第27話:元婚約者との遭遇①
(ま、まずい。カフェは親子感覚でも「アリ」だけれど、ジュエリーサロンは流石にないわ……)
うっかりお店に入ってしまったけれど、すぐに立ち去らなくちゃ。そう思ったエルダは、強張る体を、ぎぎぎ……とぎこちなく動かしてラファエルに向き直った。
「レイ。やっぱりここはやめましょう。だってジュエリーサロンって、特別な人と行く場所だもの。私みたいな得体の知れない女と出入りするのを見て、胸を痛める女性もいるんじゃない……?」
たとえば、婚約者の方とか……。という言外の意味を込めて、エルダは言った。しかし、
「僕にとっては、あなたこそが特別な人です」
「……!」
「誰に見られても困りません。むしろあなたとの仲睦まじさを、国中に見せつけたいところです」
(どうしよう、レイが全然『親離れ』できていない! ……だったらせめて、適当なところでレイを納得させて、切り上げる作戦よ)
「わ、わぁ……きれいねぇ。眼福だったわ、私はもう満足よ。帰りまし……」
「おい、君」
「お呼びでしょうか、お客様」
(ちょっ、レイ、仕事早すぎ!)
「彼女に合う指輪を見立てて貰いたい」
恭しく礼をする店員とラファエルを交互に見つめ、エルダは無言であわあわしていた。
「サイズは8号。ゴールドよりはプラチナ系で。石は、鮮やか過ぎず深みのあるブルーを」
「かしこまりました」
「ちょっと、レイ? 私の指のサイズなんていつの間に……」
「10年眠っていましたからね。時間は十分にありました」
「えええ……」
そうこうするうち、店員はサロンの奥からトレイに乗せて指輪を運んできた。サファイアやタンザナイトが並べられ、レイはその中からひとつを取った。
「エルダ、指を」
「だって……」
「ただの試しですよ。気軽に――ね?」
気さくな口調で言いながら、ラファエルはエルダの左手を取って薬指に指輪を嵌めてしまった。
「うん、やっぱり似合います」
「…………っ」
たしかに、とてもきれいだ。でも……。
「エルダの髪は燃える赤。だから暖色か補色の緑も良いですが、敢えての青も良いですよ。芯が強くて、気高いエルダにぴったりだ」
(レイ……)
エルダを知り尽くしているかのような彼の言葉に、何も言えなくなってしまう。
レイは店員に目をやると、さらりと購入の手続きを進めてしまう。呆然として見ていたエルダは、ハッと我に返る。
「だ、だめよ! こんなに高いもの……」
「石があなたの物になりたがっていました。貰ってやってください、その石と、僕のために」
どうしよう、頬が熱い。
(……でも婚約者を差し置いて)
何か言わねばと口を開いた瞬間、ラファエルは柔らかな声を重ねてきた。
「こんな日が来ることを、ずっと夢見ていたんです。エルダ……本当に、目覚めてくれてありがとう」
心の底から、幸せそうな笑みだった。
そんな笑顔を見せられてしまったら、もう注意なんてできない……。
***
「疲れていませんか、エルダ?」
ジュエリーサロンを出たふたりは、公園で日向ぼっこをしていた。
「大丈夫よ、ありがとう」
並んでベンチに座り、石造りの噴水から優美なアーチを描いて水が噴きあがるのをのんびりと眺める。
――幸せだな、と思った。
「……レイ。すてきな一日をありがとう」
エルダは、ぽつりとつぶやいた。
「私、今日のこと忘れないわ」
今日が楽しい。
今日は敬語ではないし、『レイ』と呼んでいるから油断するとつい近づきすぎてしまいそうになる。
……このまま、彼に心を委ねたくなる。
「今日だけじゃありません。これから、もっとすてきな毎日にしましょう」
またドキリとしてしまった。
何気なく、ラファエルと視線が交わってしまう。
紫の瞳は熱を帯びていた。白手袋を纏った彼の指が、そっとエルダの頬へと伸びていく。
その指が触れる直前に、
「私……。ごめんなさい」
弾かれるように、エルダは立ち上がっていた。
「あの、私。最初に行ったカフェで、忘れ物をしちゃったみたい」
「? ……そうでしたか。でしたら後で使いの者をあの店に」
「ううん。今すぐ戻らなきゃ」
「分かりました」
ラファエルがベンチから立ち上がろうとした、その瞬間。
「私一人で行くわ。レイはここで、待っていて」
「エルダ?」
エルダはくるりと背を向けて、そのまま早足で公園から歩き去っていた。
(あぁ、もう……何やってるのよ、私)
頭がごちゃごちゃになったまま、エルダは通りを歩き続けた。でも、細い路地に入ったところで後ろから声を掛けられてびくりとしてしまう。
「シスター」
「……バーネット?」
ふり向けば、後ろにいたのはバーネットだ。
「バーネット。あなた、どうして」
「ラファエル様の指示ですよ。シスターを一人で歩かせる訳がないじゃありませんか。せめて私がご一緒します」
気遣いがありがたくて、同時に申し訳ない。
「……」
「どうしたんですか、シスター」
本当は、忘れものなんて嘘だ。
恥ずかしくて居たたまれなくて、逃げ出してしまった。
「バーネット。私……どうしたらいいか分からないの」
涙がこぼれそうになり、エルダは深くうつむいていた。バーネットが心配そうな表情で覗き込んできた、ちょうどそのとき――。
「…………エルダ?」
すぐ近くで、男性に呼びかけられた。
レイの声ではない。
酒枯れしたような、ひどくかすれた声だった。
声のしたほうをふり向いた瞬間、エルダは顔を強張らせた。
「…………ダミアン!?」
エルダに声をかけてきた男。
それはかつて婚約者だった、ダミアン・クラヴァールだったのだから。





