王太子の手駒として暗殺者になる義弟を愛情たっぷりに育てたら、私専属の最強騎士に仕上がっていました
「ワインの給仕ひとつ満足にできんのか、貴様は!」
父に怒鳴られて、ワインボトルを持つ少年の肩がびくりと震えた。
「……申し訳ありません、子爵様」
「まったく。これだから貴様というやつは」
「ああぁああああ!」
ああぁああああ――は私の声だ。食卓の席を立ちあがり、思わず少年を指さしてしまった。
だって。この子、知っている。
銀の髪。銀の瞳。影のある美しい面立ち。
私が愛読していたヤンデレBL小説『銀の毒薔薇』の、主人公ミシェル・ハーヴェンだ。
……ヤンデレBL小説? 今いきなり思い出したのだけれど、私って転生者だったのね。
ともかく、問題は私ではなくミシェルのほうだ。
毒殺魔ミシェル。
王太子が密かに重用していた、凄腕の暗殺者だ。
毒に関する膨大な知識と冷酷無比な判断力を持ち、王太子に命じられるままに政敵を次々と葬り去っていく。
(ミシェルは、かわいそうな人だったわ……)
十歳の頃に母の再婚でハーヴェン子爵家に連れてこられるも、義父である子爵に虐められ、義姉アネッサに疎まれ、実の母からさえ厄介者のように扱われる。
愛を知らないミシェルの才能に目を付けたのが、王太子だった。
以来、ミシェルは王太子に心酔。王太子からのどんな命令にも従順で、暗殺にさえ嬉々として手を染めていく。
(……からのBL展開が濃厚で、見ごたえ抜群だったのよね)
孤独を埋める忠誠心は、いつしか歪んだ盲愛へ……。最終的には王太子に毒を盛り、自分も心中するというメリーバッドエンドだった。
本当にかわいそうで、どうしようもなくこじれた男で、そして私の推しだった。ビジュが良すぎる闇落ち令息、そのミシェルが今……私の目の前で父にこっ酷くいびられている。
(とんでもない……!)
推しの闇堕ち現場なんて、生で見てたら喜べない。
私はミシェルを庇うように立ち、父を睨んだ。
「お父様。いい加減にしてください」
「アネッサ。なんのつもりだ」
「ミシェルはもうハーヴェン子爵家の一員です。使用人扱いしないでください!」
それから私は、同じテーブルに着く義母をふり向いた。
「お義母様もです。ミシェルはあなたの息子でしょう?」
食堂がしん、と静まり返り、父も義母も気まずそうに押し黙った。まさか13歳の娘にそんなことを言われるとは思ってもみなかったらしい。
一方のミシェルは、ワインボトルを抱えたまま遠慮がちに私を見ている。怯えているようだけれど、感情がほとんど読み取れない。
(まだ間に合うわ)
この子はまだ、毒殺魔ミシェルではない。まだ十歳の無垢な『推し』。
だったら私が、この子を愛情たっぷりに育ててみせる。
***
さっそく私は、ミシェルの待遇改善に乗り出した。
「……ミシェル。あなた、本当にこんなところで寝ていたの?」
知らなかった。ミシェルにはまともな部屋すら与えられておらず、地下の物置きで暮らしていたことなんて。
「今日からこっちの客間を使ってちょうだい」
「アネッサ、お前、なにを勝手なことを――」
「お父様は黙っていて。それに、どうしてミシェルの食事だけ厨房なの?」
「使用人なら当然だ」
「息子でしょう?」
言い合いを始めた父と私を、ミシェルは強張った顔で見つめていた。
「こんな子ども、息子なものか! 読み書きも満足にできないんだぞ」
「なら、ミシェルに家庭教師を付ければいいわ」
「うちにそんな金はない!」
いつも無駄遣いばかりしているくせに……。と言い返そうと思ったけれど、やめた。
「だったら私が教えます」
「お前が!?」
推しをお世話できるなんて、むしろ役得だと思う。数年前に使っていた教本をミシェルにあげて、その日から私が専属家庭教師になった。はたから見れば、3つ年上の義姉が得意がって義弟に勉強ごっこをさせているだけに見えるのかもしれない。けれど私は本気だ。
私にできることは、なんだってしてあげたい。――それに。
「……ミシェル。私、あなたにちゃんと謝らなくちゃ」
羽ペンで文字の練習をしていたミシェルの腕が、ぴくりと止まった。
銀の瞳が、しずかに私へ向けられる。
「今まで、あなたに冷たくしていたこと。本当にごめんなさい」
ずいぶんと、長い沈黙のあと。
「……お嬢様はなにも悪くありません」
ミシェルは、言葉を選ぶようにしてそう言った。美しい顔立ちからは、何の感情も読み取れない。
「僕のような者がいたら、不快になるのは当然です」
「ミシェル……」
礼節で身を守っている――そう感じた。許すとか許さないとか、それ以前の問題だ。
(全然、間に合っていないじゃない)
私は、奥歯を噛みしめた。
「いいえ。そんなの、当然じゃないわ」
「……?」
「ミシェルは不快な子なんかじゃない。悪いのは私よ。だから、謝っているの」
ミシェルの華奢な手に、思わず私は掌を重ねた。あか切れだらけのミシェルの指が、かすかに震えた。
「『許して』なんて図々しいこと言わないわ。でも私、行動で示すから」
「……なにをですか」
「あなたが、私にとって大切な子だってこと。あなたが幸せだと、私も幸せになるの」
――推しっていうのは、そういうものよ。
*
それから私は、ミシェルをあちこちへ連れまわすようになった。
「私の弟のミシェルよ。かわいいでしょう?」
お茶会に呼ばれれば、必ずミシェルも連れていく。社交の実地練習みたいなものだ。こういうのは、体で覚えるのが一番いい。
(原作では、社交界になじめずに苦しんでいたものね……)
最初は社交が分からず戸惑っていたミシェルだけれど、何度か参加しただけでマナーを覚えて如才なく過ごせるようになった。やはり頭が良い子なのだ。
「アネッサさんの弟さんって、とってもすてきね!」
と友人の令嬢たちが頬を染めるのもいつものことで、私はそのたびに誇らしい気分になる。ちなみに前世でも『同担OK』派だった。
ピクニックや遠乗りにも、よく一緒に出かけた。
「ミシェル! 今日は湖でピクニックよ」
「僕も……ですか」
「もちろん! 今日はふたりで行くの」
湖畔では、侍女たちの目を盗んで木登りもした。
「ミシェル~。木の上に登ると眺めがいいわ。ミシェルも早く!」
木の股に腰を落ち着けて、私は下にいるミシェルに手を振った。
「アネッサ様! 危険です」
「平気よ、太い枝だもの。――きゃあ!!」
「危ない!」
十歳とは思えないすばやさで駆け込み、ミシェルが私を受け止めた。
「百日紅の木はダメです。樹皮がすべるんですよ」
「く、くわしいのね。ミシェル」
……うぅ。姉として恥ずかしい。それにいつの間にか、ミシェルは私よりずっと博識になっていたのね。
「ごめんね。ケガしてない?」
「僕は平気です」
土が付いていますよ。と囁きながら、ミシェルは私の頬を指で拭ってくれた。
「まったく。姉様は」
くしゃりと。ミシェルが笑った。
「!」
姉様と呼ばれたのも、作り笑顔じゃない笑みをみたのも初めてだ。
「ねえ、ミシェル。今、姉様って呼んでくれた?」
「……」
「呼んだよね!? もう一回お願い」
「なぜですか」
「だって、嬉しいんだもの! ねえ、ミシェル。もう一回」
「……そんなことで喜ぶんですか」
「ええ、そうよ!」
なぜかミシェルは頬を染め、モジモジとうつむいてしまった。結局そのときは呼んでもらえなかったけれど、ものすごく嬉しかった。
――それからも、私達は一緒に勉強したり、遊んだり、お茶会にでかけたりした。ミシェルが姉様と呼ぶのもすっかり日常になり、気づけば二年が過ぎていた。
「姉様」
「なぁに?」
13歳になったミシェルは、いつになく硬い表情をしていた。
「……見ていただきたい物があります」
ミシェルに導かれ、私は屋敷の裏手に広がる林の奥へと足を運んだ。
「まぁ。きれいな野草ね」
木々の鬱蒼とした薄暗い一角を埋め尽くすように、見慣れない野草が濃い紫の花を咲かせていた。
「アルゴス草です」
「初めて見るわ」
「この地方ではまず生えません。土壌の質と日照、ほかにもいくつも条件が偶然重なったのだと思います」
ミシェルはしゃがみ込み、表情もなく花を見つめた。
「花には触れないでくださいね、姉様。毒があるので」
「毒!?」
「はい」
そして、何でもなさそうな顔でさらりと言った。
「これを使えば子爵様と母を殺せます」
――!?
「花を煎じて飲ませれば、流行り病とよく似た症状が出ます。死んでも誰も疑いません。あのふたりがいなくなれば、アネッサ姉様に家督が移ります」
聞き間違いだと、思いたかった。
けれどミシェルは、すらすらと言葉を組み立てていく。
「姉様はもう16歳、法的にも家督相続が可能な年齢になりました。王家から後見人が派遣されますが、実質的には姉様がハーヴェン子爵領を治めることになります。すでに領地経営のほぼすべてを姉様と家令が担っていらっしゃるので、実務上の問題はほぼありません」
「ミシェル……」
この子は、いつの間にそんなことを考えていたのだろう?
「子爵様の決裁を求める必要がなくなれば、姉様が理不尽な雑務に追われることもなくなります。母の浪費に頭を悩ませる必要もありません」
「待って」
「姉様の手は煩わせません。今夜にでも、僕が――」
「待って!!!」
言わせない。
ミシェルをきつく抱きしめて、それ以上は絶対に言わせなかった。
「言わないで。お願い」
ミシェルの唇を、私は指で遮った。自分でも驚くほど、ガタガタと指が震えてしまう。
(手遅れだったの?)
たっぷり愛情を注いでも、教育を与えても、やっぱり原作には抗えない?
「…………違う。そんなこと、ない」
「姉、様?」
私はミシェルの肩を抱き、まっすぐに瞳を見つめた。
「あなたは、とても賢いわ。でもその賢さは、人を傷つけるために使ってはダメ。大事な人を守るために使うの」
「……?」
ミシェルは、戸惑っているようだ。
「……お願い。あなた自身のためでもあるの」
「僕は、僕なんてどうでもいいです」
「私がイヤなの!」
ぎゅ。と、握った肩に力がこもる。
「人を傷つけるミシェルを、私は見たくない。お願いだから、約束して……人を守るために使うの!」
ミシェルは、しばらく沈黙していた。けれど。
「僕が約束を守ったら、姉様は喜びますか?」
「ええ」
何度も何度もうなずくと、やがてミシェルは納得したらしい。
「――誓います」
そこから先は、早かった。
ミシェルはアルゴス草をすべて焼き払い、二度と生えないように周囲の土まで処理してくれた。
「今日のことは、忘れてください」
「――ええ」
「不安にさせて、すみませんでした」
その日の夜は、ベッドに入ってもずっと眠れなかった。
(ミシェルは約束してくれたもの……大丈夫よね? もう、原作とは違うわよね)
原作ではミシェルが13歳のとき、ハーヴェン子爵家は流行り病で全滅していた。身寄りを失くしたミシェルは、数年後に王太子に拾われて――。
(え……? 流行り病……だったのよね?)
ぞぞぞ……と、背筋が寒くなる。
思わず飛び起きて、気合で自分の顔をばしばし叩いた。
「し、しっかりしなさい、アネッサ! ともかく、ミシェルは約束してくれたんだから大丈夫よっ」
***
翌日。さっそく私は、ミシェルを外に連れ出すことにした。
(健全な精神は健全な肉体に宿るって昔から言うものね)
ちょっと単純すぎる気もするけれど、部屋にこもって毒草のことを考えるよりは絶対にいい。
「ねえ、ミシェル! 今日は久しぶりに、お庭で剣の稽古でも――…………あら?」
ミシェルの部屋に入った私は、こてりと首をかしげた。
本棚の一角がからっぽだ。部屋のいたるところに飾られていた植物や鉱物の標本もごっそりとなくなっている。
「部屋を片付けたの?」
「はい。いらないものを処分しました」
「処分って……あんなに熱心に集めていたのに?」
「もう必要ありませんから」
「そう」
……まあ、興味なんて変わるものよね。これくらいの男の子って、意外と飽きっぽいって言うし。
「それより、剣の稽古ですよね」
「ええ」
「行きましょう、姉様」
ミシェルは嬉しそうに顔を綻ばせた。
木剣で素振りを始めたミシェルは、とても筋が良かった。
「すごいわ、ミシェル!」
「そうでしょうか」
「ええ。とてもすてき! かっこいいわ」
大人になったミシェルが雄々しく剣を振るう姿を想像して、私はうっとりと溜息をついた。
(原作ミシェルの武器は毒塗りの暗殺用ナイフで、その病みっぷりもゾクゾクしたけど……現実なら断然こっちよ!)
ミシェルは、なぜか私の顔をじっと見つめていた。
「姉様は、こういうのが好きなんですね」
「こういうのって?」
「いいえ、気になさらないでください」
ミシェルの瞳がきらりと光を帯びた気がした。
ミシェルは、よっぽど剣の稽古が気に入ったらしい。翌日からは、日の出前から素振りをしていた。子爵家の騎士を指南役に呼んで、本格的に教えさせてみたところ――。
「驚きました……! ミシェル様は百年に一度の逸材です!」
「まあ、本当に!?」
私が声を弾ませると、ミシェルも誇らしげに目を細めた。
剣術。馬術。兵法訓練。ミシェルは水を得た魚のように生き生きと学び取っていった。
「まさかあなたに騎士としての才能があったなんてね!」
「騎士……」
ミシェルが騎士学校に通いたいと言い出したのは、そのすぐ後のことだった。
私は大喜びだ。
さらば暗殺者。とうとう私は、ミシェルの運命を変えたのだ――!
うきうきしながら、私は入学の手はずを整えた。
「王立騎士学校。王都にある、この国で一番の騎士育成学校よ」
ところが、ミシェルは難色を示した。
「他の騎士学校が良いです」
「あら……どうして?」
「全寮制は嫌なんです」
えっ。理由、そこ?
「僕は姉様と離れたくありません」
珍しくはっきりと意見してきたミシェルを見て、ほっこりしてしまった。いつの間にか、すっかりお姉ちゃん子になってくれたのね。
「うふふ。ミシェルったら」
さらさらの銀髪を撫でながら、私は少し膝を屈めてミシェルを見つめた。
「でもせっかく才能があるんだから、ミシェルには一番いい場所で学んでほしいわ」
「……」
ミシェルはまだ不満そうだった。
「だってあの学校なら、成績優秀だと王国騎士団にだって入れるかもしれないのよ? うちみたいな下級貴族には、またとない出世のチャンスだわ!」
王国騎士は、活躍次第で爵位を貰えることもある。そうなれば、ミシェルの将来は安泰だ。私が言って聞かせると、ミシェルもだんだんと納得してきたようだった。
「……たしかに、進路は魅力的ですね」
「でしょ? 確かになかなか会えなくなるけれど、学校行事のときは必ず見に行くから」
「約束ですよ?」
「ええ」
――分かりました、と頷いたミシェルを見て、私は胸を撫で下ろしたのだった。
***
季節は飛ぶように過ぎ、翌春。
14歳になったミシェルが、入学のために王都に立つ日がやってきた。
ぎゅっと私の手を握り、ミシェルは言った。
「――必ず手紙を下さいね、姉様」
「もちろんよ」
「僕も毎日書きます」
「毎日は流石に多いわ」
「いえ、書きます」
意志の強い子ね。
私は、くすくすと肩を揺らした。
「大丈夫。4年間なんてあっという間よ。……でも卒業の頃には、私も二十歳だけれど」
そう思うと複雑で、つい苦笑してしまった。
片田舎の弱小貴族な私にはまだ婚約者がいない。お父様はぽんこつだから、なんとか自分で探さないと……。
「姉様は、ますます美しくなるでしょうね」
「えっ。お世辞!?」
「本音です」
「ふふ、ありがとう。うかうかしてたら婚期を逃しそうだから気を付けなきゃ」
と、軽口を叩いた瞬間、なぜかミシェルが強張った。
「何よ、その顔……。本当に逃しそうだと思ってるわけじゃないでしょうね?」
「……いえ。ともかく、手紙をください」
そうしてミシェルは王都行きの乗合馬車で旅立ったのだった――。
***
ミシェルは本当に約束を守る子だ。騎士学校に入学してから、こまめに手紙を送ってくれる。
――『拝啓 アネッサ姉様。お元気ですか? 僕は……』
授業のこと。学友のこと。ミシェルの世界がどんどん広がっていくのが伝わってきて、そのたびに私は嬉しくなった。
でも返信を書くのは意外と難しい。
「う~ん。私の近況かぁ」
領地経営はまずまず順調だけれど、縁談のほうはいっこうに纏まらない。今日も、侍女が残念そうな顔で封書を持ってきた。
「アネッサお嬢様。ブラウン伯爵家のご子息から、お断りの手紙が届いております」
「あらまあ。また?」
おかしいなぁ。夜会でお会いしたときは、かなり熱烈にアピールされていた気がするのに。
(……でも少し軽そうな人だったし、そんなものかしら)
ところで、王都はやはり情報が早い場所らしい。
――『拝啓 アネッサ姉様。先日は、ロルフ男爵家のご子息が領地を訪れたそうですね。友人から聞きました』
「お友達の情報力が太すぎる……」
ミシェルの手紙には時折、私が近況を伝える前からそんなことが書かれていた。ちなみにそのロルフ男爵令息も、婚約がまとまる前に辞退されてしまったのだけれど。
「返信、なんて書こうかなぁ」
そんなふうに頭を悩ませながらも、ミシェルと文通するのは楽しい。
そうこうするうちにも、流れるように月日は巡った。そして――。
「――ここが王立騎士学園ね」
重厚な門をくぐりながら、私は感嘆の声を漏らしていた。
騎士学校に入学してから早二年――今のミシェルは三年生だ。私は今日の剣術大会を観るために、遠路はるばるこの学校までやって来た。剣術大会は三年生と四年生の成績優秀者だけが出場を許される、格式高い行事なのだ。
(文通はしょっちゅうだけれど、会うのは二年ぶりだわ)
ミシェルとは、門に入ってすぐの場所で待ち合わせをしている。
「――アネッサ姉様!」
聞き覚えのない、響きの良い美声がした。
振り向いた次の瞬間、私はあんぐりと口を開けた。
(……ミシェル!?)
少年ではない。すでに推しだ。
原作で見たあの美貌。すらりとした長身。
原作の青年ビジュアルを実装したミシェルが、笑顔で手を振りながら近付いてくる。
「会いたかったです。姉様」
(んなななな……!)
目の前に立ったミシェルは、私よりも頭ひとつぶん背が高かった。まさに原作そのまんま……いや、よく見るとけっこう違う。健康的に日焼けしているし、引き締まった体には騎士らしく筋肉が付いている。
濃紺の軍服めいた騎士学校の制服に、腰から提げた長剣。校章が彫り込まれた銀製のネックレスは緊急時用の警笛にもなっているようだ。
(ミシェル騎士ルート……なんて、まばゆい差分なの!?)
「ひ、ひさしぶりね、ミシェル。声まで変わって、こんなに大きくなって」
「姉様もますます素敵におなりです」
大事そうに私の手を取り、ミシェルはその場にひざまずいた。自然な所作で、手の甲にキスを落としてくる。
「――――!」
(むちゅってなった。や、柔らかい感触が、手に……!!)
真っ赤になって口をはくはくさせていると。
「必ず優勝して、優勝杯を姉様に捧げます。見ていてください」
立ち上がったミシェルは、私を観客席へと導いた。
剣術大会は圧巻だった。
あふれんばかりの歓声の中、一戦また一戦とミシェルは確実に勝利を積み重ねていく。
その鮮やかな剣さばきに見惚れながら、私は別の感慨にふけっていた。
(ミシェル。こんなに沢山の人に応援されて……)
孤独な暗殺者だった『銀の毒薔薇』のミシェル・ハーヴェンは、ここにはいない。私が見ているのは、剣術大会の決勝戦で脚光を浴びる最愛の弟だ。
「ミシェル――! 頑張って――!!」
声を張り上げた、その瞬間。
キィン! と甲高い金属音が響き、ミシェルの振るった剣が相手の剣を弾き飛ばした。
「勝負あり! 優勝者、ミシェル・ハーヴェン!!」
わぁああああああ――!
花吹雪が舞い、闘技場に歓声が吹き荒れた。嬉し涙を滲ませて、私も手が真っ赤になるまで拍手をしていた、そのとき。
「……ふっ。見事なものだ」
少し離れた席から聞こえてきた男のつぶやきが、なぜか私の耳に刺さった。
「あの男。欲しいな」
私は、弾かれたように振り返る。
外套のフードを目深にかぶったその男の顔は見えない。けれど背筋がぞわりとして、私は男の正体を悟った。
だって。
原作でも同じセリフを言っていたから。
(……王太子ランドルフ)
まずい。
私は慌てて観客席を飛び出した。
原作でミシェルが王太子に見出されたのは、ちょうど今頃――16歳のときだった。
(すっかり油断していたわ……!)
貧民街で拾われた原作のミシェルは、当時すでに数多の罪に手を染めていた。もちろん、騎士学校になんて通っていなくて……。
(状況がまるで違うのに、それでも出会う運命だったの!?)
ともかく、王太子とミシェルを接触させるのはまずい。必死にミシェルを探していた、ちょうどそのとき――。
「姉様!」
大きな優勝杯を抱えたミシェルが、曲がり角の向こうから現れた。
「ここにいたんですね。約束通り、これを姉様に――」
「ミシェル!!」
血相を変えて駆け寄ると、私はミシェルの腕を掴んだ。
「今すぐここを離れましょう!」
「……え?」
「早く!」
ぐいぐい引っ張ろうとしたけれど、ミシェルは怪訝そうに首をかしげて動いてくれない。
「どうしたんですか」
「いいから。ほら、早く」
「――ミシェル・ハーヴェン」
背後から低い男の声がして、私はびくりと凍り付いた。
……振り返りたくない。
けれど恐る恐る振り向けば、やはり外套姿の王太子が、ゆっくりとこちらへ歩み寄ってきていた。
ミシェルが、私を庇うように一歩前へ出た。
「何者だ」
ぞくりとするほど冷たい声だ。
「そう警戒するな。――今日は忍びで来ている」
フードの下の口元が、不敵に吊り上がる。彼は外套の内側から、短い柄のついた銀製の印章を取り出した。印面には、王太子だけが使用を許された特別な紋章が彫り込まれている。
ミシェルは微かに目を見開き、渇いた声で呟いた。
「……まさか、王太子殿下?」
「ふっ。そのまさかだ」
王者の風格でそう言うと、王太子はゆるりと踵を返した。
「お前に話がある。ついてこい」
ダメ……! ミシェルを連れて行かないで。
「――お待ちください、王太子殿下」
私がすかさず口を挟むと、王太子が煩わしそうにこちらを見据えた。
「女。お前は?」
「ハーヴェン子爵家の長女アネッサ……、ミシェルの姉でございます」
「お前に用はない」
「……わたくしにはございます」
フードの下の瞳に鋭く睨めつけられて、私は思わず震え上がった。
でも、引き下がるわけにはいかない。
「大切な弟なのです。話があるのなら、わたくしにもお聞かせください」
ミシェルの隣に並び立ち、私はきっぱりと言った。
「姉様……」
王太子は私達姉弟をしばらく眺めてから、面倒そうに鼻を鳴らした。
「……ふん。まあいい、来い」
連れていかれたのは、校舎の裏手にある小さな庭だった。私達の他には誰もいない。
王太子はフードを取った。太陽のような黄金の髪が零れ落ち、金獅子を思わせる美貌が露わになる。原作通りのビジュアルだ。
(原作のランドルフは、クズ味の強い俺様攻め。……正直言って最低な男だった)
身分と美貌を笠に着て、男女を問わず気に入った者を自分のモノにしてしまう。そしてミシェルを手に入れてからは――彼の暗殺者としての能力を使って、政敵を次々に排除していくのだ。
「単刀直入に言おう。俺の駒になれ」
(やっぱり……!)
谷底に突き落とされた気分だった。
「今日の試合は見ていた。見事な腕だ。前々からお前には興味があったが、想像以上だ」
王太子はミシェルを見つめて笑いかける。
「卒業を待つ必要はない。今すぐ俺に付け。一介の騎士が生涯かけても辿り着けない高みへと、この俺が連れて行ってやろう」
圧倒的な自信に満ちた声だった。この男に従えばどこまでも行ける――そんな錯覚を抱いてしまいそうなほどに。
「お前はただの騎士にしておくには惜しい。頭も切れるし、融通も利く。それに――見目も良い。俺の『特別』にしてやる」
私は、隣に立つミシェルを見上げた。
(お願い。こんな男についていかないで……)
私の脳裏によぎったのは、暗殺者になったミシェルが王太子の心を求めて必死にもがく原作のワンシーンだった。それと同時に、一緒に暮らした数年間の思い出も走馬灯のように流れ出す。初めて姉様と呼んでくれた幼いミシェル。心からの笑顔を見せてくれたあの日。毒草を焼き払い、大事な約束をしてくれたあの日――。
――次の瞬間。
「お断りします」
はっきりと、ミシェルが声を響かせた。
私は目を見開き、王太子の口元からは笑みが消えた。
「……何だと」
「お断りすると申し上げました。今も卒業後も、私が殿下の私兵となることはございません」
「ほう」
王太子の声に、恫喝するような響きが籠る。
「この次期国王たるこの俺に仕える気がないと?」
「いいえ。私は王国騎士を目指す身ですので、王家にお仕えすることに異存はありません。ですがそれは、殿下の手駒となることとは違います」
(ミシェル……!)
なんて立派に育ってくれたの。胸がじんとして、嬉し涙がこぼれそうだ。
「私には、心に誓った人がおります。その人に恥じぬ生き方をしなければなりません。――それでは、失礼いたします」
ミシェルは私の手を引いて、その場から立ち去ろうとした。けれど――。
「待て!」
王太子が声を荒らげた。
「もっと賢い男だと思っていたが、どうやら思い違いだったらしい。この俺が目を掛けてやろうというのに、その態度は何だ!?」
こんな侮辱は初めてだ――と吐き捨てると、王太子は視線を私のほうへと映した。
「俺が求めれば、お前達は応じなければならない。そう、たとえば――」
そしていきなり、私の腕を掴んで無理やり抱き寄せたのだ。
「俺がこの女を妾に望めば、お前に止めることはできない」
(……えっ!?)
王太子は傲慢な笑みを浮かべて、両腕を私に絡めてくる。
「喜べ、アネッサ・ハーヴェン。お前は今日から俺の妾だ」
「なっ……、何をおっしゃるのですか、殿下!?」
「愚かな弟は、身の程知らずにも俺を拒んだ。だがお前は違う。泣いて喜び、俺の愛を乞うだろう。家と領民が大事ならなおさらだ」
「……!」
言葉を失う私を見て、王太子が満足げに目を細めた。
「よくよくみれば、いい女じゃないか」
私の首筋に唇を寄せて、そんなことを言ってくる。ぞぞぞぞ……っと来た。原作さながらのクズっぷりだ。
これ見よがしに、噛みつくようなキスを首筋に落とされた。
「……痛っ」
ミシェルの顔色が変わった。
「貴様――」
地獄の底から響くような低い声で、ミシェルが呟いた。
そこにいたのは、まさに毒殺魔ミシェル――憎悪をたぎらせ、ゆっくりと腰の剣へと手が降りてゆく。
「ふん。やる気か?」
ミシェルの手は止まらない。そのまま腰の長剣を――
「や、やめて、ミシェル……!」
長剣を引き抜くかに見えた右手が、次の瞬間、胸元の警笛を掴んだ。学園支給の警笛をすばやく咥えて吹き鳴らす。
ぴぃぃぃぃ――――――――――――!!!
と甲高い音が響いた。
私と王太子が呆然とするうちにも、十数人の警備兵が押し寄せてきた。
「何事だ!?」
「不審者です」
(――えええ!?)
ミシェルは王太子を突き飛ばして私を引き寄せると、冷ややかな顔でこう言った。
「不審者が、私の姉を攫おうとしました」
不遜にも人差し指を突き立てて、尻餅をついた王太子を見下ろしている。
「お気を付けください。この男、用意周到に王太子殿下の変装までしています。しかも印章らしきものまで偽造して。極めて悪質です」
「なっ……ミシェル・ハーヴェン、貴様……!! ち、違う、俺は本物の王太子だ」
「騙されてはいけません。偽物は皆、そう言います」
警備兵たちが、一斉に王太子を取り囲んだ。
「特待生のミシェル・ハーヴェンだな。分かった、あとは我らに任せろ」
「不審者め、来い!」
「お、おい……! 待て、不敬だぞ、貴様ら!! おい――! おぼえていろ、ミシェルーー!」
そのまま、王太子はあっけなく連行されていった。
ぽかんとしている私の腰を抱き、ミシェルは決して放そうとしない。
「姉様」
白いハンカチを取り出して、ミシェルは私の首筋をごしごしと拭いてきた。
そしてなぜか、王太子に痕を付けられた場所にもっと強く唇を押し付けてくる。
「ひゃっ! なにしてるの!!」
「消毒です」
「それ消毒になるの?」
「こんなに穢されてしまって――」
どうやら、すごく怒っているらしい。私を抱きすくめたまましゃがみ込み、しつこいくらいに何度もキスを落としてきた。
「や、やめ……」
「やめません。それとも、姉様は私が嫌ですか」
「………………そんなこと」
恥ずかしいけど。嫌じゃない。
それに、本当はすごく嬉しかった――殺しや暴力ではなくて、正しいやりかたを選んでくれたことが。
***
……連行された不審者が本物の王太子ランドルフだったことは、もちろんすぐに判明した。
けれど問題視されたのは、私達ではなくむしろ王太子のほうだった。護衛もつけずに身分を隠して学園に入り込み、あげく生徒を引き抜こうとしたり、保護者の子爵令嬢を妾にすると迫ったりしたのだから当然だ。国王陛下から、かなりのお叱りを受けたらしい。
あとで報復されるのではないかと私は青ざめていたのだけれど――。
「心配いりませんよ、姉様」
久しぶりに帰省したミシェルは、私とお茶をしながらそう言った。
「きちんと手は打っておきましたから」
「……何をしたの?」
ミシェルは薄っすら笑うばかりで、何をしたのか教えてくれない。
「このクッキー、美味しいですね。さすが姉様のお手製です」
「……」
まかり間違って王太子が、うちのミシェルを闇落ちルートに引きずり込んだら大変だ。ヤンデレBLの攻×受という関係性は、作り話の中だけにしてほしい。
「でも、殿下はあなたに執着しそうだったわ。いずれなにかを仕掛けて来るんじゃ……」
「その前に抹殺しますよ」
「えっ」
「社会的にです。それなら問題ないでしょう?」
唇の端に付いたクッキーの粉をぺろりと舐めて、ミシェルはいたずらっぽく笑った。
「ところで、姉様も最近忙しそうですね」
「え?」
「当主交代の件ですよ。まさか、前子爵様と母が不正を働いていたとは……まったく嘆かわしい」
そうなのだ。あの父と義母、私の知らないところで国から支給されたお金を使い込んでいたらしい。先日、前触れもなく王家の査察が入った。
「私もさすがにびっくりしたわよ。でも、財産の返還と隠居命令だけで済んでよかった……。忙しいけれど、なんとかやれているし」
「それは良かったです」
二杯目の紅茶を飲みながら、ミシェルはゆるゆるとしていた。
「子爵ご就任、おめでとうございます」
それから彼はふと、テーブルにベルベット張りの小箱を置いた。
「それは?」
「ささやかな祝いの品ですよ」
視線で促され、私は蓋をそっと開いた。小箱の中で、ダイヤモンドの指輪がきらきらと輝いている。
「まあ。きれい!」
ミシェルはそれを手に取ると、そっと私の薬指に嵌めた。
「ありがとう。でもこんなに立派なもの、学生が買えるものじゃないんじゃあ……」
「剣術大会の褒賞金を。それと王国騎士団に内定したとき、支度金が出たので」
そうだった。
卒業したら、ミシェルは晴れて王国騎士だ。
「あなたはやっぱりすごいわ。本当に王国騎士になれるなんて!」
「まあ、一時的に在籍するに過ぎませんが」
「……一時的?」
ミシェルは、ダイヤモンドの輝く私の薬指を撫でた。
「武勲を立て、相応の地位を手に入れるまで」
「その後は?」
「姉様のもとに戻ります」
「へ!?」
当たり前のように言われて、私は目を瞬いた。
「帰るって、ここに!?」
「はい。あなたの専属騎士になります」
「本気なの……? もったいないわよ、そんなの」
お姉ちゃん子が過ぎるわ……。でも、嬉しくなって笑ってしまった。
「まだ先のことだし、じっくり考えて決めてね」
「私の気は変わりません。だから戻るまで、必ず待っていてください」
「もちろん。ここはあなたの家なんだから」
「……」
ミシェルは、なぜか虚を突かれたような顔をしていた。
「……そういうところも、姉様ですね」
「?」
幸せそうに笑みをこぼしたミシェルを見て、私は首をかしげていた。
***
――このときの私はまだ知らなかった。
数年後。ミシェルが王国騎士としての武勲を打ち立て、圧倒的な地位を手に入れることも。
王太子の社会的な抹殺を、本当に成し遂げてしまうことも。
……完全に逃げ場のない求婚をされてしまうことも。
ミシェルの本気を思い知らされるのは、まだ少し先のお話だ。
最後までお読みいただき、ありがとうございました! 書いていくうちにイメージが広がってきたので、もっと長く書けたらいいなと思っています。
年下ヤンデレの別長編も本日完結しましたので、よろしければそちらもお楽しみください。
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それでは、また^^





