第一章「子供ができたの殺人事件」第三話「そんな、迷惑な能力なんていらんねん」(六)
(六)
大いに盛り上がって、酔いも回ってくると、男同士の話題は決まって仕事の話になる。
朋子が、赤ちゃんをあやしに行ったのを皮切りに、酒のせいで頭の先まで赤くなっていた安田が話し始めた。
「俺な、人の親になって、初めて理解出来たことがあるんや」
「柴田ゆかりさんのことですね」
鍋の野菜を、俺の器に盛りながら神楽が訊いた。
「そや。なあ、桔平。彼女の親父さんがご遺体を引き取りに来られた時のこと覚えてるか」
「ああ、覚えとるで」
そや。あの時の柴田修一の姿は、忘れようがあらへん。
人間って、悲しみが過ぎると涙も出えへんのやな。
あの時の俺は、そう思った。
「お世話になりました」
柴田修一は、取り乱すことなく俺達に頭を下げた。
「ありがとうございました」とも、言った。
俺は、そういう頭の下げ方を、あの時初めて見た。
あれは礼やない。
怒鳴る力も、泣く力も、憎む相手を選ぶ力も、全部失くした人間が、最後に残した形やった。余程のことやったと、俺は思う。
……警察いうたかて人間がやっとんねん。
文句言われて腹立つこともあれば、遺族の悲しみに触れて、一緒に泣くこともある。
「俺はもし、自分の娘が同じような目に遭ったらと、考えるだけで怖くなんねん」
安田が、ぽろりと涙をこぼした。
「ははっ、刑事として失格やな。マジで次の仕事を考えなあかんな」
酒のせいか、安田は涙もろくなっているのかも知れない。
でも、さすがの俺でも、そこは茶化せへん。
鍋の湯気の向こうで、安田は父親の顔をしていた。
警察官でも、同期でも、脳筋でもない。
生まれたばかりの子を抱いて、初めてこの世界の怖さに、気づいた男の顔やった。
《もし、俺に子どもが出来たら》
ふと、そんなことを思った。それが神楽との子どもが産まれたら、俺はどうなるんやろう。
あの父親のように頭を下げられるのか。
……安田のように泣くのか。
それとも、何も考えられんようになるのか。
その答えは出えへんかった。何より親というものにならんとわからん気持ちやと思う。
それでも、怖いと思った。
世の中には、安田みたいに、娘の将来を思って泣けるほどの、愛情がある。
けどな。その愛情を、何のためらいもなく切り裂く刃もある。しかもその刃は、親の愛情よりずっと多く、そこら中を飛び回っとる。
そんなことは、警察っちゅう組織の中におったら嫌でも分かってることや。
人の悪意は、珍しいもんやない。むしろ、毎日どこかで大量生産されとる。けど、安田の家で鍋を囲んで、赤ん坊の泣き声を聞きながらそれを思うと、分かっていたはずの覚悟が、静かに消えていく。
でも失う怖さだけは、妙にはっきりしていた。
……いやいや、俺は何を、真面目に考えとんねん。
俺は頭を振って現実に戻そうとした。
神楽が涙を拭いた。
《待て。何でお前が泣いてんねん》
こっちは、このしんみりした空気をどうにか立て直そうとうと、必死で努力しとるんやぞ。
安田も、鍋の向こうで黙っていた。
湯気だけが、ぐつぐつと音を立てている。
《多分、この場で俺が一番浮いているんやろうな》
朋子が子供を寝かしつけて戻ってきた。まだ俺に何か言いたいらしく、じっと俺を見ている。
「あんたな……」
と、俺に文句を言おうとした口を手で遮って、俺は行った。
「朋子、ええ男を捕まえたな。ありがとう」
俺の言葉に、安田は涙で顔がぐしゃぐしゃになる。一方、朋子は泣いている安田を見て、何か言おうとしてやめた。
「当たり前やん」
その声が無性に暖かい。
安田は泣き虫で、脳筋で、酔うと同じことを何回も言う。更に口が軽い。スキンヘッドのこいつに教えられることは一生ない。そやけど、それ以上に真っ直ぐでええ奴や。
それは俺の本音や。たぶん、こいつはええ父親になる。
口には出さんかった。
それを言葉にすると、また泣くやろう。
朋子が、俺をじっと見て神楽に、「噂通りの、ええ男やん」と、神楽に言った。
「はい。昔から」
と返した。
「噂通り」の部分が気にはなったが、朋子が何をもって「ええ男」というたのかは、俺には分からなかった。




