第011話:ツルの縄跳び、三つ編みの強度
大樹の地上四メートルの高さに広がる、巨大な横枝の広がり。
そこを新たな生活の拠点――地上の獣の手が届かない「天空の秘密基地」にする。
そう決意したアルトだったが、現実の壁はあまりにも高く、険しかった。
大樹の幹は、大人が五人で手を繋いでも届かないほどの巨体だ。
樹皮は深くひび割れ、まるで垂直にそそり立つ黒い絶壁のように立ちはだかっている。ところどころに足をかける窪みはあるものの、手掛かりなしに地上四メートルまでよじ登るのは、命綱なしのロッククライミングに等しい。万が一足を滑らせれば、骨折か、最悪の場合は頭を打って命を落とす。
「木に登る足場を作るにしても、資材を上に引き上げるにしても……絶対に『頑丈なロープ』がいる」
都市の防壁補修でも、足場を組む丸太を緊結し、石材を滑車で吊り上げるのは、すべて麻やマニラ麻を編み込んだ太いロープだった。
だが、この原生林に麻紐を売る雑貨屋などあるはずもない。
道具がないのなら、森の素材から自らの手で生み出すしかないのだ。
「よし、シロ。ロープの材料を探しに行こう」
アルトは腰の小刀を確かめ、シロを連れて大樹の背後に広がる深い渓谷の斜面へと足を踏み入れた。
原生林の湿った日陰には、巨木に巻き付いて天を目指す無数のツル性植物が自生していた。
太さや色、硬さも千差万別だ。
アルトはまず、足元に這っていた親指ほどの太さのクズのツルを小刀で刈り取り、両手で思い切り引っ張ってみた。
――ブツンッ。
呆気なく千切れた。
生のクズ蔓は水分が多すぎて繊維の結合が緩く、強い張力がかかると簡単に組織がちぎれてしまう。
次に、乾燥してカラカラになった古いアケビのツルを拾って曲げてみた。
――ポキッ。
ガラスのように乾いた音を立てて真っ二つに折れた。乾燥しきったツルは柔軟性を失い、結び目を作ることすらできない。
「ただのツルじゃ駄目だ……柔らかくて、粘りがあって、千切れない繊維……」
アルトが頭を抱えていると、少し先を歩いていたシロが「ワンッ!」と澄んだ声で鳴いた。
見れば、シロが小川の崖際、日当たりの良い斜面に群生する巨大なトネリコの大木を見上げていた。
その幹に、まるで巨大な大蛇のように幾重にも巻き付き、空へと伸びている灰褐色のツル――【ヤマフジ(野生の藤)】の群生だった。
太さは大人の手首ほどもある親蔓から、指先ほどの太さの若い枝蔓が無数に垂れ下がっている。
「ヤマフジだ……! これならいけるかもしれない!」
フジの樹皮は、古代から「藤布」や「藤縄」として利用されてきた、極めて強靭な靭皮繊維を持っている。
アルトは小刀を構え、長さ三間(約五・四メートル)以上ある真っ直ぐな若いフジの枝蔓を、根本から次々と刈り取っていった。
十本、二十本。
両腕いっぱいに抱えるほどのフジ蔓を収穫し、小川の岸辺へと運び込んだ。
ここからが、繊維工学の実験の始まりだった。
刈り取ったばかりのフジ蔓は、そのままでは硬くて結べない。
アルトはまず、集めたツルをすべて清流の中に沈め、重い川石を乗せて水中に浸した。
水を含むことで、植物の繊維細胞が水分を吸って膨張し、しなやかな弾力性を取り戻すのだ。
半日ほど水に浸した後、平らな大石の上にツルを一本ずつ取り出した。
アルトは手頃な硬いカシの枝を削って作った「木槌」を手に取った。
「トントン、トントン……」
水を含んだフジ蔓を、平らな石の上で木槌で均一に叩いていく。
衝撃によって硬い外側の鬼皮が砕け散り、その内側から――白く透き通るような、絹糸のように細く強靭な「靭皮繊維の束」が姿を現した。
小刀の背を使って残った外皮をこそぎ落とすと、まるで動物の腱のように強靭で、しっとりと吸い付くような白い繊維のリボンが出来上がった。
「すごい……! これが木の内側の繊維なんだ……!」
一本の繊維リボンを両手で力任せに引っ張ってみる。
――ググッ……
強い。十一歳のアルトの腕力では、一本でも引きちぎることができないほどの粘りがある。
だが、これをそのまま一本だけで命綱に使うのは危険だ。どこか一箇所に傷が入れば、そこから一気に破断してしまう。
単一の部材に頼るのではなく、複数の部材を組み合わせることで、欠陥を補い合い、全体の強度を爆発的に高める構造。
――【三つ編み(ブレイド編み)】だ。
「よし、編むぞ。シロ、ちょっと手伝ってくれるかい?」
アルトは叩き解した繊維の束を、均等な太さの三本の束に分けた。
根元をしっかりと結び合わせ、大樹の根の突起に引っ掛けて固定する。
そして、三本の束を手に取り、交差させ始めた。
右の束を中央へ。
左の束を中央へ。
交互に交差させながら、指先でギュッ、ギュッと強いテンション(張力)をかけて締め上げていく。
だが、一人で編んでいると、編み進めるにつれて手元の繊維がたるみ、編み目が不揃いになってしまう。
その時だった。
「クゥン」
シロがアルトの足元に駆け寄り、編みかけの縄の先端を、小さな前歯でしっかりと咥えたのだ。
そして、四本の足を踏ん張って、グイッと後ろへ引っ張った。
縄がピンと一直線に張り詰める。
「あっ……! シロ、引っ張ってくれてるの!?」
シロは金色の瞳をキラキラと輝かせながら、前足を踏ん張ってテンションを保ち続けている。
たるみが消えたことで、編み込みの作業効率は劇的に跳ね上がった。
アルトが右、左とリズミカルに三つ編みを編み進めるたびに、シロは息を合わせるようにしてトコトコと後ろへ下がり、常に均一な張力をかけ続けてくれる。
阿吽の呼吸。
言葉はなくとも、二人の心は完全に一つになっていた。
右を中へ、左を中へ。
三本の繊維が螺旋を描いて互いを締め付け合う。
三つ編みの真髄は、摩擦力にある。一本の繊維が外側から引っ張られると、その張力自体が他の二本の繊維を内側へと強く押し付け、互いの摩擦力を何倍にも増大させるのだ。自己締め付けの幾何学。
途中で繊維が短くなると、新しい繊維の束を数センチ重ねて編み込んでいく「継ぎ足し」を行いながら、アルトは無心で手を動かし続けた。
――そして、夕暮れ時。
完成したのは、アルトの親指ほどの太さを持った、長さ四間半(約八メートル)の美しい白銀色のツル縄だった。
均一なピッチで編み込まれた編み目は美しく、表面は滑らかで、手に吸い付くような適度な摩擦感がある。
「できた……! ありがとう、シロ!」
アルトはシロを抱きしめ、頬ずりをした。シロは誇らしげに胸を張り、「キャンッ!」と尻尾を振った。
だが、命を預ける道具である以上、妥協のない強度試験が必要だった。
アルトは立ち上がり、完成した縄の両端を握った。
まずは、柔軟性の試験だ。
縄跳びのようにして、大樹の前で軽快に跳んでみる。
ビュンッ! ビュンッ! ビュンッ!
小気味よい風切り音が森に響く。縄は滑らかに弧を描き、結び目が解けたり繊維がほつれたりする気配は微塵もなかった。
次は、最大荷重試験だ。
アルトは大樹の地上二メートルほどの位置にある太い下枝に縄を回し、両手でしっかりと縄の端を握り締めた。
そして――地面から両足を完全に離し、全体重(約三十五キロ)を縄に預けてぶら下がった。
ギチッ……
繊維が互いを締め上げ、微かに噛み合う音がした。
だが、それだけだった。
縄はアルトの身体を軽々と受け止め、伸びることも、千切れることもなく、完璧な剛性を保っていた。
アルトはぶら下がったまま、両足で勢いよく反動をつけ、空中をブランコのように大きく揺らしてみた。
遠心力によって、体重の二倍以上の衝撃荷重がかかる。
それでも、ツル縄はビクともしなかった。岩のように強固で、絹のようにしなやかだった。
「完璧だ……! これなら、僕の体重どころか、重い丸太を何本吊り上げても絶対に切れない!」
アルトは地面に着地し、歓喜に震える手で縄を撫でた。
自然の植物と、人間の知恵、そして相棒の協力によって生まれた、本物の道具。
だが、このロープは持っているだけでは意味がない。
あの地上四メートルの大枝へと、このロープを渡さなければならないのだ。
アルトは川原から、握り拳大の重みのある丸石を拾ってきた。
ツル縄の先端に、解けないよう幾重にもしっかりと丸石を結びつける。
そして、大樹の根元に立ち、地上四メートルの太い横枝を見上げた。二股に分かれた頑丈な分岐点。あそこを通せば、ロープは外れない。
「いくぞ……!」
アルトは石のついた縄の先端を、右腕で勢いよく旋回させた。
ヒュン、ヒュン、ヒュン……と遠心力が高まる。
足を踏ん張り、呼吸を合わせ、大枝の分岐点へと狙いを定めて――力いっぱい、空へと放り投げた!
「行けえええっ!!」
石は夕暮れの空へと美しい放物線を描いて舞い上がった。
地上四メートル、五メートル。
大枝の頭上を越え――
バササッ……!
枝の向こう側へと石が回り込み、ツル縄が太枝をしっかりと抱き込むようにして、重みでスルスルと地上へと垂れ下がってきた。
大枝を跨いで、ロープの両端が地上へと降りてきたのだ。
「かかった……! かかったぞ、シロ!!」
地上と天空の大枝が、一本の強靭な縄によって、確かに結ばれた。
シロが「ワンワンッ!」と嬉しそうに跳ね回り、アルトの足元に飛びついてくる。
天空の秘密基地への扉が、今、少年の手によって力強く押し開かれた瞬間だった。




