能力の枷とサイラスの言葉 第106話
日が昇る前のまだ薄暗い夏の空は、夜の闇がまだ濃く残る中
窓の外には、いつもの騒がしい鳴き声はなく
早朝の静寂が広がり、熱気を残した生温い風だけが
別館宿の廊下をそっと通り抜けて行く。
ドンドン。
「ベイル、起きろ!」
サイラスが、低い声とともにドアを激しく叩いた。
「なんだ!何が起こった!?」
ベイルが寝台から飛び起きた。
ガチャ。
ベイルが慌ててドアを開ける。
「副隊長、いったい何が起こったんですか……?」
ベイルが青ざめた顔で事情を問う。
「何が……? とは、どういう意味だ」
サイラスが腕を組み、不思議そうに眉をひそめた。
「こんな朝早く……何かあったのではないんですか?」
ベイルがさらに問う。
「何かってお前、今日から修行だろうが。
寝ぼけているのか?」
サイラスが至極当然だと言わんばかりに言い放った。
「えっ……まさか、そんなことで……?
こんな朝早くから、わざわざ叩き起こしたんですか?」
ベイルが呆れ返りながら呟いた。
「そんな事とはなんだ! 修行を甘く見るな!」
サイラスがさらに威圧感を増し、怒りをあらわにした。
「すみません……何か重大なことが
起こったのかと思いましたので……」
ベイルが理不尽だと思いながらも、渋々謝罪した。
「無駄口を叩いている暇はないぞ。
カイルとザックも早く起こして来い」
サイラスが即座に命令した。
「はい、すぐに起こして参ります……」
ベイルが返事をし、着替える間もなく隣のドアへと向かった。
コツコツ、コツ。
「カイル、早く起きてくれ!」
ベイルが焦る気持ちを抑えながらドア越しに呼びかける。
(なんでこんな朝早くから、起こすんだよ〜)
ベイルの悲痛な叫びが、心中でむなしく響いた……
ガチャ。
「なんですか……こんな朝早くに……」
カイルが眠そうな目でドアを開けた。
「カイル、申し訳ないんだが……
なんだか副隊長がめちゃくちゃ怒ってんだ……」
ベイルが冷や汗を流しながら小さな声で呟く。
「ベイルさん、なんで副隊長を
そんなに怒らせたりしたんですか……?」
カイルが寝ぼけ眼のままモゴモゴと問う。
「悪い、詳しい話は後できちんとするから
今は何も聞かず、とにかく着替えて出て来てくれ!」
ベイルが必死の形相で頭を下げた。
ドンドン!
「ザック、起きてくれー!」
ベイルが、視線を向けるサイラスの顔色を伺いつつ
ザックの部屋のドアを激しく叩いた。
「うるさいな〜、朝から誰だよ……」
ザックが不機嫌そうに目を覚まし
面倒くさそうにドアノブに手をかけた。
ガチャ。
「なんですか……あっ、ベイルさん!
物騒な顔して……一体何が起こったんですか?」
ザックが、ドアの隙間から見えたベイルの
必死すぎる形相に驚き、慌てて事情を問いただした。
「ザック、申し訳ないが、すぐに着替えて外に出て来てもらえるか。
詳しい事情は後で話すから!」
ベイルはそれだけ早口で告げると、すぐに自分の部屋へと戻り
慌てて着替えを始めたのだった。
木造の廊下は、夜の湿気を残したまま
ひんやりと足の裏に伝わってくる。
本館の方角からは、何ひとつ音が聞こえない
朝食の支度には、まだ早すぎる時間だった。
そんな静けさの中に、四人の足音と
慌ただしいやり取りだけが、やけに大きく響いていた。
「さぁ~行くぞ!」
サイラスの掛け声が別館にこだまする。
「「はい!副隊長」」
三人が返事をし、サイラスに続き歩き出した。
騎士団の四人が副庭に到着すると、そこにはすでに先客の姿があった。
まだ朝闇が完全に晴れない薄暗い副庭の片隅
異様な気配が静かに息を潜めている。
ひんやりとした朝の空気の中、闇に溶け込むように潜むその存在
禍々しい赤い光が、フッと浮かび上がり闇の中でゆっくりと瞬いた。
「……何かがいる」
ザックが呟いた……
四人が息を呑んで目を凝らすと、その赤い光を核とするように
地を這うような巨獣の背のラインが、微かに影を浮かび上がらせる。
四足の獣としての姿を少しずつ、じわじわと現していくのだった。
「シャドウ・ハウンド?」
ベイルが目を凝らしゆっくりと呟く。
「いや、もっとでかいぞ……
あれはシャドウ・アルファだ!」
サイラスが叫んだと同時に木剣を握り締めた。
「お前ら、構えろ!」
サイラスの声が副庭に響き渡る。
――――
「ニコ、俺は騎士団の方を迎えにいくから
先にいってくれ」
クルツが別館に足を運ぶ。
「はい、わかりました」
コツコツ。
「サイラス殿、お迎えにあがりました」
クルツが声をかけた。
「あれっ……いないのかなぁ~」
クルツが不思議そうに呟く。
ガチャ。
「クルツさん、おはようございます。
騎士団の方なら朝早く出ていかれましたよ」
別館を任されているワイズコボルトのフィグが出て来た。
「そうか、ありがとう」
クルツが礼を言って、小走りで副庭に向かった。
――――
シャドウ・アルファと思われる魔獣が突然かけだした!
「副隊長!向かって来ます!」
ベイルが咄嗟に叫んだ。
漆黒の巨獣がその巨体をさらに低く沈み込ませた。
地面を抉るような低い体勢から
次の瞬間――爆発的な踏み込みが放たれ
轟音とともに土煙が舞い上がり
黒い影が一筋の残像となって猛突進してくる。
「ハスキーお前、朝っぱらから元気だなぁ〜」
ハスキーがニコの姿を見つけ一目散に駆け寄って来た。
「これから修行だから、遊んでやれないよ」
ニコが申し訳なさそうに言った。
クゥーン……と、細く切なげな低い声を残し
ハスキーはしょんぼりとうなだれ、去っていった。
「……」
騎士団の四人は無言でその光景を見つめていた。
「サイラス殿、どうかされましたか?」
クルツが副庭に駆けつけ心配そうに声をかけた。
「えっ……なんでもありませんよ……」
サイラスが目を泳がせながら、何ごともなかったように返した。
「副隊長……」
ベイルは、今まで見たことのない
サイラスの姿に絶句した。
「そうですか……それでは準備運動から始めましょう!」
クルツは疑問は残るが、気を取り直して修行の開始を宣言した。
「サイラス殿、騎士団の準備運動を教えてもらえませんか?」
クルツがサイラスに指導をお願いした。
バッチーン!
「はっはい!やらせていただきます」
サイラスが己の顔を両手で叩き気合をいれた。
「みなさん、ここに並んで下さい!」
副隊長サイラスの鋭い声が響き渡り、朝の修行が始まりを告げた。
「まずは体を温める為に副庭の外周を3周走りましょう!」
サイラスの指示に、ベイル、カイル、ザックの3人は
一斉に地を蹴り走り出す、遅れて魔獣の面々が後に続いた。
「軽めの走行で全身の血流を促進させていきましょう!」
サイラスが並走しながら声をかけた。
息が少し上がり、体が内側からポカポカと温まってきたところで
サイラスが再び声を掛けます。
「よし、次は関節をほぐします。首、肩、肘、手首、腰、足首の順番で
ゆっくりと大きく回して下さい、刃を交えるとき関節の硬さは
命取りになりますのでしっかりとほぐしましょう」
ベイルは手首を何度も回しながら、確かめるように動かした。
カイルは首を大きく回して凝りをほぐし
ザックは腰に手を当てて深く回しながら
「ふぅ、これでいつでも動けるぜ」と
小さく笑いながら続けた。
ニコたちはその姿を真似ながら、それぞれが関節を
順番にほぐしていった。
「次はストレッチです!アキレス腱とふくらはぎを十分に伸ばして下さい。
剣士の踏み込みは一瞬の爆発力が勝負です。
それから股関節もしっかり開けるようにして下さい。
そうすれば、すり足で素早く重心を移動できるようになります」
サイラスの言葉通り、4人は深く腰を落として股関節を広げ
下半身の柔軟性を高めていきます。
ベイルは真剣な眼差しでアキレス腱をじっくりと伸ばし
カイルもしなやかな動きでそれに続きます。
クルツは魔獣園の仲間を気にかけながらも難なくこなしていた。
「みんな、大丈夫そうだな!その調子でついていこう」
「最後は木剣を持て!大きく上下に素振り、50回!肩甲骨の動きを意識しろ!」
サイラスの号令とともに、一斉に木剣を構え、頭上高くから振り下ろした。
風を切る音が重なり合い副庭に響き渡った。
「次は左右の面打ちだ。切り返しの速度を意識しつつ
手首を柔らかく使え。刃筋を絶対にぶらすな!」
ベイルの力強い一撃、カイルの正確な太刀筋、ザックの鋭い踏み込み。
それぞれの木剣が虚空を切り裂き、完璧な準備運動を終えた騎士たちは
いつでも実戦に移れる鋭い覇気を纏っていた。
「サイラス殿、さすがですね」
クルツが騎士団の気迫に驚きを見せた。
「ありがとうございます。
まだまだですが……この修行で更なる高みに
到達する事を期待しています」
サイラスが笑顔で答えた。
――――
「ニコさん、模擬戦やりましょう!」
遅れてアカネが現れた。
「アカネさん、ダメですよ。
模擬戦は準備運動してからですよ」
ルーナがいつものように嗜める。
「騎士団の方もおられるんですね……」
アカネが騎士団の姿に気づいた。
「今日から本格的な合同訓練の始まりだ。
アカネも本気で修行するつもりなら
時間は守らないとダメだからな!」
クルツがいつも遅れてくるアカネに釘を刺した。
「はい……」
アカネが小声で返答し、準備運動を始めた。
「クルツさん、いつも模擬戦をされているんですか?」
サイラスが目を輝かせ聞いた。
「はい、素振りを行った後に総当たりの
模擬戦を行っています」
クルツが答えた。
「そうですか……私がニコさんと模擬戦することも可能ですか?」
サイラスが、さらっと本心を口にした。
「「……副隊長……」」
騎士団の三人が呟いた。
「はい、本人次第ですが問題ありませんよ」
クルツがニコに視線を送り答えた。
「ありがとうございます」
サイラスが満面の笑みで感謝した。
「僕は、みなさんと戦ってみたいので構いませんよ。
こちらこそよろしくお願いします」
ニコは笑顔で返事をした。
「そうですか、それでは私からお願いします。
ベイル、カイル、ザックいいな!」
サイラスが木剣を握り締めた。
「いいなって……やる気満々で言われてもな……」
ベイルがカイルとザックの耳元で小さく呟いた。
「それじゃあ、手合わせを始めようか」
クルツの合図とともに、サイラスが静かに構えをとった。
対するニコは、愛嬌のある普段の様子から
一瞬で研ぎ澄まされた気配へと切り替え
真っ直ぐに視線を据える。
瞬間、世界から音が消えた。
足音もなく、予備動作すら一切なく。
サイラスの姿が人間の動体視力の限界を置き去りにし
まるで空間をすり抜けるように
気づけばニコの目の前へと出現していた。
重力を無視して前方に崩れ込む体重移動の
勢いそのままに地面を擦るような極限のすり足が
気配を完全に消し去ったまま死角へと滑り込む。
「っ……!」
ニコの背筋に悪寒が走る。
だが、異世界で修羅場を潜り抜けてきた戦闘勘が
本能的に最小限の回避行動をとらせた。
サイラスの木剣が掠めた残像のなか
ニコは瞬きする間に後方へと身を翻す。
間髪入れず、追撃が迫る。
踏み込みの勢いに乗せて振るわれた刀が
あえて一瞬だけ遅れて追従するような軌道を描いた。
刀身が遅れてしなることで蓄えられた強烈な慣性の反動
――その見えないタイムラグを利用し
ほんのわずかな力で跳ね上げられた切先が
重力の落下エネルギーをそのまま乗せて
容赦なくニコの脳天へと急襲する。
(なんだこれ……! 重いのに、力を感じさせない動き……)
ニコは冷や汗を流しながら、紙一重で木剣を交差させて受け止めた。
衝撃が腕の骨を伝わり、痺れるような痛みが走る。
圧倒的な技術の差が、手元を通じて重くのしかかってくる。
(すごい……! ここまで強い人間がいるなんて……!)
胸の内で高鳴る興奮と焦燥に突き動かされ
ニコは空間跳躍の異能をあえて封じ
己の肉体の速度と反射神経だけでこの猛攻を凌ぎ切ろうと奮闘した。
しかし、サイラスの繰り出す「歩かず、走らず、跳ばずに」
懐へと滑り込む不可思議な足捌きと
慣性を極限まで利用した変幻自在の剣技の前に
ニコの足元は徐々に狂い始める。
弾かれるように後退り、必死に木剣で防戦一方を強いられる。
どれだけ反応速度を上げても
サイラスの踏み込むタイミングと技の軌道を完全に捉えきれない。
攻め手は常にサイラスにあり終わりの見えない膠着状態が
じりじりとプレッシャーとなってニコを追い詰めていく。
「どうした。速さだけか」
サイラスの静かな声が、ニコの耳に突き刺さる。
「……っ!」
ニコは歯を食いしばり、踏み込みの速度を上げる。
一気に間合いを詰め、側面へ回り込もうとした。
しかし――ギィン!
振り向きざまの一閃。読まれている。
斬り込めば弾かれ、体勢を崩される。
離れれば、すぐに追いつかれる。
やがて、荒くなる呼吸はニコだけだった。
「……使わんのか」サイラスの問い。
「……使わない」短い返答。
「使わずに勝つ」
その言葉の直後、サイラスの気配がさらに深く、重くなった。
踏み込みが深くなる。間合いが一瞬で消える。
連撃が襲いかかる。
刃が揺さぶるように軌道を変え、力を奪いにくる。
「はぁ……っ、はぁ……!」
防ぐだけで精一杯。攻める余裕などない。
(このままだと……押し切られる……! 持たない……!)
その瞬間、サイラスの渾身の袈裟懸けがニコの鼻先を掠めた。
視界が歪む。
パッ、と空気が弾ける微かな音とともに
ニコの姿が陽炎のように消え失せた。
「――なにっ!?」
サイラスの木剣が空を切る。
驚愕に目を見張り、振り返ったサイラスの首筋に
ピタリと静かにニコの木剣の切先が添えられていた。
静寂。
風だけが、副庭を通り抜ける。
「……見事だ」
サイラスはゆっくりと息を吐き、満面の笑みを浮かべた。
「まさに神業だな、ニコ殿!」
しかし、その称賛の言葉を向けられたニコは
木剣を下ろすと同時に、悔しそうにギュッと唇を噛み締めていた。
「……違う」
かすれた声。
「今のは……僕の勝ちじゃない」
拳が小さく震える。
「使わないって……決めたのに……」
視線を落としたまま、ニコはただその場に立ち尽くしていた。
悔しさだけが、胸の奥で熱く渦巻いていた。
サイラスはその姿を静かに見つめ、穏やかに言った。
「それでも勝ちは勝ちだ。
だが、その悔しさ――忘れないことだ」
「……」
ニコは何も答えなかった。
「模擬戦で自分に枷を設けるのは否定しない。
しかし実戦では、その行為は助けられる命を
みすみす手放すことになる」
サイラスは静かな、しかし重みのある声で続けた。
「相手を早く倒せれば、助けられる命は当然増える。
それは……わかりますよね?」
「はい、わかります」
ニコは小さく頷いた。
声は低く、どこか押し殺した響きがあった。
サイラスは少し間を置いて、ニコの目を真っ直ぐに見つめた。
「ニコさんは、自分の能力を使うことに
強い抵抗があるようですが……」
さらに一拍置いて、核心を突くように言葉を継ぐ。
「もし同じような能力を持った人間がいたとして
その人が自分の能力を限界まで研ぎ澄ませていた場合
ニコさんは……どうしますか?」
ニコの肩がわずかに強張った。
サイラスは静かに、しかし確信を込めて続けた。
「ニコさんは……自分の能力の限界すら
まだ知らないんじゃないですか?」
「ニコさんが能力を使うのは別に反則ではありませんよ。
身体の大きな人が力が強いのと、身体は小さいが動きが速いのと
何が違うんですか?」
サイラスの言葉は、穏やかでありながらもニコの胸に深く刺さった。
ニコはハッと目を見開き、しばらく言葉を失った。
今まで自分が固執していた考えが、いかに狭く
愚かなものであったかを、痛いほどに突きつけられた気がした。
「……っ」
ニコは唇を強く噛み、拳を握りしめた。
やがて、掠れた声でようやく言葉を絞り出す。
「……ありがとうございます、サイラス殿。
僕は……自分の力を『逃げ』だと思っていて、ずっと否定してきました。
でも、それじゃ本当に大切なものを守れない
……ただの自己満足だったんですね」
ニコはゆっくりと顔を上げ、サイラスの目を真っ直ぐに見つめた。
その瞳には、まだ悔しさの色が残っていたが
同時に新しい決意の光が宿り始めていた。
「僕は、もっと自分の能力と向き合います。
限界まで研ぎ澄ませて……それでも
ちゃんと自分の力で戦えるように。
逃げじゃなく、武器として使えるように」
第106話
能力の枷とサイラスの言葉
最後までお読みいただき、ありがとうございます!
前半は、シャドウ・アルファと誤解された
ハスキーの登場で、緊張から一転して
和やかな空気になる場面を楽しんでいただけたら
嬉しいです。準備運動の丁寧な指導からも
サイラスというキャラクターの
本当の実力の片鱗を感じていただけたかと思います。
そして今回、一番書きたかったのは
ニコとサイラスの模擬戦です。
ニコはこれまで、自分の異能を
「ずるい」「逃げ」として捉え
極力使わないようにしてきました。
けれど、サイラスとの本気の勝負を通して
その考え方に、静かな、しかし決定的な
揺さぶりをかけたいと思っていました。
「身体の大きな人が力が強いのと
身体は小さいが動きが速いのと
何が違うんですか?」
このサイラスの言葉は、ニコだけでなく
私自身が書きながら考えさせられた
一文でもあります。特別な力を持つことと
それを使うことへの葛藤は
きっと多くの人が形を変えて
経験することなのかもしれません。
「使わないって決めたのに……」と
悔しさを滲ませるニコの姿と
「それでも勝ちは勝ちだ」と
真正面から受け止めるサイラス。
この二人のやり取りを通して
ニコが少しずつ、自分の力と
向き合っていく様子を
これからも丁寧に描いていきたいと思います。
引き続き、よろしくお願いいたします!




