霧の向こうへの決意と振り分けられた背中 第114話
一瞬、副庭を包んでいた張り詰めた空気が揺れた。
みなが息を潜めてカイチの説明に聞き入っていた
……その時だった。
「そこは俺の故郷だ!」
ゴリムが突然叫んだ。
その声には、これまで誰も聞いたことのない切実さが滲んでいた。
「ゴリム……故郷とはどう言うことだ」
場を沈めるように、園長が優しく問う。
「……」
ゴリムは思わず発した言葉に戸惑っていた。
「ゴリム、話したくないなら
無理に話さんでいいぞ……」
カイチが人の言葉で話しかけた。
「おっ、俺はそこで生まれました。
そこは魔獣にとっての最後の楽園です」
絞り出すように、ゴリムが語り始めた。
「それなら……なぜお前はここにいるんだ?」
ガルドが疑問をぶつけた。
「それは……外の世界を見てみたいという
好奇心からです」
丁寧に言葉を選びながら、ゴリムが答える。
「好奇心……?」
ガルドが呟く。
「ガルドさんも、知らないことを知りたいと
思うことがありますよね?
その心こそが好奇心です」
ニコがわかりやすく説明した。
「そうか……それなら俺の心は
好奇心でいっぱいだ」
笑顔で、ガルドが告白した。
副庭に小さな笑い声が連鎖し
張り詰めた緊張の糸がわずかにほぐれた。
「僕もです」
ニコが手を挙げる。
「俺もだ!」
ザックが続いた。
「親からエデンは、恐ろしいところだと
教えられていたが……好奇心を抑えることが
出来ず山を降りた」
ゴリムが続けた。
「エデン……」
園長が呟いた。
「エデンとはこの辺りのことだ。
人間が入って来る前のここは
多くの魔獣の暮らす豊かな土地だったはずだ。
園長、お前も言っていただろう。
エデンの東にあるデュダインと……」
カイチが静かに補足する。
「そういうことか……」
園長が頷き、納得した。
「山を降りると、見るもの全てが眩しく感じた。
一番感動したのは食べものだ!
種類の多さにも驚いたが、一口食べると
あまりのおいしさに手が止まらなかった。
デュダインでも食べものに不自由はしなかったが
おいしいと思ったことはあまりなかったからな……」
懐かしむように、ゴリムが目を細めた。
「ゴリムらしいな……」
ガルドが呆れたように言った。
「あぁ〜それでまんまと捕まって、今ここにいるんだがな」
ゴリムが苦笑しながら言い返す。
そのやり取りに、張り詰めていた空気が少しだけ緩み
小さな笑い声が漏れた。
「ベヒモスですが、デュダインには
三体のベヒモスがいました。
カイチさんが言っていたような
山のように大きな魔獣ではありませんでした」
真剣な表情に戻り、ゴリムが続きを語る。
「そうなのか?」
園長が眉をひそめて聞き返した。
「はい、大きな魔獣ではありますが……。
カイチさんの体の三倍から五倍くらいだと思います」
「カイチの五倍! 十分すぎるほど大きいではないか……」
額に手を当て、園長がガクリとうなだれた。
「昔の話だが……俺は知らないうちに奴の上空を飛んでしまい
急に浮力を失って地面に叩きつけられた経験があるぞ。
……だが、そこは地面ではなく奴の背中だった。
その時、足元の地面がゆっくりと下がっていく感覚があった。
おそらくだが、落下した俺を衝撃から守るために
奴が自ら背を低くして受け止めてくれたのだと思う。
命からがら、俺は歩いてその場から逃げたんだがな……」
遠い目をしながら、アンズーが過去を振り返る。
「間違いない、それは奴の背中だ。
奴の巨体は一キロから三キロほどではないかと言われている。
正確に測った訳ではないから定かではないがな」
カイチが低い声で補足した。
「三キロですか……?」
通訳をしながら、ニコはあまりのスケールの大きさに
自分の発した言葉に思わず絶句した。
「先ほどアンズーが言っていたのは誇張でも何でもない本当の話だ。
奴の周りでは魔法も精霊の加護も一切が消し去られてしまう。
だから、ニコの持つ不思議な剣も使えないぞ」
苦い顔で、ニコは淡々と通訳した。
「一つ質問だが、お前たちは蟻と戦えるか?」
カイチの唐突な質問に、ニコは少し首を傾げながら訳す。
「蟻なんか小さすぎて、すぐにいなくなるし
戦える訳ないじゃないですか……」
ゴリムが不思議そうに答えた。
「そうだろ、それがベヒモスから見た俺たちの姿だ。
だから奴は、普段は三体の分身を用いて
デュダインの聖域を守っている。
我らが相対することになるのは、その分身体だということだ」
カイチの真意を汲み取り、ニコが一同に伝える。
「確かに……だから俺は、あそこにいた時も
一度も本来の本体の姿を見たことがなかったんだ」
ゴリムが納得したように呟く。
「ゴリムさん、それは少し違うと思いますよ。
姿そのものは見ていたはずですが
あまりに大きすぎて全体を把握できず
山だと勘違いして気づいていなかっただけですよ」
ニコが丁寧に説明した。
「ニコ、お前頭いいな」
ゴリムが感心したように声を漏らす。
「ここからが本題だ。
ベヒモスの分身体との交渉は、おそらく間違いなく決裂する
……それほど、奴らの人間に対する不信感は根深いということだ」
もといた世界で人間が犯してきた過ちを思い出し
ニコは少し切なそうな顔をしながら訳した。
「戦いになれば、純粋な力の勝負となる。
それは正面からの力比べではなく
巨大な体を利用した『押し合い勝負』になるということだ。
相手の巨体を巧みに誘導し、その場にある深い亀裂へと誘い込んで
落とすことで、傷つけずに無力化したい」
全員の顔を見回しながら、ニコが通訳する。
「カイチ、そんな作戦で本当にうまくいくのか?」
腕を組み、真剣なまなざしで園長が尋ねた。
「都合よく丁度いい亀裂を見つけることができれば
作戦の成功確率は跳ね上がるはずだ。
なにせ奴らは巨体に比べて手足が短いからな。
一度落ちれば自力で這い出すことは不可能だ」
カイチの自信ありげな説明を
ニコがしっかりとした口調で訳した。
「一度空から偵察して場所を確認できれば
いいんだがな……」
園長が呟いた。
「私が偵察に行きましょうか?
私なら影響を受けずに上空を飛べるのでは」
シルヴァが偵察を志願した。
「確かに、シルヴァなら可能かもしれんな。
アンズー、途中まで護衛してやれ」
カイチが命じた。
「えっ、俺がいくのか……」
アンズーが渋る。
「シルヴァが浮力を失ったら、自力で帰って来るのは困難だ。
お前なら浮力を失っても連れて帰って来れるだろ」
「わかったよ……」
アンズーが観念したように呟いた。
「交渉は人間抜きの魔獣選抜が行うこととする。
人間選抜は外で待機だ。
戦いになれば我とアンズーが対応する。
他の魔獣は相手の魔獣への対応を頼む。
戦いを挑んできても怪我をさせるんじゃないぞ」
カイチの説明を、ニコが丁寧に通訳した。
「以上だ。
園長選抜は園長に任せる」
カイチが締めくくった。
「待ってくれ、カイチとアンズーだけでは
力負けするかもしれん、わしも参加させてくれ。
ドワーフのわしの力なら、お前たちに引けは取らん」
ヴォルンが申し出た。
「確かに……押し返す力が強ければ強いほど
いなした時の成功確率は高くなる。
ドワーフの力が加われば力負けはしないな。
よかろう、参加を認める。頼んだぞヴォルン」
カイチが納得し了承した。
「カイチ、ありがとう。もう一ついいか?
アイアン・デュークの原生林が存在するなら
『黒曜石』が眠っている可能性が高い。
作戦が成功したらでいいんだが……
こちらの採掘もお願いしたい」
「鍛治師と言う奴は欲張りだな……
わかった、成功したらくれてやる。
園長それでいいな」
「構わん、採掘は任せてくれ」
園長が承諾した。
「園長、約束の酒を前払いでもらえないか?
親父のところで盾を調達したい。
アンズーも貸してもらいたいんだが」
申し訳なさそうに、ヴォルンが頼み込む。
「俺も領主とギルド長に報告したい。
一緒に連れて行ってやる、それでいいな」
園長が答えた。
「それで構わん、感謝する」
ヴォルンが頭を下げて感謝した。
「話が逸れたが、魔獣選抜のメンバーを伝える。
ガルド、クレイグ、モルダ、ホブゴブリン
フィグ、コボルトだ。
シルヴァは浮力に影響がないなら
上空から情報を伝えてほしい。
以上が魔獣の選抜メンバーだ」
「続いて人間選抜のメンバーを伝える。
まず園長の俺だ、クルツ、ベイル、カイル
ザック、ベルモット、アカネ、サン
以上が人間の選抜メンバーだ」
「カイチ、アンズー、ヴォルンは
交渉部隊を担ってもらう」
「ニコ、ゴリム、ルーナは
人間選抜に同行してほしい」
「園長、俺は魔獣ですよ……」
ゴリムが困惑した様子で言う。
「そうだが……今の姿のお前が故郷に
戻ったら相手を刺激することになりかねん
……申し訳ないが我慢してくれ」
園長が理由を説明した。
「ニコもルーナも同じような理由だ
人間に近い魔獣は人間選抜に同行とした。
忙しい中集まってもらって感謝する。
持ち場に戻ってくれ」
園長が締めくくった。
集まっていた面々が、ゆっくりと腰を上げていく。
誰も、多くを語らなかった。
先ほどまで飛び交っていた質問や不安の声は
いつの間にか鳴りを潜めている。
副庭に響くのは、ただ土を踏む足音だけだった。
夕暮れの光が、長く伸びた影を石畳の上に落としている。
誰もが、それぞれの重みを抱えた背中が揺れながら
それぞれの持ち場へと、静かに散っていった。
第114話
霧の向こうへの決意と振り分けられた背中
お読みいただきありがとうございます!
今回は、前回の情報開示編から一歩進み
実際のデュダイン攻略に向けた作戦の全容が固まる回になりました。
ベヒモスの正体が「三体の分身体」であるという展開は
この物語を書いている中でも特に力を入れたひねりです。
「山のように大きい」という漠然とした恐怖から
「カイチの三〜五倍」という具体的でありながらも
十分に圧倒的なスケールへと再定義することで
これから始まる作戦がただの無謀な挑戦ではなく
綿密な計算のうえに成り立つものだと
感じてもらえたら嬉しいです。
アンズーの過去の回想
——ベヒモスの背中に受け止められたエピソードは
実は次の展開への大切な布石です。
この巨大な存在が、単なる脅威ではなく
根底に優しさを持つ相手であることを
説明ではなく体験として語らせたいと思って書きました。
そして今回のクライマックスは
やはり魔獣選抜と人間選抜の発表シーンです。
ゴリム、ニコ、ルーナが「人間に近い魔獣」として
人間選抜に組み込まれる采配には
園長なりの気遣いと戦略眼の両方を込めたつもりです。
ゴリムが「俺は魔獣ですよ」と戸惑う場面には
彼の中にある故郷への複雑な思いも滲ませています。
最後の解散の場面は、あえて台詞を減らし
それぞれの後ろ姿だけで心情を伝える形にしました。
——言葉にならない緊張と決意を
静かな描写で受け取っていただけたら幸いです。
次回どうぞ楽しみにお待ちください!




