第12節 ― 受付へ戻された鍵
受付裏の表側対応盤には。
C―17――五〇九号室。
変わらない表示が残っていた。
裏側に再現された五〇七号室への分岐は、すでにオーリンの手で外されている。呼鈴記録機も、何事もなかったように次の信号を待っていた。
五〇七号室は移動していない。
移されたのは、そこにいた客の記録だけだった。
だが。
記録誤帰属の仕組みが分かっても、コンラッド=ヘイルの後頭部を殴った者までは示されていない。
レオンは、受付台の内側に並ぶ鍵掛けを見ていた。
客室番号ごとの真鍮の鉤。
客が外出したとき。
清掃を終えたとき。
使用していない部屋の鍵は、そこへ戻される。
五〇七号室の鉤だけが空いていた。
「警部は?」
ミラベルが尋ねた。
「鍵を取りに行った」
「先生が頼んだんですか」
「本人が気づいたことにしてやれ」
「聞こえとるぞ」
従業員通路から、グレアムの声が返った。
現れた警部の後ろには、現場担当の警官と検視係が続いている。
グレアムは受付台の一部を空けさせ、灰色の証拠布を広げた。
その中央へ置かれたのは。
五〇七号室の鍵だった。
細長い鉄の鍵。
その端には、掌へ収まり切らないほど重い真鍮製の鍵飾りが付いている。
表には五〇七の数字。
裏には灰冠ホテルの冠の紋章。
客が衣服の内側へ入れても、その重さを忘れられない鍵だった。
「発見時、ブルーノ支配人が受付の鍵掛けから持ってきた」
グレアムが言った。
「五〇七号室を開けたあと、警察がその場で証拠品として回収した。以後は検視係と現場担当の管理下だ」
「今朝、鍵掛けにあったことを確認した人は?」
ミラベルが尋ねる。
「夜勤受付、朝の受付係、ブルーノ支配人」
「昨夜からずっと掛かっていたことは?」
「証明できん」
グレアムは答えた。
「午後十時台は、舞踏会と客の出入りで受付も混雑していた。一つの鍵を、夜通し見張っていた者はいない」
「今朝そこにあったことと」
ミラベルは記録帳へ書く。
「昨夜ずっとそこにあったことは別」
「そういうことだ」
ブルーノが、証拠布の鍵を見た。
「閉鎖中の客室です。鍵は受付へ置かれているはずでした」
「今日だけで、何度目の『はず』だ」
グレアムの声に。
ブルーノは口を閉じた。
レオンは、すぐには鍵へ触れなかった。
鍵本体。
輪。
鎖の継ぎ目。
重い真鍮飾り。
表面の五〇七。
冠の紋章。
第一発見時から、不自然に明るかった平面。
その一方で。
数字の溝と鎖の根元には、磨き残された暗い汚れがある。
「五〇七号室の錠へ合うことは確認済みだ」
グレアムが言った。
「複製でもない」
「見ているのは、鍵の歯ではない」
レオンが答えた。
ミラベルは真鍮飾りへ顔を近づける。
証拠には触れない。
「平らな面だけが磨かれています」
「閉鎖中の部屋の鍵を、誰かが磨いた」
「少なくとも、表面を拭いた」
ブルーノが口を開く。
「客室鍵は、通常――」
「客へ渡す鍵なら磨く」
ドロテアが先に答えた。
「でも五〇七号室は三日前から閉鎖中だよ。通常の磨きには回していない」
「鍵管理係にも確認済みだ」
グレアムが言う。
「閉鎖前に磨いたのが最後だそうだ」
検視係が、小さな証拠容器を証拠布の脇へ置いた。
中には。
五〇七の数字の溝から採取された、ごく少量の赤褐色の付着物が収められている。
「先ほど分析が終わりました」
検視係が言った。
「この付着物は、血液です」
受付裏の空気が変わった。
ネリーが口元を押さえる。
ブルーノは、真鍮飾りから半歩離れた。
ラヴィニアは表情を崩さなかったが、胸元の銀の留め具へ置いた指へ力が入った。
「コンラッドの血か」
レオンが尋ねる。
「個人まで特定できる検査ではありません」
検視係は慎重に答えた。
「ただし、遺体の傷から採取された血液と比べ、色調、凝固、乾燥の進み方に矛盾はありません。付着した時期も、事件時刻と合います」
「別人の血である可能性は、理屈の上では残る」
ミラベルが確認する。
「残ります」
「血液だけでは、凶器と断定できない」
「それだけならな」
グレアムは、別の証拠布を開いた。
検視時に作成された後頭部の傷の図。
頭髪と皮膚の裂けによって、打撃面の全体は残っていない。
それでも。
傷の幅。
直線に近い縁。
一端へ集中した深い損傷。
角を持つ重量物で殴られた形が読み取れた。
レオンは薄い手袋をはめ。
真鍮飾りを、鎖の部分から持ち上げた。
掌へ乗せる。
重い。
人の頭部へ振り下ろせば。
十分な損傷を与えられる重量だった。
飾りの厚い縁を。
傷の図と同じ向きへ合わせる。
検視係が計測器を当てた。
「幅は一致します」
「角の形も」
ミラベルが言う。
「同じ幅と角を持つ物なら、似た傷を作れる」
レオンは、すぐに範囲を区切った。
「この形の傷を作れる物が、世界にこれ一つという意味ではない」
「だが」
グレアムが続ける。
「五〇七号室へ入るための鍵に付いていた。表面だけが拭かれている。刻印の奥には事件時刻と矛盾しない血が残った。傷の幅と角にも合う」
レオンは真鍮飾りを証拠布へ戻した。
「現場とホテル内で確認された物の中では、これを凶器と考えるのが最も合理的だ」
「なら、市警は凶器として扱う」
「異論はない」
ミラベルは。
五〇七号室の鍵を見た。
部屋へ入るための物。
扉を閉ざすための物。
閉鎖中の部屋が、誰にも使われていないと示すため。
受付へ戻されていた物。
それが。
コンラッドを殴った凶器でもあった。
「犯人は、この鍵を持って五〇七号室へ入り」
ミラベルが言った。
「真鍮飾りで殴った」
「その可能性が高い」
レオンが答える。
「表面の血を拭き」
グレアムが続けた。
「鍵掛けへ戻した」
「戻さなければ」
レオンは、空になった五〇七号室の鉤を見る。
「翌朝、閉鎖中の部屋の鍵がなくなっていることに気づかれる」
「死体が発見される前に」
ミラベルが言った。
「誰かが五〇七号室へ入ったと分かってしまう」
ブルーノが苦い顔をした。
「客室鍵へ触れられる者は、一人ではありません」
「そうだ」
レオンは認めた。
総支配人。
宿泊記録主任。
夜勤受付。
客室管理主任。
非常時には警備員。
鍵だけを見れば。
扱う機会のある者は複数いる。
「この鍵だけでは、犯人を一人へ絞れない」
ミラベルが言った。
「鍵だけならな」
レオンは、これまでの記録を思い返すように。
集められた者たちを見た。
「五つの条件を確認する」
密封随伴票へ、締め処理前に触れられる。
五〇九号室の料金訂正を処理できる。
C―17の分岐解除を設備主任へ命じられる。
五〇七号室の一時使用と客室鍵を扱える。
密封客の身分と所属を管理できる。
「一つずつなら」
レオンが言った。
「該当する者は複数いる」
当日用綴りには、エドモンド以外の記録係も業務上近づくことがある。
料金訂正は、総支配人や会計責任者にも権限がある。
設備を実際に動かしたのはオーリン。
鍵を手にできる者も、一人ではない。
ブルーノは五〇七号室の使用を許可していた。
「だが」
レオンは、エドモンドへ視線を向けた。
「五つの条件すべてへ、業務上到達できたのは、宿泊記録主任だけだった」
エドモンド=ケイルは。
いつもと変わらない姿勢で立っていた。
黒い上着。
整えられた襟。
上着の前へ重ねた指。
「役職が条件を満たすことと」
エドモンドが言った。
「私が殺したことは同じではありません」
「その通りだ」
レオンは即座に認めた。
「今の段階で確定したのは、君がすべてへ触れられたことだけだ」
「訂正印も、私の物ではありますが、私が押したとは確定していない」
「そうだ」
「鍵も、私だけが使える物ではない」
「そうだ」
「それなら」
「だから、君の事務室を調べる」
グレアムが部下へ手を上げた。
「すでに封鎖させてある」
ブルーノが顔を上げる。
「警部。記録主任の事務室には、事件と無関係な宿泊者の情報が――」
「持ち出す物は事件関係だけだ」
グレアムが答えた。
「机も帳簿も、本人と支配人の立ち会いで確認する」
「令状は」
エドモンドが尋ねた。
「正式な令状を取ることもできる」
グレアムの声は低かった。
「その場合、事務室を閉鎖したまま裁判官の判断を待つ。帳簿箱も印章箱も、誰にも触らせん」
エドモンドは、短く息を吸った。
「任意の確認であれば」
グレアムは続ける。
「捜索範囲を、コンラッド=ヘイル、五〇七号室、五〇九号室、C―17、当日用綴り、料金訂正、客室鍵に関係する書類へ限定する。その条件を同意書へ書く」
ブルーノは。
ホテルの理念が刻まれた壁と。
血の残った鍵を見た。
「関係のない客の記録は、警察も記者も閲覧しない」
「市警の部下には俺から命じる」
グレアムが言う。
「ワトリア嬢は?」
ミラベルは記録帳を閉じた。
「必要のない名前は見ません。見えても書きません」
ブルーノは、しばらく黙っていた。
やがて。
「ホテルを代表して、範囲を限定した任意捜索へ同意します」
エドモンドへ視線を移す。
「記録主任」
エドモンドは。
証拠布に置かれた鍵を一度だけ見た。
「私も同意します」
警官が作成した書面へ。
ブルーノとエドモンドが署名する。
グレアムが確認し。
立会人として部下が署名した。
「では始める」
◇
エドモンドの事務室は。
密封宿帳庫の隣にあった。
壁一面の帳簿棚。
客室配置図。
料金訂正票。
鍵の受け渡し表。
個人印を収める箱。
机の上では。
筆記具が同じ角度へ揃えられている。
未処理書類は左。
確認済みの書類は右。
宿泊者の秘密を。
正しい部屋。
正しい勘定。
正しい綴りへ収め続けた男の仕事場だった。
グレアムは警官二名へ指示を出した。
「開く前に、引き出しと書類の位置を記録しろ。事件と関係のない客の名は声に出すな。範囲外の書類は表題だけ確認し、その場へ戻せ」
ブルーノが、わずかに顔を上げる。
「生きている客の秘密は守る」
グレアムは言った。
「死んだ男の記録だけを探す」
捜索が始まった。
印章箱。
訂正印の使用簿。
鍵の受け渡し記録。
部門予備費の控え。
私的な送金票。
当日用綴りに関する作業書類。
一つ開くごとに。
位置。
枚数。
順番が記録される。
エドモンドは、自分の机から少し離れた場所へ立っていた。
両側に警官。
本人の同意で始まった捜索だが。
書類へ手を伸ばすことは許されない。
「何を探しているんです?」
ミラベルが、レオンへ小声で尋ねた。
「コンラッドとの関係」
「送金控え」
「可能性はある」
「切り取られた随伴票」
「それもだ」
「でも、証拠なら処分している方が自然ですよね」
「自然だ」
「では、見つからない可能性の方が高い」
「証拠探しに、見つかる保証はない」
「先生は、捜索中にも希望のない言い方をしますね」
「希望で引き出しは開かない」
机の下段を調べていた警官の手が止まった。
「警部」
引き出しの奥から。
灰色の文書箱が出される。
表題は。
《宿泊記録主任・個人控え》。
グレアムが中身を確認する。
部門予備費の支出票。
業務上の立替記録。
私的な送金控え。
日付順に揃えられている。
一枚。
二枚。
三枚。
途中で。
グレアムの指が止まった。
「クラウス」
レオンが横へ並ぶ。
送金控えの差出人は。
エドモンド=ケイル。
受取人は。
コンラッド=ヘイル。
一枚ではなかった。
異なる日付。
異なる金額。
古いものから新しいものまで。
複数の送金が記録されている。
「何の金だ」
グレアムが尋ねた。
エドモンドは答えない。
「貸付か」
沈黙。
「借金の返済か」
沈黙。
「ホテルの客に関する取引か」
エドモンドの顎が。
わずかに固くなった。
「答えないなら、用途不明の送金として記録する」
グレアムは送金控えを証拠布へ置いた。
これだけで。
金の意味までは確定しない。
だが。
コンラッドとエドモンドが。
事件当夜に初めて関わった者同士ではないことは確定した。
二人は。
以前から、金銭によってつながっていた。
「こちらを確認してください」
別の警官が言った。
机上の右端。
翌日へ回す《再処理書類》をまとめた厚紙の綴りがある。
料金訂正で差し戻された書類。
付属室変更届。
記入不備によって、翌日に書き直す予定の票。
警官は。
その綴りの中央へ挟まれていた灰色の紙を指した。
未使用票ではない。
細長い随伴票。
綴じ穴の縁には。
切断された灰色の糸が短く残っている。
「位置を記録しろ」
グレアムが言った。
警官が。
どの書類とどの書類の間に挟まれていたかを書き留める。
写真板で位置を残したあと。
票だけを、証拠布へ移した。
ブルーノの顔色が変わる。
「密封随伴票です」
レオンは、記載欄を順に見た。
主室。
五〇九号室。
随伴者人数。
一名。
付属室。
五〇七号室。
緊急識別符号。
C―17。
そして。
最下部の責任署名欄。
ラヴィニア=セレス。
流麗なエルフ式の署名が記されていた。
「セレス夫人の責任署名」
ミラベルが言った。
「本人は、随伴者を許可していないと証言している」
「公開宿帳と、主室契約書の署名を持ってこい」
グレアムが命じる。
ブルーノの立ち会いで。
ラヴィニア本人が記した二つの署名が運ばれる。
レオンは三枚を並べた。
公開宿帳。
主室契約書。
切り取られた随伴票。
同じ名前。
同じ形を真似ようとした線。
だが。
完全には一致しない。
本物の署名は。
最初の文字へ力を込め。
途中から、細い線で流れる。
末尾は。
一度紙からペンを離し、短い払いを加えていた。
随伴票の署名は。
その形を写している。
しかし。
線の太さが初めから終わりまで同じ。
本来一度離れる場所が。
一筆でつながっている。
「形を見て写した署名です」
レオンが言った。
「筆順と力の入れ方が違う」
「本人へ確認する」
グレアムが言う。
ラヴィニアが事務室へ呼ばれた。
警官の説明を聞き。
証拠布へ置かれた票を見る。
五〇九号室。
随伴者一名。
五〇七号室。
C―17。
そして。
自分の名。
「これは」
彼女の声が。
初めて、明確に硬くなった。
「わたくしの署名ではありません」
「間違いないか」
グレアムが尋ねる。
「わたくしは、この票を見たこともありません」
ラヴィニアは、本物の主室契約書と見比べた。
「この末尾の線は、わたくしならこうは書きません」
レオンが指摘した部分と同じだった。
「署名を真似た者がいる」
ミラベルが言う。
「そして、その票がエドモンドさんの事務室にあった」
レオンは、すぐに結論を急がなかった。
「まず、票そのものを照合する」
ブルーノが。
エドモンドと二つの鍵で密封宿帳庫を開ける。
昨夜収蔵された当日用綴りは。
警官の立ち会いの下で隣の事務室へ運ばれた。
切断された綴じ糸。
抜けている一枚分の位置。
紙の幅。
裁断面。
綴じ穴の間隔。
残った糸の色と太さ。
発見された票を。
失われた箇所へ重ねる。
穴の位置が合う。
紙の縁も。
糸の切断面も。
「間違いありません」
ブルーノが。
掠れた声で言った。
「昨夜の当日用綴りから外された票です」
票が綴じられていた位置。
五〇九号室の主室契約。
随伴者一名。
付属室五〇七。
緊急識別符号C―17。
偽造された、ラヴィニアの責任署名。
それは。
コンラッドの滞在を。
ラヴィニアの契約へ所属させるために作られた票だった。
ミラベルは、エドモンドを見る。
彼は。
もう、書類を見ていなかった。
整えられた机。
過去の送金控え。
切り取られた随伴票。
偽造された責任署名。
自分が管理してきた記録によって。
逃げ道を、一つずつ塞がれている。
「エドモンド=ケイル」
グレアムが言った。
「コンラッドへの過去の送金控えが、あんたの個人記録から出た」
返事はない。
「二人に以前から金銭関係があったことは、これで確認できる」
エドモンドは黙ったままだった。
「密封随伴簿から切り取られた票が、あんたの事務室の再処理書類から出た」
返事はない。
「主室五〇九。付属室五〇七。C―17。責任署名は、ラヴィニア=セレスの偽造署名だ」
エドモンドの指が。
上着の前で強く重なる。
「これで」
ミラベルが言った。
「エドモンドさんが、コンラッドさんを以前から知っていたことは確定しました」
「少なくとも、送金を行う関係にあった」
レオンが正確に言い直す。
「そして、この偽造票を作り、当日用綴りから外した記録偽装へ直接関与したことも、否定できない」
「票を作った者までは――」
エドモンドが口を開く。
「では」
レオンが遮った。
「なぜ、ラヴィニアの偽造署名がある切り取り票を、君の事務室の《再処理書類》へ挟んでいた」
エドモンドは答えなかった。
「なぜ処分しなかった」
グレアムが問う。
沈黙。
「書き直すつもりだったのか」
沈黙。
「綴りへ戻すつもりだったのか」
エドモンドの視線が。
ほんの一瞬だけ。
切られた綴じ穴へ向いた。
それ以上の答えはなかった。
なぜ票を残したのか。
何を再加工し。
どこへ戻そうとしていたのか。
その理由は。
まだ、本人の口から聞かなければならない。
グレアムは。
証拠布の上へ、五〇七号室の鍵を置いた。
真鍮飾り。
拭われた表面。
刻印に残った血。
傷口と矛盾しない幅と角。
「この鍵を使った者は、まだ物証だけでは一人に決められん」
グレアムが言う。
「だが、あんたは鍵を扱えた」
エドモンドは答えない。
「C―17の分岐を外させた」
沈黙。
「料金訂正にも、あんたの印がある」
沈黙。
「当日用綴りから外された偽造票が、あんたの事務室にあった」
沈黙。
「そしてコンラッドとは、事件前から金でつながっていた」
グレアムは。
五階へ続く天井を見上げた。
「殺した理由と」
低い声だった。
「五〇七号室で何が起きたのかは、まだ聞いていない」
エドモンドの顔から。
宿泊客へ向ける礼儀正しい表情が。
少しずつ抜け落ちていく。
「ここで話すか」
グレアムが尋ねた。
「それとも」
五〇七号室のある上階へ視線を向ける。
「あの男が死んだ部屋で話すか」
エドモンドは。
しばらく何も言わなかった。
やがて。
上着の前で重ねていた手を、ゆっくり下ろす。
「……五〇七号室で」
声は。
これまでと同じように静かだった。
だが。
もう。
宿泊記録主任の声ではなかった。
グレアムが部下へ告げる。
「連れていけ」
警官が、エドモンドの両側へ立つ。
ミラベルは。
机の上に残された随伴票を見た。
主室五〇九号室。
随伴者一名。
付属室五〇七号室。
C―17。
偽造された責任署名。
名前のない一人の客。
けれど。
その客の名は。
もう、誰にも分からないものではなかった。
コンラッド=ヘイル。
彼が食べたことを。
眠ったことを。
湯を使ったことを。
最後に鈴を鳴らしたことを。
ホテル中の記録が、別々に覚えていた。
そして今。
彼を殴った鍵もまた。
受付へ戻された場所から。
死者のために、証言を始めていた。




