第22話:あなたを守る毒
自領の農村地帯を視察していたラファエルは、穀倉の中で帳簿に目を落としていた。
「昨年収穫された麦のうち、納税分としての2割がここにある、と。帳簿に、誤りはないな?」
ぎっしり積み上げられた麦俵の山を背に、ラファエルは静かな声で問いかける。
「もちろんです、領主様」
役人は人当たりの良い笑みを浮かべて頷いていた。
ここは納税の最終清算の場。
役人は、ラファエルが帳簿の最終確認欄にサインをするのを待っていた。――だがラファエルはサインをせずに帳簿を閉じると、冷ややかに役人を見据える。
「ならば聞こう。なぜ農民たちは、『急に4割も徴収された』と訴えているのだ?」
役人が微かに眉を引きつらせたのを、ラファエルは見逃さない。
「……領主様。そのような訴え、私は存じ上げませんが」
「私が先日、直接農民たちから聞いて回ってきた話だ」
「!?」
役人は、作り笑いを顔面に貼りつけようとしている。
「そ、それは……農民どもが嘘をついたに違いありません」
(――往生際の悪い男だ)
心の中でそう毒づくと、ラファエルは冷たい声音で告げた。
「貴様がデヴォン侯爵家と裏で通じていた証拠は、すでに掴んでいる。余分に取り立てた麦を横流しする見返りに、不正な資金援助を受けていたこともな」
「っ……!」
死刑を宣告された罪人のように、役人は蒼白な顔になった。
「貴様の罪は明白だ。然るべき裁きを下すまで、獄中で存分に悔いろ」
ラファエルがサッと手を挙げると、控えていた騎士たちがその役人を捕縛した。
「お、お許しください、領主さま! ご慈悲を……どうか、ご慈悲を……!!」
惨めたらしい叫び声を上げて、役人が引きずり出されていく。
――これで一応の決着だ。
小さく息を吐いてから、ラファエルは穀倉を出た。穀倉の外では、やせ細った農民たちが不安そうな顔でラファエルを見つめていた。彼らを見つめ、ラファエルは口を開く。
「この度の不祥事、領主として深く謝罪する。そなたたちには然るべき補償を約束しよう」
「りょ、領主さま……」
「ありがとうごぜえます、領主さま!」
農民たちは、涙を浮かべて歓声を上げていた。
*
他にも似たような件をいくつか片づけ、領主邸へ戻る馬車の中でラファエルはうんざりと溜息をついた。
「まったく、デヴォン侯爵家め。相変わらず、くだらない嫌がらせばかりしてくる」
デヴォン侯爵家とアルシュバーン侯爵家は、過去数代に渡り敵対関係にある。水面下でねちねちと対立が続いており、今回の自領視察はデヴォン侯爵家の息のかかった者たちを取り締まるのが目的だ。
(……ああ。本当に、煩わしい)
だが侯爵家当主という地位に居続けることが、エルダを守ることにも直結する。だからラファエルは、今の地位から転がり落ちる訳にはいかないのだ。
「エルダ。あなたに早く会いたい」
ラファエルは懐から、1本のリボンを取り出した。エルダの鮮やかな赤毛を束ねていた、あの空色のリボンだ。
そっとリボンにキスをする。
絹の布地に、微かにエルダの香りが染みついていた――鼻腔をくすぐる甘やかな香りに、思わず顔がほころんだ。
ラファエルはエルダのリボンを肌身離さず持ち歩いている。疲れや苛立ちに塗れたときも、彼女を想って頬にリボンを寄せれば一瞬で癒されるのだ。
――リボンだけではない。
エルダから貰った物は、どんな物でも宝物だ。
実はラファエルの私室には、子ども時代に彼女が贈ってくれた刺繍入りのハンカチや靴下、肌着、手紙や押し花、買い物のメモ書きに至るまでひとつ残らず大切に保管されている。
「エルダ……」
彼女を守るためならば、どんな苦痛も厭わない。
「あなたには、美しくて幸せな世界で生きてほしい。醜いものも汚れたものも、私がすべて引き受けます」
――あなたは綺麗で、私は穢い。
――そんなことは、出会った日から分かっていた。それでも私は、あなたを守る。
「この穢れた血があなたを守る毒になるなら、私は何にでもなってみせます」
馬車に背を預けながら、ラファエルは遠い日々を思い返していた。
***
自分の生い立ちなど、思い出すだけで吐き気がする。
『汚らしい子』
『お前なんて生まれてこければよかったのに』
そんな言葉を浴びせられ、家畜同然の扱いを受けて10歳までの日々をアルシュバーン侯爵邸で過ごしてきた。
ラファエルは、先代のアルシュバーン侯爵の庶子だ。先代侯爵がメイドに手を付けて、生まれてしまった要らない子ども。
メイドは屋敷を追い出され、ラファエルは『庶子が知れたら当家の恥だ』と屋敷に閉じ込められていた。
不潔な小部屋に押し込められて、食事もろくに与えられない。『家族』が会いに来るのは、ラファエルを虐めに来るときだけ……。
だから、ラファエルは逃げ出した。
この屋敷以外ならどこでもいい。
こんな悪魔どもに飼い殺されずに済むのなら、どんな地獄でもかまわない。出入りの商人の荷馬車に潜んで脱走し、あてどなくさまよった末に貧民窟に身を落ち着けていた。
……そこでの生活もまた、地獄に等しいものだった。
そんな日々からラファエルを救い出したのが、エルダだ。
憲兵に連れて行かれそうになっていたラファエルを抱き寄せて、エルダは言った――『だいじょうぶ、私はあなたの味方よ』。
こんなに醜く汚い自分に、誰からも望まれなかった自分に、彼女は手を差し伸べてくれたのだ。
ラファエルの人生のきれいな部分はすべて、エルダとの日々の中にある。
修道院に匿われてからも、『いつか連れ戻される』と思うとパニックになった。でも、エルダはいつも抱きしめてくれた。
『だいじょうぶよ、レイ。ここは安全な場所だから。あなたはもう、だいじょうぶ』
彼女の温もりに救われ、修道院長や他の子どもたちとも関わっていく中で、ラファエルは少しずつ安定していった。
とても幸せな子ども時代だった。……エルダが倒れるまでは。
奇妙な呪いに犯されていたことをマザー・グレンナから聞き出したとき、ラファエルは死にたい気分になった。
――ひとりぼっちで呪いを抱えて、あなたはどれほど苦しんでいたのだろう?
怖かっただろう。
悲しかっただろう。
なのに、あなたはいつも明るく笑っていた。
誰かを愛する幸せを、あなたは私に教えてくれた。
――だから、絶対にあなたを救い出してみせる。
延命には金が必要だ。
当時13歳のラファエルは、アルシュバーン侯爵家から盗んでやろうと考えた。
……だが、どうやれば? そんなことばかり考えながら、用事で院長室を訪ねたある日のこと。
『マザー・グレンナ。その手紙は、いったい何ですか?』
院長室の机の上に、アルシュバーン侯爵夫人からの手紙が山のように積み重なっていた。――『当家の子であるラファエルを返せ』、『これ以上隠つもりなら訴える』などと書き連ねられている。
『一体どういうことですか!?』
『あン? 鬱陶しいから全部無視してやったのさ』
ラファエルは真相を知った。――アルシュバーン侯爵夫人は、すでにラファエルの居場所を嗅ぎつけていたのだ。
何度も手紙が来ていたが、マザー・グレンナはすべて無視したらしい。……『ラファエルを返すなら、多額の報酬をくれてやる』とも書いてあったのに。
『……なぜ僕を売らなかったんですか』
『バカ言ってんじゃないよ! はした金と引き換えに労働力を手放すなんざ御免だね』
口ではそんなことを言いつつ、マザーはラファエルを守っていたのかもしれない。
『でも、なんでアルシュバーン侯爵夫人は、僕を連れ戻そうとしているんでしょう。……いらない子だって、死ねばいいのにって、いつも言っていたのに』
『侯爵家の当主と息子が事故死したらしい。直系の血筋で生き残ってんのは、お前だけだとさ。侯爵夫人は自分の利権を守るために、お前を連れ戻すしかないようだね』
その話を聞いて、ラファエルは覚悟を決めた。
『マザー・グレンナ。僕は侯爵家に戻ります』
『バカなガキだね、お前は!! 良いかい? お前なんかが身売りしたところで――』
罵倒しかけていたマザー・グレンナは、ラファエルの顔を見るなりハッと息を呑んだ。
ラファエルが、あまりに嬉しそうだったからだ。
『なんだい、お前、笑ったりなんかして……』
ラファエルは目を爛々と輝かせ、三日月のように唇を吊り上げていた。
虚を突かれていたマザー・グレンナは、やがて野心家の笑みを浮かべた。
『レイ。お前、随分とイイ顔をするようになったじゃないか。何を企んでるんだい?』
『アルシュバーン侯爵家を利用して、シスターを助けます』
ラファエルが計画を告げると、マザーは天を仰いで豪快に笑った。
『そりゃあ良い! やっぱりお前には、あの家の血が流れているね!』
『それはどういう……』
『どうでも良いさ。ともかく、あたしはお前の覚悟が気に入った。お前のそのツラ、あたしの若い頃にそっくりさ』
ラファエルと同じ紫色の目を細め、彼女は機嫌が良さそうだった。
――やるからには、徹底的に戦ってきな。マザー・グレンナに背を押され、ラファエルはアルシュバーン侯爵邸に戻ったのである。
*
「あれから、もう10年か」
思いを巡らせているうちに、馬車は領主邸に到着した。執務室で家令の報告を聞き、思わず眉をひそめていた。
「……なに? タウンハウスに王太子殿下が訪ねてきた?」
エルダへの快気祝いの花束を持って、突然やってきたらしい。ラファエルの不在を知ると、花だけ置いてすぐに帰ったそうだ。
「また殿下は、相変わらず気ままな……」
溜息交じりに家令の話を聞いていたが、次の瞬間、とんでもない報告に声を裏返らせた。
「……っ!? シスター・エルダに結婚式の話を聞かれた!?」





