第9話:10年越しの距離は変わらず……
……想像できるだろうか?
死んだはずの自分が、想定外の目覚めを迎えたその先の日々を――。
「シスター・エルダ。いつも、あなたの身の回りの世話をしている侍女たちを紹介しますね」
かつて『レイ』と呼ばれた青年――ラファエル・アルシュバーン侯爵は、淡く笑って呼び鈴を鳴らした。
二十歳前後と思しき、3人の侍女が入室してくる。
その3人の顔を見て、エルダはハッとした。
真ん中に立っているのは、しとやかに輝く栗毛を結い上げた、凛としたたたずまいの侍女。
右は黒髪を肩の長さで揃えた、おっとりと愛らしい雰囲気の侍女。
左は淡い藤色を帯びた銀髪の、艶のある面立ちの侍女。
(ミモザ!? それにアニスとローゼル!?)
間違いない。この3人は、かつてミリュレー修道院でともに暮らした子どもたちだ。
深く礼をした3人は、顔を上げると昔のままの笑顔を輝かせた。
「シスターが起きてくださるのを、私たち毎日ずっと楽しみにしていました!」
「目覚めてくれて嬉しいです、シスター・エルダ!!」
「これからもよろしくお願いします!」
エルダは「皆!」と叫ぼうとしたが、喉からきちんと声が出ない。もどかしそうにするエルダの手を取って、ラファエルは「心配いりません」と微笑みかけた。
「少し訓練すれば、すぐ元通りに話せるようになりますよ。……それよりも、驚いたでしょう? 実はミリュレー修道院から、8年前にミモザ達を引き抜いていたんです」
「……!」
「あなたが眠っている間、身の回りの世話を彼女達に頼んでいました。これからも引き続き、この3人が担当します。あなたも、なじみのある者に頼むほうが安心できるでしょう?」
「……あ、りぁ、……」
ありがとう。と言いたかった。
嬉しくてぽろぽろと零れ出した涙を、ラファエルがそっと拭ってくれた。
(本当にこれ、夢じゃないの……!? この子たちがこんなに立派に育った姿を見られるなんて……)
夢ならどうか、覚めないで――。祈るような気持ちで、エルダは小さく震えていた。
「シスター。これから少しずつリハビリをしていきましょう。一緒にがんばりましょうね」
ラファエルを見つめて、エルダは泣き笑いで「は、い」と応えた。
*
エルダのリハビリ生活が始まった。
10年近く眠っていたのだから、さぞや衰弱しているだろう――とエルダは覚悟していたが、その予測は良い方向に裏切られた。
驚くくらいに、回復は順調だったのだ。
ドクター・ピーナの指導のもとに食事の練習や物を握るトレーニングなどが進められ、ラファエルたちが献身的に支えてくれる。
――その朝も、いつもの時間に侍女3人がエルダの部屋に来てくれた。
「「「おはようございます、シスター」」」
「おはよう、ミモザ、アニス、ローゼル。今日もありがとう」
「お着替え、お手伝いしますね!」
早々に声を取り戻したエルダだが、手足の自由はまだまだなので着替えや身仕度の大半は任せきりである。
「シスター、今日も顔が真っ赤ですよ? もしかして、まだ恥ずかしいんですか?」
「ん……そうね。なんだか情けなくって」
こんなふうにお世話をされるのは、どうしても馴れない。
「ごめんね、みんな。私のことで迷惑かけちゃって」
エルダがバツの悪い顔をしていると、ミモザたちは笑いながら首を振った。
「何言ってるんですか、シスターったら」
「もっと気楽にしてください」
(まあ、確かに何年もお世話され続けていたんだものね。今さら恥ずかしがっても……)
昏々と眠り続けている間にもあれこれしてもらっていたはずだ。想像してますます恥ずかしくなっていると、いつのまにやら着替えが済んでいた。
「おはようございます、シスター・エルダ」
低く澄んだ男性の声がして、エルダはハッと顔を上げた。
ラファエルが入室してきたところだった。エルダの身支度が整ったので、侍女たちが彼を呼んだのだ。
入れ替わりに、侍女三人が退室していく。
「ラファエル様。おはようございます」
居ずまいを正して、エルダが深く礼をすると。
「……『レイ』ですよ、シスター?」
と、肩をすくめて彼は笑った。
「他人行儀は寂しいです。どうか、あの頃のようにレイと呼んでください」
「……でも……」
ゆったりと歩み寄るラファエルを見つめて、エルダは心底戸惑っていた。
(昔と同じなんて。そんな失礼なこと……)
ラファエルはベッドの脇に腰かけると、少し寂しげに眉尻を下げた。
本名で呼んだり敬語を使ったりすると、彼はとても悲しそうな顔をする。だからエルダは、彼に対してどんな態度で接するべきかよく分からない。
「私からのお願いです。聞いていただけませんか?」
「……」
お願い、とまで言われてしまうと。
「…………分かったわ。レイ」
彼は嬉しそうに笑った。
完全無欠の美貌が仔犬のようにくしゃっとなって、なんだかキュンとしてしまう。
(……って、いやいや。キュンとしてる場合じゃなくて)
お願いされたから、昔の口調で接しているだけ。決して断じて、馴れ馴れしくふるまう気はない。
だけれども……。
「顔色が良いですね、シスター。今日のあなたも、とても美しいですよ」
艶のある笑みを浮かべながら、ラファエルはエルダの頬に触れてきた。
思わず、ぴくりと震えてしまう。
「ま、またまた、すっかりお世辞がお上手になっちゃって……あはは」
「世辞なんて言いません。あなたは私の女神ですから」
「めがっ……」
ラファエルは毎日、息をするように滑らかにエルダを褒めてくる。
(き、きっと私を気遣って、元気づけようとしてくれているんだわ……。なんて立派な若者に……)
などと親目線で浸りつつ、それでもくすぐったくなるのは彼が美しすぎるせいだろう。
ラファエルの色香は、目の保養を飛び越えてむしろ「目の毒」だ。
直視しかねて視線をうろうろさせていたら、ふとベッドサイドの大きな機材が視界に入った。
「……それにしても、眠り続けたまま10年近く生きられるなんて、新大陸の新技術って本当にすごいのね」
気恥ずかしさを紛らわせたくて、そんな雑談を始めてみた。
ラファエルもそちらに目を向ける。
「ええ、生命維持装置ですね」
つい先日まで、エルダの手足はこの機器から伸び出たチューブで接続されていた。
新大陸の最新技術を搭載した超高性能装置だそうで、……お値段は聞けずにいるが「国家予算レベルの代物なのでは?」とエルダは予想している。
「海の向こうでは、こんなにすごいものが開発されていたのね。……昔は、いばらの呪いにかかったら『もって5年』と言われていたのに」
エルダの全身の衰えが少ないのも、この機械のおかげだそうだ。筋肉だけではなく、容姿も衰えてはいない。
今のエルダの実年齢は26歳。
しかし、鏡に映る自分の顔はどう見てもそれより若い。現23歳のラファエルと、ほとんど同じくらいに見える。
「若く見えて助かるわ。ドクター・ピーナが、『生命維持装置で代謝が落ちて、冬眠状態だったから』っておっしゃっていたの。冬眠だなんて、まるで熊にでもなった気分よ」
「熊……ですか?」
「そう、熊!」
冗談めかしてエルダが笑うと、ラファエルもふわりと微笑した。
「でも、クマは猛獣ですよ。こんなにかわいい熊、私は見たことありません」
ラファエルはそんなことを言いながら、エルダの赤毛をふわりと取って自分の指に巻きつけていた。
「シスター・エルダは世界にひとりの、かわいい赤毛の子熊ですね。誰にも狩られないように、私が守って差し上げないと」
「……っ」
……な、なんて、恥ずかしいことを。
エルダは赤面しながらそっぽを向いた。
(ず、ずいぶんとプレイボーイなことをサラッと言うようになって。月日って残酷ね……純粋無垢な、あのレイが……)
――そう。何といっても、十年だ。
自分が眠りこけているあいだに、世の中はどう変わったのだろう?
そしてふと、実家のことに思い至った。
「…………」
オルドー子爵家の面々は、今はどうしているのだろう?
エルダの手柄を横取りしていた婚約者は、居場所を奪った異母妹は。きっと今頃は当主交代して、彼らが子爵家を切り盛りしているに違いない。
「……? どうしましたか、シスター・エルダ」
少し表情を硬くしたエルダを、ラファエルが心配そうにのぞき込んだ。
「……いえ。なんでもないわ」
あんな実家、どうだっていい。
領地経営が上手くいっていてもいなくても、すでに無関係なのだから――そう思い直して、エルダは笑った。





