幕間「魔導推進船と怪獣晩餐」第121話
王都西河港へ続く街道を進んでいた三台の旅車は
やがて大きく開けた場所へと出た。
「おお……」
思わず、カイの口から声が漏れる。
その先に広がっていたのは
これまで日本で見てきた川とは
比べものにならないほど広い大河だった。
川幅は遥か彼方まで続き
ゆったりとした水面が陽の光を受けて
無数の細波にきらめきを散らしている。
その川沿いには大小さまざまな船が並び
荷を積む者、降ろす者、行き交う人足たちの声が
遠くまで賑やかに響いていた。
「ここが王都西河港か……」
サンが旅車の窓から身を乗り出し
目を細めて眺める。
「そうじゃ。ここから先は船の旅になる」
ボルクが、こともなげに答えた。
岸壁には、大きな木造船が何隻も停泊している。
中でも一際目を引いたのは
屋根付きの甲板を備えた中型の船だった。
幅のある船体に一本の帆柱が立ち
船の中央には乗客が雨や日差しを避けられるよう
布張りの屋根が設けられている。
船尾では船員らしき男が、何かの魔導具を操作していた。
「風魔法で動かす船じゃ」
ボルクが、その様子を見ながら説明する。
「風魔法?」
サンが首を傾げた。
「ああ。あの船の船底にはな、左右に一本ずつ
計二本の『風導管』という特殊な管が通っておる。
あそこに魔導師が風魔法を流し込むと
管の先端から水の中へ強い風を吹き込む仕組みじゃ。
水を船尾へ押し出す、その反動で船が前に進む」
「風を、水に……?」
サンが興味深そうに船尾を見つめる。
「そうじゃ、帆で風を受けるのとは違う
風の力を、直接水を押す力に変えておるんじゃよ。
風魔法は、便利じゃなぁ〜」
ボルクが指で宙に流れを描いて見せる。
「……」
カイは興味深そうに船を見つめながら
内心で考えを巡らせていた。
帆は張られているものの、風はそれほど強くない
それでも船は、ゆっくりと岸から離れていく。
水面を滑るように進む船の後ろで、白い水飛沫が細く伸びていた。
サンも旅車の中から、その光景に見入っていた。
「旅車では越えられん場所も、船なら進めるということじゃ」
ボルクが笑った。
三台の旅車は港の一角へ入り、ゆっくりと停車する。
「到着しました!」
先頭の御者の声が響いた。
長い旅を続けてきたヒッポスが、低く唸りながら足を止める。
ガタッ――。
旅車が最後に小さく揺れた。
カイが外へ出ると、川から吹いてくる風が頬を撫でた。
水と木材、そして荷物を運ぶ人々の活気が混じった
港独特の空気だった。
「ここから船か……」
サンは目の前に広がる大河を見つめる。
その向こうには、まだ見ぬ土地が広がっている。
「さて……次は船を探すとするかのぉ〜」
ボルクが荷物を確認しながら立ち上がる。
「船なら、こちらに近づいてきてますよ」
サンが指を向けた先、先ほどの風魔法で動く船が
ゆっくりとUターンし、下りの岸へと停船するところだった。
――――
乗船手続きを済ませ、一行はいよいよ甲板に足を踏み入れた。
板を踏むたびに、ぎしりと軋んだ音が鳴る
使い込まれた木の匂いが、鼻先をかすめた。
「今回は下りの便じゃからな」
ボルクが木の階段を踏みしめながら言う。
「下りは基本、川の流れと風だけで進む。
魔導師が力を使うのは、風が弱い時と
船を止める時くらいのものじゃ」
「じゃあ、上りは違うんですか?」
サンが尋ねる。
「船は同じだが、上りはまるっきり別物じゃ。
セイルアビスに着いたら、その時に説明してやろう」
ボルクが、口の端に不敵な笑みを浮かべた。
船首側に設けられた客席には
すでに何人かの旅人が腰を下ろしている。
荷物を膝に抱えた商人風の男
居眠りをしている老婆、子供を連れた家族連れ
――それぞれが思い思いの時間を過ごしていた。
風魔法を使う船員――魔導師の男が
船尾で軽く手を上げ、笑顔で挨拶をした。
その笑顔はぎこちなく、頬にはうっすらと赤みが差し
額には汗の粒が浮かんでいる。
挨拶を終えると、男はすぐに手すりに
寄りかかるようにして体を支えた。
「本日はご乗船ありがとうございます。
下り便の船長を務めます、ウェイドと申します」
壮年の男だった。
年の頃は四十路の半ばといったところか
日焼けした顔に刻まれた皺が
この大河を生きてきた男の誇りを物語っている
人当たりの良さそうな笑みを浮かべていた。
やがて、出港の合図とともに、船体がゆっくりと岸を離れていく。
川の流れに乗った船は、思ったよりも速い速度で滑り出した
両岸の木々が、次々と後方へと流れていく。
「船も思ったより快適じゃろ」
ボルクが甲板の手すりに寄りかかりながら呟いた。
風がほとんど吹いていないにもかかわらず
船は淀みなく進んでいく。川そのものの流れが
想像以上に強いのだろう。
カイは船縁から身を乗り出し、水面を覗き込んだ。
「気持ちいいですね」
透き通った水の底に、小魚の群れが陽を反射して輝いている。
銀色の鱗が、まるで無数の光の粒のようだった。
「そうだね」
サンも目を細めて、流れゆく景色を眺めていた。
――――
だが、その穏やかな時間は、長くは続かなかった
出港から一刻ほど経った頃だろうか
船尾の方から、誰かの短い呻き声が聞こえた。
「……っ」
乗客の一人が振り返る。見ると、魔導師のリオンが
風導管の操作盤に手をついたまま、片膝をついていた。
「リオンさん!?」
近くにいた船員が慌てて駆け寄る。
「な、なんでもない……ちょっと立ちくらみが……」
そう言いながらも、リオンの顔色は明らかに悪かった
額には脂汗が浮かび、呼吸も浅い
手すりを掴む指先が、小さく震えていた。
「船長!こっちに来て下さい」
船員の叫び声に、操舵室から船長が飛び出してきた。
「どうした!」
「リオンさんの様子が……」
船長がリオンの顔を覗き込んだ瞬間
その表情が一気に険しくなった。
「お前、いつからこんな状態だったんだ!」
「す、すみません……船に乗る前から、少し熱っぽくて……」
「なんで早く言わないんだ!ポーションは飲んだのか?」
船長の怒声が甲板に響いた、乗客たちが、一斉に息を呑む。
「船長、申し訳ありません。
ポーションを切らしていました」
船員が頭を深く下げた。
「今からセイルアビスまで、まだ距離があるが
停船の際に、風導管に魔法を流して
船足を緩めなきゃならんのに……
このままじゃ、まともに止まれないぞ!」
船長の顔から血の気が引いていく
川の流れは決して穏やかなものではない。
減速の魔法なしに接岸すれば
船体が桟橋に激突しかねなかった。
甲板を見渡した船長の視線が
縋るように乗客たちへと向けられる。
「どなたか……この中に
聖魔法を使える方はいらっしゃいませんか!
リオンの容体を診ていただきたいのです!」
甲板に、重い沈黙が落ちた。
波の音だけが、やけにはっきりと聞こえる。
誰も名乗り出ない。
商人風の男が視線を逸らし
荷物を抱え直すように身を縮めた。
居眠りをしていた老婆は目を開けたまま
硬く唇を結んでいる。
子供を連れた母親は、子どもの頭を自分の胸に引き寄せ、
小さく「大丈夫よ……」と繰り返すように囁いていた。
船長の額に、じわりと汗が滲んでいく。
「このままでは、まともに止まれん……」
低く漏れた声が、甲板に重く沈んだ。
リオンの呼吸が、また浅く乱れる。
船員が焦った様子で船長の袖を掴んだ。
「船長、どうしますか……このままでは桟橋に……」
船長は歯を食いしばり、もう一度甲板を見渡した。
縋るような目で乗客たちを見回すが
誰一人として動かない。
時間だけが、無情に過ぎていく。
「……仕方ないわね」
その時、静かな声が上がった。
サンだった。小さくため息をついてから
一歩前に進み出る。
「私が、使えます」
「本当ですか!?」
船長の顔に、一気に光が差した。
サンは苦笑いを浮かべながら
隣で目を丸くしているボルクへと向き直った。
「ボルクさん、隠していてすみません」
「いやぁ〜構わんよ」
ボルクは肩をすくめながら、どこか楽しそうに笑った。
「いらん気を回させてしまったようだな……。
まさかお主が聖魔導師だったとはな」
サンはリオンの傍らに膝をつくと
両手をそっとその胸に当てた。
「少し、失礼するよ」
淡い光が、サンの手のひらから広がっていく
柔らかな光の粒子が、リオンの体を包み込むように舞った。
リオンの荒かった呼吸が、少しずつ落ち着きを取り戻していった。
頬に差していた赤みが引き、額の脂汗も乾いていく。
数分後には、目に力が戻り、しっかりとした瞳で
サンを見つめられるようになっていた。
「……すみません、少し休めば大丈夫そうです」
リオンが、まだ弱々しい声で呟く。
「無理しないで。
まだ完全じゃないから、しばらく座っていて下さい」
サンが穏やかにそう告げると、リオンは素直に頷き
船員の肩を借りながら操舵室の脇へと腰を下ろした。
船長のウェイドが、詰めていた息を大きく吐き出す。
「助かった……本当に助かりました」
その声には、心底からの安堵が滲んでいた。
――――
船は再び、川の流れに乗って進み始めた。
風はやはり弱いままだったが、それでも船足は衰えることなく
悠々と水面を滑っていく。
両岸に広がる景色が、少しずつ移り変わっていった。
最初は平坦だった土地が、やがてなだらかな丘陵に変わり
遠くには薄青い山並みが霞んで見え始める。
「セイルアビスが近い証拠じゃな」
ボルクが、水面を見つめながら呟いた。
川の流れは、下流に近づくにつれて緩やかさを増していく。
時折、対岸から別の船がすれ違い
乗客同士が手を振り合う光景も見られた。
夕暮れが近づいてきた頃
遠くに石造りの塔がいくつか見え始めた。
「あれが……」
カイが目を凝らす。
塔の先には、川沿いに広がる大きな町並みが姿を現し始めていた。
屋根の色も、王都のものとは違う、赤茶けた屋根が連なっている。
「あれがセイルアビスじゃ」
ボルクが、目を細めて答えた。
船は速度を緩めることなく
しかし着実にその町へと近づいていく。
船尾では、体調を取り戻したリオンが
静かに次の操作の準備を始めていた。
額にはもう、汗の粒はなかった。
やがて、船着き場が見えてくる。
桟橋には、すでに何人もの人が船の到着を待っていた。
「停船するぞ、みんな掴まっておれ」
ボルクの声に、乗客たちが手すりをしっかりと握る。
リオンが風導管の操作盤に手をかざすと
淡い緑色の光が管の中を巡っていく。
船首側の風導管から、逆向きの風圧がゆっくりと吐き出され
船の勢いが少しずつ削がれていった。
ゴォ……という低い音とともに、船体が滑らかに減速していく。
「よし、いいぞ」
ウェイドが、操舵輪を握りながら小さく頷いた。
船は最後の力を使い切るように速度を落とし
静かに桟橋へと吸い寄せられていく。
トン、という軽い衝撃とともに、船が完全に停まった。
「セイルアビス、到着だ!」
ウェイドの声が、甲板に響き渡った。
――――
無事到着すると、船長のウェイドとリオンが見送りに現れた。
「サンさん、本日は本当にありがとうございました。
こちら、ほんの心ばかりですが旅の足しにしてください」
ウェイド船長は深く感謝を込めながら、金貨を一枚差し出した。
「リオンさん、その後はどうですか?
大した治療じゃありませんし、気にしないでくださいね」
サンが優しく声をかける。
「はい、おかげさまで熱もすっかり引きまして。
仕事にもまったく支障はありませんでした」
リオンは安堵の混じった晴れやかな顔で微笑んだ。
「遠慮せずにもらっとけ。
無事に着けたのはお前さんのおかげじゃ
……なに、旅の道中は何かと入用になるからのう」
ボルクが豪快に笑い声を立てる。
「ありがとうございます。
ありがたく使わせていただきます」
サンは柔らかな笑みを浮かべ
金貨を大切そうに受け取った。
金貨一枚は助かったと内心ほっとしていた。
「セイルアビスに着きましたね。
まずは宿を探しでしょうか?」
するとボルクが、荷物を肩に担ぎ直しながら豪快に笑った。
「宿は、わしの村まで来ればただで泊めてやる」
サンが少し驚きの表情を浮かべる。
「ボルクさんの村ですか?」
「そうだ。ここからそれほど離れておらんからの
旅車ですぐの場所じゃて」
サンが小さく頷いてから、カイにだけ聞こえる声で通訳する。
「ボルクさんの村まで行けば、宿代はいらないみたいだ
ここから旅車ですぐの場所だとか」
「……」
カイは静かに頷いた。
「ああ。腹も減ったし
まずは腹ごしらえをしてから向かおうかのぉ〜」
ボルクが続けて言う。
サンも小さく息を吐き
初めて見る赤茶けた屋根の町並みを見つめた。
セイルアビスの街が、静かに彼らを迎えていた。
港町の夜は、昼の航海に負けないほど活気に満ちていた。
海鳥の鳴き声と潮風が吹き抜ける
大衆酒場『潮騒の舵亭』は
仕事を終えた漁師や旅の冒険者たちで
立錐の余地もないほどに賑わっている。
「はいよ!お待ちどう。大イカの吸盤唐揚げに
ルミナス・フィッシュのカルパッチョ
それと大蟹のボイルだ!」
恰幅の良い給仕の女性が
湯気を立てる大皿を木樽のテーブルへ豪快に置いた。
「おおっ、美味そうじゃ!」
ボルクが白髭を揺らし、待ちきれないとばかりに
大蟹の殻をパキリと割る。
赤く茹で上がった身は、大ぶりで実に引き締まっていた。
「このルミナス・フィッシュのカルパッチョも
大イカの唐揚げも、すべて高名なナッシュヘルトの料理人が
考案したメニューだそうでな。この港町の名物なんじゃよ」
「ちなみにその大イカは、クラーケンの子供じゃ
小さいうちに獲らんと、大きくなったら手に負えんからな。
若いうちの身が一番美味いんじゃよ」
ボルクの言葉に、サンが大蟹のボイルを見つめながら
ふと小首を傾げた。
「……あの、ボルクさん。もしかしてこの蟹も
魔獣の子供だったりするんですか?」
「おっ、よく気づいたな!察しがいいわい
そいつもカルキノスの子供じゃよ。
親玉は一隻の船をハサミで真っ二つにするような化け物じゃが
子供のうちは殻も柔らかくて、こうして茹でると最高に出汁が出るんじゃ」
ボルクの言葉通り、大イカの吸盤唐揚げは外がカリカリ
中はジューシーに仕上げられ、噛むほどに旨味が溢れる。
カルキノスのボイルも、身の甘みと濃厚な蟹味噌が絶品だった。
ボルクが、不意に首を傾げて厨房の奥へと向かって声を張り上げた。
「親父!いつものウミヘビの料理はないのか?」
奥から顔を出した頑固そうな料理人が、ふいと頭を振る。
「今日は残念だが水揚げがなかったからな……勘弁してくれ」
「そうか、そりゃあ惜しいことをした」
ボルクは肩を落とし、カイたちを振り返って苦笑いを浮かべた。
「ちなみにそのウミヘビは、ヒドラの子と言われているからな。
ぜひお前達に食べさせてやりたかったが残念じゃ」
「まあ〜子供と言うのは間違いかもしれんが
そいつらが何百年何千生きればクラーケンやカルキノス
ヒドラになると言われているからな……
わしですら一度も出会ったことはないからな、安心せい」
クラーケンにカルキノス、果てはヒドラの料理まであるのか……
運ばれてきた料理の正体を脳内で並べ立て
カイは引きつった笑みを浮かべた。
唐揚げにシトルの実を絞りながら
隣のサンにしか聞こえないような小声で呟く。
「まるで怪獣大戦争だな……」
もう一つのルミナス・フィッシュは深海に棲む魚で
体内の残留魔力によって捌かれてからも数時間は輝き続けるという。
薄暗い夜の酒場で幻想的に揺らめくその姿は
旅人の目を引く大人気の『映える』メニューだった。
「へぇ……!」
サンが感心しながら、カルパッチョへフォークを伸ばした。
「綺麗ですね。……わあ、見た目に反して
コリコリとした歯ごたえですごく甘みがあります」
カイもまた、光る生魚の薄切りを口へ運ぶ。
(……美味いな。生臭さがまったくなくて
柑橘系のソースとよく合っている)
二人が何気なく、そして美味そうに
カルパッチョを咀嚼する姿を見て
ボルクはふと、不思議そうに目を丸くした。
麦のエールのジョッキをテーブルに置く。
「……ん?お前さん達、それ、生魚じゃぞ?驚かないんじゃな」
「えっ?あ、はい。美味しいですよ?」
サンが首を傾げると
ボルクは髭をさすりながら感心したように声を漏らした。
「いや、みんな最初は『魚を生で食うなど狂気の沙汰だ』と
驚くんだが……お前さんたちは生は平気なんだなぁ〜
わしも最初は気持ち悪かったんだが
今じゃこの美味さが癖になっておる。
お前さんたちは大した肝っ玉じゃわい」
カイは内心で(前世じゃ刺身なんて日常茶飯事だったからな……)と
苦笑しながら、話を昼間の魔導推進船へと戻すことにした。
「サンさん。さっきの上り船のことなんですけど……
ボルクさんに聞いてもらえませんか」
賑やかな店内の喧騒に紛れるよう
カイが声を潜めてサンへと囁いた。
「ボルクさん、セイルアビスに着いたら
教えてくれると言っていた上り船のことを
詳しく教えてもらえませんか」
サンが尋ねる。
「あぁ〜そうじゃったな、あの風魔法の船が気になるか?」
嬉しそうに目を細め、手元の大蟹の殻をパキリと割りながら
ボルクが朗々と語り出した。
「あれはな、川の流れに逆らって遡る『上り便』を動かすために
考えられた特別な仕組みなんじゃよ。
下り便なら川の流れに身を任せればいいし
風魔法は停まる時だけでいい、じゃが上りはそうはいかん」
空いた方の手で、宙に二本の線を引くように指を動かしてみせる。
「あの船の船底にはな、左右に一本ずつ計二本の
『風導管』という特殊な管が通っておると言ったと思うが
上り船は、そこに二人の魔導師が同時に風魔法を送り込み
その風圧を水中へ直接噴射して、水を後方へ押し出すことで
船を前進させておるんじゃ、風が利用できる時は帆も併用するが
基本はその風魔法が生命線じゃな」
「同時に二人も魔導師が必要なんですね……」
サンの言葉に、ボルクは深く頷いた。
「そうじゃ。しかも魔法を維持し続けるのは重労働でな。
船には計三人の魔導師が乗っておって
二人が魔法を使っている間、残りの一人は休憩じゃ。
そうして交代しながら航行する。
……ただ、これには色々と大人の事情も絡んでおってな」
エールのジョッキを煽り、少し声を潜める。
「下り便に乗ってこっちの港へやってきた魔導師たちが
今度は上り便の動力源としてそっくり入れ替わりで
乗り込む循環になっておるんじゃが
何せ常に三人の魔導師を拘束するじゃろ
だから上り便は運賃が下り便よりずっと高いし
便数も下りの三分の一程度しか出せんのじゃよ。
いやはや、仕組みとしては合理的じゃが
財布には優しくない船旅じゃな」
ガハハと笑い、再び料理へと手を伸ばした。
「なるほど、お高くて貴重な便なんですね……」
サンが感心したように、目を輝かせる。
だが、ボルクの解説を聞いたカイは
密かに顎に手を当て、思考の海へと沈んでいた。
(魔導師が三人も必要で、常に交代しながら魔法を使い続ける……。
仕組みとしては力技だし、何より人件費と魔力消費のコスパが最悪だ。
下り便の魔導師をそのまま労働力として循環させるシステムは
よく出来ているけど、やっぱり燃費が悪すぎる……)
カイの脳裏を過ったのは、前世の記憶――
子供の頃に画面越しに観た、古い大河の映像だった。
船尾に据え付けられた巨大な木製の水車が
蒸気を動力とし豪快に水を掻き回し、白い飛沫を上げながら悠々と
泥川を遡上していく――そんな『外輪船』の姿だ。
(もし、風じゃなくて『火』を使ったらどうだ?
火魔法なら水を沸かし、蒸気を動力にできると思うが……
蒸気機関なら、水を沸騰させるだけの魔力があれば
あとは蒸気圧が勝手に大出力でピストンを動かす。
魔導師が二人がかりで魔法を撃ち続けなくても
物理的な大パワーで水車を回せる。
これなら、必要な魔導師の人数を減らせるか
あるいは魔力の消費を節約して運賃を
下げられるんじゃないか……?)
「サンさん」
カイが小声で話しかけた。
「なに?」
(ただこの世界にピストンがあるのか……)
「いや……やっぱりいいです」
カイは今はまだ言わない方が良いと思い
言葉を飲み込んだ。
ーーーー
食事を終え、ボルクが席を立つと
勘定台へと真っ直ぐ向かった。
「ここは、わしが持つ」
財布から銀貨を取り出し、恰幅の良い女将へと手渡す。
「ボルクさん、ご馳走様でした」
サンが丁寧に頭を下げる。
カイも並んで、ぎこちなく頭を下げた。
「なに、たいしたことはない。
さぁ、行こうか」
ボルクは酒場の扉を押し開け
夜の潮風の中へと足を踏み出した。
外に出ると、ボルクは通りの向こうを指差した。
「わしの知り合いにおくってもらうから、ついてきな」
その先には、旅車の脇で荷を積み込んでいる
恰幅の良い中年の男の姿があった。
「よぉ、トマス。相変わらず忙しそうじゃな」
ボルクが声をかけると、トマスが振り返り
白い歯を見せて笑った。
「おお、ボルクじゃないか!久しぶりだな」
「わしらを、グレンヴィルまで乗せてくれんか」
「ちょうど、これから村へ帰るところだったんじゃ
荷台でよければ構わんぞ」
トマスは旅車の荷台を軽く見やった。
空になった木箱がいくつか積まれているだけで
昼間の商いを終えた後の身軽さが感じられた。
「トマスは、ここセイルアビスで八百屋を営んでおってな」
ボルクがサンとカイに向かって説明する。
「じゃが、地元のグレンヴィルの村では魚屋もやっておる。
二つの街を行き来しながら、こっちの魚を地元で売り
あっちの野菜をこっちで売る、というわけじゃ」
「なるほど、それでこうして旅車で……」
サンが感心したように、荷台の木箱を見つめた。
「さあ、乗ってくれ。夜も更けてきたし
村までは少しかかる」
トマスに促され、サンとカイは荷台へと乗り込んだ。
ボルクも軽い身のこなしで飛び乗り
御者台のすぐ後ろに腰を下ろす。
「よし、出すぞ」
トマスが手綱を軽く振ると、旅車がゆっくりと動き出した。
空になった木箱が荷台でかたかたとおかしな音を立て
夜風には潮の香りが漂っていた。
セイルアビスの町灯りが、少しずつ遠ざかっていった。
荷台の隙間から見上げる夜空には
町灯りに負けないほどの星々が瞬いている。
「グレンヴィルまでは、もうひと息じゃ」
ボルクが、満足げな笑みを浮かべながら星空を見上げる。
ガタゴトと車輪の音を響かせながら
旅車は夜道を静かに進んでいった。
第121話
幕間「魔導推進船と怪獣晩餐」
お読みいただきありがとうございます!
今回は王都西港から船旅、そして港町での一夜という
旅情豊かな回になりました。
魔導推進船の仕組みは、書いていて特に力を入れた部分です。
風魔法を使った船の推進原理を丁寧に描くことで
この世界の技術体系にリアリティを持たせたいと考えました。
そしてその技術が、リオンの体調不良という
予期せぬ事態に……
サンが聖魔法の使い手であることを
隠していたということを明かすことで
どのような展開になっていくのか……
『潮騒の舵亭』での食事シーンは
この世界における「魔獣と食」の関係を
掘り下げる良い機会になりました。
クラーケンやヒドラといった伝説級の魔獣の幼体が
庶民の食卓を彩る食材として親しまれている
この発想は、恐怖と豊かさが表裏一体である
この世界観をより立体的にできたと思います。
そして終盤、カイの中で静かに芽生えていく「蒸気機関」の着想。
前世の記憶と目の前の技術が結びついていく過程は
この物語の核となる要素の一つです。
次回も幕間の続きとなります。
カイがいかにして地球の技術をこの世界に
持ち込むのかを書いていこうと思っています。
引き続きどうぞよろしくお願いします!




