第四章「開かれた扉」 第二話 煙草ぐらい自分で買おな (一)
(一)
六月七日・午後一時。
科捜研から鑑定が出たとの知らせを受けて、捜査会議が行われた。冒頭、マル害の身元は、DNA等から、大迫真司・三十二歳と特定された。
同時に、柴田ゆかりの体内から検出されていた二種類の男性DNA型の身元が判明した。
一つは、室田康太。
そして、もう一つが、大迫真司やった。
帳場の空気が、重く沈んだ。
死んだ男達が、次々と過去の罪に繋がっていく。
その事実を踏まえ、大迫真司について請求を進めていた逮捕状は、当然ながら取り下げることになった。
ただし、髙井正弘および株式会社アウトレイジャスに関する捜査は継続する。むしろ、大迫真司の死亡によって、ライフを巡る事件はさらに深くなった。
《アウトレイジャス=非道。そのまんまやんけ》
そんなことを思いながら、俺は話を聞いていた。
家宅捜索については、百合の退院や葬儀、現場保全の状況を見たうえで、後日改めて検討する。
そのように下延昭夫本部長から、指示が出された。
「まず概況から説明します」
科捜研の夢前薫主任技官が、プロジェクターの画面を差しながら説明を始めた。ボブカットの黒髪に黒縁の眼鏡をかけ、左腕に京都府警の文字が入った腕章をピンで留めて白衣をまとった姿は、女性ながらも凜としている。
「皆さんもご存じの通り、一酸化炭素は血液中のヘモグロビンと強く結合し、カルボキシヘモグロビンを形成します。典型例では、死斑が鮮紅色を帯びることがあります」
夢前はリモコンを操作し、大迫真司の遺体の頭部スキャン画像をホワイトボードに大きく映し出した。
「ただし、今回は死後三週間前後が経過しています。五月中旬から六月にかけて、京都では日中三十度を超えた日もあり、湿度も高かった。腐敗の進行を考えると、肉眼所見だけで死因を判断するのは危険です」
夢前は眼鏡のブリッジを、中指で押し上げた。
「そのため、心腔内に残っていた血液成分、胸腔内の貯留液、脳組織などを採取し、複数の検体から一酸化炭素曝露の有無を確認しました。しかし、胸腔内液だけでは判断していません。血液・組織・現場の空気・車庫や車両の状況などを総合しました」
神楽は、何も言わず、黙々と書き込んでいる。
《学生か、お前は》
俺は、周りの男達の顔を見る。
……どの顔も、夢前の言葉を、「なるほど」とか「おお、そうか」と、さも理解しているかのように見せている。
しかし、こいつらと付き合いの長い俺には分かる。
《どうせ、話の半分も理解してへんやろ》
安田に至っては、目を閉じ、難しい顔をすることによって、己の尊厳を護ろうと必死にあがいていた。
――さすが脳筋や。
俺は、妙なところで感心した。
《何か難しい話をしてるんやなぁ》ぐらいな感覚やろ。
人間にとって、知らないということは恥やないけど、こいつらは違う。知らないと、口に出した瞬間、それは彼らにとって「敗北」を意味する。
だから聞けない。
「俺はぁ、知ってますけど」
という、無意味な態度でやり過ごす。
ふざけてるんやない。
これは脳筋にとって一種の防衛本能や。ただそうなると、同じような事件に出くわすと、理解不能に陥る。
これを俺は『脳筋連中の「負」のスパイラル現象』と呼んでいる。
本部の島内でも地取り班以外の連中は、真剣に耳を傾けていた。
なお、俺も半分くらいしか分かってへんことは、警察組織の平和のために伏せておく。
「残存血液成分から推定されたカルボキシヘモグロビン濃度は五十六パーセント。腐敗の影響を考慮しても、致死的な一酸化炭素曝露があったと見てよい数値です」
夢前は、そこで一度言葉を切った。
「つまり、死因は一酸化炭素中毒死である可能性が高い」
自殺か――。
誰もが、そう思いかけた時だった。
「死因は一酸化炭素中毒死ですが……」
夢前の声が、帳場をもう一度冷やした。
「自殺とは断定できません」
ここで、画面が切り替わる。
腐敗で形が崩れかけた鼻骨周辺と、下顎部の三次元データが映し出された。
「鼻口部の周辺に、局所的な圧迫を示す所見があります。医療用マスク、または酸素マスク状の器具の縁が、強く押し当てられた可能性があります」
「固定していた、ということですか」
神楽が手を上げて訊いた。
「いいえ」
夢前主任は首を振った。
「テープの糊、固定具、ゴム紐など、少なくとも、固定されていたことを裏付ける所見はありません。むしろ、手で押し当てていた可能性も考えています」
帳場が静まり返った。
《……手で?》
「体内から検出された睡眠薬成分も合わせると、本人の意識が低下した状態で何らかの外力が加わった可能性も否定できません。しかも短時間ではありません。一定時間、保持していた可能性があります」
夢前の言葉が、妙に重く残った。
つまり誰かが、ガレージの暗闇の中で、大迫真司の顔に器具を押し当て続けた。
死んでいく男の顔を、至近距離で見ながら――。
もしそうなら、ホシは自分の手で殺すことに執着しているということや。




