第014話:割れた琥珀色のガラス瓶
地上四メートルの大枝の上に、二畳半の水平デッキが完成した。
だが、それはあくまで「床」ができただけに過ぎない。
木の上は地上よりも風が強く、四方を遮るものが何もない吹き曝しだった。夜になれば森の冷気が四方八方から容赦なく吹き付け、雨が降れば全身が濡れ鼠になってしまう。
安心して夜を明かすためには、風雨を完全に防ぐ「壁」と「屋根」を建て増ししなければならない。
「でも、木の板だけで四方を塞いじゃうと……中が真っ暗になっちゃうな」
アルトは大枝の端に座り、シロの柔らかい白い頭を撫でながら考え込んだ。
板と樹皮だけで隙間なく壁を作れば、風雨は防げる。けれど、樹上では火を焚くことができない。
もし乾燥した木の床の上で焚き火をすれば、爆ぜた火の粉が一瞬で木の壁や枯れ葉に燃え移り、ツリーハウスごと大樹を焼き尽くしてしまう危険があるからだ。
火が使えない密閉された部屋は、昼間でも洞窟のように暗く、息が詰まる空間になってしまう。
外の光を部屋の中へ引き込むための「窓」が必要だった。
だが、ただ壁に穴を開けただけの窓では、そこから冷たい雨風が吹き込んでしまう。
「透明で、風を防げて、光だけを通して、しかも夜の明かりにもなるもの……」
アルトの脳裏に、先日水準器として使った、あの「琥珀色のガラス瓶」の姿が鮮烈に蘇った。
川原の泥の中から掘り出した、都市の廃棄物。
都市の防壁の内側にいた頃、アルトは貴族街の裏手にあるゴミ捨て場で、兵士たちに命じられて毎日のように酒瓶や薬瓶の破片を拾わされていた。
触れば手を切り、少しでも作業が遅れれば罵声を浴びせられた、あの呪わしいガラスのゴミ。
だが、この原生林において、それは自然界には絶対に存在しない「完全な透明性と防水性を持つ奇跡の人工鉱物」だった。
水準器に使った瓶のほかにも、川原の砂利地には、首が折れて打ち捨てられた分厚い琥珀色のガラス瓶が、泥に埋もれていたはずだ。
「シロ、もう一度川原へ行こう!」
アルトはシロを連れてステップ階段を駆け降り、小川の砂利地へと向かった。
川岸の葦の茂みや泥の堆積を小刀の先で掘り返す。
ほどなくして、黒い腐葉土の中から、鈍い光を放つ重いガラスの塊が二つ掘り出された。
かつて都市の豪商が愛飲していた高級薬酒の瓶だろう。
分厚い琥珀色の色ガラスで作られており、首の部分は鋭く割れて失われていたが、底の部分と筒状の胴体は無傷のまま残っていた。
特に瓶の底面は、厚さが一センチ以上もある分厚い凸レンズのような形状をしており、指で泥を拭うと、蜂蜜のように深く透き通った黄金色の輝きを放った。
「これだ……! この底の部分を使えば採光用の丸窓が作れるし、残った筒の部分を使えば、木の上でも絶対に火事にならない『安全な照明器具』が作れるぞ!」
だが、割れたガラスをそのまま使うのは極めて危険だった。
割れ口のエッジはカミソリの刃のように鋭利で、うっかり触れれば指の肉を骨まで切り裂いてしまう。
アルトは川原の平らな大石の上に腰を下ろし、ガラスの加工に取り掛かった。
使ったのは、川底から拾い集めた目の細かい「泥岩の砥石」と、清冽な川の水だった。
まずは、小刀の背でガラスの円筒部分と底の部分の境目に精密な傷をつけ、冷水に浸しながら石の角でコンと叩いて、底の円盤部分と胴体の円筒部分を綺麗に切り離した。
そして、ガラスの割れ口に水をたっぷりとかけながら、砥石の表面に押し当て、一定のリズムで円を描くように擦り合わせていく。
――シャリ、シャリ、シャリ、シャリ……
澄んだ水音に混じって、硬質なガラスの研磨音が森に響く。
ガラスの粉末が水に溶けて白い研ぎ汁となり、鋭利だったギザギザの割れ口が、少しずつ、少しずつ削り落とされていく。
シロが横から不思議そうに顔を近づけ、研ぎ汁の泡をクンクンと嗅いでは、鼻先に白い泡をつけて「クシュンッ!」と可愛らしくくしゃみをした。
その姿にアルトは思わず破顔しながらも、手元への集中は切らさなかった。
粗研ぎが終わると、さらにきめ細かな白い川砂を砥石の上にまぶし、滑らかに撫でるようにして角を丸めていく。
二時間後。
指の腹で強く擦っても、決して皮膚を傷つけることのない、滑らかな丸みを帯びた「円形の琥珀ガラス盤」と「筒状のガラスシェード」が仕上がった。
手のひらに乗せて太陽にかざすと、濁りのない美しい黄金色の光が、アルトの掌を温かく染め上げた。
「よし……次は、これを嵌め込む木枠だ」
アルトは大樹の樹上へと戻り、手頃な厚さ二センチほどの杉の板を手に取った。
板の中央に、ガラス盤の底の円周を小刀の切っ先で精密にケガく。
そして、小刀の切っ先を垂直に立て、少しずつ、少しずつ木目に沿って円形に削り抜いていった。
焦って力を入れれば、板が割れてしまう。
ミリ単位の慎重さで刃先を走らせ、小一時間かけて板の中央に綺麗な円形の穴をくり抜いた。
穴の内周には、ガラスの厚みに合わせた段差を彫り込む。
アルトはくり抜いた穴に、磨き上げた琥珀ガラスの底をそっとあてがった。
――トンッ。
吸い付くように、隙間なくピッタリと嵌まり込んだ。
ガタつきは一切ない。
隙間から雨水が侵入するのを防ぐため、川原の耐火粘土に松脂を練り合わせた天然の防水パテを作り、ガラスの円周の継ぎ目へと指先でしっかりと圧入した。
「できた……! 僕たちの部屋の、最初の窓だ!」
アルトはその板窓を両手で掲げ、ツリーハウスの西側の梁の上に仮留めしてみた。
ちょうどその時、森の西側の峰へと夕陽が傾き始めた。
――その瞬間だった。
沈みゆく夕陽の強烈なオレンジ色の光線線が、大樹の枝葉の隙間を縫って、琥珀色の丸窓へと一直線に差し込んできた。
分厚い色ガラスが天然の集光レンズの役割を果たし、光を優しく屈折させる。
削り立てのスギの床板の上に――
まるで絞りたての蜂蜜を丸く垂らしたかのような、信じられないほど温かく、柔らかな黄金色の光の円が、ポウッと浮かび上がったのだ。
「わぁ……っ!」
アルトは思わず息を呑んだ。
外の寒々とした風とは無縁の、見ているだけで胸の奥がじんわりと温かくなるような、奇跡のような光の溜まり。
足元で見ていたシロが、金色の瞳を丸く輝かせた。
そして、トコトコと短い足を動かして歩み寄り、その黄金色の光の円の真ん中に、ちょこんと座り込んだのだ。
「キュウ……」
シロは気持ちよさそうに目を細め、前足を揃え、くるりと身体を丸めた。
白い毛並みが、琥珀色の光を浴びて淡い黄金色に輝いている。
光の温もりを全身で吸い込むように、スースーと心地よい寝息を立て始めた。
「あったかいね、シロ……」
アルトは光の円の隣に腰を下ろし、シロの丸まった背中を優しく撫でた。
都市の薄暗い牢のような部屋には、こんな美しい光は一度として差し込まなかった。
朝から晩まで怒鳴られ、泥水をすすり、冷たい石畳の上で震えていた日々。
誰かが捨てたガラクタの瓶が、知恵と工夫によって、自分たちの部屋を照らす最高の宝物へと生まれ変わった。
その温かい光を見つめているだけで、どんな過酷な開拓作業の疲れも、どこかへ消え去っていくようだった。
さらにアルトは、もう一つの仕掛けを完成させた。
残った円筒状のガラス瓶の底に、川岸の黒い岩陰から採取してきた「夜光苔」を、湿った腐葉土とともに薄く敷き詰めたのだ。
昼間の太陽光を蓄えた夜光苔は、夕闇が濃くなるにつれて、自ら青白い冷たい燐光を放ち始めた。
琥珀色の色ガラスを通すことで、その青白い光は柔らかい若草色の光へと濾過され、まるで小さな星を閉じ込めたランプのように、樹上の空間をぼんやりと照らし出した。
火を一切使わない、絶対に引火することのない、森の命がくれた安全な常夜灯。
夕陽が沈み、森が深い紫の闇に包まれても、ツリーハウスの床には若草色の穏やかな光が灯り続けていた。
大樹の葉が風にざわめく音と、シロの静かな寝息だけが、静寂を満たしている。
地上では、夜になると肉食獣が徘徊し、冷たい湿気が立ち込めているはずだ。
けれど、この樹上のデッキは、光と木の香りに満ちた、完全に守られた聖域だった。
「窓とランプができた。……次は、屋根と壁だね」
アルトはランプの淡い光の下で、膝の上のシロを見つめながら静かに呟いた。
風を切り裂き、雨水を一滴も通さずに逃がす、傾斜の急な三角形の屋根。
そして、風を遮る四方の木の壁。
明日、そのすべてを組み上げれば、ここは本当の「僕たちの家」になる。
少年は胸の奥に灯った確信を抱きしめながら、ランプの優しい光に包まれて、シロと共に深い眠りへと落ちていった。




