最高峰の剛弓と最高の朝食 第109話
「ゴリムさん〜! 朝食の時間ですよ〜!」
ニコが大きな声で呼びかける。
「おぉー! 先にいってくれていいぞ。
もう少し頑張ってみるから」
ゴリムが真剣な眼差しで答えた。
「ザックさん、一緒にきてもらっていいですか?」
ニコがお願いした。
「いいですが、なんでしょうか?」
ザックが尋ねる。
「ゴリムさん、自分一人で考えてやっているんですが……
ザックさんが教えてくれるなら
変な癖がつかない方が良いと思いましたので」
ニコが真意を告げた。
「そう言うことですか」
ザックが納得したように頷く。
「ゴリムさんに、ザックさんが弓の基本を
教えてくれるのを伝えたいんです」
ニコが説明した。
「わかりました、行きましょう!」
ザックが快く了承した。
「ゴリムさん、その辺で終わりにしませんか。
午後からこちらのザックさんが弓の基本を
指導してくれますよ」
ニコが声をかけた。
「えっほんとか!弓は難しくて……
どうやったらいいかもわからないし……」
ゴリムが珍しく苦戦している。
「器用なゴリムさんが弱音なんて
……珍しいですね〜」
ニコが茶化すように言った。
「ニコさん、弓は難しいですよ」
ザックが苦笑いするゴリムを見つめながら言った。
「素人が誰にも教わらず、独学で覚えようとするのは
無謀と言ってもいいくらいなんです」
「そうなんですか?」
ニコが首を傾げる。
「一人で闇雲に引いていると、まともな矢が
放てるようになる前に、体を壊しますよ」
ザックが淡々と続けた。
「弦が顔や腕を強打すれば、肉が裂けます。
間違った引き方を続ければ、骨格が歪んで
二度と弓が引けなくなることもあるんです」
「そんなに、危険なんですか……」
ゴリムが自分の腕を見下ろす。
「何より恐ろしいのは、弓を引いている最中の
自分の姿は、自分では絶対に見えないということです」
ザックの声が、少し低くなった。
「体のズレや悪癖に、自分で気づくことは不可能です。
一度ついた変な癖は、骨に染み付いて
一生直らなくなります」
「……」
ゴリムが黙り込み、自分の大きな手を見つめる。
「だから、ニコさんが止めにきてくれたのは
正解ですよ」
ザックが締めくくった。
「変な癖がつく前に、正しい基本を
他人の目で叩き込むのが一番の近道ですから」
ゴリムは深く頷き、まだ自分の手を見つめていた。
「――ちょっと、ゴリムさん!
右腕、怪我してるじゃないですか!」
ニコが悲鳴のような声を上げ
ゴリムの右腕を指差した。
言われて一同が視線を落とす。
弓をしっかりと握りしめていたはずの
ゴリムの右の前腕の皮膚が
真っ赤に腫れ上がって裂けていた。
激しく打ち付けられたような痛々しいミミズ腫れから
じんわりと血がにじんでいる。
「あ、ああ……これか」
ゴリムはぶっきらぼうに言って、腕を隠そうとした。
「さっき、弦がパチンと弾けた時にちょっとな。
大したことは……」
その指先が、かすかに震えていた。
右手に弓を持ち、左手で弦を引き絞る。
自分なりのやり方で力任せに引いていた。
放した瞬間、暴れた弦が
逃げ場のない右腕を容赦なく直撃したのだ。
(弦が腕を叩けば肉が裂ける)
ザックの言葉が、今になって
ゴリムの脳裏に恐ろしい現実味を持って押し寄せていた。
大げさな脅しでも何でもなかった。
たった今、自分の身に起こりかけている危機の
ほんの入り口に過ぎなかったのだ。
今までどんな道具も器用に使いこなしてきた自負があった。
だが、この「弓」という単純な竹と紐の塊は
一歩間違えれば凶器となって、自分自身に牙をむく。
目に見えない自分の姿勢の歪みが
そのまま肉体を破壊する暴力となって返ってくる。
その恐怖に、ゴリムは背筋が冷たくなるのを
確かに感じていた。
「ゴリムさん」
ザックがゴリムの怪我をした右腕と
握っている弓を交互に見つめた。
「右手に弓を持って、左手で弦を引いていたのですね。
道理で右腕を派手に叩くわけです」
ザックは感心したように息を吐いた。
「この世界では、大抵の弓兵は
左手で弓を持って右手で引きます」
「……知りませんでした」
ゴリムが呟く。
「ですが、ゴリムさんは生まれつき左利きなのですね。
なら、無理に右利きの真似をする必要はありません」
ザックが静かに続ける。
「ゴリムさんのその器用な左手で弦を引き絞る
左利きの構えのままでいきましょう」
「その代わり」
ザックが、ゴリムの目を見た。
「右手に持つ弓の角度と、左手の引き方を
私が一から丁寧にお教えします」
ゴリムは、ほっとしたように息を吐いた。
だが、その目にはまだ、先ほどの恐怖の色が残っていた。
「……頼む」
短く、だがはっきりとした声だった。
魔獣園で修行する仲間として
自分の特性を尊重し、敬意を払ってくれるザックへの信頼が
ゴリムの中で確かに芽生えた瞬間だった。
「ザックさん、よろしくお願いします」
ゴリムが深く頭を下げた。
「「ザックさん」って呼ぶのやめてもらえないかなぁ~。
俺にさんなんて必要ないよ……。
「ザック」って呼んでもらえると嬉しいというか
ありがたいんだけど……」
ザックが恥ずかしそうに言った。
「俺もゴリムと呼んで欲しいかなぁ~」
ゴリムが同調した。
「じゃぁ~僕もニコって呼んで欲しいです」
ニコは二人の掛け合いに笑いながらのっかった。
「なんだよー!ニコ真似すんなよ〜」
ゴリムが突っ込みを入れた。
「いいじゃぁ~ないですか……ね!ザック」
ニコがにっこりと笑いかけた。
「いいぜ!ニコ」
ザックが笑顔で応じた。
「調子がいいなぁ~」
ゴリムが呆れたように言った。
「ニコも俺のことゴリムさんて呼ぶんじゃないぞ!」
ゴリムが口から、今までずっと言えなかった言葉が溢れた。
ザックが突然、手を差し出した。
「ゴリム、少しその弓を見せてもらっていいか」
ゴリムは戸惑いながらも、恐る恐る竹弓を渡した。
ザックは弓を両手で受け取り、様々な角度から熱心に見つめた。
指先で弓身の曲線をなぞり、弦を軽く弾いて音を確かめる。
その目は、本物の職人の仕事を前にした敬意に満ちていた。
「実に見事な仕上がりです……。
どなたが作られたのですか?
全体のバランスが実によくできていますね。
何より、この弦が素晴らしい。
これほどしなやかで均一な強さを持つ弦は
滅多にお目にかかれませんよ」
ザックが心から称賛すると
ゴリムは少し照れくさそうに頭を掻いた。
「それは、ヴォルンさんが新しい弓が完成するまでの
練習用に作ってくれたんです」
「ヴォルンさんが……。ん? 練習用、ですか?」
ザックの手がピタリと止まった。
今あるこの完成度の高い弓が
ただの「繋ぎ」に過ぎないという言葉に
ザックの射手としての直感が跳ね上がる。
「ということは……新しい弓は今、作っている最中なのですか!?」
「ああ。俺の体格に合わせて、本番用のやつを工房で――」
ゴリムが説明した。
ザックは手元にある練習用の弓をもう一度
今度はより鋭い視線で見つめ直した。
そして、ある決定的な違和感に気がつき、小さく目を見開いた。
「……ゴリム、この練習用の弓は
弦がわずかに『右側』に寄るように作られているぞ。
これは左手で持って右手で引く、右利き用の構造だ!」
ザックがハッと顔を上げ、真剣な表情でゴリムを見つめた。
「ヴォルンさんは、ゴリムが左利きであることに気づいていないか
あるいは間違えて作ってしまっているな……。
このままだと、新しい本番用の弓も右利き用として
完成してしまうぞ」
「ザック、ほんとなのか?」
ゴリムが驚いたように確認した。
「ほんとだ!すぐに連れていってくれ。
今ならまだ間に合うかもしれん」
ザックが目の色を変えて言った。
その声には、先ほどまでの穏やかな丁寧さとは一転して
職人の掛け違えを今すぐ止めなければならないという
射手としての強い切迫感が宿っていた。
「ゴリムは医務室にいって治療してもらってください。
ザックは、僕が案内しますから」
ニコがゴリムに指示をした。
「そうだ、ゴリムは早く治療してもらえ」
ザックが心配そうに言った。
「ヴォルンさん!お騒がせして申し訳ありません、ニコです!
今作られているゴリムさんの弓のことで
お聞きしたいことがあります」
「入ってこい」
ヴォルンが作業の手を止め告げた。
ニコが勢いよく踏み込むと
ヴォルンは怪訝そうに髭を揺らした。
「おいおい、ニコ、そう焦るな」
ザックが宥める。
「ヴォルンさん、ゴリムに弓の指導をすることになった
ザックというものですが……ゴリムさんが左利きなのは
ご存知ですか?」
「知らんぞ……左利きなのか?
本人に聞いたが、利き手はわからんようだったぞ」
ヴォルンが戸惑いながら話した。
「やはりか……」
ザックは予想が的中しうなだれた。
「もしかしたらゴリムは右も左も器用だから
自分でもわかってないんじゃないですか?」
ニコが思い出しながら説明した。
「そうかもな……手にした弓を自然に握ったのが
右手で、矢を左に持ったということだな」
ヴォルンが考えながら答えを探す。
「だが……一本はもう右利き用で
八割型出来上がってしまっている……」
ヴォルンが苦い顔で告げる。
「えっ……それじゃあ、手遅れなのですか!?」
ザックが絶望しかけた瞬間
ヴォルンは不敵にニヤリと笑った。
「慌てるんじゃねぇ。もう一本は左利き用にしてやる。
右利き用もこのまま作ってやるからな。
最高峰のルミナイトと樫の三層構造
アンズーの弦にシルヴァの羽根だ、腐るもんじゃねぇー。
誰か使いたいものに使わせればいいだろ」
「……」
ヴォルンの豪快な言葉に、ザックはぽかんと口を開けた。
騎士団の戦技として、長年あらゆる戦いで弓を
扱ってきたザックだったが、これほどの至宝と言える剛弓を
「誰かに使わせればいい」と
あっさり二本も作り上げようとする職人の心意気と
スケールの大きさに、一人の戦士としてただ
圧倒されるばかりだった。
「だ、誰か使いたいものにって……
ヴォルンさん、このレベルの弓をそんな……」
ニコが後ろから恐る恐る呟く。
ザックはすぐに戦士としての驚きから、指導者としての顔になった。
「そういうことでしたか、さすがヴォルンさんです。
……であれば、これで言い訳は通用しなくなりましたね。
世界に一つだけの左利き用の剛弓が手に入るのですから
最高の武器に見合うだけの指導をしなければいけませんね」
ザックの瞳に指導者としての情熱的な光が宿り
ヴォルンは頼もしさを感じながら
「ああ、頼む」と力強く頷いた。
「ザックと言ったな、お前の利き手はどっちだ」
ヴォルンが唐突に尋ねた。
「えっ、右利きですが……それが何か?」
ザックが戸惑いながらも答える。
「この弓は、お前が使え!
まだ完成しとらんが、出来上がったら取りに来い」
ヴォルンはそう言うと、未完成の右利き用の弓を掴み
ザックの胸元へと突き出した。
「え〜っ!? おっ、俺が使っていいんですか?」
ザックは目を丸くし、興奮の声を上げる。
「ああ。指導するなら、お前も同じ条件の弓の方がいいだろう。
その代わり、ゴリムを一端の弓使いに仕立て上げてくれ」
ヴォルンが不敵に笑う。
「もっもちろんです! ヴォルンさんの打った最高の弓に恥じない
立派な弓使いにして見せますよ」
ザックは胸を張り、きっぱりと宣言した。
「ザック、そろそろ朝食の時間にしましょう。
……そういえばヴォルンさんは、もう朝食は済まされたんですか?」
ニコが気遣わしげに尋ねる。
「いや、まだだ。弓の調整済ませたら行かせてもらう
ここの飯は本当に旨いからな、楽しみで仕方ねぇよ」
ヴォルンが豪快に笑う。
「そうですよね〜、僕もお腹ぺこぺこです。
ヴォルンさん、お忙しい中お邪魔して申し訳ありませんでした。
それでは失礼します」
ニコが深々と頭を下げて礼を言う。
「おぉー、構わん構わん。お前ら、修行がんばれよ!」
ヴォルンが安心させるように手を振り見送った。
「ヴォルンさんはドワーフだよなぁ〜。
お前たちの武器は全部ヴォルンさんの手による物か?」
ザックが興奮を引きずりながら尋ねた。
「そうですよ、ザックももうすぐ
ヴォルンさんの武器の使用者ですね」
ニコが、笑顔で返事をした。
「あぁ~夢のようだ……」
ザックが空を見上げて呟いた。
「つねってあげましょうか?」
ニコが茶化すように言った。
「お願いしたいところだが
……遠慮しとくよ」
ザックが苦笑いで返した。
――――
ニコとザックが遅れて食堂に着いた。
食堂の扉を開けた瞬間、香ばしい匂いが二人を包んだ。
「うわぁ、いい匂い……!」
ニコが思わず鼻をひくつかせる。
厨房では、窓から差し込む朝の光を浴びながら
サンとロルフ、ルーナが忙しく手を動かしていた。
大きな鉄板の上に、切り分けられた食パンが
ずらりと並んでいる。
「よし、そろそろひっくり返すよ!」
サンの声とともに、ロルフがトングを構えた。
パンの表面が、じわじわと狐色に色づいていく。
バターの香ばしい匂いが、鉄板からふわりと立ち上る。
「こんがりしてきましたね」
ルーナが横から覗き込んだ。
「あぁ〜このくらいがちょうどいい。
外はカリッと、中はふわっとだ」
サンが満足そうに頷く。
焼き上がったトーストの一枚には
たっぷりのバターが染み込んでいく。
アカネ、もう一枚には、真っ赤なイチゴジャムを
塗り広げてちょうだい。
「ルーナ、こっちは、シナモンをきかせたやつだよ」
サンがもう一つの瓶を取り出す。
蓋を開けると、甘く温かみのある香りが
厨房いっぱいに広がった。
「いい香りですね〜」
ルーナが目を閉じて香りを感じた。
アップルジャムに混ぜ込まれたシナモンの香りが
バターの匂いと重なり合い
なんとも食欲をそそる香りになる。
「ロルフ、ベーコンエッグの方も頼むよ」
サンが指示を飛ばす。
「はい!」
ロルフが別の鉄板に、玉ねぎのリングを並べて
その中に厚切りのベーコンを敷き詰めた。
ジュウッと弾ける音とともに、脂が溶け出し
パンの焼ける匂いに、香ばしい肉の匂いが混ざっていった。
「ロルフさん、玉ねぎは外側の大きなところだけ
使うんですね……中の玉ねぎはどうするんですか?」
ルーナがロルフの作業に目を向け尋ねた。
「あぁ〜中の玉ねぎは、そこのコーンポタージュのベースに
なっているから大丈夫だ、玉ねぎソテーの甘味が
プラスされて一段と美味いスープになってるはずさ」
クルツが丁寧に説明し作業に集中した。
ベーコンの縁がぱりっと焼き上がった頃合いで
ロルフは真ん中に卵をそっと割り入れる。
黄身が崩れないよう「慎重に、慎重に」
ロルフは自分に言い聞かせるように呟いた。
白身がふつふつと固まってきたら全体に
水をちらし蓋を乗せてオーブンに入れ
弱火でじっくりと火を通していった。
「サンさん、スープの方はどうですか?」
ルーナは、スープが気になり大鍋を覗き込む。
「ちょうどいい頃合いだよ」
鍋の中では、薄い黄金色をしたコーンポタージュが
とろりとした艶を纏いながら、静かに沸いていた。
「このコーン、この前収穫したやつですよね」
ルーナが確認する。
「そうだよ。ちゃんとボイルしておいたから
甘みがしっかり出てるはずだ」
木べらでゆっくりとかき混ぜると
コーンの甘い香りが、湯気とともにふわりと立ち上る。
粒の食感を残しつつ、なめらかに仕上げられたスープは
見るからに濃厚な仕上がりだった。
「よし、準備できたよ!
みんな、並んでちょうだい!」
サンの声が食堂に響き渡ると
魔獣たちがぞろぞろと列を作り始めた。
「今日はトーストだって!」
「ベーコンエッグもあるぞ!」
あちこちから、嬉しそうな声が上がる。
配膳台には、次々と皿が並んでいく。
バターがじんわり染み込んだトースト。
真っ赤なイチゴジャムを塗ったトースト。
シナモンの香るアップルジャムのトースト。
とろりとした半熟のベーコンエッグ。
黄金色に輝くコーンポタージュ。
湯気が立ちのぼる食堂は、香りだけで
すでに幸福感に満ちていた。
――――
ザックはサイラス副隊長とベイル、カイルと同じ席についた。
「ザック、お前なににやにやしてんだ?」
ベイルがザックの様子に気づき不思議そうに聞いた。
「えっ、にやにやなんかしてませんよ……」
ザックが誤魔化すように言い返す。
「怪しいなぁ〜何か隠してる目だぞ……」
カイルが疑いの目を向けた。
「まぁ〜いいじゃないか。
お腹も空いたことだし食事にしよう」
サイラスが穏やかに割って入った。
「副団長は、座って待っていて下さい。
俺が持ってきますので」
ザックが席を立ち列に並んだ。
「逃げたな……」
ベイルが呟いて席を立った。
「逃げましたね……」
カイルが同調して列に向かった。
「ニコ、弓のことはまだ内緒にしてくれ」
ザックが前に並んでいるニコに耳打ちした。
「いいですけど……いずればれますよ」
ニコが言った。
「俺がドワーフの武器手に入れたの知られたら
副団長が僻むんだよ……あの人は武器オタクだから
ましてやあの人が指導するように言ったんだから
……わかるだろ」
ザックが神妙な顔で言った。
「そうですね……なんとなくわかります」
ニコが納得して返した。
ベイルとカイルの視線を感じながら
ニコとザックはソワソワしながら順番を待った。
「あいつら、何話してんだ……?」
ベイルが疑いの目で言った。
「間違いなく、怪しいですね〜」
カイルが確信して言った。
――――
配膳を終えた面々が、それぞれの席に着く。
「いただきます」
トーストを一口かじると、外側のカリッとした食感の後
中のふわふわとした生地が口の中でほどけていく。
イチゴジャムの甘酸っぱさと
バターの塩気が絶妙に混ざり合い
朝の空腹を優しく満たしていった。
「このシナモンのやつ、香りがすごいな」
ベイルがアップルジャムのトーストを頬張りながら呟く。
「私はイチゴの方が好きです」
カイルが対抗するように、イチゴジャムのトーストを掲げた。
「二人とも、両方食べればいいだろ」
ザックが呆れたように言いながら
自分はベーコンエッグに手を伸ばす。
半熟の黄身が、フォークを入れた瞬間
とろりと流れ出した。
「うまい……!」
ザックが思わず声を漏らす。
コーンポタージュを一口飲んだニコは
目を細めて呟いた。
「この前収穫したコーン、こんなに甘くなるんですね」
「サンさんの腕も、いいからだろ」
アレンが横から微笑んだ。
「ほんとだ!このコーンポタージュ絶品だなぁ〜」
クルツが自分の分を味わいながら言った。
食堂中が、朝の温かい活気に満ちていた。
――――
その時、食堂の扉が開き
一人の男が姿を現した。
背が高く、分厚い肩幅。
その佇まいだけで、場の空気が一瞬で引き締まる。
フェルナ園の園長だ。
「園長! おはようございます!」
魔獣たちが立ち上がり、一斉に頭を下げる。
「おはよう。挨拶はいい、座って食べなさい」
園長は短く応じ、いつものように
アレンの隣の席へと腰を下ろした。
「園長、本日の朝食はトースト、ベーコンエッグ
コーンポタージュでございます」
マレナが園長の前に、素早く配膳した。
サイラスが、その姿を見て立ち上がった。
「園長。食事中失礼いたします」
「サイラス殿か。どうされましたか?」
園長がトーストに手を伸ばしながら
視線だけを向ける。
「実は、そろそろ私は騎士団へ戻らせて
いただこうと思っております」
「そうですか……」
園長は短く頷いた。
「ベイル、カイル、ザックの三人は
これからお世話になりますので
どうか、よろしくお願いいたします」
サイラスは深く頭を下げた。
「わかりました、任せて下さい」
園長は静かに答えた。
「それと……」
サイラスが、少し言葉を選ぶように続けた。
「ベイルの盾の修行について
ぜひ、園長にご指導いただきたいのです」
園長が、初めて顔を上げた。
「攻撃的な盾の扱いを学ばせたいということか?」
「はい。ベイルの盾は、大きく構えて
守るための盾です。園長のような
使い方を学べれば、大きく成長すると思います」
園長はしばらく黙って、ベイルへと視線を移した。
ベイルは背筋を伸ばし、緊張した面持ちで
その視線を受け止めていた。
「わかりました……引き受けましょう」
短い返事だったが、その一言に
ベイルの肩から、わずかに力が抜けた。
「ありがとうございます!」
ベイルが深く頭を下げる。
「明日からの修行でマンツーマンで
教えてやる、覚悟しておけ」
園長はそれだけ言うと、トーストを豪快に食べ始め
さらにコーンポタージュを口に運んだ。
「はい……!」
ベイルの声が、少し上ずっていた。
サイラスは、その様子を見て小さく笑った。
「それでは、私は食事が済みましたら
失礼いたします」
サイラスは園長に一礼した。
「ベイル、カイル、ザック――励めよ」
サイラスが、はっぱをかけた。
「「「はい!」」」
三人が声を揃えて答えた。
ベイルは、まだ少し震える手で
自分の盾を見つめていた。
「……やってやる」
小さな呟きが、朝の食堂の喧騒に
静かに溶けていった。
「このコーンポタージュ美味いなぁ〜」
園長の感嘆の声を上げた。
「ゴリム、お前何やってるんだ……!」
ガルドが目を大きく見開き尋ねた。
「何って、パンの耳をスープに
浸してるんだ、見れば分かるだろ……?」
ゴリムがスープの染み込んだパンの耳を
頬張りながらモゴモゴと言った。
「旨そうだな……俺もやってみるか」
クレイグが興味津々に言った。
「お前まで……俺も試してみるか」
ガルドが負けじと浸し始めた。
そのやり取りを見ていたザックやカイルたちも
面白そうに、それぞれのコーンポタージュに
パンを浸し始め感嘆の声を上げた。
「お、これ本当に美味いな!」
「スープが染み込んで柔らかくなるし、最高だぞ」
食堂のあちこちから、新たな食べ方に感動する声が上がる。
朝の穏やかな光の中で、食堂に賑やかな笑い声が
響き渡っていくのだった。
第109話
最高峰の剛弓と最高の朝食
お読みいただきありがとうございます!
今回は、ゴリムの弓修行の裏側と
賑やかな朝食シーンをたっぷり描きました。
一人で弓を練習しようとしたゴリムが
正しい構え方を知らないまま我流で引き
腕を痛めてしまう場面。
ザックの「弦が腕を叩けば肉が裂ける」という警告が
ただの脅しではなく現実になってしまった瞬間でした。
今まで何でも器用にこなしてきたゴリムが
初めて自分の身体で「独学の危うさ」を思い知る
——このギャップを書きたくて
今回のエピソードを組み立てました。
そしてその怪我をきっかけに判明する
ゴリムが左利きだったという事実。
ザックが弓の構造から違和感に気づく過程は
射手としての観察眼を見せる場面として楽しく書けました。
ヴォルンさんの登場シーンもお気に入りです。
右利き用がほぼ完成していると聞いて
絶望しかけたザックに対し
「もう一本作ってやる、腐るもんじゃねぇ」と
あっさり言い切るヴォルンさんの豪快さ。
最高級の素材で剛弓を二本も作ってしまうスケール感に
ドワーフの職人としての矜持を込めたつもりです。
そしてその勢いのまま、ザックにまで弓を授ける約束を
してしまうところも書いていて楽しかったです。
「ザックさん」「ニコさん」から「ザック」「ニコ」への
呼び方の変化も、地味ながら今回大事にした部分です。
敬語が抜けて名前だけで呼び合うようになる瞬間は
関係性の距離が縮まる象徴として
今後も要所要所で使っていきたい演出です。
後半の朝食シーンは、正直なところ書いていて
一番幸せな時間でした。
トーストとベーコンエッグとコーンポタージュ
湯気の立つ食堂の空気感。
そしてサイラスが騎士団へ戻る決断と
ベイルの盾の修行を園長に託す場面。
にぎやかさとほんの少しの別れの気配が同居する
この作品らしい朝になったと思います。
最後、パンの耳をスープに浸すという
些細な発見にみんなで盛り上がる場面で
締めくくれたのも、気に入っています。
次回もどうぞよろしくお願いします!




