第一章「子供ができたの殺人事件」第一話「桜の下で、死体転がしてどないすんねん」(三)
(三)
結局、いつものように俺は神楽の口に負けて、現場へ向かう車を運転させられていた。
京都市北区上ノ杜町の細い生活道路を抜けていく。車窓の向こうは、春がようやく芽吹き始めたような色をしていた。
道端では沈丁花や梅が花をつけ、開けた窓から甘ったるい香りが流れ込んでくる。こういう朝に限って、景色だけは妙に清々しいのが腹立つ。
《非番の朝やぞ――》
運転しながら、「綺麗ですね」と、景色を見ながらうっとりとしている神楽に、心の中で虚しい抗議を繰り返す。
「それで、現場はどこや」
俺は嫌み的に尋ねた。
しかし神楽は、流れていく車窓の景色を眺めたままだった。
こいつ曰く、現場へ急行する緊張感の中で見る、こういう景色が好きなんやと。
変態やで……。
「八幡市八幡在応寺付近の、木津川沿いです」
窓の外を見ながら神楽が答えた。
「遠いな」
今から行ったところで、俺らに出来ることなんか残ってへんで。そう言うたつもりやったが――。
「桜で有名な背割堤の近くだそうです」
まあ、神楽に言外の意味を読み取ってもらおうと期待するだけ無駄やった。そんなことは骨身に染みて分かっとる。
しかし、桜の季節に殺人事件とは、世も末やで。
「通報内容は?」
「早朝、胸を刺されて倒れている男性が見つかったそうです」
「歳は」
「三十歳前後。身元はまだ確定していません」
車が街中に入ったので、神楽はスマホを操作しながら淡々と答える。
《ほんま、便利なんも考えものやな》
昔やったら、家にかかってきた電話を無視して、翌日にでも「へえ、そんなことがあったんですかぁ」と惚けたら済んだんやろう。
生まれてもおらんかった昭和に、俺は淡い憧れを抱いた。
「帳場……立つな」
俺の非番がいま、華麗に終わりを告げた。
「仕方ありません。それが仕事です」
神楽の返事は、相変わらず的確だった。
さっきから偉そうに質問しとるが、神楽は警部。警部補の俺にとっては、れっきとした上司や。
*
木津川に架かる御幸橋へ到着すると、すでに何台もの警察車両が列を作って停まっていた。制服警官によって規制線が張られ、その向こうでは鑑識のシャッター音が絶え間なく響いている。
俺は最後方に車を停め、神楽と一緒に堤防を下りた。
背割堤は、京都と大阪の境に近い場所にある。宇治川と木津川を隔てる堤防で、桜の季節になると、一・四キロにもわたる並木を目当てに大勢の花見客が押し寄せる。
木津川の向こうには男山がそびえ、その山上から石清水八幡宮が辺りを見下ろしている。
平安京の裏鬼門を守り、勝運や厄除けの神さんとして信仰されてきた社や。反対側には、天下分け目の戦いで知られる天王山も見える。
……そんな歴史ある場所でや。
しかも、神さんが見下ろしとるような場所で人を殺すとは、罰当たりにもほどがある。
背割堤では、四分咲きの桜が川沿いを埋めるように並んでいた。
梶井基次郎は、桜の樹の下には屍体が埋まっていると書いた。昔から、満開の桜と死体は、不気味なほど似合う……知らんけど。
そやけど――や。
《ほんまに死体を転がして、どないすんねん》
「第一発見者は、いつもこの堤防を走っている近所の方だそうです」
規制線のそばにいた若い警官が教えてくれた。
「遊歩道から少し外れた場所に、男性が倒れていたとのことです」
「所見は?」
「胸に一カ所、背中に三カ所の刺し傷があるそうです」
「刺殺……か」
「そうなると思われますが……」
どうにも歯切れが悪い。俺はそこを敏感に気づいた。
「何や。まだ何かあるんか」
「ここから少し大阪寄りの茂みに、女性も倒れていました。意識不明の状態で、すでに病院へ搬送されています」
「ほな、その女が男を刺したんか」
「いえ。その女性の首には、圧迫された痕があるそうです」
刺殺された男の近くに、首を絞められた女が倒れていた。
《ほんま、物騒な世の中やで》
俺は今度こそ、真剣に異動届を出そうと心に決めた。




