第033話:秋の収穫祭、二人だけの宴
原生林の秋は、二人の想像を遥かに超える豊穣を森中にもたらしてくれた。
木々の梢は黄金色、深紅、赤褐色へと燃えるように染まり、足元の黒土の上には、幾重にも重なる落ち葉の分厚い絨毯が敷き詰められている。
踏みしめるたびにサクサクと心地よい乾いた音が響き、落ち葉の下からは、甘く香ばしい土と果実の匂いが立ち上っていた。
「シロ、足元に気をつけて! イガが刺さると痛いからね」
アルトが声をかけると、シロは前足を器用に使って落ち葉を跳ね除け、地面に転がっていた巨大な茶色の塊を鼻先で指し示した。
口を開けた鋭いトゲの殻――ヤマグリだ。
中からは、丸々と太ってツヤツヤと輝く濃い茶色の実が、二つ、三つと顔を覗かせている。都市の市場で売られていた痩せた栗とは比べ物にならないほど大きく、皮には張りと重みがあった。
アルトが自作の竹籠に栗を放り込むと、シロは得意げに鼻を鳴らし、今度は別の巨木の根元へと案内してくれた。
シロの優れた嗅覚は、人間には到底見つけられない森の宝物を次々と暴き出していく。
ブナの倒木の影には、傘が手のひらほどもある肉厚のマイタケやヒラタケの群生。
日当たりの良い南向きの斜面には、ツルを伸ばして黒紫色の実をたわわに実らせたヤマブドウと、キウイに似た濃厚な甘酸っぱさを持つサルナシ(コクワ)の房。
さらに、クヌギやコナラと違ってアクが少なく、そのまま粉に挽いて食べられるマテバシイの甘いドングリが、地面が見えなくなるほど降り積もっていた。
小川に沈めておいた柳の筌を引き上げれば、産卵を控えて腹にたっぷりと脂を蓄えた大振りのイワナやヤマメが三匹も暴れ回っている。
そして森の奥、小道に仕掛けておいたツルの括り罠には、冬毛を蓄えて丸々と太った野兎が一匹、獲れていた。
「大豊作だ……! こんなにたくさんの食べ物、街にいた頃だって見たことがないよ!」
背負い籠を二つ満杯にし、さらにシロの背中の背負い袋にも木の実を詰め込んで、二人は大樹の根元へと戻ってきた。
だが、ただ集めただけでは、冬を越すことはできない。
生肉や生魚は数日で腐ってしまうし、木の実も湿気を吸えばカビが生えてしまう。
集めた命の恵みを、厳冬期まで長持ちさせるための「保存技術」――アルトとシロの本格的なクラフトが始まった。
最初に着手したのは、大樹の根元の少し風通しの良い斜面に作る【燻製小屋】だった。
平たい川石を円形に積み上げ、隙間に粘土を詰めて高さ一メートルほどの煙突状の炉を作る。
下部には薪とチップをくべる焚き口を開け、上部には細い竹の棒を何本も渡して、肉や魚を吊るすための格子を組んだ。屋根には、煙がゆっくりと抜けるように、隙間を空けた樹皮の蓋を被せる。
仕込みも抜かりなく行った。
解体した兎の肉と、ワタを取って開いた川魚を、都市の兵士が落としていった革袋に入っていた貴重な岩塩と、森で採れた乾燥山椒の実ですり込む。
半日ほど置いて余分な水分を拭き取った後、竹の串を通して燻製炉の格子へと吊るした。
焚き口の底で熾火を起こし、その上に夏に集めておいた「ヤマザクラの枯れ枝」を小刀で細かく削ったスモークチップをたっぷりと振りかける。
ジュウ……と微かな音とともに、甘く芳醇な香りを帯びた白い煙が立ち上った。
桜の木の煙は、肉の臭みを消し、素晴らしい風味を与えてくれる。
火を大きく燃え上がらせてはいけない。熾火の微かな熱で煙だけを出し続ける「温燻」の火加減を保ちながら、二人は交代で煙の番をした。
丸一日、煙に包まれた肉と魚は、余分な脂を落としながらじっくりと脱水され、表面が艶やかな深い飴色へと染まっていった。
煙の殺菌成分と塩分によって、これなら氷点下の真冬でも数ヶ月は保存が効く極上の保存食になるはずだった。
燻製が仕上がるのを待つ間、アルトはもう一つの挑戦を始めた。
【ドングリ粉と栗の堅焼きパン】づくりだ。
大樹の根元に据えた平らな巨石の上に、殻を剥いて天日干しにしたマテバシイとヤマグリを並べる。
片手で握れる重たい丸石を手に取り、体重をかけてゴリゴリと丹念に押し潰していく。
硬い木の実が砕け、やがてきめ細やかな淡いクリーム色の粉へと変わっていく。擦り合わさる石の音と、立ち上るナッツのような甘い香りが心地よい。
粉を木製の器に移し、微量の岩塩と、湧き水を少しずつ注ぎながら、手で力強く捏ねていく。
小麦粉のような粘り気はないが、栗のデンプン質が水を吸って、しっとりとした重みのある生地へとまとまっていった。
それを手のひらで平たく丸め、厚さ一センチほどの円盤状に成形する。
カマドの炎でカンカンに熱しておいた平らな安山岩の焼き石の上に、丸めた生地をそっと乗せた。
ジュゥゥゥッ――!
小気味よい音とともに、立ち上る香ばしい湯気。
木の実の自然な油分が熱石の上でパチパチと弾け、甘く香ばしい匂いがツリーハウスいっぱいに広がっていく。
両面をじっくりと焦げ目がつくまで焼き上げると、外側はパリッと硬く、中はほっくりとした黄金色の焼きパンが完成した。
「できた……! シロ、今夜は秋の収穫祭だ!」
夕暮れ時。
原生林が茜色と紫色のグラデーションに染まる頃、二人は樹上の見張りデッキに丸太を削って作った小さなテーブルを据え付けた。
その上に、今日作り上げたご馳走を並べていく。
こんがりと焼き上がったドングリと栗の堅焼きパン。
桜の煙を吸って飴色に輝く、兎肉と川魚の燻製。
磨き上げた鉄鍋でコトコトと煮込んだ、天然マイタケと根菜の濃厚なポタージュスープ。
竹筒の中で潰して布で漉した、ヤマブドウの深紫色の生搾りジュース。
そしてシロの前には、特大の骨つき燻製肉と、焼きたてのパンが木の器に山盛りに盛られていた。
「半年間、お疲れ様。シロ、いただきます!」
アルトが合図を出すと、シロは待ちきれないとばかりに骨つき肉に食らいついた。
バリボリと豪快な音を立てて軟骨を噛み砕き、溢れ出す旨味に目を細めて夢中で貪り食っている。
アルトも堅焼きパンを手に取り、端をかじった。
カリッ、と小気味よい音が口の中に響く。
噛みしめるほどに、栗の濃厚な甘みとドングリの香ばしさが広がり、微かな塩気がその素朴な風味を引き立てていた。硬めに焼いてあるので噛み応えがあり、一切れ食べるだけで確かな満足感が湧き上がってくる。
続いて、飴色に輝く燻製魚の身を指で割いて口に運ぶ。
パリッとした皮の奥から、凝縮された魚の旨味とスモーキーな香りが鼻腔を抜けた。塩気と煙の渋みが絶妙で、何日でも食べ続けたくなるほどの美味だった。
温かいキノコスープを木製スプーンですすり、冷たいヤマブドウのジュースで喉を潤す。口いっぱいに広がる甘酸っぱさが、濃厚な燻製の油分を爽やかに洗い流してくれた。
「美味しい……本当に美味しいよ、シロ……!」
目頭が熱くなった。
半年前、街から放り出されたあの夕暮れ、少年のポケットには乾いた一切れの黒パンすら入っていなかった。
飢えと渇きに怯え、泥水を啜り、いつ飢え死にするか分からない暗闇の中で震えていたのだ。
それが今では、誰にも媚びず、誰からも奪われず、自分の手と知恵だけで、こんなにも贅沢で誇らしい食卓を囲んでいる。
シロが骨を平らげ、口の周りを満足そうにペロリと舐めると、アルトの膝に顎を乗せて甘えるように尻尾を振った。
二人は顔を見合わせ、笑い声を上げた。
満天の星が瞬き始めた秋の夜空の下、二人だけの小さな収穫祭は、世界で一番温かい幸福感に満たされていた。
…………
食事が終わり、器を片付けた後。
心地よい満腹感に包まれながら、アルトは夜風に吹かれようと、ツリーハウスからさらに上へと伸びる「見張り台」のハシゴを登った。
大樹の最上部、地上十五メートルの梢に設けた小さな足場。
ここからは、境界の森の全景と、遠くの地平線までが一望できる。
澄み切った秋の夜風が、少年の髪を優しく揺らした。
満天の星がプラネタリウムのように広がり、天の川の白い帯が森を跨ぐように流れている。
「……ん?」
ふと、西の地平線に目を向けた時、アルトの視線が凍りついた。
境界線の向こう――オルディス防壁都市がある方角の夜空。
普段なら、魔導灯の白く冷たい光が小さく瞬いているはずのその場所が、今夜は異様だった。
地平線の一角が、毒々しい赤黒い色に染まり、脈打つようにボゥッ、ボゥッと明滅を繰り返していたのだ。
立ち上る黒煙の量も、昼間より明らかに増えている。
煙の筋が夜空を汚し、星の光を飲み込みながら、蠢くような影を作っていた。
「……街の炉が……崩壊を始めてる……?」
かつて都市の地下で魔力炉の整備補佐をさせられていたアルトには、あの光の意味が痛いほどよく分かった。
炉心に溜まりすぎた魔力の澱みが、冷却装置を焼き切り、防壁の制御盤を内側から溶かし始めているのだ。
都市の終わりが、確実に近づいていた。
そしてその混乱は、いずれこの境界の森の境界線をも決壊させ、濁流となって押し寄せてくるかもしれない。
美しく満たされた収穫の夜の終わりに、冷酷な現実の足音が、静かに影を落としていた。




