幕間〜ナッシュヘルトの美食と、二つの世界の架け橋〜 第105話
今回も9000字を超える長めの更新となります。
お時間のある際にお読みいただければ幸いです。
もし作品を気に入っていただけましたら
評価してもらえないでしょうか。
一生懸命書かせてもらっていますので
よろしくお願い致します。
みなさんの評価とブクマを楽しみにして次回も精一杯
頑張りたいと思います。
それでは本編へどうぞ。
「長旅になりますが……そんな軽装で大丈夫ですか?」
ボルクが、荷物の少ないサンたちの姿を見て
心配そうに声をかけた。
「……あ、急な旅立ちでしたので
準備の時間が取れなかったのです」
サンが動揺しつつ返答した。
「そうですか……。
でしたら、途中の町で調達しながら行けば大丈夫ですよ」
ボルクが明るく提案する。
「何から何まで、ありがとうございます」
サンが何度も頭を下げて礼を言った。
「礼を言われるようなことではないぞ。
旅は道連れ、といいますからな」
ボルクが笑いながら話す。
「そろそろ出発のようだ」
ボルクが告げた。
先頭の御者が後方の御者に合図を送り
出発の準備が始まった。
「それじゃあ、出発しますので
みなさん、着席していただけますか」
御者の指示で乗客が席に着いた。
後方の御者から準備完了の合図を受け取り
先頭の御者が、あらためて出発の声を上げる。
「出発!」
御者が手綱を強く握り、前方のヒッポスに合図をする。
「グルルゥ……ゥゥ」
ヒッポスが低く唸ると、蹄が硬い大地を力強く噛む。
ガタ、と車体が揺れ、旅車が動き出す。
三台が一定の距離を保ちながら、街の門を通り過ぎていく。
車輪が地面を転がる単調な音が響き
積み込まれた荷物と旅の気配を乗せて
旅車は街を背にゆっくりと進んでいった。
ボルクは旅車の座席に深く腰を下ろし
揺れる車窓から遠ざかる街並みを眺めて言った。
「さあ、長旅の始まりだ。
二人さんも楽しんでいこうじゃないか」
ボルクの言葉と、ヒッポスの力強い蹄が土を叩く音が
重なり合い旅車は徐々に速度を上げ、砂埃を上げながら
荒野の彼方へと消えていった。
サンは次第に遠ざかっていく街並みを
少し寂しそうに眺めていた。
「もう街が見えなくなりましたね……」
ボルクがサンの顔色を気遣うように言った。
「そうですね……」
サンが寂しげに肩を落とす。
「心配せんでも大丈夫だ。この旅車というものは
三台が車列を組んで運行するのが基本だ」
ボルクが優しく説明する。
「そうなんですね、少し安心しました」
サンが微笑みながら返した。
「前方の旅車と後方の旅車に護衛が乗っておる。
真ん中のわしらは一番安全ということじゃ」
ボルクが自慢げに言った。
「ひとつだけ不安があるとすれば
……聖魔法の使い手が、おらんということかの」
ボルクはそう言って、わずかに眉をひそめた。
「そっ、そうなんですか?」
サンは自分が聖魔法使いであることを隠し
大袈裟に驚いて見せた。
「ははは! まあ、危なくなればわしが守ってやるから安心せい。
こう見えてもベテランの冒険者だからの」
ボルクは年季の入った剣に手を添え、胸を張った。
「最初の宿場街にはもうすぐ着くからな。
そこで一泊して早朝出発する」
ボルクが細かく説明する。
「そんなに早く着くんですか?」
サンが驚いたように尋ねる。
「お前さんたちみたいな旅人は結構多いんだよ。
だから最初の宿場街は近くに設置しているんだ」
ボルクが言った。
「そうなんですね」
サンが頷きながら納得した。
「そこは、なんでも手に入るから欲しいものが
あればそこで買うといい」
ボルクが言った。
「はい、わかりました」
「その先は品揃えも悪くなるし、値も張る。
……だから買い忘れの無いように
しっかりと注意する事だ」
ボルクは淡々と旅の心得を語る。
「なるほど、そういうことですか」
サンは静かに頷いた。
――――
しばらくして、一行は夕方
ヴァルディアに到着した。
王都セント・カリオンに程近い旅に重要な街
首都の隣でもあり、沢山の運行路を持つ出発の街
旅に特化した街である。
旅人相手の店がずらりと並び
夕暮れの中でも活気に満ちている。
「さぁ、着いたぞ。
今夜はこの街で一泊だ」
ボルクが旅車から降り、大きく伸びをした。
「わしのおすすめの宿があるんだが
そこにするか? 悪くない飯が出るぞ」
ボルクが誘う。
「はい、お願いします」
サンが頷いた。
宿の手続きを終えると
ボルクは荷物を自分の部屋に置き
サンたちの部屋の扉をノックした。
コツコツ
「入っても大丈夫か?」
「はい、大丈夫です」
サンが即座に返事をした。
「わしは、旧知の店に顔を出してくる。
お前さんたちもついてくるか?
そこで必要な物が買えるはずだ」
「わかりました。ご一緒させて下さい。
ありがとうございます」
「ありがとうございます」
カイもつられて感謝した。
サンとカイは、荷物を最小限に絞り
そのままボルクに連れられ
街の中心通りへと向かった。
――――
ヴァルディアの通りは、旅人向けの店が軒を連ねていた。
「サンさん、まずは水を入れる袋を買っておくといい」
ボルクが乾糧店を指さす。
「そうですね。あと、簡易的な食料もありますか?」
サンが応じた。
「ここは、そういった物が専門の店だから
なんでもあるぞ」
三人は店の中に入っていった。
「邪魔するぞ」
ボルクが気さくに声をかけた。
「ボルクさん、もう帰ってきたんですか?
聖魔法使いは見つかったんですか?」
店主が心配そうに確認した。
「いやぁ〜ダメだったわ、ははは……。
聖統師見習いでもよかったんだがな〜
一人も出せないらしい……」
ボルクが頭を掻きながらぼやいた。
「そうですか……。
また何かおっぱじめるつもりですかね〜」
店主が不吉なことを呟く。
(……もうおっぱじめているんですが……)
聖統師だったサンが心の中で呟いた。
「ボルクさん、そちらは旅の人かい?」
店主が言った。
「おお、そうだ!カザン、水を入れる袋を
見せてやってくれるか」
ボルクが言った。
「水なら、この革袋が便利だよ。
軽いし、丈夫です」
カザンが愛想よく声をかけてくる。
「丈夫そうですね、じゃあ、これください」
サンが革袋を手に取り言った。
「毎度あり!他にほしい物はあるかい。
ボルクさんの知り合いだから安くしとくよ」
カザンが言った。
「これ、果物の乾物ですか?」
サンが足を止め、並んだ品を見つめた。
「そうだ、他にも乾物はたくさんあるから
じっくり見ていくといい」
カザンが説明を始めた。
「はい」
「ここら辺にあるのが果物の乾物で
そっちにあるのが芋類の乾物だよ。
食べてみるかい?」
カザンが試食を勧めた。
「試食させてください」
サンが笑顔で返事をした。
カザンは棚の奥から、小さな木皿を二枚取り出した。
「まずはこっちだ」
そう言って、赤みがかった薄切りの果物を
木皿に並べていく。
「これはナッシュヘルト産リンゴの乾物だ。
皮ごと薄く切って、天日でじっくり干してある。
甘みが凝縮してるから、疲れた時にちょうどいい」
サンは一切れ手に取り、口へ運ぶ。
もちっとした弾力と、しっかりとした甘み。
噛むほどに、濃縮された果実の香りが広がる。
「……美味しい。甘さがしっかりしてますね」
「美味しいでしょ。旅人にはよく売れてるんですよ」
カザンが満足げに頷いた。
続けて、もう一枚の皿を差し出す。
「こっちが甘芋の乾物だ」
薄く切って干された、黄色みのある芋の欠片が並んでいた。
「これはただ干すだけじゃない。
一度蒸してから干すから、味が締まって甘くなる」
サンはそれも一切れ口にした。
ほくほくとした食感の後に、じんわりとした甘みが追いかけてくる。
噛むたびに、素朴だが芯のある味わいが染み出してきた。
「……こちらも、優しい甘さですね」
「そうでしょう。日持ちもするし、腹も満たせる。
旅にはうってつけですよ」
「じゃあ、両方とも少し多めにいただけますか?」
サンが選ぶ。
「毎度あり! ちょうどいい量を袋に詰めておくよ」
カザンは慣れた手つきで、二種類の乾物を
それぞれ布袋に手早く詰めていった。
「サンさん、あそこのドライフルーツは
マンゴーじゃないんですか」
カイが鮮やかな深い黄金色の乾物を見つけ、小声で呟いた。
「ほんとだ!間違いないな」
サンが興奮を隠しきれずに声を上げた。
「サンさん、小声で……小声でお願いしますよ」
カイが周囲の視線を恐れたように肩をすくめる。
「あっ……そうだった……。私がお願いしたのに、ごめんね」
サンがわざとらしく口元を抑え、囁くように言い直した。
「カザンさん、そちらの乾物も
試食させていただけないでしょうか?」
サンがマンゴーらしき乾物を指差した。
「ああ、その乾物もナッシュヘルト産だよ。
ハウス栽培だから少々値は張るんだが……。
たくさん買ってもらったし、特別に試食させてあげよう」
「ありがとうございます!
ちなみに、この果物は何というものですか?」
サンが期待を込めて尋ねた。
「これは、アップルマンゴーという果物だよ。
熟すと果皮がリンゴのように赤くなるのが特徴なんだ」
カザンが嬉しそうに説明を始めた。
「アップルマンゴーですか……」
サンが納得したように繰り返す。
「中の果肉は鮮やかなオレンジ色でね。生で食べると
甘みと酸味のバランスが絶妙な果物らしいんですよ。
もっとも、この国では生の果実を口にするのは難しいんですが……」
「そうなんですか……」
サンが少しだけ残念そうに呟いた。
「まあ、まずは食べてみて下さい」
カザンが薄くスライスされた、マンゴーの欠片を差し出した。
サンがそっと口に運ぶ。
噛みしめた瞬間、凝縮された太陽の甘みが口いっぱいに弾けた。お
「……っ! これ、これだわ!香りが強烈で、甘さの中に
少しだけ酸味があって……ねっとりとすごく濃厚!」
次にカイが口にする。
彼は目を閉じ、静かにその風味を確かめた。
「……生じゃないのが信じられないな。噛むほどに味が濃くなる。
……これ、地球で食べたのと変わらないな……
もし生で食べられたら、どんなに贅沢だろうか」
二人は顔を見合わせ、懐かしい味を噛み締めていた。
「カザン、わしにも試食させてくれ」
二人の反応を見たボルクが思わず言った。
「ボルクさんも食べて見ますか
これはナッシュヘルト産の中でも特に自慢の品です」と言いながら
カザンは切り出したマンゴーの乾物をボルクに差し出した。
ボルクは差し出された黄金色の塊をじっと見つめ
何の躊躇もなく口へと放り込む。
そして、顎をゆっくりと動かした。
数瞬の静寂。
ボルクの瞳が驚愕に見開かれ、その顔が一気に緩む。
「……っ! なんだこれは……!」
あまりの衝撃に、ボルクは思わず声を荒らげた。
ねっとりとした食感と共に広がる濃厚な甘み。
噛み締めるほどに、驚くほど上品な酸味。
すぐ隣にいたサンとカイを交互に見やった。
「お前たちがあんな顔をするわけだ。
……ちっ、こんな美味いものを隠し持っていやがったな、カザン!」
「ははは! 気にいってもらえましたか。
高価ですが値が張るだけのことはある品です」
カザンが得意げに胸を張り満足そうに笑った。
「ああ。カザンさん、これを半分ほどいただいてもいいですか?」
サンは先ほどまでの慎重さを忘れ
カザンの商品に熱い視線を注いでいた。
「はい、もちろんございます
お買い上げいただき、ありがとうございます」
カザンは思っていたより上客のサンたちに
上機嫌で返答した。
「ボルクさんは、どうしますか?」
カザンが念の為に確認した。
「わしも、残りの半分ほど貰おうか」
ボルクがあまりの美味しさに奮発した。
「ありがとうございます」
カザンがにやりと言った。
「ふっ、商売上手め……」
カザンの顔を見たボルクが呟いた。
「これ、干し肉ですか?」
しばらく店内を歩き、サンが並んだ品を見つめた。
「この辺りに並んでいるのは全部干し肉です」
カザンが場所を指し示した。
「カザンさん、この干し肉が気になるんです。
少し見せてもらってもいいですか?」
サンが、黒光りするほどしっかりとスモークされた
大ぶりの肉の塊を指差した。
「おお、よく気づきましたね、それは極上のファングボアの赤身を
使った自慢の燻製干し肉です。
オークの木のチップでじっくり燻して旨味を極限まで凝縮させてるんだよ」
カザンが誇らしげに胸を張る。
「ファングボア……。魔獣のボアですか
これはまた、いかにも硬そうですね……」
サンが興味深そうに首を傾げた。
「はは、見た目通り一筋縄じゃいかない代物さ。
普通の歯じゃ歯が立たないから、薄くスライスするか
じっくり煮込むのが定番の食べ方だが……
今日は特別に、そのまま薄く削いだやつを試食しますか?」
「はい、お願いします」
サンが嬉しそうに返す。
カザンが専用の鋭いナイフを取り出し
熟練の手つきでボアの燻製干し肉を薄く
向こうが透けるほどに削ぎ落していく。
削られた断面からは、芳醇なオークチップ特有の華やかな
スモーク香と共に熟成された肉の濃厚な赤身が顔を覗かせた。
「どうぞ、食べて見て下さい」
差し出されたそれを、サンがまず口に運ぶ。
口に入れた瞬間
ガツンと力強いオークの木の燻製香が鼻腔を突き抜けた。
「……っ! 香りがすごい……!」
最初はしっかりとした歯ごたえがあったが
噛みしめるごとに、凝縮されたボア特有の野性味あふれる旨味と
脂の甘みがじわりと口いっぱいに広がっていく。
「硬いけど……噛めば噛むほど味が出るわね。
このワイルドな旨味、お酒が欲しくなる味だわ」
サンが言った。
次にカイが口にする。
彼は目を細め、その深い味わいをじっくりと堪能した。
(ああ……ただの保存食の域を超えている。
スパイスの下味も絶妙でビールが欲しい……)
二人の反応を見て、ボルクが我慢できずに手を伸ばす。
「どれ、わしにも食わせろ!」
ガシリと噛み砕くように口に入れ、豪快に咀嚼するボルク。
「ぐぅ……! これだこれだ! この噛みごたえとガツンとくる肉のコク!
旅の道中なら、これ一つで何日でも歩ける代物だな!」
屈強な戦士たちの心をも鷲掴みにするボアの燻製干し肉の香りが
店内に贅沢に広がっていった。
「この品もナッシュヘルト産だよ。あの国は食にうるさいから
美味しさの追求が半端ないんですよ、この国とは大違いです」
カザンがどこか呆れたような
しかし感心したような調子で肩をすくめた。
「へぇ、ナッシュヘルトってそんなに食にこだわってる国なんだ……」
サンが興味深そうに乾燥したボア肉の塊を眺める。
「ああ。あそこの貴族や職人たちは
どうすればより美味しくなるかばかり考えていますので
おかげで値段も張るが、味は確かだからね」
カザンは得意げに鼻を鳴らし
再びカウンターの向こうで手元の作業に戻った。
「干し肉は日持ちするし、力も出る。
旅の必需品だからな……
この美味しさなら旅の食事も大満足だなぁ~」
ボルクが笑って賞賛した。
「じゃあ、少し多めにお願いします」
サンが数本を選び、代金を払った。
「毛布はいらないか? この時期の荒野は
夜になると急に冷えるからな」
気を取り直しボルクが提案する。
「……確かに、必要かもしれませんね」
サンが少し考えてから頷いた。
乾物屋を出た三人は次の店へ足を進める。
ボルクの知り合いの旅具店で
二人は毛布を一枚ずつと、ボルクお勧めの旅道具を
数品購入し店を出た。
こうして、夕暮れのヴァルディアの街を歩きながら
サンとカイは旅に必要な品を一つずつ買い揃えていった。
サンとカイは二つに仕切られた部屋で眠りについた。
――――
ドンドン!
「カイ!早く起きなさいよ。
今日は落とせない講義があるんじゃないの!」
母親が心配してドアを激しく叩く。
「ふっあぁ〜ここは……ここはどこだ?」
カイは寝具の上で、見慣れた部屋の中をぐるりと眺めた。
「俺の部屋だ……!」
現実感を伴う自分の部屋の光景に、カイは絶句して確信した。
「あんた、朝から何を寝ぼけたこと言ってるんだい?
ゲームのやり過ぎなんじゃないか……。
いいから早く起きてドアを開けなさい!」
母親が呆れたように怒鳴った。
ガチャ。
「わかったよ。
今から着替えていくから……」
カイがまだ夢の余韻を引きずったまま、眠そうに答えた。
「早くしないと、朝食を食べる時間がなくなるよ」
「はい、はい……」
(やっぱり、夢だったのか……?
でも、あの神様、どう見ても母さんそっくりだったよな〜……)
「あんた!なんで朝っぱらからビールなんか飲んでるの!?」
ベランダから洗濯カゴを抱えて戻ってきた母親が
台所の光景を見て仰天した。
「いやぁ〜俺もよくわかんないんだけどさ……
無性に飲みたくなって、つい手が勝手に動いて……」
カイが自分の右手を見つめながら不思議そうに呟いた。
「あんた、まだ頭が寝ぼけてるのかい?」
母親が額に手を当てて深くため息をつく。
「母さん、行ってくるよー」
カイは缶ビールをテーブルに置き、急足で家を出ていった。
「まったく、いってらっしゃい……気をつけていくんだよ」
母親は頭を抱えつつ、変なテンションの息子を心配そうに見送った。
異世界で過ごした濃密な日々は、驚くほどリアルな「夢」として
カイの脳の記憶の奥底へと統合されていった。
(学校が終わったら、帰ってゲームの続きだなぁ~)
カイの頭の中は、昨日発売されたばかりの新作ゲームのことで
完全に埋め尽くされ、異世界での記憶は頭の奥底で
埋もれたまま時が過ぎた……
ーーーー
「カイ!早く起きなさいよ。
いつまで寝てんだよーまったく……」
「ふっあぁ〜ここは……ここはどこだ?」
カイは寝具の上で、部屋の中をぐるりと眺めた。
「いっ異世界かよ……!」
カイは頭の奥底で埋もれた記憶を掘り起こし
絶句して確信した。
「あんた、朝から何を寝ぼけたこと言ってるんだ?
いいから早く起きて来なさいよ」
サンが呆れたように怒鳴った。
「サンさん、カイさん、そろそろ出発しましょう」
ボルクが部屋の扉越しに、声を張り上げて告げた。
「はい、わかりました。すぐにいきますので!」
サンが慌てて返事をして、自分の荷物を手際よく整える。
その横で、カイがのそのそと寝ぼけ眼で起きてきた。
「カイ、この荷物も背負ってちょうだい」
サンが手頃な大きさの荷物を一つ渡す。
「はい、わかりました……」
カイがまだ眠そうに腕を通し
なぜか荷物を背負わず胸の前に抱え込んだ。
「あんた、まだ寝ぼけてるのかい?
それじゃあ前に抱え込んでるじゃないか……」
サンが額に手を当てて、やれやれと深くため息をつく。
「これでいいんだよ。
これからすぐに旅車に乗って座るんだからさ」
カイがふにゃふにゃとした笑みを浮かべて言い訳する。
「また、そんな寝ぼけたこと言って……。
さぁ〜、置いてかれないように行くよ」
サンが心配そうに呆れながらも、促すように背中を押した。
「ボルクさん、朝から遅くなってすみません」
「……すみません」
サンとカイが揃ってボルクの前に立ち
頭を軽く下げて謝罪した。
「ははは、まだ出発時刻まで余裕はあるから心配しなさんな」
ボルクが豪快に笑い飛ばす。
こうして三人は、王都西河港行きの停留所へ向けて歩き出した。
宿を出ると、朝の冷たく澄んだ空気が肌を刺すように心地よい。
遠くの街並みの向こうからゆっくりと太陽が昇り始め
鳥のさえずりと自分たちの足音だけが静かに響く。
停留所から乗り込んだ旅車がガタゴトと車体を揺らしながら
ヴァルディアを出発した。
「サンさん、荷物は膝の上が基本ですよ」
カイがにやりと笑い、小声で伝えた。
「横、空いてんだからいいだろ……」
サンが面倒くさそうにあしらった。
それからしばらくして、旅車が荒野を進み始めた頃。
「おい、どけよ! こんなところでノロノロ歩くんじゃねーよ!」
先頭の冒険者らしい男の怒鳴り声が響いた。
「冒険者さん、早くどうにかして下さいよ……」
御者が困り果てたように叫ぶ。
「どうしたんだ!」
後方の冒険者が顔を覗かせ、状況を尋ねた。
「大きな亀が道を塞いだままだが……遅すぎて進めやしねぇ!」
先頭の冒険者が悪態をつく。
「私たちは到着が遅れるとお給金を減らされるんだ。
お願いだからなんとかしてくれよ……」
御者の切実な言葉が響く。
「だったら、殺してしまえよ!」
後方の冒険者がしびれを切らして叫んだ。
「殺す……」
ボルクが呟く。
「ちょっと見てくる、ここで待っていてくれ」
ボルクが旅車から降り、前方へと歩き出した。
「待て! 殺すんじゃない。お前、殺してどうするつもりだ!」
ボルクが厳しい声で制する。
「どうするって……?」
冒険者が戸惑う。
「死体は誰が片付けるんだと聞いてるんだ!
そのくらい分からんのか」
ボルクが呆れ果てて言った。
「確かに……じゃあ、どうすりゃいいんだよ」
「どうするって? みんなで押すんだよ」
ボルクが提案した。
「みんなで押す……?」
「サンさん、カイさん、ちょっと手伝ってもらえませんか」
ボルクが戻ってくるなり頼み込む。
「みんなを前方に集めろ! その方が守りやすい」
後方の冒険者にそう指示を飛ばす。
「はい、わかりました」
彼はボルクの威圧に押されて従った。
「お前は、監視役だ!周りに注意しておけ」
ボルクが言った。
「はい、わかりました」
後方冒険者が了承して周りを確認した。
「……なんだあれは! 動いていないか?」
後方の冒険者が怯えた声で呟く。
山だと思っていたものが
巨大な生き物であることに気づいたのだ。
「今ここにいるのはアイツの子供だ。
アイツはグランタートスだ!
もしお前が子供を殺していたら
わしらはアイツに踏み潰されていたぞ!」
「……」
ボルクの言葉に、二人の冒険者の顔は青ざめ
無言で立ち尽くしていた。
――――
しばらくしてボルクが大きな声で指示を飛ばす。
「いいか、息を合わせて押すぞ!」
一行は、巨大な亀の甲羅の後方を囲むように並んだ。
サン、カイ、御者、前方の冒険者、そしてお客十二名。
ボルクが中心となって位置につく。
お年寄りと子供は、安全のため後方の冒険者のそばで待機させた。
「せーの、で押す。いいな!」
ボルクの号令に、全員が姿勢を低く構える。
カイは両手を甲羅に押し当て、足を踏ん張った。
(……重い)
触れただけで、その圧倒的な質量が伝わってくる。
サンも同じように手をかけたが、あまりの硬さと大きさに
自分の力がどこまで通用するのか不安がよぎる。
「せーのっ!」
号令とともに、全員が一斉に力を込める。
「うおおおおっ!」
冒険者の野太い声が響くが、甲羅はびくともしない。
「もう一回だ! せーのっ!」
二度目の号令。足元の土がじりじりと削れる。
亀の巨体が、ほんの少しだけ揺れた。
「動いたぞ!」
「止めるな、押し続けろ!」
ボルクの叫びに合わせ、力を込め続ける。
やがて、甲羅がゆっくりと、確かに前へと滑り出した。
ズズ、ズズ……。
土を擦る重い音が響く。
亀は、自分が押されていることに気づいているのかいないのか
変わらぬ速度で足を動かし続けている。
しかし、その進行方向は確実に道の脇へと逸れていた。
「よし、もう少しだ!」
全員の額に汗が滲む。サンの腕も限界に近い震えを感じ始めていた。
だが、誰も止めなかった。
やがて亀の巨体が道の端まで達し、中央に十分な幅の隙間が生まれた。
「よし、そこまでだ!」
ボルクの声に、全員が一斉に手を離してその場に座り込む。
「はぁっ、はぁっ……」
肩で息をするカイ。
汗を拭うサン。
「や、やりました!」
「あぁ〜、こんなに力を使ったのは久しぶりだわい」
ボルクが豪快に笑った。
亀は何事もなかったかのように道の端を
のそのそと歩き続けている。
その背後で、山の如きグランタートスを
横に眺め、旅車がゆっくりと動き出した。
「皆さん、ご苦労でした。
お力をお貸しいただきありがとうございます」
先頭の冒険者が、素直に頭を下げた。
「……いい経験になりました。ありがとうございます」
後方の冒険者も、神妙な面持ちで感謝を伝える。
ボルクは満足そうに頷いた。
「これも、旅の醍醐味というやつじゃな」
(山のような巨大な亀が……旅の醍醐味? 富士山じゃないんだから……)
カイが、山の如きグランタートスを横目にぼそりと呟いた。
誰に聞かせるでもないその一言は、車輪の軋む音に紛れて消えていく。
だが――そんな非常識さすら
この世界では日常になっていくのかもしれない……
第105話
幕間〜ナッシュヘルトの美食と、二つの世界の架け橋〜
最後までお読みいただき、ありがとうございます!
今回は、26話のサン視点、33話のカイ視点に続く
三度目の「旅立ちの朝」の幕間となりました。
ヴァルディアでの買い物シーンでは
ナッシュヘルト産のアップルマンゴーや
ファングボアの燻製干し肉など
新しい食材をいくつも登場させています。
「この国とは大違いです」というカザンの言葉に
シンフォリア連邦の豊かさを
少しでも感じていただけたら嬉しいです。
そして今回、一番書きたかったのは
「夢だと思っていた記憶が、実は現実だった」
という構造の反転です。
一度は現実の朝に帰り、母親に叱られ
ゲームのことで頭がいっぱいになるカイ。
けれど次の瞬間には
「いっ異世界かよ……!」と、また異世界の朝が始まる。
この往復が、カイというキャラクターの
軽やかさと戸惑いの中での初めての能力開花を
少しでも表現できていたら幸いです。
亀を押す場面や、冒険者たちとのやり取りは
丁寧に描きました。
みんなで力を合わせて困難を乗り越える
――この作品を通して大切にしたい
温かさの一つの形だと思っています。
「富士山じゃないんだから……」という
カイの呟きで締めくくりましたが
そんな非常識な出来事すら
少しずつ彼の日常になっていく――
その予感を込めた一文でした。
引き続き、見守っていただければ嬉しいです。




