第26話:27歳の誕生日②
(デートじゃない。デートじゃない。デートじゃない! これは絶対にデートじゃなくて、元シスターと元孤児の単なるお出かけよ)
馬車の中。窓の外に目をやりながら、エルダは自分に言い聞かせていた。
ふと、窓ガラスに映り込んだラファエルの姿に目が留まる。
(……さすが侯爵家当主。着こなしが綺麗ね)
彼が身に纏っているのは、ボルドーのウェストコートとアイボリーのシャツ。円熟した色香を孕むその色調は、ラファエルよりも上の世代の男性によく好まれるのだが――ラファエルは見事にそれを着こなしていた。
何気なく、彼の手元に視線が移る。
白手袋越しにも分かるほど指はすらりと長く、動きにも気品がある。ラファエルは完璧すぎるほど完璧で、……なぜか心臓がうるさくて困る。
(それにしても王都で街歩きだなんて、何年ぶりかしら……)
実はエルダは遠い昔に、元婚約者のダミアンと王都でデートをしたことがあった。
(でも、あんまり楽しくなかったわ……ダミアンったら、自分の気になる場所にサッサと行っちゃって。ヒールの靴でついていくのも大変だったし)
物思いにふけっているうちに、馬車は王都の目抜き通りに到着した。
「さあ、着きましたよエルダ。お手をどうぞ」
「ありがとう、レイ。………………?」
ラファエルのエスコートで街に降り立った次の瞬間。
エルダはふと、馬車の脇に控える女性騎士に目を留めた。その女性騎士は二十代前半くらいで背が高く、切れ長の目が美しい人だった。
「……………………!?」
女性騎士の顔に、エルダは釘付けになっていた。彼女とは遠い昔に会った気がする……というか彼女は、間違いなく……。
「あなた、……バーネット!?」
間違いない。ミリュレー修道院で一緒に暮らしていた孤児のひとり、バーネットだ! 女性騎士は、エルダを見つめ返してニカっと笑った。
「シスター。あたしのこと、覚えててくれたんですね」
「忘れるわけないでしょう!」
エルダは声を裏返らせた。
「バーネット。あなた、いったいどうして……?」
「ラファエル様の手引きで、侯爵家の騎士になりました。今日の護衛も任せてください」
「……!!」
思いがけない再会に、エルダは目を潤ませていた。
もっとバーネットと話したい。もっと一緒に居たい。エルダはバーネットの手を握りしめた。
しかしバーネットは、
「シスター。あたしとはまた、いつでもおしゃべりできますから。今日はせっかくのお誕生日なんですから、デートを楽しんでくださいよ」
そう言うと、バーネットはラファエルのほうに視線を向けた。エルダもまた、ラファエルを見やるが――。
(え……なに? その表情)
ラファエルの顔が、なぜか不自然に強張っている。
口元は笑みの形に吊り上がっているが、目つきが何とも不満げだ。笑っているのに笑っていない、この不満タラタラな表情……見覚えがある。
(まさか、レイ……拗ねるの!?)
懐かしい。
子ども時代のラファエルは、エルダが他の子ども達と仲良くしていると、よく拗ねていた。
……でも、まさか二十代になっても?
こらえきれずにクスクスと笑い出したエルダを見て、ラファエルが首をかしげている。
「……エルダ? 何がおかしいんですか」
「いいえ? ちょっと懐かしくなってしまっただけ」
エルダは、目じりに滲んだ涙をぬぐってラファエルに微笑みかけた。
「もう、レイったら。そんな顔をしないの」
こういうときの、彼の機嫌の治し方ならよく覚えている。エルダが笑顔で話しかければ、すぐにご機嫌になってくれるのだ。
「ほら。今日はせっかくのお出かけなんでしょ? 拗ねていないで、楽しみましょう?」
10年前に戻った気分でエルダが言うと、ラファエルは一瞬で笑顔を取り戻した。
「それでは、行きましょう」
「ええ」
ラファエルとエルダが歩き出すと、少し距離を置いて護衛役のバーネットも付いてきていた。
***
すっかり気持ちがほぐれたエルダは、街歩きを楽しむ気分になってきた。
「レイ。今日はどこに行くの?」
「まずはカフェに行きましょう。一番街にツッカークローネという人気店があるんですが、どうです?」
「あのお店、今もあるの? 店主はけっこうなご高齢だったし、裏通りの知る人ぞ知るお店って感じで……」
「9年前に孫夫婦が継いだんです。今では国内外に支店を出す超有名店ですよ」
「そうなの!? 行きたいわ! 私のはちみつプディング、あのお店の味をヒントにしたのよ」
「それは興味深いですね」
会話が弾み、気づけばお店に到着していた。
「エルダはお菓子が大好きでしたね。せっかくだから、プレッツェルとフラムクーヘンも頼みましょう。他にも気になるものがあれば」
レイは思いついたものをどんどん注文していった。
あっという間に、お菓子のお皿がテーブルの上にずらりと並ぶ。「いただきます」と言いながら、エルダは少し戸惑っていた。
「おいしそう。……でも、こんなに食べきれないかも」
「大丈夫ですよ。エルダが残したら、僕が全部食べます」
「こんなに? レイは少食だと思っていたけど」
「子どもの頃の話でしょう?」
ラファエルが、愉快そうに肩を揺らした。
「今はたくさん食べますよ。ましてやエルダとの食事なら。美しい花の咲く席で、食欲が弾むのは当然です」
さらりと言いながら、ラファエルは美味しそうに蜂蜜プディングを食べている。
「……レイったら、すっかり色男になっちゃって」
「プレイボーイ!?」
ラファエルが声を裏返らせた。
「とんでもない。エルダ以外には絶対に言いません」
(え? 婚約者には言わないの……?)
もしかして、婚約者には一線引いた態度で接していたりするのだろうか――と考え込んだエルダに向かって、ラファエルが言葉を重ねた。
「それに、今のは心からの言葉です。エルダに嘘はつかないと、昔から決めているんです」
彼の瞳は真剣だ。
きっと本心なんだな、とエルダは思った。
「そう。……分かったわ」
ラファエルの紫の瞳が、まっすぐにエルダを見つめている。
エルダは恥ずかしくてたまらなくなり、お菓子のお皿をじっと見つめた。
(レイは本当に、私を大切に思ってくれているのね……)
嬉しかった。でも、同時に複雑な気持ちにもなってくる。もしも婚約者の女性が今の言葉を聞いたら、きっと悲しむに違いない――。
「あ。このプレッツェル、とても美味しいわ……。ほら、レイも食べてみて?」
誤魔化すように、エルダは笑ってお菓子を勧めた。
「いただきます。――ああ、本当においしいですね」
ラファエルもまた、それ以上話題に踏み込んでは来ない。
「侍女達への土産に買って帰りましょう。今後の茶菓子には、ぜひこの店をと伝えておきます」
「わぁ、すてきね!」
その後は他愛無い会話で盛り上がり、いつの間にかテーブルいっぱいのお皿が空っぽになっていた。
「……本当に全部食べ切っちゃった。不摂生したら、ドクター・ピーナに怒られないかしら」
「1日くらい平気ですよ。せっかくの誕生日なんですから」
そう言って、ラファエルはエルダを店の外へと導いた。
彼は会話のリードがうまい。エスコートも洗練されていて、一緒にいるだけでフワフワと気持ちよくなってしまう。
(――レイって、やっぱり優しい)
ゆっくり歩調を合わせてくれる。エルダが疲れていないか、さりげなく見守ってくれている。こまめに休息を挟んでいるのも、エルダを気遣ってのことだろう。
こんなに優しい彼だからこそ、絶対に幸せになってほしい。――エルダは、心の底からそう思った。
(……今日だけよ、エルダ。レイとの街歩きを楽しんでいいのは、今日だけだからね)
エルダが心の中でそう誓っていたそのとき、彼はふと足を止めた。
「この店に寄りませんか」
「え?」
顔を上げるまで、エルダは何の店の前にいるのか気づかなかった。
「……っ、ここって!!」
目の前にあったのは、王室御用達の名門ジュエリーサロンだ。なんとなく歩いていただけのつもりだったのに、気づけば、彼に導かれるままこの店の前に立っていた。
「あなたに似合うものが見つかると思うので」
「えっ。いえ……あの……」
さりげなく肩を抱かれて、お店の中へと入ってしまった――いや、ジュエリーサロンって。元シスターと元孤児が行くような場所じゃなくない!?





