第20話:王太子殿下の来訪
1週間後の、昼下がり。
「レイは今頃、領地に到着した頃かしら」
日当たりのいいサロンの窓辺で、エルダは刺繍をしながら呟いていた。
ラファエルが所領に向かっておよそ1週間――毎日欠かさず顔を見ていた彼の不在は、エルダの胸にぽかりと穴をあけていた。ふとした瞬間、「レイは何をしているかな」と思ってしまう。
「そうですね。きっとラファエル様、着いた瞬間から仕事に取りかかってると思いますよ」
「そうそう。シスターに会いたくて、一刻も早く帰らなきゃって」
付き添っていたミモザたち侍女3人が、そんなことを言ってきた。
「……」
反応に困って、聞こえないふりで刺繍に励む。これもリハビリの一環だ。針仕事は、指先を細かく動かす練習に良い。あともう少しで、ようやく完成――。
「よし、できたわ」
エルダが声を弾ませると、ミモザたちはエルダの手元に視線を寄せた。
「わぁ、きれいなバラ!」
「本物みたいです……!」
「やっぱりシスターの刺繍って、すてき!」
懐かしいな、とエルダは思った。
「ふふ。ありがとう」
ミリュレー修道院にいた頃は、子どもたち全員の持ち物に刺繍をしてあげていた。ひとり一人にぴったりのデザインを考えるのも楽しくて――。
「バラということは、ラファエル様へのプレゼントですか?」
「へ!?」
「ラファエル様の持ち物は、バラのモチーフでしたよね」
「あっ…………」
令嬢時代から馴染のあったデザインだからか、つい無意識に刺していた。
「いえ……全然、そんな意味はなくて。これはただの練習よ」
「ええー。もったいないです」
「絶対喜ぶのに」
「肌身離さず持ち歩いて、一生手放しませんよ?」
大げさな……と思ったけれど、ありえないとも言いきれない。髪を結んだリボンさえ、ラファエルは大切そうに握りしめていた……。
思い出して顔が真っ赤にしていると、なぜか3人は目を輝かせた。
「やっぱりお似合いですね、おふたりは!」
「ど、どうしたのよ急に」
「ずばり聞きますけれど、シスター的にどうですか、ああいう男性は」
「え!?」
こういうやりとり、修道院時代にもあった気がする。近隣から麦や穀物を運んでくる村人の中で、誰が一番シスターの好みですか? とか。
「変わらないわね、あなたたち」
肩を揺らして、エルダは笑った。
「でも私がレイを男性として見るなんて、絶対にありえないわよ」
――そう。あってはならない、絶対に。昔助けたあの子を、異性として見るなんて。
野草の庭で自分の『気持ち』に気付きかけたあの瞬間、これはいけない感情だと思った。
しかし侍女たち3人は、いきなりガクリと肩を落としている。
「……どうしたのよ、3人とも。そもそも私、修道女だったんだもの。今さら恋愛なんてする訳ないでしょう? 結婚を考えるような年齢でもないし」
「何言ってるんですか、シスターったら!」
「まだまだ若いですよ!? 言うほど私たちと年齢差ないじゃないですか」
目を血走らせるアニスとローゼルの隣で、ミモザは少し冷静だった。
「でも、シスター。目覚めて5か月くらい経ちますけれど、これだけ長く過ごせば1回くらいはキュンと来たこと、ありませんか……?」
(あるわよ。……何回も)
というのは、エルダの心の中だけの秘密だ。
「もう、ミモザったら。ある訳ないでしょう?」
さらりと流すと、3人同時にガターン、と膝をついてうなだれてしまった。
「前途多難だよぅ。がんばれラファエル様ぁ」
「あぁぁ、じれったい」
「シスターの身持ちが固すぎる……」
彼女たちのごにょごにょという呟きは、エルダには聞き取れなかった。
(……なんなの、この子たちの反応)
そのとき、柱時計が10時の鐘を鳴らした。
「――あ。ちょうどいい時間ね!」
微妙な空気を変えたくて、エルダは裁縫道具を片付けながら笑顔で言った。
「外のリハビリ、誰か付き合ってもらえる?」
「はい。今日はわたしの担当です」
「よろしくね、アニス」
やや強引に場を切り上げ、エルダはアニスとともにサロンを出た。
*
晴れた日の歩行トレーニングは、いつも屋外で行っている。
平らな場所ならすでに問題なく歩けるが、高低差のあるところは引き続き訓練が必要だ。
南側の大庭園は小高い丘になっていて、二十段ほどの石段がいくつかある。花の香りを楽しみながら上り下りを繰り返すのが、最近のお気に入りだ。
「シスター・エルダ。最近は、全然ふらつかなくなりましたね!」
エルダのすぐ脇にはアニスが控えていて、もしふらついたらすぐに支えられるようにしている。
「みんなのおかげよ。ありがとう」
「もうすぐいろんな場所を歩けるようになりそうですね」
「ええ。楽しみだわ」
元気に歩けるようになったら、どこに行こうか。
街に出たいし、自然の中にも足を運びたい。アニスやローゼル、ミモザたちと一緒にお出かけできたら幸せだ。
それに……ほんの少しでも、彼も一緒に来てくれたら。
……と、そのとき。
「シスター・エルダ! アニス!」
庭園に、血相を変えてローゼルが駆け込んできた。とても慌てているけれど、どうしたのだろう。
「リハビリ中にごめんなさい。……申し訳ないんですけれど、今日は切り上げていただけますか」
「分かったわ。……何かあったの?」
「実は、急な来客が。そのお客様がお帰りになるまで、お部屋で待っていてほしいんです」
そう言うと、ローゼルはアニスに耳打ちをした。アニスも、顔を強張らせる。
「そ、それ……まずくない?」
「そうなのよ、すごくまずいの! だから急がなくちゃって」
エルダには事情がよく分からないが、ともかくお客様が帰るまでじっとしていたほうが良いらしい。
アニスとローゼルとともに、エルダは大庭園の出口に向かった。
「シスター・エルダ、本当にすみません」
「気にしないで。あなた達も、いろいろ大変そうね」
ローゼルが苦笑している。
「そのお客様、ラファエル様が不在と知らずにお越しになってしまって。もしうっかり会ってしまうと、話がこじれそうなので……すみません」
それから屋敷のほうへと向かった。木々の茂みを抜け、玄関に近付こうとしたそのとき――。
ローゼルとアニスが、びくっと肩をこわばらせた。エルダの肩を抱き、いきなり回れ右をする。
「どうしたの、二人とも?」
「すみません! やっぱりちょっと隠れます!!」
「隠れるって……」
エルダの返答を待たず、玄関前の茂みの中に身を潜めた。
「ごめんなさい、シスターもあと少し体を屈めてくれますか? お客様が出てくるみたいで……!」
「出会い頭とかマズすぎるので、茂みの外から絶対に見えないようにお願いします……!」
二人は青ざめて緊張している。
(……一体、どんなお客様なの?)
身を潜めつつ、私は茂みの隙間から屋敷の入り口を見た。
ちょうど扉が開き、執事と思しき男性と来客者が出てくるのが見える。
執事の男性はエルダから見ると奥側で、ほとんど陰になっている。でも、来客者の顔はしっかりと見えた。
(――! あれって……)
見覚えのある、蜂蜜のような濃い色の金髪ときらびやかな美貌。
(王太子殿下だわ!)
そのお姿は紛れもなく、この国の王太子その人であった――。





