲しい目や。
「柴田修一や」
不意に俺が言った言葉を、神楽が拾って、「柴田修一がどうかしましたか」と、俺に聞いた。
俺は、腕立て伏せを終えてもなお妙案が浮かばない脳筋の安田と、久世のおっさんも交えて、推論を話した。




