第19話:あなたと私の花園
――朝。
静かなノックの音とともに、エルダの部屋にドクター・ピーナが訪れた。
「おはようございます、エルダ様。本日分のお薬をお持ちいたしました」
「ありがとうございます。ドクター・ピーナ」
意識を取り戻してから今日で3日。エルダの診察と投薬を終えたドクター・ピーナは、「経過は良好です」と穏やかに微笑した。
部屋の外で控えていたラファエルを呼んでから、彼女は説明を続ける。
「本日からは、外気浴をしていただいてもかまいません」
(よかった……!)
エルダは思わず笑みを浮かべた。ずっとベッドで安静にしていたから、外に出られるのは嬉しい。ラファエルも笑顔になっていた。
「念のため、お外に出られるときは車椅子をご使用ください」
「分かった」
ラファエルは機嫌よくうなずくと、エルダに囁きかけてきた。
「シスター、今日は春らしい陽気ですよ。一緒に花でも見ませんか?」
エルダは一瞬、言葉に詰まる。
「――――ええ。ありがとう」
「それでは準備をしてきます。すぐに戻りますね」
ドクター・ピーナとともに退室したラファエルの背中を見送り、エルダは小さな溜息を吐いた。
……彼の笑顔を直視できない。なぜだろう……?
*
ぽかぽかした日差しの中、ラファエルに車いすを押してもらって外に出た。
芽吹き始めた木々の合間を進めば、リボンで束ねた髪が春風にそよいで心地よい。
「いい風ね。若葉がとてもきれい」
「ええ、きれいです。――とても鮮やかだ」
すぐ後ろから、ラファエルがそう応えてくれた。けれどなぜだか、視線を背中に感じてしまう。彼が若葉ではなく、春風にそよぐ自分の赤髪を見ているようで。
そんな気がした瞬間、エルダの頬はまた熱くなった。
(ば、ばかね、私。考え過ぎよ……)
呪いのことでバタバタしていたけれど、最近、妙にラファエルを意識してしまう。
修道院がなくなったと聞き、ひどく取り乱してしまったときも。
――『あなたの居場所は、ここではいけませんか?』
あのときは頭が真っ白で、何も考えられなかった。でも、どういう意味だったんだろう?
エルダが考えを巡らせていた、そのとき。
「シスター・エルダ。実は、あなたに見せたかった場所があるんです」
「え?」
ラファエルはそのまま、車いすを侯爵邸の奥庭のほうへと進めていった。
奥庭の一画は高い柵で囲われていて、門扉が施錠されている。開錠して扉を開くと、車椅子からエルダを抱き上げた。
「……っ」
「ここから先は段差があって、車椅子では危ないので」
淡く笑ってそう言うと、扉の中へと入っていく。
エルダは思わず目を見開いた。扉の先にあったのは、つつましやかな野草の茂る小さな庭だ。
「わぁ……!」
貴族らしい豪華絢爛な庭園とはまるで違う。
ルピナスにカンパニュラ。タイムにカモミール。瑞々しい野草たちは、ミリュレー修道院に咲き乱れていたものと同じだ。
「すてき。私の大好きな花ばかりだわ……!! レイ、覚えてる? ほら昔、一緒に花の名前を――」
……ハッとして、エルダは彼の顔を見つめた。
「気づきましたか?」
紫の瞳が優しく細まる。
「何年も前に、あなたの好きな花だけ集めて庭を作っておいたんです。いつか呪いが解けて、目覚めてくれたら一緒に見ようと」
「――!」
言葉を失うエルダを抱いたまま、ラファエルは庭の長椅子へと進んでいく。並んで腰を下ろし、何気ない仕草でエルダの肩を抱いていた。
「ずっと夢見ていたんです。季節が巡って花が枯れ、それでも次の春には芽吹く。今年こそはあなたと見たい、あなたと見たいと願ってきました。……ようやく、叶った。これでようやく、私も前へ進めます」
(……なんで)
エルダは、言葉が出なかった。
(なんで私のために、そこまでしてくれるの……?)
分からない。
分からない。だって……。
(子どものときの、恩返しなのよね? 生き返らせてくれただけで十分すぎるのに、こんなことまで……?)
もしもそうなら、この人は純粋すぎる。
(懐いているから、大人になってもずっと近くにいたいだけ。……そうよね?)
…………でも。なんだか、違う気もする。この人の瞳が、こんなに熱を孕んで見える。
「先日。尋ねたことの返事を、聞かせてくださいませんか」
「……え?」
「あなたの居場所が、ここではダメかという話です。シスター・エルダ、私とずっと一緒に暮らしませんか?」
「――――!」
頭の中が。まっしろだ。
(何を……考えているの? レイ……)
重すぎるその優しさにつけるべき名を、エルダは知らない。
ラファエルの頭の中に比べれば、自分の気持ちは想像できる。
こんなに胸が苦しいのは。
生まれて初めてのこれは、たぶん、きっと……
(だめよ……!)
昔助けた子にこんな気持ちを持つなんて、――道徳的に、こんなのは……!
「わ、わわわわ……わたし……!」
思わず長椅子から飛び上がり、エルダはラファエルから距離を取った。
「私、私、違うから! ……その……だ、大丈夫、これ違うから!!」
「違うって?」
エルダは真っ赤な顔でおろおろと後ずさり、そのまま尻餅をついてしまった。
「シスター!」
驚いたラファエルが、エルダを抱き起そうとした。
「平気。じ、自分で、立てる……」
「…………困らせてしまいましたね」
明らかに挙動不審になったエルダを見て、ラファエルは申し訳なさそうな顔をした。よろよろ自力で長椅子に戻ったエルダと少し距離を置き、ラファエルも座り直す。
「返事は急ぎません。ですが、考えておいてください」
彼は切なげに眉を寄せ、エルダの頬へと手を伸ばす。
(――え?)
ラファエルの手はエルダの頬をかすってから、うなじのほうへと流れていった。そして、髪を束ねていたリボンをしゅるりと抜き取ってしまう。
「レイ……?」
空色のリボンが解かれ、エルダの赤毛が春風に舞った。
「このリボンを私に下さい。あなたに会えない間は、これを心の支えにします」
――会えない間?
エルダが怪訝な顔をすると、彼は続けた。
「実は、1か月ほど領地に戻ることになりました。普段は家令に任せていますが、大事な用ができたので」
「……そうだったの」
リボンをぎゅっと握ったラファエルは、それを自身の口元に寄せる。
「っ……!」
まるで、恋人みたいなことを――そんな考えがふとよぎり、エルダはまた慌てふためいた。
「も、もちろん、いいけど? リボンなんて、どうぞ1本でも2本でも!」
あはははは。と誤魔化し笑いをするエルダを、ラファエルは表情を薄くして見つめていた。
「――どうやら私には、尚一層の努力が必要なようですね」
「え? ちょっと……」
失礼します。と抱き上げると、ラファエルは車いすへとエルダを運んだ。
「用件が済み次第、できるだけ早く戻ります。私が不在にしている間に、あなたがいなくなってしまうのではないかと思うと生きた心地がしませんので」
(……レイ?)
落ち着いた美貌のどこかに、焦りの色を見た気がして――エルダは、静かに息を呑んだ。





