第131話:地鳴りの進軍_白銀の巨神機と残存軍団
夜明け前の地平線は、凍てつく鉛色の闇に閉ざされていた。
東の空の低い雲の切れ間から、薄青い夜明けの光条が一筋、荒野の雪原を刃のように切り裂いている。
猛吹雪が吹き荒れる荒野の彼方から、大地そのものを粉砕するような地鳴りが、規則正しい重低音のリズムを刻んで近づいてくる。
ズゥゥゥン……! ズゥゥゥン……!
一歩ごとに、数万トンの岩盤が軋み、地殻の割れ目から氷の粉塵が吹き上がる。
境界の森の迎撃テラスに立ったアルトの靴底に、大樹の幹を伝って強烈な振動が伝わってきた。
だが、ツリーハウスの土台に組み込まれた樫の木の免震礎石と油圧ダンパーが、その凄まじい地鳴りの衝撃を優しくいなし、テラスの水飲み場の水面には小波一つ立っていなかった。
大樹の根の強靭な弾力と、アルトが半年間コツコツと積み上げてきた耐震工学の知恵が、巨神の足音さえも完璧に受け流していたのだ。
朝の凛とした大気の中に、かすかに漂うオゾンの静電気の匂い。
アルトは深く息を吸い込み、冷気で頭の芯を鋭く研ぎ澄ませた。
アルトは革のエプロンのポケットから真鍮の双眼鏡を取り出し、東の荒野へとピントを合わせた。
隣に立つシロは、純白の毛並みを一本残らず逆立て、サファイアの双眸を冷徹に細めている。
背中の銀線からは、微細な青白いプラズマの火花がチリチリと夜気を裂いていた。
雪煙を切り裂き、夜明けの地平線にその凶悪な影を現したのは――
古代の神話から蘇った鋼鉄の悪夢、自律型巨神機【ギガンテス】だった。
全高三十メートル。
白銀の耐魔装甲板が朝日を鈍く反射し、黄金の幾何学レリーフが装甲の継ぎ目に沿って禍々しい紫色の光を放っている。
背部には展開された六枚の巨大な金属翼が天を衝き、ロケット推進ノズルから噴き出す青白いプラズマ炎が、荒野の雪原を一瞬で蒸発させて白い水蒸気の尾を引いていた。
右手には、長さ四十メートルにおよぶ長大な「神聖戦槍」が握られている。
その穂先には、何千人分もの魔導士の魂を圧縮したかのような、巨大な深紅のマナ結晶が不吉に脈動していた。
巨大な脚部の関節部には、何十本もの太い油圧シリンダーが露出し、一歩踏み出すたびに高圧オイルの逃げるプシューッという甲高い排気音が雪原に響き渡る。
「大きいな……帝国軍の装甲列車が、まるで玩具に見えるほどだ」
アルトは冷静にその巨躯を観察した。
巨神機の足元を固めるのは、皇帝派の残存兵力である十両の重装甲車列、そして教団直属の聖銀騎士団二千名だ。
装甲車の上部には、連装の魔導ガトリング砲が据え付けられ、履帯が雪原の凍土をバリバリと削り取りながら進軍してくる。
彼らは猛吹雪を衝いて隊列を組み、巨神機が放つ強烈な排気熱の余波に縋り付くようにして前進していた。
破滅に瀕した文明が、最後の一滴まで絞り出した総力戦の軍勢だった。
ギィィィィィン……!
巨神機の胸部の装甲板が左右にスライドし、超高密度の古代核融合炉が剥き出しになった。
球形の炉心から放たれる紫色の光が、胸部の収束レンズへと集まる。
「敵の主砲、チャージ開始だね」
アルトが呟いた刹那――
ドバァァァァァンッ!
巨神機の胸部から、直径三メートルを超える極太の荷電粒子ビームが解き放たれた。
紫色の閃光が荒野を一瞬で真昼のように照らし出し、大気が焦げるオゾンの凄まじい異臭が風に乗って漂ってくる。
光線は境界の森の外郭――北東にそびえていた標高五十メートルの岩山へと直撃した。
ズガガガガガガッ! ドォォォォンッ!
大爆音とともに、何千トンもの岩塊が一瞬で粉々に蒸発し、吹き飛んだ。
岩山は山頂から根元まで真っ二つに消滅し、後には赤熱したマグマの池だけが残された。
一撃で地形を変える、神話の暴力。
巨神機の外部拡声器から、操縦席に乗る教皇ベネディクトの狂気じみた哄笑が、荒野いっぱいに響き渡った。
『ハハハハハ! 見たか、棄民の虫けらどもよ! これが神の鉄槌、巨神機の絶対の威力だ!』
吹雪を切り裂いて届く、濁った老人の叫び声。
『森の扉を開き、星の心臓部をこの教皇に差し出せ! さもなくば、あの樹上の砦ごと、大樹の根を灰燼に帰してくれるわ! 神の前に跪き、貴様らの命を我が足元に捧げよ!』
騎士たちが抜刀し、鬨の声を上げた。
だが、その絶叫を前にしても、アルトの心は揺らぐことすらなかった。
「シロ、見えたかい? あの光線のチャージ時間」
アルトは腰の工具帯から真鍮のノギスと計算尺を抜き、冷静に手帳の余白に数字を走り書きした。
「照射まで約十二秒。一度放った後の冷却排気インターバルが、最低でも四十五秒。その間、胸部の冷却ルーバーが全開になって、装甲防御力が極端に落ちる」
アルトの観察眼は、敵の威容に呑まれることなく、機械としての弱点と構造の歪みを冷徹に見抜いていた。
どんなに巨大な古代兵器であっても、熱を帯び、エネルギーを消費して動く機械であることに変わりはない。
機械である以上、物理の法則からは決して逃れられないのだ。
「シロ、工作棟の集中制御レバーを引くよ」
アルトが合図を送ると、シロは「ウォンッ!」と短く応え、迎撃テラスの中央に設けた主幹配電盤へと前脚を置いた。
アルトは樫の木と真鍮で作られた三連の大型ナイフスイッチを、順番にガチリと押し込んだ。
カチッ! カチッ! カチンッ!
接点が噛み合うと同時に、大樹の幹を貫くバイパス配線を通じて、主軸ジェネレーターの全動力が四本の大樹の頂点へと送り込まれた。
フォォォォォン……!
澄んだ鐘の音のような高周波が、境界の森の天空を満たした。
四本の大樹の梢を結ぶ光の架橋が一段と眩しく輝き、境界線の境界面に展開されていた空間歪曲フィールドが、エメラルドグリーンから白銀の輝きを帯びた「三重多層防護ドーム」へと最大出力を引き上げた。
結界の表面には、六角形のハニカム格子が幾重にも重なり合い、外からの突風や魔導灰をサラサラと心地よい音を立てて弾き飛ばしていく。
アルトは迎撃テラスの中央に据えられた「六連装・重力滑車メガ・バリスタ」の操作台へと向かった。
巨大な樫の丸太を削り出したフレームには、三段の複滑車が組み込まれ、テコの原理によって何千キロもの巻き上げ張力を生み出す仕掛けだ。
アルトは真鍮のギアハンドルを力強く回し、耐魔白銀鋼の特大徹甲銛を六本のガイドレールへとセットした。
銛の先端には、シロの放電パルスを誘導するための高純度銅線が巻き付けられている。
照準器のガラス板に刻まれた距離目盛りが、接近する巨神機の胸部コアと、足元の装甲車列を正確に捉えていた。
ザッ、ザッ、ザッ……
テラスの手すりの真下――
大樹の根元を囲むブナの茂みから、ガサリと枝を掻き分ける力強い足音が響いた。
オオツノジカの主が、神聖な大角の先端に青い燐光を宿し、アルトを見上げて凛とした眼差しを向けた。
その背後には、数百頭の巨鹿たちが整然と隊列を組み、荒野へ向けて角の槍衾を構えている。
空には、大樹の梢に巣食うオオタカやフクロウの群れが旋回を始め、森の全生命が、自分たちの故郷を守るために呼吸を一つにしていた。
「森のみんな、準備はいいね」
アルトが呼びかけると、オオツノジカの主が力強く前脚で大地を叩いて応えた。
木と石と鉄で築いた手作りの秘密基地。
そして、星の地脈と心を通わせた大自然の仲間たち。
奪うことしか知らない狂信の巨神と、命を育んできた秘密基地との、最後の防衛戦が始まった。
その時、荒野の泥炭沼の縁に展開した十両の帝国装甲車が、一斉に砲塔を旋回させた。
ドドドドドドッ! バババババッ!
連装魔導ガトリング砲から、何千発もの光弾と徹甲弾が豪雨のように境界の森へと撃ち込まれた。
荒野の雪煙を裂いて迫る弾幕。
だが、境界線の空間歪曲ドームに触れた瞬間――
キンキンキンキンッ!
澄んだ硬質な金属音が無数に鳴り響き、光弾はエメラルドグリーンのハニカム装甲によってすべて四方八方へと跳ね返された。
森の若葉一枚、木の枝一本すら傷つけることはできない。
近代兵器の弾幕を赤子の手のようにあしらう絶対の結界に、敵兵たちから動揺の叫びが漏れる。
「シロ、照準完了だ。一撃で前衛の動きを止めるよ!」
アルトが発射レバーの安全ピンを引き抜くと、シロがテラスの手すりから身を乗り出し、背中の銀線からバリスタの銛へと一気に蒼雷のエネルギーを送り込んだ。
バチバチバチィッ!
白銀の銛が青白い放電を纏い、神話の光を宿して唸りを上げる。
「行こう、シロ! 僕たちの家を守る、最後のクラフトだ!」
「ウォォォォンッ!」
シロの遠吠えが、夜明けの空を真っ二つに裂いた。
巨神機が次なる荷電粒子砲のチャージを開始したその刹那、アルトの右手が発射レバーを一気に引き倒した。
空前絶後の迎撃戦が、いま幕を開けた。




