第130話:狂気の教皇_『神罰の巨神機』起動
帝都が絶対零度の寒波に呑み込まれたのと時を同じくして、聖教会が支配する宗教都市――聖都アヴァロンにも、滅びの足音が容赦なく押し寄せていた。
ピューゥゥゥ……!
壮麗な大聖堂のステンドグラスを叩きつける、紫黒色の猛吹雪。
かつて「神の奇跡」と称して信徒たちを跪かせていた白金の祭壇は、魔力炉の逆流爆発によって光を失い、冷たい石の塊へと成り果てていた。
大聖堂の外では、寒さに震える数万の信徒たちが扉を叩き、奇跡の救いを求めて泣き叫んでいた。
だが、大聖堂の重厚な鉄扉は内側から固く閉ざされ、信徒たちに向けられる施しは一粒のパンすら存在しなかった。
聖職者たちは自分たちの食料と毛皮を地下へと運び込み、祈りを捧げる信徒たちを衛兵の槍で追い払っていたのだ。
大聖堂の最深部――黄金の燭台が揺れる密室。
純白の法衣の上に豪奢な黄金の鎖を幾重にも巻き付けた老人――聖教会教皇ベネディクト十四世は、血走った眼球を剥き出しにして、祭壇の前に跪く男を睨みつけていた。
「ヴェルナーよ……もう一度言ってみよ。我が聖銀騎士団が、敗北したと申すのか……!?」
額を床に擦り付け、ガタガタと全身を痙攣させていたのは、結界の前で泥炭沼に沈められ、這々の体で逃げ帰ってきた審問官ヴェルナーだった。
かつての傲慢な笑みは消え失せ、禿頭に泥炭のこびりついたその顔は、恐怖のあまり完全に狂気に侵されていた。
「は、はひぃっ……! き、教皇猊下、あ、あそこには悪魔が……神話を喰らう白い怪物がおりまする……! 我らが聖光の結界砲も、耐魔白銀の大剣も、すべて赤子の手をひねるように粉砕されました……! 棄民の小僧は、自然の理そのものを操る魔王にございます……!」
「黙れぇぇぇいっ!」
バシィィィンッ!
教皇の手にした黄金の錫杖が、ヴェルナーの背中を容赦なく打ち据えた。
ヴェルナーは短い悲鳴を上げて床を転がり、血反吐を吐きながら蹲った。
「悪魔だと? 魔王だと? 愚か者めが! あの境界の森に眠っているのは、古代の神話が遺した【星の心臓】そのものだ! 帝国の魔導炉が自滅したいま、あの心臓部を我が手中に収めねば、この世界は完全に凍りついて滅びるのだぞ!」
教皇ベネディクトの瞳に宿っていたのは、神への信仰などではなかった。
ただ、世界を我が物にし、神として君臨し続けたいという、肥大化した権力欲の狂気だけだった。
教皇はヴェルナーを踏み越え、大聖堂の地下へと続く隠し螺旋階段へと歩みを進めた。
その背後には、皇帝を見捨てて聖都へと逃げ延びてきた帝国軍の残存将校たち、そして教団直属の精鋭狂信騎士たちが、狂気に憑りつかれた目で付き従っていた。
地下百メートル。
聖教会の歴代教皇のみが立ち入りを許される、最深の禁忌区画――【古代神殿の間】。
幾重にも張り巡らされた封印の結界を、教皇自らの血を垂らして解除していく。
ゴゴゴゴゴゴ……!
重厚な青銅の扉が軋み、数千年ぶりに開かれた地下ドームの中央。
そこには、かつて超古代文明が星そのものを制圧し、調停者を排除するために建造したとされる、禁断の最終決戦兵器が眠っていた。
自律型巨神機――【ギガンテス】。
全高三十メートル。
全身を白銀の耐魔装甲と黄金の古代レリーフで覆われた、人型の鋼鉄の巨神だ。
その胸部には、中央魔導炉を遥かに凌駕する超高密度の古代核融合炉が据え付けられ、背部には六枚の巨大な金属翼が折り畳まれていた。
手にした長大な神聖戦槍は、一撃で山を両断し、城壁を蒸発させる規格外の質量兵器だ。
槍の穂先には赤く脈動する超大型のマナ濃縮水晶が埋め込まれ、装甲の表面には神罰の光線を偏光させる幾何学プリズムが敷き詰められている。
幾重にも張り巡らされた冷却パイプからは、不凍液の青白い霧がシューッと吹き出し、巨大な脚部の油圧シリンダーが重厚な唸りを上げている。
搭乗カプセル内部には、パイロットの生体電流を強制的に吸い上げて反応速度を高める神経同調端子が張り巡らされている。操縦者の命を削って動かす、狂気の殺戮機械だ。
「おお……おおおっ! 目覚めよ、我が神の鉄槌よ!」
教皇ベネディクトは両手を広げ、歓喜の笑声を上げた。
その声に呼応するように、巨神機の胸部のコアがドクンと赤く脈動を始めた。
キィィィィィン……フォォォォォン……!
地下ドーム全体を揺るがす高周波の共鳴音。
巨神機の双眸に、禍々しい深紅の光が灯った。
かつて星を焼き尽くしかけ、古代の調停者によって地中深く封印された破滅の巨神が、狂気の老人によって再び地上へと解き放たれようとしていた。
「皇帝派の残存装甲車、重砲兵団をすべて集結させよ!」
教皇は胸部の搭乗カプセルへと乗り込み、狂乱の眼差しで騎士たちへと号令を下した。
「全軍をもって西の境界の森へと進軍する! あの生意気な棄民の小僧を踏み潰し、白い獣の皮を剥ぎ、大樹の心臓部を神の名のもとに奪還するのだ! 逆らう者はすべて、この巨神機の炎で灰燼に帰せ!」
「「「神に栄光あれ! 教皇猊下に勝利あれ!」」」
狂信に染まった騎士たちの咆哮が、地下空洞に反響した。
数万の信徒を見捨て、数千の残存軍団を従えて、黄金の巨神機ギガンテスが聖都の地下から地上へと姿を現した。
ドォォォォン! ドォォォォン!
大地を揺るがす三十メートルの巨神の足音。
猛吹雪が吹き荒れる荒野を切り裂き、胸部の荷電粒子砲が紫色の光条を天へと放つ。
背後の六枚の金属翼が展開し、推進ロケットの青白いアフターバーナーが雪煙を吹き飛ばす。
それは、滅びゆく文明の狂気が生み出した、大陸最後の、そして最大の破滅の軍勢だった。
その進軍の地響きは、東の荒野を越え、すでに境界の森の地脈センサーへと届き始めていた。
ツリーハウスの迎撃テラス。
夜の帳が下りる中、アルトは地下コンソールから送られてくる警告ホログラムを見つめ、静かに息を整えた。
『――超巨大敵性生体反応、接近中』
『――識別コード:古代決戦兵器【ギガンテス】』
『――到達予測時間:明朝六時』
「巨神機……古代の兵器まで引っ張り出してきたんだね」
アルトが呟くと、シロが低く唸りを上げ、アルトの横に並び立った。
二人の瞳には、恐れの欠片もなかった。
アルトはエプロンのポケットから真鍮のレンチを抜き、テラスに据え付けられた六連装重力滑車メガ・バリスタの調整に取りかかった。
矢筒に装填された白銀の銛には、主軸ジェネレーターの電磁パルスを誘導する銅線のコイルがしっかりと巻き付けられている。
さらに、温室の屋根の天窓に備え付けた超大型水晶集光レンズのジンバルマウントの注油を済ませ、散光バッフル板の角度を敵の光線軌道に合わせて微調整した。
ザッ、ザッ、ザッ……
テラスの真下――大樹の根元を囲むブナの森から、静かな地響きが聞こえてきた。
アルトが見下ろすと、そこには体長三メートルを超えるオオツノジカの主が、神聖な大角を誇らしげに掲げて立っていた。
その背後には、数百頭の鹿の群れ、そして森のすべての獣たちが、静かに隊列を組んで待機している。
彼らの澄んだ瞳もまた、侵略者を迎え撃つ覚悟に満ちていた。
「森の主……みんな、来てくれたんだね」
アルトが微笑むと、オオツノジカの主はゆっくりと大角を傾け、深い敬意を捧げるように鼻息を噴き上げた。
主が一声低く鳴くと、背後の若鹿たちが森の木立の間に散開し、泥炭沼の縁を包囲するように見事な迎撃陣形を敷いていく。
ここにあるのは、自分たちの手で作り上げた秘密基地のすべてだ。
手作りの工学、星の地脈、そして森の全生命との魂の盟約。
テラスの点検を終えた後、アルトとシロはツリーハウスのリビングへと戻った。
薪ストーブの熾火で石窯を温め、全粒粉のパンを軽く炙って星光蜂蜜をたっぷりと塗る。
木皿には、燻製工房で仕込んだ極上の干し肉と山羊のハードチーズが盛られた。
シロの前には、特大の木桶にいっぱいの干し肉と、温かい山羊乳が置かれる。
二人は無言のまま、噛み締めるように夜食を味わった。
胃の腑に落ちる温かい食べ物が、張り詰めた神経を芯から解きほぐし、明日への静かな闘志を身体の奥底に満たしていく。
食後、アルトは昨日縫い上げたばかりの「シロ専用特大ふかふか防寒クラウドベッド」の上に腰を下ろした。
シロが横たわり、アルトを包み込むように大きな前脚を回してくる。
アルトはシロの密集した純白の冬毛に深く顔を埋めた。
温かな体温と、雨上がりの森のような澄んだ匂い。
「シロ、明日ですべてが終わるよ」
アルトが囁くと、シロはアルトの耳元を温かな舌で優しくぺろりと舐め、喉の奥をごろごろと重低音で鳴らした。
命を懸けて守るべき居場所がある者と、奪うことしか知らない狂信者たち。
天窓の向こうで星々が冷たく輝く中、手作りの秘密基地は、静かに、そして力強く明朝の決戦を待ち受けていた。




