名なき者は糧となる 第56話
最下層。
氷と炎の激突の痕跡が、まだ床に残っている。
その静寂を破るように、低い声が響いた。
「おおーい、小僧。出てこい」
フレイム・ドラコニクスの声だった。
岩陰から、ゆっくりと一人の影が現れる。
「小僧はないだろう」
隠れていたヴォルンが姿を見せた。
ドラコニクスは鼻で笑う。
「我から見れば、お前など小僧だろう」
その巨躯の竜人が言えば、冗談にも聞こえない。
ヴォルンは肩をすくめた。
「……勝ったようだな」
「ああ」
ドラコニクスは静かに頷く。
そして手にした剣へ視線を落とした。
「この剣のおかげかもしれんな……」
蒼炎の余熱が、刃の奥でまだ揺れている。
「そうか……貸した甲斐があったな」
ヴォルンが満足げに言った。
「はめられたがな」
ドラコニクスが低く笑う。
「だが――助かった」
冗談めかした声だったが
その言葉には本心も混じっていた。
「剣を返してもらえるか」
ヴォルンが手を差し出す。
ドラコニクスは少しだけ考え、刃を見つめた。
「返してやる。だが一つ、聞かせてくれ」
「なんだ……?」
ヴォルンが眉をひそめる。
「この剣を――誰に託すつもりだ」
低く、重い問いだった。
ヴォルンは一瞬だけ黙る。
「どういう意味だ」
「その者が、この剣に相応しいのかと聞いている」
ドラコニクスの黄金の瞳が、まっすぐに向けられる。
鍛冶師にとって、それは逃げられない問いだった。
やがてヴォルンは小さく息を吐く。
そして――きっぱりと言い切った。
「そういうことか、心配するな」
視線を剣へ落とし、静かに続ける。
「必ず、この剣に相応しい戦士になる」
揺るがぬ声だった。
⸻
翼の魔獣が、上階層から降りる通路に姿を現した。
ゆっくりと翼を畳み、岩床に降り立つ。
「……アンズー」
フレイム・ドラコニクスが低く呟いた。
黄金の瞳が細くなる。
「なぜお前がここにいる!」
怒りとも警戒ともつかぬ声で問い詰める。
アンズーは鼻で笑った。
「勘違いするな」
ゆっくりと言い放つ。
「お前を助けに来たんじゃない」
鋭い視線がドラコニクスを射抜く。
「俺は――俺の信じる者のためにここに来た」
その言葉には、揺るがぬ意思があった。
ドラコニクスはしばし黙り、やがて口を開く。
「……お前は北の使者ではないのか?」
アンズーの眉がわずかに歪む。
「はあ?」
心底呆れた声だった。
「俺が北の使者だと?」
小さく鼻で笑う。
「何を言っている。
俺と北の神は――何の関係もない」
その言葉には、明確な拒絶があった。
しばらくの沈黙。
やがてドラコニクスが小さく息を吐く。
「……すまん」
低く詫びる。
「嫌なことを聞いたようだな」
最下層に、再び静寂が戻った。
「ヴォルン。剣は手に入ったか?」
アンズーが低く問いかける。
「ああ、大丈夫だ。
最高の武器が手に入った」
ヴォルンは胸を張り、自信に満ちた声で答えた。
「ヴォルン、無事だったか」
園長が安堵したように声をかける。
「ああ、大丈夫だ」
ヴォルンは短く頷いた。
「アンズー。約束の話を聞かせてくれ」
園長が静かに言う。
だがアンズーはすぐには答えなかった。
「その前に、ドラコニクスに聞きたいことがある」
視線が竜へ向く。
「この扉がどこと通じているか、知っているのか?」
「ああ……知っている」
ドラコニクスがゆっくり答える。
アンズーの目が鋭くなる。
「白極の巨神はどうだ」
核心を突く言葉だった。
「白極の巨神……?」
ドラコニクスが眉をひそめる。
「ああ。北の神だ」
アンズーが言った。
「北の神がどうした?」
ドラコニクスが戸惑いながら問い返す。
アンズーはその反応を見て、小さく息を吐いた。
「……知っているようだな」
「教えろ!
北の神が現れたのか?」
ドラコニクスが身を乗り出す。
「ああ」
アンズーは迷いなく言った。
「北の魔獣は――北の神から逃げてきた」
最下層の空気が凍る。
「魔獣の王から逃げてきたのではないのか?」
ドラコニクスが問い返す。
「違う」
アンズーの声が低く落ちる。
「北の神に“飲み込まれる”のを恐れて逃げてきた」
「飲み込まれる……?」
園長の驚きの声が漏れる。
「動けなくなるだけではないのか?」
アンズーは首を振った。
「形も、魂も、痕跡すら残さず――
飲み込まれるらしい」
低い声が最下層に落ちる。
「そうだ」
ドラコニクスが静かに口を開いた。
「北の神は魂を喰らいながら、
目的の場所へ向かって進む」
その黄金の瞳がわずかに細くなる。
「魔獣にとって、本来――
神と融合することは誇り高いことのはずだ」
だが、と言葉が続く。
「だが、あれは違う」
竜の声が重く落ちる。
「喰らわれれば、何も残らん。
魂も、記憶も、存在も
ただの“糧”になるだけだ」
最下層に、重い沈黙が落ちた。
誰もすぐには言葉を発しない。
「白極の巨神とはそういう存在だ」
ドラコニクスの口からその名が発せられた。
最下層が静かに空気を凍らせていった。
ーーーー
「もうその辺でいいだろう。本題に入ろう」
グレイヴが静かに口を開いた。
「竜王よ。この扉を使わせてもらえるのか?」
ドラコニクスはゆっくりと視線を上げる。
「使うのは構わん」
低く響く声。
「だが――ここから北のダンジョンへ行くということは、
北の神の懐へ飛び込むということだぞ」
最下層の空気がわずかに張り詰める。
「ああ、分かっている」
園長が一歩前へ出た。
「俺たちには時間がないんだ!」
その声には、隠しきれない焦りが滲んでいた。
ドラコニクスはしばし黙り、やがて口を開く。
「ならば、ひとつだけ教えておいてやる」
黄金の瞳が一行を見渡す。
「名のなき者は引け」
重い言葉だった。
「北の神の“糧”になるために行くようなものだ」
沈黙が落ちる。
「……やはり、名が鍵になるか」
園長が小さく呟いた。
「では、行くメンバーを決めようではないか」
グレイヴが言う。
その時――
「ギルド長は行ってはいけません」
リシェルがきっぱりと言った。
「えっ、なぜだ?」
行く気満々だったグレイヴが振り向く。
「ギルド長がいなければ、ギルドが困ります」
迷いのない声だった。
「そんな……ここまで来て……」
グレイヴの声が情けなく沈む。
その肩に、元ギルド長が手を置いた。
「我慢しろ」
低い声。
「それが、ギルド長の仕事だ」
最下層に、静かな現実が落ちた。
「ついて来てくれる者は、集まってくれ」
園長が静かに言った。
最下層にいた者たちの視線が、一斉に集まる。
その時――
「我も行ってやる」
低く響く声。
蒼炎を纏う竜、蒼炎王フレイム・ドラコニクスが宣言した。
「ボスが行くなら、我らもお供します」
九十階層主、イグニヴァルが一歩前に出る。
「この戦いは人間の戦いだぞ。いいのか?」
園長が問いかける。
ドラコニクスは鼻を鳴らした。
「恩は返す。それだけでは駄目か」
「……駄目なことはない」
園長は小さく頷いた。
「ご助力、感謝する」
こうして最下層に、北へ向かう者たちが集まった。
その時、蒼炎を纏う竜がゆっくりと口を開く。
「ひとつ提案がある」
蒼炎王フレイム・ドラコニクスの低い声が、最下層に響いた。
「これから我らは、北の神の懐へ踏み込む」
黄金の瞳が一行を見渡す。
「名のなき者は“糧”になると言ったな」
先ほどの自分の言葉を思い出すように続ける。
「ならば――」
「互いの名を呼び合おうではないか」
静かな提案だった。
「名を呼び合うことで、繋がりが生まれる。
共に戦う者の名を知らぬまま死地に向かうのは、味気ない」
そしてゆっくりと言った。
「名を聞かせてもらっていいか」
その言葉を聞き、最初に前へ出たのは園長だった。
「俺からいこう」
静かな声。
「ヴァルド・フェルナ」
一同を見渡す。
「フェルナ園の園長だ」
短く言い切る。
「北の神を止めるためにここへ来た」
その後ろで翼がわずかに揺れる。
「俺はアンズーだ」
短く名乗る。
「空を駆けることだけは誰にも負けない」
その横で、少女が一歩前に出た。
「私はアカネです」
真っ直ぐな声。
「炎魔法を使います。火力なら任せてください」
その後ろで、髭のドワーフが腕を組んだ。
「ヴォルンだ」
低い声。
「鍛冶師だが、腕力なら誰にも負けん」
細身のエルフが静かに頭を下げる。
「リシェルです」
落ち着いた声だった。
「戦闘も支援もこなします。
足手まといにはなりません」
重剣を背負った男が一歩出る。
「ガルディアス」
短く名乗る。
「元ギルド長だ。
守りは任せろ」
その隣で、長槍を持つ老人が肩をすくめた。
「バルドレインだ」
少し笑う。
「槍使いの老兵だが、まだ若い者には負けん」
ここで、炎の魔獣たちも前に出る。
九十階層主が胸を張った。
「イグニヴァル」
低く力強い声。
「九十階層主。炎軍の将だ」
その後ろから巨体が進み出る。
「ヴォルガディン」
短く名乗る。
「八十階層を守る者だ」
炎を纏う俊敏な魔獣が続いた。
「フレアディオ」
「七十階層守護。
速さなら任せろ」
最後に、岩のような巨体がゆっくり前へ出る。
「マグナード」
重い声。
「六十階層守護だ」
全員の名を聞き終え、竜が静かに頷いた。
蒼炎がわずかに揺れる。
「我は――」
低く、誇り高い声。
「蒼炎王 フレイム・ドラコニクス」
その名が最下層に響いた。
人と魔獣。
種族も立場も違う者たち。
だが今、互いの名を知った。
名を呼び合う者たちが――
北の神へ挑むため、一つの隊となった。
第56話
名なき者は糧になる。
お読みいただきありがとうございます。
今回は、決戦の地へ向かう者たちが最下層で集結し
「一つの隊」となるまでのエピソードでした。
ドラコニクスとヴォルンの、強者と職人としての粋なやり取り。
そしてアンズーの問いから、ドラコニクスが語った「巨神」の真実。
「名なき者は糧になる」という絶望的な条件の中で
種族も立場も超えた者たちが次々と名乗りを
上げるラストシーンは、これまでの物語の一つの集大成として
特に気合いを入れて書きました。
(行く気満々だったのに、リシェルと先代に正論で
止められてお留守番になったグレイヴには
ギルド長としてのお仕事を頑張ってもらいましょう 笑)
魔獣、人間、エルフ、ドワーフ。
そして蒼炎の王と、その配下たる階層主たち。
名を持つ者たちが結集し、いよいよ「北の扉」をくぐります。
次なる舞台、そして「白極の巨神」との決戦も、どうぞご期待ください!




