第12話:お風呂の思い出
――いばらの呪いで倒れるよりも、1年以上前のある夜。
エルダが入浴していたときに、ちょっとした事件が起こった。
「……ああ、今日もいいお湯」
裏庭で育てたハーブの薬湯は、体の芯まで温まる。
湯気の立つ湯船の中で、ゆるゆると油断しきっていたところに……。
カターン! と、モップが床に落ちたような音が響いた。
びっくりしてお風呂場の入り口のほうをふり返ると。
「え!? レイ?」
「シ、シスター・エルダ……!」
お風呂場に、なぜかレイが入ってきた。
モップとバケツを持っている。掃除をするつもりだったらしい。
腰を抜かしてしまったようで、床にへたり込んでいた。
「ご、ごごごごめんなさい! だ、だれもいないと思ってたんだ……あの、えと」
唐辛子みたいに真っ赤になって、レイは両手で目を覆い隠そうとしていた――けれど、次の瞬間。
「………………シスター?」
レイの顔から、表情が消えた。
その様子から、エルダは見られてしまったのだと悟った。
「背中の模様……どうしたの?」
エルダは今まで、アザを誰にも見られないよう気を付けてきた。でも、まさかレイに見られてしまうなんて。
(どうしよう。レイ、真っ青だわ。……誤魔化さなくちゃ)
「ええと。こ、これは入れ墨なの!」
慌ててタオルをたぐり寄せ、エルダはそれを巻き付けてレイに近寄った。
(修道女の背中にタトゥなんて、苦し紛れがすぎるけど……仕方ないわ)
「……タトゥ?」
「ええ。そうよ。でも誰にも言わないで。レイと私だけの秘密にしてほしいの」
「……」
「…………レイ?」
表情が失せていたはずのレイは、いつの間にかひどく暗い顔をしていた。
(ど、どうしたの……?)
今まで見たことがないような仄暗い表情で、レイは肩を震わせ始めた。恐怖や驚きとは違う、この表情はなんだろう? 憎悪か、あるいは殺意のような……。
(……いえ、まさか。きっと混乱してるのね)
エルダは焦りを押し隠し、なだめるような声音で言った。
「ごめんね、レイ。こんなものを見せちゃって。怖かったわよね……?」
「っ! ……違う、ぼくはシスターを怖がったりしない!」
レイはエルダの腕を掴み、必死な顔で訴えた。
「痛かったろうなって、思っただけだよ。どうしたの、それ。……誰かにむりやり、やられたの?」
「え……?」
「ゆるせない。殺してやりたい……シスターに、こんなことするやつを」
「こ、殺す……!?」
天使のように可愛い唇から、とんでもない言葉が飛び出してしまった。
「ちょっと、どうしたの、レイ! 落ち着いて。……ええとね、違うのよ。これは私の意志で……その」
「シスター。ぼくには、うそをつかないで」
くしゃっと顔を歪ませて、レイは泣き出しそうな顔になった。
「シスターがうそをついてるの、ぼく分かるよ。だって、いつだってシスターだけを見てるんだから」
「レイ……」
「シスターがやりたくてやったなら、ぼくはいいよ。でも、それはちがうでしょう? シスターが痛いのも苦しいのも、ぼくは絶対イヤなんだ……」
レイは俯いて、とても悔しそうにしていた。
「でも、シスターはタトゥの話をしたくないんだよね?」
「……ええ」
「だったら、わかった。だれにも言わないし、この話はこれでおしまいにする」
苦い物を飲み下したような顔で、そう誓ってくれたのだった。
***
「今も昔も、あの子はずっと優しいわ……」
――遠い昔の思い出に、目頭が熱くなってきた。
心配そうな3人に、エルダはぽつり、ぽつりと話し続ける。
「呪いのアザのこと、レイは倒れる前から知っていたのよ。だから私が倒れたとき、レイは自分を責めたと思う。……アザのことを知っていたのに、何もできなかったって」
胸が苦しい。
レイは、きっと泣いたと思う。
非力な自分を責めて、何としてでもエルダを目覚めさせようとしたのだろう。10年もの時間をかけて、どういう経緯か侯爵家の当主になって。
「レイにとって昔から、私は特別なんだと思う。それはきっと、親代わりみたいなものだったから……」
「ええっと……。それはちょっと違うかも……」
歯に物が挟まったような声を、ミモザが出した。
「え?」
エルダが顔を上げると、3人は何とも言い難い表情をしていた。なぜか呆れているような、じれったそうな、そんな顔だ。
「……シスターがラファエル様の特別なのは、間違いないんですけどね?」
「ちょっと熱量が違うというか?」
「ただ優しいから、っていう訳じゃないっていうか?」
エルダは首をかしげた。
「どういうこと?」
「「「ううーん……」」」
3人とも、言いにくそうな顔で唸ってしまった。
「まぁ、難しく考えなくて大丈夫ですよ」
のんびりした声で、アニスが言った。
「べつに、昔のままじゃなくていいじゃないですか。大人になったラファエル様のこと、嫌いになった訳じゃないんですよね?」
「もちろんよ!」
エルダは大きくうなずいた。
「とても素敵になられたわ。だから近くにいると、なんだかドキッとしてしまって」
侍女たちは、なぜか目を輝かせた。
「なら、むしろ良い兆候です!」
「兆候?」
「10年も経ってるんですから、昔と違って当然ですよ」
「そ、そうかしら……」
「「「そうです!」」」
なぜこの3人は、こんなに前のめりなのだろうか……?
「昔と違うからって、避けなくていいと思います」
「変わっていいんですよ、シスター・エルダ!」
「むしろそのほうが、私たちも安心して見ていられるというか」
「三人とも……」
じんわり、胸が熱くなる。
(……この子たちの言う通りだわ。お互い大人になったんだもの、変化を受け入れなくちゃ)
ラファエルはすでに、保護すべき子どもではなくなったのだ。
その上で、彼はエルダと親しくありたいと望んでくれている。……だったら、不自然に遠ざけようとすべきではない。
エルダ自身も、避けたい訳ではなかったのだから。
「皆、ありがとう。おかげで気持ちがすっきりしたわ」
目を輝かせてそう言うと、彼女たちは安堵したように頬を緩めた。
*
入浴後、エルダは車椅子で彼の執務室へと連れて行ってもらった。突然の来訪に、彼は驚いているようだった。
「どうしたのですか、シスター・エルダ」
「レイ。あのね……」
改めて、感謝を伝えたいと思った。さっき、咄嗟に突き放してしまったことも謝りたい。
「さっきは、ごめんなさい。……レイのこと、避けたいわけじゃなかったの」
ラファエル様は、目を見開いて静止していた。
「それとね。目覚めさせてくれて、毎日支えてくれて本当にありがとう。……私、まだきちんとお礼も言えてなかったわ」
その美しい瞳に、きらきらとした輝きが宿る。
「レイがくれた命、私、大切に生きるから」
ラファエルは頬を染め、緩んだ口元を覆って視線を彷徨わせていた。その仕草は、幼い頃ときと変わらない。言葉を探していたようだが、やがてぽつりと彼は言った。
「……嬉しいです。シスター」
ラファエルの言葉を聞いて、エルダの胸はまた高鳴った。……でも、それはきっと、当然のこと。
互いの変化を認めながら、素直に感謝できるような間柄でありたい。
きっとこれが、彼との新しい在り方なのだ。
(ミモザ、ローレル、アニス……ありがとう!)
彼女たちには、感謝してもしきれない。





