第21話:王太子殿下の来訪②
執事を伴って屋敷から出てきたその人物は、王太子殿下だった。
エルダがまだ子爵令嬢だった頃、式典で拝謁したことがある。十数年前のことだが、面立ちや雰囲気は当時とほとんど変わらなかった。
(急な来客って、王太子殿下のことだったのね。さすがアルシュバーン侯爵家……)
ローゼルとアニスは、緊張した面もちで冷や汗を流している。ひっそりと茂みの中で、エルダは侍女たちとともにやり過ごそうと息をひそめた。
王太子殿下と執事が、門の方に向かいながら会話をしている。
「王太子殿下。せっかくご来訪いただいたのに、十分なおもてなしもできずに申し訳ございません」
「いや。近くに寄ったついでにと思ったのだが、いきなりで済まなかった。あいつが所領に戻るとは、珍しいこともあるものだ」
あいつというのは、ラファエルのことに違いない。口ぶりからすると、かなり親しい間柄のようだ。王太子殿下は、朗らかに笑ってこう言った。
「今日はラファエルの『愛しの君』にも挨拶ができればと思っていたが、どうやらまだ気が早すぎたらしい。また来るよ」
(……愛しの君?)
エルダは、つい聞き耳を立ててしまった。
ローゼルとアニスが、なぜか真っ青な顔になっている。
「彼女への面会は次の楽しみに取っておくから、祝いの品だけでも受け取っておいてくれ」
「ありがとうございます」
王太子と執事が、エルダの隠れる茂みのそばを過ぎ去っていく。
「結婚式の準備も着々と進んでいるそうじゃないか。先日会ったとき、ラファエルが嬉しそうに言っていた。あいつが、あんなにも幸せそうな顔をするとは」
「ええ。主人は式を挙げることを、それはそれは長く待ち望んでおりましたので」
「王家としてもラファエル・アルシュバーン侯爵の婚礼を盛大に祝うつもりだから、そのつもりでいてくれ」
「恐悦至極に存じます」
そんな会話をしながら、彼らは遠ざかっていった。
――愛しの君?
――結婚式?
エルダは、呆然としながら彼らの背中を見送っていた。
(…………そっか。レイには婚約者がいたのね)
すとん。と、なぜか体の力が抜けた。
結婚式を間近に控えた、愛する女性がいるらしい。
……それはそうだろう。立場ある人なのだから、婚約者がいて当然だ。どうして今まで、思い至らなかったんだろう……?
(なんだ。良かった。レイはちゃんと、自分の人生を歩んでいたのね。それなら……安心だわ)
安心したら 心がすっかり軽くなった。軽くなり過ぎてスカスカだ。
――『あなたの居場所は、ここではダメですか?』。
(あの言葉は、やっぱり私が親代わりだからだったんだ……)
なぜだか分からないけれど、急に目頭がじわっと熱くなってきた。
「シスター・エルダ!?」
「な、泣いてるんですか!?」
「え……?」
泣いてる? まさか。
そう思ったときには、ぽろぽろと目から溢れて止まらなくなっていた。
「……あれ。なんでだろう……変ね……」
「ご、ごめんなさい、シスター。こんな形で知ってしまったらショックですよね……?」
「……あの、ラファエル様は悪気があって隠していた訳じゃないんです! シスターが元気になって、心の準備ができてから打ち明けようと思ってたはずで……」
おろおろと、二人はひどく戸惑っている。――彼女たちを困らせるわけにはいかない。
「……私は大丈夫よ。それより二人とも。今の殿下たちの話、私は何も聞いていないわ」
「「え?」」
そういうことに、しなければならないと思った。
伏せていた情報がエルダに漏れたと知れば、ラファエルはアニスたちを叱るかもしれない。
「私は何も聞かなかった。お客様なんて見ていないし、何も知らない。だから、レイには何も報告しないで」
「「でも……」」
「お願いよ」
ローゼルとアニスは顔を見合わせた。
「……でも、せめてミモザにだけは共有しておきたいです」
「そうね。あなたたち3人の間でだけは、話してもらっても良いわ。だから、レイには絶対内緒にして」
「わかりました……。ともかく、ひとまずお部屋に戻りましょう」
「ええ」
二人に両脇を支えられながら、エルダは屋敷の中へと戻っていった。
*
その夜。
エルダは、一人物思いに耽っていた。
(お相手の女性にも、申し訳ないことをしてしまったわ。この数か月レイは私にかかりきりだったから、ほとんど会えずに寂しかったはずよ)
彼と、彼の選んだ女性には絶対に幸せになってほしい。
そう。胸を痛めている場合ではないのだ――。
(……そもそもなんで落ち込んでるのよ、私!)
きっと、いきなり聞いて混乱してしまっただけだ。
「しっかりしなくちゃ! 私が頼りないままだと、レイが安心して結婚生活を迎えられないじゃない」
もはや一刻の猶予もない。
早く自立して、レイの門出をお祝いしなければ!
エルダがそんな決意を固めていた、ちょうどそのとき――。
こん、こん。というノックの音が響き、ミモザとローゼル、アニスの3人が立派な花束を持ってきた。
「あら、それは?」
「王太子殿下からの贈り物です」
気まずそうな顔をして、ミモザが答えてくれた。
「え? どうして私の部屋に……?」
王太子殿下は、ラファエルの『愛しの君』にお祝いの品を贈っていた。居候にすぎない自分が、この花束を受け取るなんてどう考えてもおかしい。
「でも、受け取るべき人は他にいるでしょう?」
「「「へ?」」」
3人は首を傾げたが、やがて納得したような顔になった。
「ラファエル様が領地からお戻りになるまで取っておいても、枯れてしまいますから。執事も、シスターのお部屋に飾るようにと言っていました」
(どうして執事さんまで? ………。つまり、それって……)
そこでエルダは、ハッとした。
(婚約者さんは遠くに住んでいるのね。 確かに、誰にも渡せず枯らせるよりも客人の部屋に飾るほうが良いはずだわ)
それに、無為に枯らせば殿下への不敬にあたるに違いない。そう考えて、エルダは背筋を正してうなずいた。
「分かったわ。お花を愛でる大事なお役目、ありがたく務めさせてもらいます」
「「「?」」」
いきなり気合が入ったエルダを見つめ、ミモザたちはもう一度首を傾げた。





