第四章「開かれた扉」 第一話 騙す方が悪いに決まってんねん!(七)
(七)
その時、山際のおっさんから「俺に」電話がかかってきた。事件か何かやったら神楽にかかってくる。わざわざ俺にかけてくるっちゅう時は「マクド買うてきてや」などの雑事が多い。
「なんや?声が震えとるぞ。まだ朝のガサの件を引きずっとるんか?」
「いえ。そういうんではないっす」
《もっと大事なことですわ》
いつもの事やけど、このおっさんは俺の些細な変化を突いてきよる。
「ほうか。ほなら悪いけど伏見署に行って、病院におる奥さんの状態を確認してきてや」
と、山際のおっさんに言われた。
《そんなん電話で済む話やんけ!》
普段の俺なら、そうぼやくところや。けど、この時の俺は何も言わず「了解っす」と言って、素直に伏見署へ車で向かうことにした。
「おいおい。えらい素直やんけ。お前、マジで大丈夫か? 二、三日休んだ方がええんとちゃうか」
山際のおっさんが、変に俺に気を遣ってくれていた。
「いや、大丈夫っす。腹の具合が悪いだけですわ」
俺は、一階まで降りていき、車のエンジンをかけた。
……そして神楽も、当然のように助手席に座っていた。
*
《来る。来ない。来る。来ない》
伏見署へ向かう道中、信号を通過する度に俺は呟いた。
何というか、昔の花占い状態や。
本部から伏見署までは、国道一号線に出て、まっすぐ直線に近い。幹線道路なので、交通量も多いし、信号も多い。
今朝、腐乱死体を見てしまった心の傷を、癒やす暇もないまま、神楽の妊娠というプレッシャーに押しつぶされそうになっていた。
俺は車に乗り込む際、微かに望む男山に願いを込めて頭を下げた。
「来る。来ない。来る。来ない……」
と、本部前の信号から数え始めて、ブツブツ繰り返し呟いている俺を、横に乗っている神楽は、不思議そうに見ていた。
本部から数えて十八個目の信号が伏見区の大手筋の交差点で「来ない」やった。
次の「信号」を右に回れば伏見署や。
《次は「来る」や。フッ、石清水八幡宮の神様に感謝やぁ》
俺は、めっちゃ嬉しなって手が震えた。
「その交差点を右に行ってください」
神楽が悪魔のようなことを言った。
「え、別にそっち側へ行かんでも時間的に変わらんやん」
交差点の直進を望む俺の声が、震えて上ずった。
「曲がってください」
警察手帳を見せて、強く言う。
警察は階級がものをいうんや。警部の言うことに、従わざるを得ない。
俺は、一縷の望みに託した。
だが、信号は……なかった。
――終わった。
全身から魂が抜けるほどの絶望感が襲ってきた。別に子供が嫌な訳やない。今回一連の事件で、子供や妊娠っちゅう言葉が飛び交って、考えさせられることも一杯あった。
《父親になるって、どんな気持ちなんやろ?》
人間、守るもんが出来ると、どないなるんやろ?
強くなるんか、弱くなるんか……。
俺は、柴田修一の姿を思い浮かべながら、伏見署へ入った。
会議室で待っていると、奥さんの百合の状態を確認してきた刑事が入ってきた。
「久しぶりやのぉ、ウガンダ」
同期の浜田 万次郎巡査部長やった。
長男のくせに万次郎なる名前になったのは、こいつの父親が、昔流行った『硬派漫画』に感化されて、命名されたのだそう。
だが、順調に成長した浜田は、小さい頃から柔道を習っていた割に、細身で軟派なやつやった。警察学校の入学式で「舐められたらあかん」の思いで、日本のヘビメタバンドの格好をして、即刻、坊主頭にされたという経歴を持つ。
そして、この男の半端ないところは、その処分への意趣返しに、自分でさらに頭を剃り上げ、眉毛まで剃りよった。
以後、卒業するまで、何故か俺と安田、それに今は舞鶴におる山本五十八と一緒に、教官から目をつけられることになった。
そんな浜田も結婚して、三十歳を前に大人になったんやなと思える髪型は――してなかった。
髪は黒のままやけど、トップを立たせ、襟足を長めに残したウルフカット。昔みたいに逆立ててへんだけ、本人なりには大人になったつもりなんやろう。細身の黒スーツに細いネクタイ、尖った革靴。手首にはごつい銀色の腕時計……。
《いや、全然卒業できてへんやんけ》
「おい、資料出してくれるか」
浜田は席に座ると、一緒に入ってきた若い刑事に顎で言った。
――何を、偉そうに。
ちなみに浜田は、去年の近畿管区内警察柔道・剣道大会、柔道の部の準優勝者で、向日町署のスキンヘッド安田と同じ、脳筋組である。
鋭い見識と圧倒的な論理で勝負する、知性派の俺とは真逆の存在である。
なのに、卒業後も呑みに行く仲間の一人なのが不思議や。




