第14話:元婚約者の転落
これは、エルダの知らない真実。
かつてオルドー子爵家から放逐された、とある男の悲劇のひとひら――。
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「……畜生め。どうして僕の人生は、こんなことになっちまったんだ……?」
王都の裏通りの石畳をふらつきながら、男は吐き捨てるようにつぶやいた。擦り切れたボロボロの服と、泥が染みついた靴。かつての貴族の面影なんて、この男にはもはや欠片も残っていない。
――男の名前は、ダミアン・クラーヴァル。
かつてはダミアン・オルドーという名だった。
オルドー子爵家の婿だったが、半年前に離縁された。娼館で女遊びに明け暮れていたことがバレたあげくに捨てられたのだ。
ダミアンは場末の酒場に入って、カウンターに腰を下ろした。
安酒を注文して、その不味さに顔をしかめながら独りごちた。
「くそ……。僕だって、貴族だったんだぞ。それが今じゃこの様だ……」
惨めすぎて、泣けてくる。
カウンターに突っ伏していると、隣に誰かが座る気配がした。顔を上げると、こんな安い酒場には場違いな品のある青年が座っていた。
年のころは十代後半――ダミアンよりずっと年下だが、身なりや仕草で上位貴族だとすぐに分かった。しかも、驚くほどの美形だ。
しとやかに輝くシャンパンブロンドの髪。瞳の色は神秘の紫。……なんだか、癪に障る。
「ちっ、何だよ。ここはお貴族様が来る場所じゃないぞ。さっさと消えちまえ!」
ダミアンが吐き捨てても、青年はイヤな顔ひとつしない。涼しい笑みを浮かべたまま、こんなことまで言い出した。
「奢りますよ。一杯付き合っていただけませんか?」
……物好きな坊ちゃんだ。だが奢りならばと、ダミアンはこの店で一番高い酒を注文してやった。良い酒を飲んだら少し気分が軽くなり、ダミアンは青年に向かって語り始めた。
「あんた、その顔なら女に困らないだろう? だが僕も昔はな……貴公子なんて呼ばれて、ちやほやされていたんだ。『タダでもいいから相手してほしい』っていう高級娼婦も、たくさんいた。……そりゃあ、悪い気はしないさ。言い寄ってくる女がいたら、応えてやるのが男だろう?」
青年はにこりと頷いて、ダミアンの話を聞いていた。
「だが……妻にバレちまってな。あの女、離婚するとか言い出したんだ。くそ……思い出しただけでも腹が立つ! 自分は贅沢ばかりして、面倒事は全部僕に押し付けていたくせに」
「それで。奥様とはどうなったのですか?」
「そのまま離婚さ。その途端、娼婦どもも一斉に逃げていってしまって。……くそ! それまでは『早く奥様と別れてあたしと暮らしましょ』なんて言ってたくせに……!」
「それで?」
「実家に戻ろうとしたが……見事に切り捨てられたよ。結局は、頼る先もなく平民に身をやつしてこの様さ……」
ダミアンのグラスが空になると、青年は黙って次の酒を頼んでくれた。
「ありがとうな、兄さん。あんたは美男子で、そのくせ気前も良い、さぞや名のあるお貴族様なんだろうな。今後とも仲良くしてくれよ……名前を教えてくれ」
「私ですか? ――私の名は」
酒が回って上機嫌だったダミアンは、青年の名前を聞いた瞬間にぞくりと背筋を凍らせた。
聞き覚えのある名前だった。
それは娼婦から聞き出した、ダミアンを地獄に突き落とした黒幕の名前だ。
「…………お前!! お前が僕を嵌めたのか!?」
青年は笑みの形に唇を吊り上げて、三日月のように微笑している。
「はて。何のことでしょうか」
「しらばっくれるな! 娼婦がお前の名前を言っていたんだ、裏で糸を引いていたのは、お前だって! ――そうなんだろう、ラファエル・アルシュバーン侯爵!!」
青年は――ラファエル・アルシュバーン侯爵は、首をかしげて笑っている。
美しすぎるその笑みは、ひどく悪魔じみていた。
「お前とは面識がないはずだ! ……なのにいったい、僕に何の恨みがあって!?」
怒りに任せて掴みかかろうとすると、ラファエルの背後にいた護衛騎士がダミアンを遮った。
「恨みなど、いくらでも」
「なんだと!?」
ラファエルは優雅に立ち上がると、銅貨をカウンターに置いた。
「私はただ、ほんの少しだけお返しをしたに過ぎません。彼女が受けた苦しみは、この程度ではなかったはずだ」
「彼女? 彼女って――ヒッ!」
底冷えするような紫の瞳に射抜かれて、ダミアンは恐怖に身をすくませた。
「愉快な話を聞かせてくれてありがとうございました。――惨めな暮らしを、どうぞ生涯ご堪能下さい」
ラファエルは護衛を伴って、酒場から去っていった――。
***
「レイ。お前って本当、やり方がエグいよなぁ……」
細い路地裏を歩きながら、護衛騎士のセージがラファエルに軽口を叩いた。
「お前の目つき、だんだんマザー・グレンナに似てきたぜ? 手加減ねぇっつーか」
セージもまた、ミリュレー修道院で育った孤児だった。ミモザたちと同様に、数年前からラファエルのもとで働いている。
ラファエルの口元には、涼やかな笑みが浮かんでいた。
「クズに手加減が必要ですか?」
「ま。いらねぇわな」
ひひひ、といたずらっ子のように笑って、セージはラファエルを覗き込んだ。
「それで? 次はどうするんだよ、侯爵様」
「もちろん、オルドー子爵家を潰します。シスター・エルダが目覚めるまでに、ゴミは全部片づけておかないと」
「はは。怖ぇ」
二人の影は、王都の闇に溶けていった。





