第一章「子供ができたの殺人事件」第一話「桜の下で、死体転がしてどないすんねん」(四)
(四)
背割堤の入口から少し進んだところに、車止めがある。その脇の舗装路には、黒ずんだ血だまりが残っていた。
だが、遺体が発見されたのは、そこからさらに先やった。
規制線を越えて歩いていくと、やがて白いビニールシートが見えてきた。その周囲では、大勢の鑑識員が慌ただしく動き回っている。
少し離れたところには、捜査一課長の山際万作と、一課の連中も数人来ていた。俺たちよりかなり早く到着し、すでに遺体の検分に立ち会っていたらしい。
「えらいすまんのぉ。非番やいうのに」
俺を見つけた山際のおっさんが、口元だけで笑った。
捜査一課長という肩書を知らず、警察手帳も見せてもらわなければ、普通に職務質問したくなるような風貌をしとる。
《ほんまやで》
そう思いつつも、俺も大人や。
「いえ。これが刑事の仕事ですから、気にせんといてください」
こういう建前を口にできるようになったら、一人前の証や。
「別に気にはしとらんけどな。それにしてもお前、そのボサボサの頭、どうにかならんのか」
《いや、気にせえよ。しかも、ボサボサの頭て何やねん》
せっかく直してきたつもりやったのに。
俺は引きつった笑みを返した。
「遅くなって、申し訳ありません」
神楽が素直に頭を下げた。
「いや、かまへん、かまへん。気にせんときや」
「状況は、どうなっていますか」
神楽の問いに、山際のおっさんは苦い顔をした。
「男が他殺されたんは、間違いないんやが……」
「はい」
「少し大阪寄りの茂みに倒れとった女との関係が、まだ見えへん」
おっさんは、頭をポリポリと掻いた。
「その女性が男性を刺した可能性はないのですか」
少し先では、女性が倒れていた場所を鑑識員たちが調べている。神楽はそちらへ目を向けながら尋ねた。
「可能性は低いやろな。あの女も首を絞められとるからな」
「課長」
近くにいた鑑識員が、山際のおっさんへ声をかけた。
「どないした」
「これが、車止めの近くに落ちていました」
鑑識員が示したのは、片方だけのイヤリングだった。最初に見た血だまりのそばに落ちていたらしい。
俺はおっさんらの集まりから少し離れ、目の前に見える天王山を眺めながら聞き耳を立てていた。ここからでは話し声しか聞こえてこない。
まあ、実物を見せられたところで、俺に装飾品の値打ちなんぞ分かるはずもないんやけどな。
「ほお。見せてくれるか」
山際のおっさんは手袋をした手で受け取り、目の前にかざした。
「……」
何も言わない。
しばらく難しい顔で眺めたあと、無言のまま神楽へ手渡した。
おっさん、分かるでぇ。
何かを見極めとるような顔はしたものの、実際は何も分からへんかったんやろ。
俺が若者なら、速攻でSNSにこう書き込んどる。
《おっさん、何も言えずに草》
そもそも、こういう小物の値打ちなんぞ、俺も含めた無粋な男に分かるはずがない。
「どこにでも売っていそうなイヤリングですね」
おっさんから受け取った神楽も、イヤリングを目の高さまで掲げた。
「おお。わしも、そう思っとってん」
《嘘つけ》
俺は心の中で、静かに突っ込んだ。
「課長、よろしいですか」
女性が倒れていた場所を調べていた山田刑事が、少し離れたところから声を上げた。
「どないした」
「女性のものと思われる財布が見つかりました」
「中身は?」
山際のおっさんの目つきが変わった。
「現金とカード類は残っています。免許証も入っていました」
「名義は」
「大野晴子。三十歳です。免許証の名義なので、本人かどうかは確認中です」
大野晴子。
俺は、その名前を頭の片隅に置いた。
「ただ……」
「どないした」
「携帯電話が見当たりません」
山際のおっさんの眉が、ぴくりと動いた。
「女のか」
「はい。周辺を探していますが、今のところ見つかっていません」
そういえば――。
刺されて死んだ男の携帯も、まだ見つかっとらんとか所轄の刑事が言うとったな。
《三十歳前後の男女が二人とも、携帯を持たずに、こんな場所へ来るか?》
俺は目の前を静かに流れる木津川を見下ろした。
二台とも、犯人が持ち去ったのか。あるいは、川へ投げ込んだのか。どちらにしても、ただの通り魔が偶然二人を襲ったとは考えにくい。
「防犯カメラにでも映ってくれとったら、ええんやけどな……」
川面にきらめく春の光を眺めながら、俺は小さく息を吐いた。
「こら、長くなりそうやな」
そんな俺の予感を肯定するように、木津川は何も語らず、ゆっくりと流れていた。




