第101話:敗残兵の尋問、帝国の真の目的
浅瀬の川原に、黒煙を上げる装甲車の冷たい油の臭気が漂っていた。
横倒しになった車体の陰。頑丈な麻縄で後ろ手に縛られた一人の男が、小刻みに全身をガチガチと震わせながら、泥の上に正座させられていた。
帝国軍の偵察装甲車の操縦士――准尉の襟章をつけた若い兵士だった。
他の二名の乗員は対岸へと逃げ去ったが、この男だけは横転の際に足を挟まれ、自力で脱出できずにいたところを、アルトがテコを使って救出し、捕虜としたのだ。
男の視線の先には、濡れた岩の上に白銀の巨狼――シロが前足を揃えて座り、金色の双眸で冷酷に男を見下ろしている。
シロがわずかに喉を鳴らすだけで、男の喉から「ひっ」と短い悲鳴が漏れる。
「た、頼む……! 食わないでくれ……! 言われた通り何でも話す! だからあの神獣を近づけないでくれ……!」
男の顔面は蒼白を通り越して土気色だった。
かつて都市の大人たちがアルトに向けたような傲慢な侮蔑など、欠片も残っていない。
目の前にいるのは、戦車のような装甲車を一撃でひっくり返した神話の怪物と、その怪物を事も無げに従える謎の少年なのだ。
アルトは川原の平らな石に腰掛け、拾い上げた黒革の作戦書類を膝の上に広げた。
淡々とした、感情を交えない少年の声が響く。
「質問に答えてもらえれば、命を取るつもりはありません。……まず、この『作戦名:緑の心臓』について説明してください」
アルトが指差した書類の文字に、男は唾を飲み込みながら、早口で白状を始めた。
「わ、分かった……! オルディス防壁都市が冬の天変地異で自壊したのは知っているだろう!? あの街にあった魔力炉……あれは、帝国の諜報部が調べた結果、大樹の地下から伸びていた『古代の配線』に無理やりパイプを繋ぎ、漏れ出たマナをかすめ取っていただけの粗悪な模造品だったんだ!」
男の言葉に、アルトの眉がピクリと動いた。
かつてオルディスの魔導学校で、バルトロ教官たちが「神の火」「選ばれた血統の証」と誇っていた魔力炉。
無能な落ちこぼれとしてアルトを罵倒し、魔力を持たない者を人間扱いしなかったあの都市の繁栄の根源が――実際には、この大樹の地下に眠る古代の配管から、泥棒のようにマナを盗掘していただけの寄生システムに過ぎなかったというのだ。
欺瞞に満ちた都市の真実を知り、アルトの胸の奥で、かつて抱いていた過去への未練が完全に消え去っていく。
「オルディスが勝手に自滅してくれたおかげで、帝国の本国政府は色めき立った。あの街のゴミのような模造炉などではない……この境界の森の地下深くに直接眠っている『旧神話時代の超巨大マナ炉』――通称『世界樹機関』を直接掘り起こし、帝国の直轄エネルギー源にするという計画が発動したんだ」
「世界樹機関……」
アルトは静かにその言葉を繰り返した。
「そうだ! 太古の神話文明が、大陸全土に無尽蔵の生体エネルギーを循環させるために築き上げた心臓部だ! その供給能力は、帝国の全工業都市の電力を賄っても余りある! これさえ手に入れば、ガレリア帝国は大陸の絶対覇権を握ることができる!」
男は息を切らしながら、恐る恐るアルトの顔色を窺った。
だが、少年の表情は微動だにしなかった。
アルトの脳裏には、冬の間に観察した「大樹が雪を溶かし、温かい蒸気を噴き上げ、周囲に緑の芽吹きを維持し続けていた理由」が、科学的なピースとなってカチリと噛み合っていた。
この大樹そのものが、古代のマナ炉が呼吸し、排熱と生体エネルギーを地表へ還元するための「巨大な生体ラジエーター」だったのだ。
「……それで? この『四百ミリ列車巨砲グスタフ・マナ』というのは何ですか」
アルトが書類の末尾を指すと、男の瞳に真の絶望の色が浮かんだ。
「そ、それだ……! 逃げろ、今すぐこの森を捨てて逃げるんだ! お前たちがあの神狼を従えていようと、どれほど強力なバリスタを持っていようと、無駄なんだよ!」
男の声が上擦る。
「今頃、敗走した斥候と装甲列車の通信機から、本隊へ第一級暗号電文が送られているはずだ! 我が軍の先遣隊が全滅したとなれば、帝国本隊は躊躇なく『焦土制圧命令』を下す! 三日後……いや、早ければ二日後には、本隊の重機甲師団が到着し、四百ミリ列車巨砲が境界線に据え付けられる!」
「列車巨砲のスペックを言いなさい。口径、重量、射程、砲弾の種類だ」
アルトが鋭く問い詰める。
「砲身長三十メートル、総重量千三百トン! 二本の線路を跨ぐ超巨大な特科火砲だ! 一発の砲弾の重量が七トン、射程は四十キロメートルだ! 砲弾の内部には、液化濃縮マナと超高性能爆薬が詰め込まれている! 着弾地点は半径数百メートルにわたって消し炭になり、大地ごと蒸発するんだ! 帝国は最初から、この森の自然も、あの巨木も残す気などない! 大樹を根元から粉砕して更地にし、巨大なクレーターを作って、地下の世界樹機関を露天掘りで引きずり出す気なんだよ!」
男の叫びが、春の森に木霊した。
七トンの魔導砲弾。
泥炭沼のトラップも、風の迷路も、重力バリスタも、四十キロメートルという超遠距離から撃ち込まれる巨大砲弾の前には、何の意味も成さない。
力づくで全てを破壊し、更地にして略奪する――帝国の軍事暴力の極致だった。
シロが低く、怒りを込めた唸り声を漏らし、背中の銀毛を逆立てた。
だが、アルトは動揺しなかった。
静かに書類を閉じ、立ち上がると、腰のナイフを抜いた。
「ひぃっ!? こ、殺すのか!?」
男が悲鳴を上げたが、アルトのナイフが切り裂いたのは、男の手首を縛っていた麻縄だった。
「え……?」
呆然とする男の前に、アルトは男から押収した私物のうち、水筒と少量の乾パン、そして方位磁石を放り出した。
「武器と軍事書類、それに工具類はすべて没収します。……でも、命までは取りません。この水筒を持って、南の境界線へ歩いて戻ってください」
「な……なぜだ!? 捕虜を解放するなんて……帝国軍なら、敵の斥候は即座に処刑するか、生体実験の素材にするぞ!?」
理解できないという顔で目を見開く男に、アルトは冷徹な眼差しを向けた。
「僕はあなたたち帝国軍とは違います。殺すために戦っているんじゃない。自分の家と、僕たちの命を守るために戦っているんです」
アルトは南の平原の方向を指し示した。
「あなたの指揮官……ザイデル少佐に伝えてください。巨砲を持ってこようと、大軍を引き連れてこようと、僕たちはここを絶対に渡さない。……僕たちの森に踏み込んだことを、必ず後悔させてあげると」
その少年の声には、怒りも脅しもなく、ただ絶対の自信と決意だけが静かに宿っていた。
男は全身を震わせながら水筒を拾い上げ、何度もアルトとシロに頭を下げた。
そして転がるように立ち上がると、二度と振り返ることなく、南の平原へと脱兎のごとく逃げ去っていった。
川原に、再び二人だけの静寂が戻ってきた。
「シロ、主樹へ戻ろう」
アルトは相棒と共に、石組み水路の跳ね橋を渡り、大樹の根元へと戻った。
天空デッキの工房。
アルトは机の上に、先ほど鹵獲した地図と、第1章から書き溜めてきた秘密基地の全測量図を並べて広げた。
(……残された時間は、最大で二日か三日。敵が列車巨砲を据え付ける前に、僕たちには対抗手段が必要だ)
普通の人間であれば、絶望して森を捨てるしかない状況だった。
だが、アルトの思考は、すでに次の工学的な突破口を見出していた。
(帝国軍が狙っている『世界樹機関』……あの街の魔力炉が漏れ出たマナをかすめ取っていただけなら、この大樹は、その世界樹機関から直接エネルギーを受け取っている『主端子』なんだ)
アルトの脳裏に、第1章と第2章で調査した記憶が次々と結びついていく。
冬の間、温泉を汲み上げた谷底の地層。
あそこで見つけた、太さ一メートルを超える「黒い古代チューブ」。
大樹の根と複雑に絡み合い、周期的に青と緑の光のパルスを放っていた、あの正体不明の古代配線。
「あのケーブルの奥深くに……世界樹機関の制御核があるはずだ」
アルトは立ち上がり、頑丈な帆布の道具袋を取り出した。
刃を研ぎ直した鋼鉄のツルハシ、地質調査用の小型ハンマー、超硬度の石彫りノミ、そして暗闇を照らす密閉型真鍮ランタン。
ランタンの油槽には、煙の出ない精製植物油を満たし、予備の火打ち石を革袋に収める。
さらに、微弱なマナ電流を検知するための「真鍮製検電計」の指針をゼロ点に校正し、三十メートルのザイルロープを肩に斜め掛けにした。
準備に一切の抜かりはなかった。
「シロ、谷底へ行こう。あの黒いケーブルの根元を、徹底的に掘り起こすんだ」
シロが力強く「ウォン!」と応え、アルトの足元に寄り添った。
少年の瞳には、帝国の巨砲への恐れなど微塵もなかった。
自らの知恵と、技術と、相棒の絆で築き上げてきたこの秘密基地を守り抜くため――アルトは森の最深部、神話の真実が眠る地下世界への扉を開こうとしていた。




