開かれた心と領主の敬意 第80話
「リオネル様。魔獣園の方々の昼食はいかがいたしましょうか」
執事がわずかに眉を寄せ、困った様子で問いかけた。
「調理場では対応できんのか?」
リオネルが視線を上げる。
「避難民の食事で手一杯のようでして……騎士団の食事も
すでに自炊に切り替えております。これ以上は難しいかと」
執事は静かに状況を伝えた。
「……そうか」
リオネルは表情を曇らせる。
「魔獣園の方々に食事も出さないというのは
あまりに礼を欠くな……」
しばし思案し、やがて口を開く。
「ヴァンデルに、相談してみるか……いや」
小さく首を振る。
「私から言えば、断りづらくなるだろう。
無理強いはしたくない。任せてもいいか」
「承知いたしました。それとなく話をしてみます」
執事は一礼し、その場を辞した。
――ほどなくして。
執事は訓練場に設けられた大きなテントを訪れる。
中では騎士たちが簡素な食事の支度をしていた。
「ヴァンデル殿」
声をかけると、隊長はすぐに振り向く。
「魔獣園の方々の昼食についてなのですが
……何とかご用意いただくことは可能でしょうか」
ヴァンデルは一瞬だけ考え、すぐに答えた。
「今から新たに用意するのは難しいですが
……私たちの分を回せば対応できます」
「よろしいのですか?」
執事の表情がわずかに和らぐ。
「問題ありません。一食抜くのも訓練のうちです」
その言葉に、執事は深く頭を下げた。
「ご配慮、痛み入ります。領主様からは無理強いはするなと
言付かっておりましたが……これでお顔を潰さずに済みます。
ありがとうございます」
テントの中に、静かな安堵が広がった。
「カイル。お前は確かリム村の出身だったな。
アレン殿とは面識があるか?」
ヴァンデルが声をかける。
「はい。アレンは幼馴染です」
カイルは即座に答えた。
「そうか」
ヴァンデルは小さく頷く。
「ならば頼みがある。昼食はこちらで用意した。
魔獣園の方々を、このテントまで案内してくれ」
「ですが……本日は私が食事当番ですが
用意しているのは我々の分だけです」
カイルは戸惑いを隠さず言った。
「……すまん」
ヴァンデルはわずかに言葉を選ぶ。
「今回は、その食事を回すことになった。
無理を言っているのは承知の上だ」
一瞬の沈黙。
「……わかりました」
カイルは小さく息を吐き、肩を落としながらも頷いた。
命じられた以上、断ることはできない。
テントを出たあと、誰にも聞こえぬように、ぽつりと漏らす。
「……なんで俺たちの昼飯を、魔獣たちに回さなきゃならねぇんだよ……」
その言葉は風に紛れ、誰の耳にも届くことはなかった。
ーーーー
「アレン、少しいいか」
カイルが声をかける。
「おお、カイルか。どうした?」
アレンは振り返り、軽く手を上げた。
「隊長からの伝言だ。昼食の用意ができたから
訓練場まで来てほしいってさ」
「え、昼食?」
アレンは一瞬きょとんとした後、すぐに首を振る。
「いや、大丈夫だ。こっちは弁当を持ってきてる。
人数分きっちりな」
「……弁当?」
カイルは目を丸くする。
「ああ。最初からそのつもりで準備してある」
アレンは苦笑しながら続けた。
「気を遣わせちまって悪いな。そういうわけだから
隊長にはうまく伝えておいてくれ」
一瞬の間の後――
「……そっか」
カイルの表情がふっと緩む。
「わかった。任せとけ!」
先ほどまでの重さが嘘のように、軽い足取りで踵を返した。
昼食を終え、いよいよ出発の時が来た。
ロルフが先頭に立ち、避難民たちを外へと導く。
「みなさん、慌てずに――ゆっくり乗り込んでください」
だが、その言葉とは裏腹に
人々の足は思うように進まなかった。
魔獣園で“見たことはある”存在――だが
檻の外で対面するとなれば話は別だ。
目の前に並ぶ魔獣たちに、思わず足を
止めてしまう者も少なくない。
張り詰めた空気が流れる、その時――
「あっ、ニコだ! ニコー!」
一人の子供が声を上げ、迷いなく駆け出した。
次の瞬間――
『ずでんっ』
足をもつらせ、そのまま前のめりに転ぶ。
「――あっ!」
誰かの息を呑む声。
地面に打ちつけられた子供に
大きな影がすっと差し込んだ。
カイチが、そっと子供の体を咥え上げる。
乱暴さの欠片もない、驚くほど慎重な動きだった。
そのまま、ゆっくりとニコの前へ運ぶ。
駆け寄ってきた母親は、その光景に言葉を失っていた。
ニコは落ち着いた様子で子供の様子を確かめる。
「大丈夫。怪我はなさそうです」
そう言って、優しく母親のもとへ返した。
「……ありがとうございます」
母親は戸惑いを残しながらも
やがて柔らかな笑みを浮かべた。
その一幕を見ていた避難民たちの表情が
少しだけ変わる。
恐れだけではない――
確かな安心が、わずかに混じり始めていた。
やがて一人、また一人と
頭を下げながら荷車へと乗り込んでいく。
張り詰めていた空気は、ゆっくりと解けていった。
アレンは荷車の避難民たちの顔を見渡し
静かに息を整える。
「……行こう」
小さな一言が、次の動きを促す。
再び動き出すのは、荷車だけではない。
人の想いもまた、それぞれの帰る場所へ向かって
――進み始めていた。
門へ差しかかると、隊長ヴァンデル率いる騎士団が整然と待機していた。
「ヴァルド様。防壁まで、我らも同行させてください」
ヴァンデルが一歩進み出て申し出る。
「構わん。頼む」
ヴァルドは短く応じた。
その一言で、陣は動く。
騎士団が先頭に立ち、大隊列はゆっくりと進み始めた。
――その時。
出発を待つ後方に、一騎が現れた。
ヒッポスは速度を落としたまま、静かに列の中へ入ってくる。
サイラスの前で足を止め、短く言葉を交わす。
顔を上げたサイラスの表情は
先ほどまでとは明らかに違っていた。
「……承知しました」
それだけ言うと、サイラスはすぐに手綱を引いた。
次の瞬間、ヒッポスを蹴り――先頭へと駆け上がる。
「隊長! 一度、お止めください!」
「サイラス、どうした」
ヴァンデルが振り返る。
「リオネル様が――魔獣園の方々へご挨拶されるとのことです。
少々、お待ちいただければと」
その言葉に、ヴァンデルはすぐに視線をヴァルドへ向けた。
「ヴァルド様。リオネル様がお見えになるそうです。
しばし、お時間をいただいてもよろしいでしょうか」
進みかけていた隊列が、ゆるやかに足を止めた。
「……あいつめ、考えたな」
ヴァルドが小さく呟く。
一人の男がヒッポスから静かに降り立った。
そのまま、迷いなく魔獣たちのもとへ歩み寄る。
「――君たちは、フェルナ領の誇りだ。ありがとう」
一体一体に向き合い、丁寧に言葉をかけていく。
その所作に、飾りはない。ただ真っ直ぐな感謝だけがあった。
通りの両脇――
窓の隙間から覗いていた視線が、次第に変わっていく。
不安と好奇が入り混じっていた目は、やがて驚きへ。
やがて――
一枚、また一枚と、窓がゆっくりと開き始めた。
「……なんで、領主様が魔獣に頭を下げてるんだ」
「聞いたぞ……魔獣がフェルナを救ったって……」
ざわめきは、先ほどまでとは違う色を帯びて広がっていく。
リオネルが先頭へと歩み寄る。
「兄さん。お待たせして申し訳ありません。
――ここからは、私が先導いたします」
「おお、頼む」
ヴァルドは短く応じた。
領主が先頭に立ち、その両脇を騎士団が固める。
整えられた陣のまま、大隊列は静かに進み始めた。
石畳に規則正しい足音が響く。
閉ざされていた窓が、ひとつ、またひとつと開いていく。
人々は身を乗り出すようにして、その光景を見つめていた。
先頭を行く領主の背。
それに続く騎士たち。
そして――その後ろを進む魔獣たちと荷車の列。
ざわめきは広がる。
だがそれは、もはや恐れだけではなかった。
「……領主様が、先頭に……」
「魔獣が……あれが、本当に……」
戸口に立つ者、窓辺に集まる者。
誰もが言葉を失いながら、その光景を見送っていく。
やがて隊列は街の外縁へと差しかかる。
高くそびえる防壁。
巨大な門が、静かに口を開けて待っていた。
リオネルは歩みを緩めることなく、そのまま門前まで導く。
そして――
防壁の影に差し掛かったところで、わずかに足を止めた。
「兄さん。先頭をお願いします」
振り返らずに告げられた言葉。
ヴァルドは短く応じる。
「ああ」
騎士団もまた、その場で歩を止める。
先導は、ここで終わり。
だが隊列は止まらない。
そのまま、ゆっくりと門をくぐり――外へと進んでいく。
防壁の外へ出た瞬間、視界が開ける。
振り返る者は、いない。
街に残る者と、外へ向かう者。
その境界だけが、静かに引かれていく。
リオネルと騎士団は、その場を動かなかった。
遠ざかる荷車の軋み、魔獣たちの足音――
やがてそれらが小さくなり、地平の向こうへ溶けていく。
誰一人として声を発することなく、ただ見送る。
やがて、隊列の最後の影が完全に消えたとき――
リオネルはゆっくりと踵を返した。
第80話
開かれた心と領主の敬意
お読みいただきありがとうございます!
今回は、領主邸での昼食を巡る小さな
行き違いからスタートしました。
自分たちの昼食を魔獣に譲らなければならないと
落ち込んでいたカイルが
アレンの「弁当を持ってきた」という
言葉に安堵して踵を返すシーンは
少しクスッとできる一幕でしたね。
魔獣園側に迷惑をかけないよう立ち回る
アレンの「段取り屋」としての優秀さが
ここでも光っていました。
そして、いよいよ迎えた出発の時。
転んだ子供を傷つけないよう優しく
咥え上げるカイチの姿に、魔獣を恐れていた
避難民たちの心が少しずつ解けていく
光景を描きました。
後半は、領主リオネルの見事な采配です。
自ら先頭に立ち、魔獣たちに真っ直ぐに
感謝を伝えることで、窓の奥で
怯えていた街の人々の誤解を解き
彼らを「フェルナ領の誇り」として見送る。
防壁の門をくぐって別れる静かなラストシーンに
魔獣と人間の新しい関係の始まりを
感じていただければ幸いです。
次回もどうぞお楽しみに!




