第8話:10年越しの目覚め
覚めないはずの眠りから、エルダは目覚めた。
最初は、何が起きたか分からなかった。
体は重く、頭がひどくぼんやりしている。天井の壮麗なシャンデリアが目に映り、そして二十代前半と思しき美青年が、泣き出しそうな顔でエルダを見下ろしていた。
「…………目覚めたのですね」
声をふるわせてエルダに微笑みかけるその男――『美の化身』という言葉が似合う、しっとり濡れた色香を纏う人物だった。
淡いストロベリー色を帯びた金髪はシャンデリアの灯りを受けて細やかに輝き、同色の長いまつげは優美なアーチを描いている。神秘的な紫の瞳もまっすぐ通った鼻筋も、完璧な配置で美貌を彩っていた。
青年はエルダの手を取り、そっと自身の唇に寄せた。
「会いたかった。ずっと……ずっと、あなたに会いたかったです」
(……あぁー。夢ね、きっと)
霞みがかった意識の中、エルダは思った。美青年に手を握られて、「美しい」とか「天使のようだ」とか囁かれるなんて夢に決まっている。
元婚約者は気障なクズだったし、エルダの人生には甘い色恋なんて無縁だった。だから、こんな目に入れても痛くないような美男子にトロトロに甘やかされるなんて、夢限定のご褒美タイムに違いない。
しかしふと、
(あれ? 私、死んだよね?)
……と違和感を持った。
(……ふぅん、死んでも夢って見れるんだ。ところで私、いつ死んだっけ)
ぼんやり思い出そうとすると、不意に「シスター!」と叫ぶレイの声が耳の中によみがえった。
そうだった――自分は呪いで、覚めない眠りに落ちたはずだ。
そして今さら気がついた。
目の前にいるこの美青年……、レイにそっくりだ。
「……れ、い……」
思わずエルダがそう呟くと、彼はぴくりと身をこわばらせて目を見開いた。ぽろ、ぽろと水晶のような涙がこぼれ出す。
(絵になるわぁ。いい男って泣いても絵になるのね)
芸術鑑賞の心境で、エルダは美貌に見惚れていた。
「シスター・エルダ……!」
青年に抱きしめられた。ぎゅ……と切なく強いその腕は、微かに震えている。身体から香るほのかなシトラスと体温。吐息も心音も、あまりにもに近い。
(ん? 夢ではない??)
エルダの胸の違和感が確信へと変わっていく――夢にしては、リアルすぎる。
「覚えていてくれたのですね……。もう二度とあなたを離しません!」
彼はエルダを抱きしめたまま、涙に濡れてそう言った。
(いやいやいや、私死んだし! っていうか誰!? この人なんで抱いてるの!?)
絶叫したかったけれど、喉に力が入らずにかすれた声が漏れるだけだった。
「……ぇ、……う……っ」
「ああ、声もかわいらしいですね。本当に、昔のままです」
と、美青年は赤子の発話を愛でる親のような顔をして喜んでいる。
(いやいや、笑っている場合じゃなくてですね!?)
エルダはすっかりパニックだった。
青年を跳ねのけたいのに、身体に力が入らない。
(……ホント、誰!? レイにすごく似ているけど……!)
そのとき、エルダはベッドの側に置かれた鏡に映る自分を見た。
(…………あれ? 私の顔、ちょっと老けてる?)
エルダは思った――どう見ても10代の顔ではない。20代の半ばには見える。
(えええええ――!? どういうこと!?)
「……ぇ、……ど、……い……っ」
「まだ無理をしないでくださいね、シスター・エルダ。あなたは10年近く眠り続けていたんですから」
(10年!?)
彼は「医師を呼びます」と言って、呼び鈴を鳴らした。
現れたのはふくよかで気品のある五十代と思しき女医だ。エルダを丁寧に診察すると、
「アルシュバーン侯爵閣下。エルダ様の状態は良好でございますよ」
と、にこやかに告げた。
体が動かず声も出せないエルダは、目だけ動かして疑問を訴えた。
「ああ、彼女はドクター・ビーナです。新大陸から私が呼んだ、いばらの呪いの専門家です」
(新大陸? ……専門家?)
「……ど、ぅ、」
「どういうことか、と聞きたいのですね?」
彼は私の手を握り、まっすぐに覗き込んできた。
「シスターが気づいてくださった通り、私はレイです」
(なんとっ)
「あなたが意識を失ってから約十年――正確には、九年七か月の月日が経過しています」
(うそでしょ!?)
愕然としているエルダを気遣う表情で、彼は続けた。
「そして、今シスターがいるこの場所はミリュレー修道院ではなく、王都にあるアルシュバーン侯爵邸です」
(っ……!?)
アルシュバーン侯爵家と言えば、この国でもっとも由緒ある家門のひとつ……名門中の名門だ。なぜ自分がそんなところに!? とエルダは目を白黒させた。
「驚かないでください、シスター・エルダ。実は私はアルシュバーン侯爵家の生まれで、本当の名はラファエル・アルシュバーンと言います。……あなたが名付けてくれた『レイ』のほうが、はるかに価値があるのですが」
と、苦笑しながら彼は続けた。
「幼い頃、訳あって家を離れた私は貧民街で暮らしていました。そんな私を救ってくれたのが、あなたです」
遠い昔を懐かしむように、彼は目を細めている。
「シスター・エルダが昏睡に陥ったあと、私はこのアルシュバーン侯爵家に戻りました。……些末なことは少なからずありましたが、今では私が当主として、この家の全権限を掌握しています。侯爵家の保有資産をもってすれば、いばらの呪いの治療法を見つけることすら可能となったのです」
(なにそれっ……本当に?)
「長い歳月がかかってしまいましたが、こうして再び会えて嬉しいです。――もう、二度とあなたを手放しません。この生涯をかけて、私があなたを支えます」
ゆったり微笑む彼の姿は、神々しいほど美しい。
信じられない事実が疾風怒濤で押し寄せ続け、エルダはあわあわするばかりだった――。






