第31話:この夜が明けたら
――エルダが幸せそうで本当に良かった。
誕生日パーティを終えた後、ラファエルは執務室でひとり、思いを巡らせていた。
喜びの涙を流すエルダを見られて、ラファエルの胸も温かくなった。けれど同時に、彼ら彼女らへの嫉妬心も芽生えてくる。
本当は自分だけを見つめてほしいし、自分だけのエルダにしたい。
10年前のガラス玉をエルダが受け取ってくれたときも、本当は悔しかった。
(子ども時代の自分が妬ましい……)
今のラファエルからの贈り物には戸惑うのに、子ども時代のプレゼントなら無防備に受け取ってくれるのだ。
過去の自分にまで嫉妬してしまうのだから、他人ならばなおさらだ。
物思いにふけっていると、家令のグレンナが入室してきた。
「ふふ、エルダったら、泣いてたね。あんなに喜ぶならもっと早く顔を見せてやればよかったんだ。あんたも意地が悪いよ」
「……誕生日のサプライズです」
ラファエルが応えると、グレンナは鼻で笑った。
「そんなこと言って、本当はエルダを取られたくないんだろ。魂胆が透けて見えてるよ」
ラファエルは眉をひそめた。
「それが主人に対する態度ですか? 修道会から追放されたあなたを雇って差し上げた恩を忘れたようですね」
「恩があるのはお互い様だろう?」
(……本当に口が減らない老婆だな)
エルダはグレンナが亡くなったものと勘違いしていたらしいが、グレンナはたぶん殺しても死なない――と、ラファエルは確信している。
「それについては感謝していますよ。当主の地位に就けたのは、あなたたちの協力があったからこそです」
ラファエルはそっと目を閉じて、アルシュバーン侯爵家に戻った13歳の頃に思いを馳せた――。
*
『ラファエル。お前を養子に迎えてやるから、ありがたく思うのですよ! わたくしを母と敬い、次期侯爵を名乗りなさい』
アルシュバーン侯爵夫人はラファエルを操り人形にして、実権を自分で握るつもりでいた。従順なふりをしながらも、ラファエルは実権を奪い取ろうとしていた。アルシュバーン家の全財産を手に入れて、エルダの延命と治療のに注ぎ込む計画だ。
義母に尽くすふりをしながら、どんどん侯爵家の内政に踏み込んで行った。義母がラファエルの真意に気付いたのは、数年経ってからのこと。それ以来、苛烈な権力争いが始まった。
修道会内部の揉め事で、マザー・グレンナが院長の座を奪われたのはその頃だ。だからラファエルはマザー・グレンナを誘った――『私と一緒に、侯爵家を乗っ取りませんか?』と。
マザー・グレンナと12人の孤児たちが侯爵邸に集結し、ラファエルの部下になった。全員が有能で、しかもエルダを救いたいという強い意志で繋がっている。ラファエルと義母の力関係を決める決定打となった。権力争いに敗れた義母は精神を病み、領内の僻地で療養生活を送っている。
そしてラファエルはエルダの呪いを解くために、ありとあらゆる手段を求めた。『新大陸で治療法が見つかった』という情報を得て、現地から最先端の治療法と専門医を連れ帰ったのだった――。
*
「――で。どうするんだい、旦那様?」
グレンナに呼び掛けられて、ラファエルの意識は現実に引き戻された。話など、まったく聞いていなかった。
グレンナが、呆れた顔でこちらを見ている。
「どうせエルダのことばかり考えて、話を聞いてなかったんだろう? まったく困った坊やだね」
……図星だが、本当に不敬な老婆だと思った。
「仕方ないね、もう一度言うからよく聞きな。デヴォン侯爵家関連の、最新のネタだ」
またデヴォン家か――。と、ラファエルは心の中で溜息をついた。
因縁浅からぬ仲にあるデヴォン侯爵家。その対策の多くは家令のグレンナに委ねられている。
「ネタとは?」
「とびきりのスキャンダルになりそうな話さ。侯爵の愛人の一人がとんでもないバカ女でね、うまく利用すればデヴォン侯爵の鼻を明かしてやれる」
(……くだらない)
デヴォン侯爵は好色家で有名な老人で、あちこちに愛人を囲って爛れた生活を送っている。火種は多いはずだが、揉み消すのが巧いのか目立ったスキャンダルはない。
「グレンナ。その件については、あなたにすべて任せます」
「おや、そうかい? 腕が鳴るねぇ」
本音を言えば、デヴォン侯爵と愛人の話などラファエルにはどうでもよかった。そんなことより、エルダとの今後について考えたい。
「ふふ。あんたは相変わらず、エルダのことになると余裕がないね。いい加減、事実を伝える頃合いじゃないか?」
「それは私も分かっています」
「せいぜい頑張んな。あんたが思うほど、エルダは軟な女じゃないよ」
笑ってそう言いながら、グレンナは退室していった。
ぱたん。と扉の閉まる音を聞き、ラファエルは溜息を吐き出した。おもむろに、右手の白手袋を外す。
――手の甲には、ツルバラに似た赤黒い痣が伸びていた。
「まったく。見えない場所はかまわないが、手は隠すのに苦労する」
このアザは、エルダを目覚めさせるためにラファエルが投与した『呪毒』の副作用である。胸や腹には前々からあったが、最近は腕から先にも広がってきた。
「このアザは、今後もうまく隠さなければ……」
副作用は見た目だけで、ラファエルが昏睡に陥ることはない。けれどエルダに余計な心配をさせたくない――だから、隠し続けなければ。
「隠し事だらけの私を、あなたは不実だと思いますか……?」
思うかもしれない。
エルダは誠実な人だ。策略と打算にまみれた自分を見せたら、愛想を尽かされるかもしれない――そう思うと、息もできないほど怖い。
(だが……それでも打ちあけなければ)
多くを隠し続けるのは、そろそろ限界だ。
オルドー子爵家の実情を知ってもなお、エルダに呪いが再発する気配はなかった。グレンナの言う通り、エルダは強い女性なのだ。
いい加減、自分も覚悟を決めなければならない。
「この夜が明けたら、あなたに打ち明けます……エルダ」





