第100話:シロの蒼雷、装甲車輪の破砕
大気を焦がしたのは、鼻腔を突くオゾンの刺激臭と、激しい放電のパチパチという破裂音だった。
南西の渓流。春の雪解け水を白く泡立てて流れる浅瀬に、黒鉄の異形が水飛沫を高く巻き上げながら突入していた。
ガレリア帝国第7機甲軍団の先遣偵察車――「四式装甲戦闘車」。
厚さ二十ミリの傾斜装甲板で全身を固め、前部には六気筒ディーゼルエンジンが重低音を響かせて黒煙を吐き散らしている。
六本の巨大な鋼鉄車輪が川底の丸石をガリガリと押し潰し、車体上部の旋回砲塔に据え付けられた「三十ミリ魔導機関砲」が、チリチリと青いマナ光を帯びながら、主樹の根元へと砲身を向けていた。
「目標、大樹基部の木製水車および半地下工房! 榴弾装填、粉微塵に吹き飛ばせ!」
装甲車のキューポラから上半身を乗り出した車長の怒号が響く。
先遣歩兵小隊が泥炭沼で壊滅したことを受け、彼らは大樹の防衛システムを遠距離から力づくで粉砕する戦術へと切り替えたのだ。
大口径の魔導弾が直撃すれば、アルトが何ヶ月もかけて築き上げた水車も、自動製粉機も、一瞬で木っ端微塵に吹き飛んでしまう。
その三十ミリ魔導機関砲は、装甲列車の主砲を小型化し、連射性能を極限まで高めた凶悪な近接制圧兵器だった。
車内の弾薬庫から真鍮のリンク式給弾ベルトが滑らかに送り込まれ、水冷式ジャケットに包まれた砲身が、毎分二百発の高速射撃態勢に入っている。
砲口初速は毎秒八百メートル。一発一発が小型の魔導爆弾に匹敵する破壊力を持ち、大樹の根元にある丸太組みの半地下工房など、わずか数秒の掃射で瓦礫の山へと変貌させる威力があった。
「――撃てぇぇッ!」
砲手の足がペダルを踏み込もうとした――その刹那だった。
トチノキの地上十五メートルの天空デッキから、一条の「白銀の雷光」が虚空へと撃ち出された。
シロだった。
アルトが制止の声をかける間すらなかった。
自らの愛する家と、相棒が心血を注いで作り上げた工房が危機に晒された瞬間、巨狼の魂の奥底に眠っていた「神話の血脈」が完全に覚醒したのだ。
肩高一メートル二十、体重百キロを超える白銀の肢体が、重力を置き去りにして虚空を舞う。
その背骨に沿って走る銀色の毛並みが、かつてない眩い輝きを放ち、周囲の大気から無尽蔵の生体マナを吸い上げて青白い電弧へと変換させていく。
大樹の地下から立ち上る地熱マナと、シロの心臓部に宿る雷属性の魔力核が、完璧な共鳴周波数で同期したのだ。
パチパチ、バチバチバチィッ――!
「シロ……!?」
トチノキの手すりを掴んだアルトの瞳に、信じがたい光景が焼き付いた。
落下するシロの全身を、球状の「蒼い稲妻の衣」が包み込んでいた。
ただの魔獣の跳躍ではない。
冬の間、大樹の地脈エネルギーを浴び、古代の光脈に触れ、アルトと共に命の危機を乗り越えてきた相棒が、真の姿――神話に語られる原生林の守護神「蒼雷狼」としての真の力を、いま完全に覚醒させたのだ。
ズドォォォォォォォンッッ!!!!
渓流の真ん中、装甲車の前方わずか十メートルの浅瀬へと、シロが落雷の如き勢いで着地した。
着地と同時に、数万ボルトに達する青白い電磁衝撃波が水面を放射状に疾走する。
バシャァァァァンと数メートルの水柱が炸裂し、飛沫が一瞬にして熱で蒸発して白い霧へと変わった。
川底の玄武岩が電撃で赤熱し、水蒸気の幕が周囲十メートルを包み込む。
「な、なんだ!? 落雷か!?」
「前方に巨大な獣が出現! 狼だ! 白銀の狼がいるぞ!」
装甲車の車長が泡を食って叫んだ。
水煙の向こうから現れたのは、金色の双眸を爛々と輝かせ、全身から蒼い火花を散らす神話の巨獣。
その牙は抜き身の白刃のように鋭く、剥き出しになった筋肉は鋼のように引き締まっていた。
「ひ、怯むな! 撃て! 魔導機関砲でハチの巣にしろぉぉッ!」
パパパパパパパパッ――!
砲塔から三十ミリ魔導機関砲が猛然と火を噴いた。
音速を超える高密度マナ弾が、毎分二百発の連射速度でシロの巨躯へと殺到する。
岩をも粉々に砕く暴虐の弾幕。
だが――奇跡が起きた。
シロが大地を踏みしめ、短く一声咆哮した瞬間、その前方の大気が激しく歪み、幾重にも重なる「蒼雷の電磁障壁」が展開されたのだ。
ビビビビビッ! バチィィィンッ!
殺到した魔導弾のすべてが、シロの鼻先わずか数十センチの空間で青白い火花を散らして弾かれ、明後日の方向の川面へと跳ね飛ばされていった。
着弾した水面が激しく水飛沫を上げるが、シロの白銀の毛並みには、かすり傷一つ届いていなかった。
「ば、バカな……!? 三十ミリ機関砲が効かないだと!? 魔導障壁を展開しているのか!?」
車長が恐怖に目を剥いたその時には、すでに勝負は決していた。
シロの姿が、掻き消えた。
浅瀬の水を蹴り、電光石火の速度で距離をゼロに詰めたのだ。
次の瞬間、装甲車の右側面――厚さ二十ミリの防弾鋼板の前に、シロの巨大な前足が振り下ろされた。
その肉球と爪には、超高密度の蒼雷が凝縮されていた。
――ズガァァァァァァァンッッ!!!!
金属が飴細工のように圧壊する、耳を潰すような大破壊音が響き渡った。
成人の腕ほどもあるシロの前足の一撃は、装甲車の側面鋼板を無残にへこませ、フレームごと内部へとへし折った。
それだけではない。爪から解き放たれた蒼雷の電流が装甲車全体を駆け巡り、車内の計器類と配線を一瞬で焼き切ったのだ。
バキバキ、ボキィッ!
六本の太い鋼鉄車輪のうち、右側の二輪がサスペンションごと引きちぎられ、吹き飛んだ車輪が川底を転がっていった。
三トンを超える装甲車の巨体が、見えない巨人に薙ぎ払われた玩具のように横倒しになり、ドシャァァンと浅瀬の泥水の中へと横転した。
「ぎゃあああああっ!」
「動力が死んだ! 火災発生! 脱出窓を開けろ!」
横倒しになった車体から黒煙と火花が噴き上がる。
さらにシロは容赦なく車体前面のボンネットへと飛び乗り、鋭い牙を突き立てた。
メキメキと鋼鉄のフードを引き裂き、内部のディーゼルエンジンの高圧燃料パイプと電磁発電機を、一息に噛み砕いて引きずり出す。
プシューーーッ……
燃料が川面に漏れ出し、猛烈な勢いで回転していたエンジンが完全に沈黙した。
戦闘開始から、わずか十秒。
帝国の誇る最新鋭装甲戦闘車は、爪と牙と蒼雷の前に、ただの動かない鉄屑へと成り果てていた。
「ひ……ひぃぃぃっ! 助けてくれ!」
ハッチから這い出してきた車長と砲手、そして運転手の三名が、泥まみれになりながら川原へと転がり落ちた。
見上げた先、横転した車体の上に白銀の神狼が仁王立ちし、金色の双眸で冷徹に兵士たちを見下ろしていた。
その口元からは青い電弧が静かに漏れ、圧倒的な勝者の威厳が漂っている。
「ま、魔獣ではない……! あんなものは魔獣の領域を遥かに超えている……!」
車長が膝から崩れ落ち、震える唇で絶叫した。
「神話の蒼雷狼だ! この森には、古代の神獣が生きているんだぁぁッ!」
戦意など、微塵も残っていなかった。
三名の兵士は腰の拳銃すら投げ捨て、靴が脱げるのも構わずに、小川を這うようにして対岸の平原――装甲列車の方向へと無我夢中で逃げ去っていった。
川原に、再び清らかな水音だけが戻ってきた。
横倒しになった装甲車からは、チョロチョロと白い蒸気が立ち上るばかりだった。
「……シロ!」
トチノキからスカイ・レールで主樹へ戻り、地上へと駆け下りてきたアルトが、息を切らしながら川原へと駆け寄ってきた。
シロは装甲車から軽やかに飛び降りると、先ほどまでの荒ぶる神の姿から一転して、嬉しそうに耳を伏せ、尻尾をブンブンと振ってアルトの胸へと飛び込んできた。
「わっ……! シロ、すごいよ……! 本当に、すごいよ!」
アルトは相棒の首筋を力いっぱい抱きしめた。
シロの銀毛からは、微かにオゾンの香りと、心地よい温もりが伝わってくる。
怪我はどこにもなかった。
あの小さな仔狼だったシロが、今や自分たちの基地を単独で守り抜くほどの、圧倒的な守護者へと成長したのだ。
目頭が熱くなるのを覚えながら、アルトはシロの頭を何度も撫でた。
ふと、アルトの足元に、逃げ去った兵士が落としていったものが転がっているのが目に入った。
泥にまみれた、分厚い黒革の書類鞄。
真鍮の金具には、ガレリア帝国第7機甲軍団の刻印とともに、「極秘・作戦指令書」の文字が刻まれていた。
「……これ、帝国軍の作戦文書だ」
アルトは鞄を拾い上げ、濡れた革の留め金を外した。
中から現れたのは、羊皮紙ではなく帝国の最新技術で印刷された精密な地形測量図と、幾重にも赤い封蝋が押された最高機密指令書だった。
表題には、黒々としたゴシック体でこう記されていた。
『作戦名:緑の心臓――境界原生林地下・超古代マナ炉「世界樹機関」接収要綱』
添えられた地質断面図には、アルトが暮らす巨樹の直下、地下百メートルの岩盤層に、オルディス防壁都市の魔力炉の数百倍の規模を誇る「球状の巨大古代機関」が眠っていることが、音波探査データによって克明に記録されていた。
そして文書の末尾には、背筋を凍らせるような冷酷な命令が書き殴られていた。
『先遣隊による地表の抵抗勢力排除後、帝国本隊より四百ミリ列車巨砲「グスタフ・マナ」を搬入。巨樹を根元より粉砕砲撃し、地下マナ機関を露天掘削せよ』
「……あいつら、この大樹を丸ごと吹き飛ばす気だ」
アルトの呟きに、隣のシロが低く唸りを上げた。
帝国軍がこの境界の森を狙う真の理由。
それは、単なる木材資源や領土の拡張などという生易しいものではなかった。
この森の地下深くに眠る、大陸の運命を左右する「旧神話時代の超巨大マナ炉(世界樹機関)」の強奪――それこそが、彼らの真の目的だったのだ。




