第109話:神罰の欺瞞、結界に弾かれる聖光
「消し炭になれぇぇぇっ! 神の御業を疑う愚民どもがぁぁぁっ!!」
ヴェルナー司教の狂気に染まった絶叫が、原生林の空気を引き裂いた。
大樹の直上に展開された巨大な黄金の多重魔法陣が、極限まで回転速度を上げ、中心核に莫大なマナが凝縮されていく。
周囲の大気が焦げ付き、ツンとした刺激臭を伴うプラズマ放電がバチバチと火花を散らした。
頭上の雲が黄金の渦を巻き、天空そのものが怒り狂って地上を呑み込もうとするかのごとき異様な光景だった。
ドォォォォンッ!!!!
落雷を何十発も束ねたかのような轟音とともに、天から直撃の光柱が放たれた。
直径三メートルを超える白熱の極大光線――教皇庁秘匿の破壊術式【神罰の断罪光柱】。
それは触れるものすべてを分子レベルで焼き尽くし、跡形もなく蒸発させる絶対の暴力だった。
光線は一直線に、アルトとシロが立つ地上十五メートルの迎撃テラスへと墜落していく。
ヴェルナーの顔には、勝利と加虐の喜悦に歪んだ醜悪な笑みが張り付いていた。
この一撃で生意気な平民の小僧を骨も残さず消し去り、恐怖で平伏した森を我が物にする――その傲慢な確信に満ちていた。
だが――
「大樹機関、防衛偏向フィールド――出力最大」
アルトの声は、氷のように冷静だった。
少年の指先が、迎撃テラスの真鍮製レバーを迷いなく底まで引き倒した。
カチリッ。
その瞬間、主樹トチノキ、そして空中回廊で結ばれた白樫、ミズナラ、巨ブナ――四本の大樹の梢が一斉に青緑色の光の粒子を吹き上げた。
地下数百メートルの地脈から吸い上げられた無尽蔵の生体マナが、古代コンソールを経由して天蓋へと収束する。
四本の巨木が巨大な共鳴塔として機能し、樹冠の間に幾何学的な共鳴回路を形成したのだ。
シュバババババッ!
空中に現れたのは、淡いエメラルドグリーンに輝く、巨大な半球状の防護ドームだった。
その表面には、無数の正六角形が隙間なく噛み合わされた「ハニカム状の幾何学力場」が幾重にも積層されている。
蜂の巣や植物細胞が持つ最も強靭な構造と、旧神話時代の超空間力学が融合した、完全なる幾何学的反射境界だ。
そして――黄金の神罰光柱が、大樹の緑のドームへと激突した。
カァァァァァァァァンッッ!!!!
空間そのものが甲高く震え、巨大な青銅の鐘を神の金槌で打ち鳴らしたかのような、澄み切った硬質な衝撃音が全方位に響き渡った。
白煙も、熱風も、大樹の枝先一つすら揺らぐことはなかった。
ハニカム力場の六角形タイルが光の衝撃波を瞬時に周囲へと分散させ、完全弾性衝突の物理法則に従って、光の進行ベクトルを真逆へと屈折させたのだ。
光柱はドームの表面に触れた瞬間、一ミリの進入すら許されず、磨き抜かれた鏡に反射する光のように――角度を百八十度変えて跳ね返された。
「な……っ!? 反射……だと……!?」
ヴェルナーの顎が外れんばかりに落ちた。
跳ね返された黄金の光柱は、放たれた時以上の勢いと質量を保ったまま、真下――ヴェルナーと騎士たちが陣取る広場の中央へと急降下していったのだ。
「ぎゃあああああっ!? 盾を! 盾を構え――っ!!」
ドガァァァァァァァァァァンッッ!!!!
大地が爆発した。
自らが放った神罰の直撃を受けた教皇庁部隊の陣地で、凄まじい光熱と爆風が吹き荒れた。
騎士たちが張っていた聖光障壁など、本物の破壊光線の前には紙風船ほどの役にも立たず、一瞬でガラスのように粉々に砕け散った。
地表の泥と雪解け水が猛烈な水蒸気爆発を起こし、数十メートルもの高さまで黒い泥柱が噴き上がる。
ドゴォォォン! バシャァァァァン!
十名の白銀騎士たちは、衝撃波に弾かれて木の葉のように四方八方へと吹き飛ばされた。
着地した先は、昨日アルトが雪解け水を意図的に誘導して作っておいた「底なしの偽装泥炭沼」だ。
ズブブブブッ!と音を立てて、重い全身甲冑を着た騎士たちが腰から胸まで泥水の中に沈み込み、もがけばもがくほど深みへと足を取られてパニックを起こす。
白銀に輝いていた自慢のプレートアーマーは見る影もなくドロドロの泥炭にまみれ、兜のバイザーの隙間から泥水を吐き出しながら呻いていた。
そして、爆心地の真ん中にいたヴェルナー司教はといえば――
「ぶひゃあああああっ! あ、熱い! 助けてくれぇぇぇっ!」
最高級シルクの法衣は無惨に焼き千切れてボロボロの炭クズと化し、胸の純金聖印は黒焦げになって泥水を転がっていた。
さらに爆風の余波で、頭に被っていた見事な金髪のカツラが綺麗さっぱり吹き飛ばされ、近くの枯れ木の枝先に無惨に引っかかっている。
禿げ上がった油ぎった頭頂部が白日の下に晒され、泥だらけの地面の上を、無様に手足をばたつかせて転がり回り、最後には冷たい泥水溜まりへと顔面から突っ込んだ。
豪奢な黄金の錫杖も飴細工のようにくの字にへし折れ、その威厳は完全に地に落ちていた。
立ち込める白煙と湯気。
森の木々は一本たりとも傷ついておらず、青々とした若葉がそよ風に揺れている。
ただ破壊と略奪を企てた者たちだけが、自業自得の報いを受け、無惨な姿を晒して泥にまみれていた。
タタタ、と軽やかな足音が響いた。
アルトが迎撃テラスから螺旋階段を駆け下り、泥沼の前に姿を現した。
その隣には、純白の毛並みを一本も乱すことなく、悠然と歩くシロの姿がある。
シロが泥水に浸かる騎士たちを見下ろし、フンと短く鼻を鳴らした。
その瞬間、背中の銀線から目に見えない高周波の電磁パルス(EMP)が全方位へと放射された。
ジジジジジッ!
騎士たちが泥の中で握りしめていた聖銀の大剣と槍が、急激な磁気誘導加熱によって真っ赤に発熱した。
「あっちぃぃぃっ!?」
「手が、手が焼ける! ぐわあああっ!」
騎士たちは悲鳴を上げ、慌てて武器を泥水の中へと投げ捨てた。
ジュウウッと白い湯気が上がり、武器は泥の底へと沈んでいった。完全な武装解除だ。
「神罰の味は、いかがでしたか?」
アルトは泥水から顔を上げたヴェルナーを見下ろし、冷ややかに告げた。
ヴェルナーは泥と鼻水にまみれた顔を歪ませ、ガタガタと歯の根を合わさせながら、恐怖に目を見開いてアルトを見上げた。
「ひ、ヒィィィッ……! あ、悪魔……貴様は、悪魔だ……! 神の光を跳ね返すなど、人の業ではない……! 呪われろ、呪われろぉ……!」
「悪魔ですか」
アルトは静かに首を横に振った。
「これはただの、幾何学とエネルギー保存の法則です。他人の命を奪うために放った暴力が、そのまま自分自身に返ってきただけのことですよ。あなた方の神は、他人の財産を盗もうとする偽善者に味方するほど盲目ではなかったようですね」
「う、うぐぐ……っ!」
ヴェルナーは反論の言葉を完全に失い、ただ恐怖に瞳を泳がせることしかできなかった。
名もなき棄民と見下していた少年が、教皇庁の誇る絶対の秘術を赤子の手をひねるように退け、自らを完膚なきまでに叩きのめしたのだ。
そこにあるのは、人知を超えた自然の真理と、緻密に積み上げられた工学の圧倒的な力だった。
「武器をすべて捨てて、今すぐ森から出て行ってください。次にこの境界線を越えたら、今度は泥水の中に沈むだけでは済みません」
アルトの冷徹な宣告に、泥沼に浸かっていた騎士たちは我先にと泥から這い上がり、這々の体で東の境界線へと逃げ出した。
その背後――泥炭沼を囲むブナの茂みから、ガサリと枝をかき分ける地響きが轟いた。
逞しく発達した枝角を構えた三頭の若鹿たちが、退路を塞ぐように立ちはだかり、ドスッと前脚で大地を叩いて低く鼻息を噴き上げたのだ。森の獣たちもまた、侵略者を決して許さないと告げるように、退路を外郭へと狭めていく。
それを見たヴェルナーは腰を抜かしかけ、ボロボロの法衣の裾をたくし上げて、カツラを拾う余裕すらなく、泥まみれの禿頭を晒しながら、豚のような悲鳴を上げて若鹿の威嚇に追われるように森の外へと転がるように敗走していった。
彼らが去った後には、甘ったるい香炉の灰と、泥に沈んだ鉄屑だけが残された。
アルトは泥炭沼の縁を歩き、彼らが投げ捨てていった白銀の大剣や盾を一本ずつ拾い上げた。
熱で歪んではいるものの、素材そのものは教皇庁が巨費を投じて鍛造した最高級の「耐魔白銀鋼」だ。
工作棟の炉で溶かし直せば、バリスタの新型矢尻や、空中回廊の補強金具、さらには大樹の生体端子を繋ぐ極上の伝導金属として再利用できる。
また、ヴェルナーが落としていった黄金の錫杖の先端には、親指大の「高純度光属性マナ水晶」が無傷で嵌め込まれていた。
これも温室の集光補助や、夜間の室内照明として極めて有用なクラフト素材だった。
「略奪に来たはずの聖職者たちが、一番の貴重な資材を提供してくれるなんて……皮肉なものだね」
アルトが苦笑いしながら水晶をポケットに収めると、シロも同意するように「フンス」と鼻を鳴らした。
静寂が、再び境界の森に戻ってきた。
清涼な早春の風が梢を吹き抜け、大樹のエメラルドグリーンの光脈が、勝利を祝うかのように穏やかに波打っている。
「ふぅ……シロ、ありがとう。大樹の反射力場、完璧に作動したね」
アルトが微笑んでシロの首筋を撫でると、シロは誇らしげに目を細め、アルトの手のひらに温かい鼻先をすり寄せた。
だが、その時――
ザッ、ザッ、ザッ……
泥炭沼の向こうの深いブナの茂みから、乾いた落ち葉を踏みしめる重厚な足音が聞こえてきた。
敵の残党ではない。
大地そのものが呼吸し、歩いているかのような、静謐で圧倒的な威厳に満ちた足音だ。
アルトとシロが振り返ると、木漏れ日の差し込む梢の間から――
青銅のように太く、幾重にも見事に枝分かれした神聖な大角を頭上に戴いた、体長三メートルを超える「巨大なオオツノジカの主」が、静かにその姿を現した。
その背後には、数十頭もの雌鹿やたくましい若鹿たちが、整然と隊列を組んで控えている。
昨年の冬、アルトが狩人の鉄罠から命を救い、傷の手当てをして塩を分け与えた、あの境界の森の真の支配者だった。
巨鹿は澄んだ深い瞳でアルトとシロをじっと見つめ、ゆっくりと、敬意を払うようにその巨大な角を傾けた。




