第33話:デヴォン第九夫人
――なんで?
どうしてなの……レイ?
たゆたうような眠りの中、エルダの意識は彷徨っていた。
家族愛と呼ぶには重すぎる彼の優しさが、もしかして恋愛感情なのではと感じたことは確かにあった。
……でも、気づかないふりをしてきた。
一生気づかず、自分の恋も告げることなく、それぞれ生きるべきだと思っていたのに。
もう、目覚めたくない。
エルダが意識の奥へ奥へと潜り込もうとした、ちょうどそのとき――。
カンカンカンカンカン!
けたたましい音がすぐ耳元で鳴り響き、エルダはびっくりして目を開けた。
「お目覚めかい、エルダ」
「マ、マザー・グレンナ!?」
見れば、グレンナが握り締めた棍棒でフライパンを打ち鳴らしていた。……ミリュレー修道院時代、寝坊したときに一度やられたことがある。
「いつまでも寝てんじゃないよ、まったく」
(……私、寝てたの?)
たぶん違う。
きっと呪いの再発だ。ラファエルの痣を見て、頭が真っ白になってしまったから……。
ハッとして、エルダは飛び起きた。
「レイは!?」
「あん?」
「レイの手に、呪いの痣があったんです! あれは……」
グレンナは、ふと眉をしかめた。
「騒ぐんじゃないよ、別に死にやしない」
「死なないって……。マザー・グレンナも、痣のことを知ってたんですか?」
「ああ。あんたの呪いの毒を、レイは自分の身体に打ち込んだ。そのときの副作用だとさ」
「…………!!」
エルダは耳を疑った。
「……なんでそんなことを」
「あんたを目覚めさせるためさ。あの子は命をかけたんだ」
「どういうことですか?」
グレンナは口をつぐんで肩をすくめた。どうやら、教えてくれないらしい。
エルダはベッドから飛び起きて、ラファエルに会いに行こうとした。――けれど。
「会ってどうするのさ? かわいそうな『坊や』をただ慰めてやるのかい?」
エルダの足が、ぴくりと止まった。
「あんたはレイをろくに知らない。あんたが寝ていた10年間に、あの子が何をしてきたのか。知る勇気もないくせに、いつまでも子ども扱いするのは傲慢すぎやしないか?」
――知る勇気?
「……たしかに、私は何も知らないのかもしれません」
昨日ダミアンと会ったときの、ラファエルの冷たい目。地獄を見てきた人の目だった。
「私だって……知りたいです」
「じゃあ支度しな。一時間後の列車に乗るよ」
「列車?」
グレンナは、顎でしゃくって扉のほうを指し示した。
「知りたきゃ、あたしについておいで。シェファマって街に、坊やに人生をめちゃくちゃにされた女がいる」
エルダは、ごくりと息を呑んだ。
「……分かりました」
*
渡されたメイド服を着て変装をしたら、脱出は驚くくらい簡単だった。門番とは面識がなく、家令同伴だったのが功を奏したようだ。
王都発の寝台列車に乗り込んだ。定刻になり、列車が低い唸りを響かせで出発した。
「マザー・グレンナ。シェファマの街にいるというのは、どんな方なんですか?」
エルダは、客車のソファでくつろぐグレンナに尋ねた。ふたりがいるのは一等客室。豪華な個室で、ベッドや洗面台などもある。
「着けばわかるよ」
旅行鞄から取り出したお酒の小瓶の栓を開けると、グレンナは窓の外を眺めてお酒を飲んでいた。
落ち着かない様子のエルダをちらりと見やり、グレンナは溜息をついた。
「まったく。落ち着きな、エルダ」
「……何も知らないままで、落ち着けると思いますか? せめて、少しくらいは教えてください。私が眠っている間、レイは何をしていたんですか」
瓶の酒を飲み干すと、グレンナはもう一度溜息をついた。
「しかたないね。どこから聞きたいんだい?」
「……ミリュレー修道院にいたレイが、どうして当主になったのか。そこからです」
そう。
そんな最初の話から、自分はなにも知らないのだ。
グレンナは教えてくれた――先代侯爵の庶子だったラファエルが、エルダのために侯爵家に戻ったことを。耳を疑うような話が、グレンナの唇から滑り出していった。
「アルシュバーン侯爵家の頂点に立ったレイは、新大陸の治療法まで手に入れた。だから、あんたは生きている」
「そんなことが……」
ラファエルが、そうまでしてエルダを生かそうとした理由。
――『愛しているからに決まっている』
耳によみがえる彼の叫びに、胸が張り裂けそうになる。エルダはぎゅっと胸を抑えた。
「一応、言っておくけどね。レイは、あんたが思うほど『お綺麗な紳士』じゃないよ」
「どういうことですか」
「エルダ。お前はまだ、レイの闇が見えてない」
マザーは、おもむろに2本目の酒瓶を取り出した。栓を開けると、ぐびりと飲み始める。
「アルシュバーン家の人間は、本質的には『毒蛇』だ。オルドー子爵家を破滅させたのだって、レイだったんだから」
唐突に実家の話題を振られて、エルダは眉を寄せた。
「実家のことなら聞きました。父の鉱山鑑定書の偽造を見抜いたレイが、王家に進言したんですよね」
「それは上澄みだけの話で、本当はもっと根深い。レイは何年もかけてじわじわと、オルドー子爵家を破滅に追い込んでいった」
お酒をひとくち、またひとくちと飲みながら、グレンナは続けた。
「キャロライン・オルドーの離婚も、オルドー家が鉱山ビジネスで大失敗したのも、レイが裏で糸を引いていたからだ。自身は法に一切触れず、外堀を埋めてオルドー子爵家を追い込んだ……あたしでも恐ろしくなるほど見事な手並みだった」
「! レイはどうして、そんなことを……?」
「報復さ。エルダを苦しめた『悪人』は、全員レイの餌食になった」
報復で、一家全員を破滅に追い込む? 信じられない――という否定の言葉を、エルダはぐっと飲み込んだ。
……あの人は、本当にやったのかもしれない。
それでも、エルダは彼の温かさを良く知っている。
「エルダ、あんたはとんでもない坊やを拾っちまったのさ。見捨てておけば、アルシュバーン家なんかに関わらずに済んだのに。余計な世話を焼いちまったね」
「そんなこと言わないでください!」
エルダは思わず声を荒くした。
「確かに私は、レイを理解しきれてないかもしれません。でも、だから何なんですか? やっぱり私は、レイに幸せになってほしいです」
彼の過去を知った今、思いはますます強くなるばかりだ。
でも、ひとつ。
どうしても、大事なことが気になっている。
「最後にもうひとつ教えてください。……レイの婚約者って、一体どんな方ですか」
「…………」
グレンナ・グレンナは応えなかった。
「マザー?」
いつのまにやら、ぐぅぐぅといびきをかいて眠りこけていた。
*
「さあ、着いたよ。エルダ」
寝台列車の旅は3日間に渡り、とうとう下車のときが来た。列車のタラップを踏んで駅舎に降り立つ――潮風が、髪をなぶった。
国内最大の港湾都市・シェファマ。大貴族デヴォン侯爵の領地だ。
グレンナはエルダを、古びた倉庫街に連れて行った。
(こんな場所に、誰がいるの?)
ラファエルに人生を滅茶苦茶にされた女性とは……? グレンナはまだ、エルダに詳しいことを教えてくれていない。
「そろそろ教えてください、マザー・グレンナ。ここに誰が――」
「黙っておいで」
グレンナがふり返る。猛禽類のような眼光に、エルダは思わずビクリとしてしまった。
グレンナは、それから声を張り上げた。
「お待たせいたしました、デヴォン侯爵の第九夫人さま!! あなたのご所望の品を、このグレンナめがお届けいたしましたよ!」
――デヴォン侯爵の……第九夫人? そんな人とは面識がない。エルダが眉をひそめた、そのとき。
「あ~ら、遅かったじゃないの! 待ちくたびれたわぁ」
甲高い声を響かせて、倉庫の影から三十歳過ぎと思しき女性が現れた。装いは豪華絢爛だけれど、ぎらぎらしていて品がない。
ひどく化粧が濃いけれど、その顔には見覚えがあった。というか、この女性は――。
「キャロライン!?」
「会いたかったわぁ、お姉さま!」
かつり、かつりとヒールの音を響かせて、高慢な態度で近づいてくる女性――それはエルダの異母妹、キャロラインだったのだ。





