第二章「ロマンス詐欺殺人事件」第一話・京女の恥じらいは桜のように儚いんもんやな(一)
(一)
『あのときみたいに、笑ってみろ』
柴田修一は、女の首を絞めながら、女にそう言っていた。
聞こえていたのかどうかなど、修一にはどうでもよかった。
《……もう、笑うことも出来ないからな》
修一は、足下に転がっている女の顔をじっと見た。
本来、修一が手を下す予定はなかった。自分と同じくらいこの女を恨んでいた男がいた。こちらが手引きをして、その男が目的を果たす筈であった。
だが、あの男は、意識を失った女の生死を確認するどころか、己の欲望を優先した。
《下衆が……》
この女に証拠を残してしまった以上、もはやあの男が、逃げ延びることは不可能であろうと、修一は考えた。
しかし目的は同じだった。こんなことならはじめから自分でやればよかったと後悔したと同時に、きっとゆかりが俺にこの女を殺して欲しかったんだろうと、あの子が大切にしていた熊のぬいぐるみを見ながら、そのように考えた。
「これで二人……。ゆかり、パパが死んでも、会うことはできないな」
そう言って、修一は悲しい顔をした。
*
五月一日早朝。世間では、もうゴールデンウィークに入っていた。もちろん警察に、盆も正月もない。ましてや、ゴールデンウィークなどあるはずもなく、俺たちは日々の仕事を粛々とこなしている。
そして俺は、一仕事を終えた満足感と共に、八幡署の屋上にあるオアシスで煙草の煙を上げながら、八幡の景色を眺めていた。
やはり、朝の空気は旨い。前日からの書類整理を終えた朝は格別や。
もっとも、大半は神楽がしてくれて、俺はぼけーっと神楽の横で睡魔と闘っていただけやけどな。
しかし、誰が仕事をしたかというのは関係あらへん。俺は五月晴れ……まではいかんかったけど、朝の空気を腹一杯に吸い込んだ。
ほんまええ景色や。京都市内とはまた違った空気を運んでくれる。
〈……横にこいつさえおらんかったら……最高なんやけど〉
「いい空気ですねぇ」と一言、神楽が言えば、一緒に俺も腹一杯に空気を吸い込んで、「そやなぁ」と返す。会話になるやないか。
「市内と違った雰囲気ですね」と景色を見ながら神楽が言えばやな。俺も「開放感が半端ないで」と話をすることも出来る。
俺の後ろをついてきて、煙草も吸わず、ただ黙ってスマホをポチポチやっている。これでは会話どころか、コミュニケーションそのものが成り立たへんやないけ。
「お前、仕事いきや」
と、俺は人間として、まともなことを言うたつもりやった。決して神楽が邪魔やからやない。
「いやです。公務執行妨害で逮捕しますよ」
神楽はスマホから目を離さずに言った。
《何でやねん。人と話するときは、相手の目ぇちゃんと見て話しやって、教わらへんかったんか、こいつは》
心の中で神楽に文句をたれていると、不意に神楽が下腹の辺りに触れた。
神楽にその意志がなくても、俺には『あんたぁ、ここにもう一つの命が宿ってること、忘れたらあかんでぇ』という、無言の圧力になっていた。
俺は吸い込んだ煙を、ため息と一緒に吐き出した。
そのとき神楽のスマホが鳴った。
「はい、大月です……え? 八幡署です……はい。すぐに向かいます」
電話を切った神楽が、こっちを見る。
こういう時、何も言わんでも俺にはわかる。事件が起きたってことや。
「気いつけて行きや」
神楽に話しかけられるより先に俺は、そう言うてやった。
「また背割堤で殺人事件だそうです。課長から連絡を受けました」
と、神楽が言う。
「はあ?」
つい、一ヶ月前に事件があったばかりやのに、現場付近でまた、殺人事件が起きるって、どないなっとんねん。
「女性の絞殺らしいです」
と言って、神楽は足早に駆け出した。
「フッ」
俺は、駆けだすあいつの背中を目で追った。
こういう時、昔の刑事ドラマやったら、やれやれと溜息をついて、煙草の火を消す。
「おい、待てよぉ」
と、笑いながら走り出すんやろう。
そやけど、俺は違う。
まずはトイレに走った――。




