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第12節 ― 死ぬ前に届いた死亡記録

 《レギストラ》の再現試験が終わっても。


 中央記録塔の誰一人として、その場を離れなかった。


 試験用の死亡閉鎖は解除され。


 黒い生者照合板には、再び白い文字が浮かんでいる。


 ――エリアス=フォルン。


 ――生存。


 ――記録筒室・入室確認。


 だが。


 記録筒室の中央に立っているのは。


 顔のない木製人形だった。


 名前だけが戻り。


 その名を持っていた本人は戻らない。


 ミラベルは。


 黒い硝子板から視線を外した。


 証拠卓には。


 事故当夜の不正命令票。


 将来発効を示す三つの穿孔。


 複製された総帥印。


 時限設定された洗浄工程。


 そして。


 右下へ残された運用番号。


 ――《B―0》。


 レオンは、不正命令票を取り上げた。


「オルド=ガルム」


 呼ばれた男だけが。


 すぐには振り向かなかった。


 中央記録網運用責任者として。


 何十年も立ち続けてきた主操作盤の前。


 背筋を伸ばし。


 両手を背後へ組み。


 停止した機械を見上げている。


 まるで。


 自分の管理する塔で起きた異常について。


 報告を待つ責任者のように。


「あなたが」


 レオンは言った。


「エリアス=フォルンを殺した」


 塔の上部で。


 冷えた気送管が、小さく鳴った。


     *


 オルドは、ゆっくりレオンへ顔を向けた。


「根拠を伺いましょう」


 声は落ち着いている。


 否定より先に。


 証拠を求めた。


「《B―0》だけで、私を犯人と?」


「その番号から始める」


 エドガー=クラウスが。


 一冊の古い台帳を、証拠卓へ置いた。


 黒い表紙。


 擦れた角。


 十二年分の煤を吸った、灰色の紙端。


「旧第六記録工房、運用職員番号簿」


 頁を開く。


 勤務部署。


 権限区分。


 操作鍵番号。


 個人運用番号。


 古い職員たちの名が、細かな文字で並んでいる。


 エドガーの指が。


 一つの行で止まった。


 ――オルド=ガルム。


 ――個人運用番号・B0。


「《B―0》は」


 レオンが言う。


「ブラス零号機を示す機械番号ではない」


 エドガーは。


 十二年前の死亡閉鎖票を、その横へ置いた。


 現在の命令票とは、書式が違う。


 だが。


 右下の穿孔配列は同じだった。


「古い台帳では《B0》。現在の印字では《B―0》」


 エドガーが言った。


「表記は違っても、機械が読む個人運用番号は同じだ」


「古い番号を流用した者がいたのでしょう」


 オルドが答える。


「誰が」


 グレアムが尋ねた。


「十二年前の技術者全員を、今ここで挙げることはできません」


「午後八時以降、保守筒へ触れていないと言ったな」


「触れていません」


 レオンは、不正命令票の時刻穿孔を示した。


「この命令が保守筒へ登録されたのは、午後八時十七分」


「入力された時刻が分かっても、入力者までは――」


「個人運用番号《B―0》で処理されている」


 レオンの声は変わらなかった。


「十二年前の死亡閉鎖も」


 古い票。


「昨夜の殺人命令も」


 新しい票。


「同じ番号だ」


 オルドの薄い笑みは。


 まだ消えなかった。


「番号を知る者なら、使用できます」


「だから、番号だけでは終わらない」


     *


 レオンは、不正命令票の処理印へ視線を移した。


 歯車と羽根。


 ブラス家の総帥印。


 一見すれば。


 モルガの指輪で押されたものと区別できない。


「命令には、モルガ夫人の権限が使われた」


「総帥が命じていないのなら、何者かが印を盗用したのでしょう」


 オルドが言う。


「本物の指輪で押された印ではない」


 レオンは。


 証拠袋に入った印章指輪と、原登録板を並べた。


 本物の印章面。


 外周右下には、細い亀裂。


 公開試験前に作られた原登録板にも。


 同じ亀裂が写っている。


 死亡記録の印には。


 その亀裂がない。


 代わりに。


 外周へ浅い二重線が残っていた。


「複製を介した印だ」


「どの複製材から作られたかは、分かっていないはずです」


 オルドが言う。


「そのとおり」


 レオンは認めた。


「公開試験の原登録板が、直接の原型だったとは確定していない」


 モルガが押した複製材を見る。


「だが、本物の指輪を直接押していないことは確定している」


「複製印を作れる者は、私だけではありません」


「作れるだけではない」


 ミラベルが言った。


「公開試験前。原登録板を照合機から取り出し、保管箱へ収めたのは、あなたです」


「運用責任者としての通常業務です」


「複製材へ触れる機会があった」


「機会があった者は、ほかにもいる」


「ええ」


 ミラベルは頷いた。


「だから、この印だけであなたを犯人とは決めません」


 オルドは彼女を見る。


 ミラベルは、視線を逸らさなかった。


「でも」


 古い運用番号と。


 複製された権限印。


「同じ場所へ並べる理由はあります」


     *


 リナ=セイルが。


 エリアスの監査報告書を、証拠卓へ置いた。


 一度は。


 消されることを恐れた彼女によって隠され。


 今は市警の封印糸を掛けられた報告書。


 全頁に番号が振られ。


 原本と写しが照合されている。


「エリアスは」


 レオンが言った。


「十二年前の旧第六記録工房事故について、四つの異常を見つけた」


 報告書を開く。


「四名の死亡閉鎖が、遺体確認より十八分早い」


 一枚、めくる。


「救助班の入室記録が、死亡閉鎖の直後に終了している」


 次の頁。


「四人目だけ、遺体照合記録が存在しない」


 さらに。


「その四人目。イーダ=メルクの名で、事故三日後に火傷薬と鎮痛剤が購入されている」


「転記誤りとして処理されています」


 オルドが答えた。


「薬を使った本人が、生きている」


 ミラベルは。


 白紙街で取った証言記録を開いた。


「左腕に蒸気火傷。左耳の聴力を喪失。事故後、廃液渠から自力で脱出した」


「その女性が、イーダ本人である証明は」


「身体的特徴だけではありません」


 薬品記録。


 旧工房の構造。


 廃液渠の位置。


 事故時の作業配置。


 救助音が止んだ順序。


「記録と、本人しか知り得ない現場の証言が一致しています」


 ミラベルは言った。


「そして彼女は、あなたの名を覚えていました」


 オルドの表情は変わらない。


「事故後」


 ミラベルは証言記録を読む。


「あなたはイーダさんへ、すでに記録上は死んでいると告げた」


「十二年前の証言です」


「生存を訴えれば、補償詐欺として拘束される。家族も、事故隠蔽の共犯として扱うと脅した」


「彼女の証言だけです」


「ええ」


 ミラベルは答えた。


「それは、十二年前にあなたが何をしたかについての証言です」


「昨夜の殺人とは関係がない」


「単独では」


 レオンが言う。


「だが、十二年前の死亡閉鎖票には、あなたの個人運用番号がある」


 古い票を示す。


「生死確認より先に。あなたは四人の名を、生者の記録から外した」


「工房全体を閉鎖しなければ、損害が広がる状況でした」


「救助が終わる前に?」


「圧力上昇による二次事故の危険があった」


「なら、救助中止命令に、その理由を記すべきだった」


「混乱した現場です」


「代わりに」


 レオンは、四人の死亡閉鎖を指した。


「人間を閉じた」


「事故処理です」


「三人が死んだ」


「私は事故を起こしていない」


 初めて。


 オルドの声が強くなった。


「圧力機構が破損した。私は、現場を収束させるために必要な処理をしただけです」


「生きていたイーダさんまで、死者へ移した」


「生存は確認されていなかった」


「死亡も確認されていなかった」


 レオンの言葉に。


 オルドは答えなかった。


     *


 見学台の端では。


 ノクス=モリアンが、黒檀の杖へ両手を重ねていた。


「十二年前」


 レオンが彼を見る。


「予備死亡閉鎖された名票が、生者照合から外れると講義した」


「制度間照合の一例として」


 ノクスは答える。


「オルドも受講していた」


「ええ」


「君は、彼が意味を理解していたことを知っていた」


 短い沈黙。


「今となっては」


 ノクスの声から、いつもの笑みが薄れる。


「否定しても益はないでしょう」


 モルガが、彼を見た。


「なぜ黙っていたのです」


「知識を持つ者が、必ず犯罪へ使うとは限りません」


「エリアスが死んだあとも?」


「疑いはありました」


「なら、話すべきだった」


「話せば」


 ノクスはレオンを見る。


「証拠より先に、オルド=ガルムという名へ結論を置いたかもしれない」


「あなたは」


 ミラベルが言った。


「わたしたちが、名前ではなく証拠へ辿り着けるかを見ていた」


「観察した、と言うべきでしょう」


 ノクスの沈黙は。


 オルドの殺人を証明しない。


 だが。


 十二年前から。


 オルドが、死亡閉鎖と生者照合の関係を理解していたことは補強した。


     *


「エリアスは」


 レオンは、監査報告書の提出予定欄を示した。


「公開試験の翌朝、この報告書を中央記録庁へ提出する予定だった」


 旧事故の再捜査。


 死亡閉鎖記録の再点検。


 ブラス重工への調査。


 《レギストラ》の正式稼働延期。


 それらが始まる。


「あなたは、エリアスが旧事故を調べていることを知っていた」


「独立監査官ですから」


「生存者がいるという話をしたとき」


 ミラベルが言う。


「あなたは即座に《誤認》だと答えた」


「正式記録では、四名死亡です」


「確認もせずに?」


「記録へ従っただけです」


「違います」


 ミラベルは。


 白紙街の小さな部屋を思い出した。


 火傷した左腕。


 右耳だけを相手へ向ける女。


 十二年間。


 死者の名を背負って生きた人。


「あなたは、記録が正しいから信じたんじゃない」


 オルドを見る。


「自分が作った記録を、正しいことにしたかった」


     *


 レオンは。


 非常索から回収された、錫の接続部を持ち上げた。


「事故前。非常索の鋼線は切られ、低融点の錫でつなぎ直されていた」


「私が細工した証拠はありません」


「錫を扱える技師は多い」


 レオンは、すぐに答えた。


「だが、細工の目的は明確だ」


「最初に引けば、警報は鳴る」


 ミラベルが言う。


「完全に切断すれば、事故前の点検で見つかるかもしれない」


 グレアムが続ける。


「室温が上がれば錫が溶ける。二度目からは、救助を呼べない」


 レオンは、錫線を戻した。


 次に。


 時限設定された洗浄命令を示す。


「死亡閉鎖命令と、自動洗浄工程は、午後八時十七分に設定された」


「保守作業では通常の機能です」


「通常の保守作業へ、死亡閉鎖は必要ない」


 オルドは黙る。


「主機と主要蒸気管が止まっても」


 レオンは続ける。


「補助凝縮管が残れば、洗浄工程へ蒸気を送れる」


 ベアトリスの顔が強張った。


「補助管を残したのは、私です」


「その判断を」


 レオンは言った。


「オルドは予測していた」


 ベアトリスがオルドを見る。


「記録筒を急冷すれば、穿孔票が湿る。だから、私が保温管を止めないと知っていた」


「主任技師なら、当然の判断です」


 オルドは答えた。


「私の停止命令違反を」


 ベアトリスの声が震える。


「最初から、殺人の条件に入れていたのね」


「一般的な保全手順を述べただけです」


「あなたは」


 モルガが言った。


 かつてないほど低い声だった。


「彼女が命令へ背いてでも、機械を守ると知っていた」


 オルドは。


 長年仕えてきた総帥を見た。


「機械を守るのが、主任技師の職務です」


「人間を殺すために利用されることまで?」


 答えはなかった。


     *


「あなたのアリバイは完全だった」


 レオンが言った。


 事故が起きた午後十一時十分。


 オルドは主操作盤前にいた。


 停止作業を指揮し。


 運用票へ署名し。


 数十人の招待客と作業員が、その姿を見ている。


「だから、私には不可能です」


 オルドが答える。


「違う」


 レオンは、不正命令票を持ち上げた。


「そのアリバイこそ。この殺人が、事前に入力された命令だったことを示している」


「自動機械なら、誰にでも同じことができる」


「できる」


 レオンは認めた。


「だから事故時のアリバイだけでは、誰も除外できない」


 将来発効の穿孔。


 午後八時十七分の投入時刻。


 午後十一時十分の発効時刻。


「あなたは、事故が起きる瞬間に何もする必要がなかった」


 ミラベルが言う。


「大勢の前で、停止作業を指揮していればよかった」


「運用責任者として当然です」


「その役割によって」


 レオンは、関係者を順に見る。


「モルガ夫人は公開試験室へ留まり」


 総帥として。


「あなたは主操作盤から離れず」


 運用責任者として。


「記録筒室へ向かうのは」


 独立監査官。


 自分の死亡記録を調べずにはいられない男。


「エリアスだけになった」


 リナの指が、監査報告書を強く掴んだ。


「監査官は」


 声が掠れる。


「異常を、他人へ任せません」


「犯人は、それを知っていた」


 グレアムが言った。


「死亡記録を、わざわざ公衆の前へ出した理由だ」


「エリアスへ見せるため」


 ミラベルが続ける。


「入力元を調べさせ、記録筒室へ誘い込む」


「午後十一時十分に死亡閉鎖を発効させ」


 レオンは、生者照合板を見る。


「安全装置から名を消す」


 時限式の洗浄命令。


 補助凝縮管。


「自動洗浄を開始する」


 最後に。


 溶けた錫。


「救助を遅らせる」


 レオンは。


 命令票に残る《B―0》を、オルドへ向けた。


「命令したのは、この番号を使った者だ」


 十二年前の死亡閉鎖票を重ねる。


「同じ番号で、四人を生者の数から外した者」


 イーダの証言記録。


「生き残った一人を、死者のまま白紙街へ追いやった者」


 エリアスの監査報告書。


「その事実を明らかにしようとした監査官を」


 死ぬ前に届いた死亡記録。


「同じ構造で殺した者だ」


     *


 オルドは。


 長いあいだ。


 何も言わなかった。


 言い逃れを探しているようには見えない。


 証拠卓へ並んだ紙を。


 一枚ずつ確かめている。


 古い職員台帳。


 十二年前の死亡閉鎖票。


 イーダの薬品記録と証言。


 エリアスの監査報告書。


 複製された総帥印。


 事故当夜の不正命令票。


 溶けた錫。


 それらが。


 一つの記録として閉じられる様子を。


 運用責任者の目で見ていた。


「エリアスは」


 やがて言った。


「都市を動かすということを、理解していなかった」


 リナが顔を上げる。


「何を言っているんです」


「古い事故の数字を拾い。一人の生存者を見つけ。それだけで、すべてを止めようとした」


「事実を報告しようとしたんです」


 ミラベルが言う。


「事実だけでは、都市は動かない」


「だから殺した?」


「報告書が提出されれば」


 オルドの声が強くなる。


「ブラス重工が止まれば、鉄道が止まる」


 停止した真鍮柱を見上げる。


「工場が止まり。病院の機械が止まり。何万人もの暮らしが止まる」


 気送管。


 鉄道部品。


 医療機械。


 工房の動力装置。


 ブラス重工の歯車は。


 都市の至る場所へつながっている。


「四人と一つの都市」


 オルドは言った。


「どちらを守るべきかは、明白だ」


「四人ではありません」


 リナの声が震える。


 エリアスの報告書を胸へ抱き締める。


「監査官も殺した」


「一人が、都市を止めようとした」


「その一人にも、名前があります!」


 叫びが、停止した塔へ響いた。


「あの人が機械を壊したいんじゃないことも。商会を潰したいんじゃないことも。あなたは知っていたでしょう!」


「善意だけで都市が守れるなら、運用責任者はいらない」


「なら」


 リナは、一歩前へ出た。


「何人まで消せば、運用なんですか」


 オルドは答えない。


「十人?」


 もう一歩。


「百人?」


 グレアムの部下が動きかける。


 警部は、片手で制した。


「何万人を守るためなら」


 リナは尋ねた。


「私の名前も、閉じていいんですか」


 オルドの顔に。


 初めて。


 深い疲れが浮かんだ。


「必要なら」


 小さな声だった。


 だが。


 誰の耳にも届いた。


 リナの表情から、怒りが消える。


 代わりに。


 目の前の男を理解してしまった者の恐怖が残った。


     *


 モルガが。


 ゆっくり、オルドの前へ進んだ。


 背丈は、彼より低い。


 それでも。


 その場で見下ろされているのは、オルドのほうだった。


「父の代から」


 モルガが言う。


「あなたは、この商会を支えてきました」


「はい」


「工房火災の夜。自分の手を焼き、主蒸気弁を閉じた」


「昔の話です」


「鉄道部品の欠陥が出たとき。三日間眠らず、全製品を検査した」


「必要な仕事でした」


「私は、あなたから教わりました」


 包帯を巻いた手を。


 胸元で握る。


「歯車一つの欠けを見逃せば、その先にいる人間が死ぬと」


「今でも、そう考えています」


「なら」


 モルガの声が。


 わずかに震えた。


「なぜ、人間の欠けだけは許したのです」


 オルドは、すぐには答えない。


「十二年前。あなたは私へ報告した」


 事故報告書を指す。


「四名死亡。救助不能。適切な閉鎖処理。遺族補償完了」


「商会を守るために必要でした」


「イーダが生きている可能性を残したまま」


「一人の生存が公になれば、事故処理全体が覆った」


「だから、死者のままにした」


「生きる手段は与えた」


 モルガの目から。


 温度が消えた。


「名前を奪って?」


「名前より、命が重要です」


「なら、なぜ」


 モルガは。


 エリアスの死亡記録を見た。


「彼からは、命まで奪った」


 オルドは口を閉じる。


「私の印を使った」


 本物の印章指輪は、警察の証拠袋にある。


「私の名で、人を死者にした」


「総帥の権限でなければ、機械は受理しません」


「だから使った?」


「都市を止めないためです」


 その返答によって。


 何十年もの信頼が。


 音もなく切れた。


 モルガは、それ以上何も聞かなかった。


     *


「都市を守った」


 レオンが言った。


 オルドが彼を見る。


「あなたは、そう言う」


「事実です」


「違う」


 レオンは。


 十二年前の死亡閉鎖票へ手を置いた。


「あなたは、都市を守ったのではない」


 そこに記された。


 四人の名前。


 次に。


 エリアスの死亡記録を見る。


「守る者を、自分で選んだ」


 工房。


 鉄道。


 病院。


 何万人もの暮らし。


 オルドが。


 守る価値があると判断したもの。


 その外へ。


 押し出された名。


「そして選ばなかった人間を」


 レオンの声は低かった。


「最初から数に入れなかった」


 オルドの喉が動く。


「決断しなければ、誰も守れない」


「決断したことが、罪なんじゃない」


 レオンは言った。


「自分の選択を、都市の意思だと偽ったことだ」


「結果として、都市は動いた」


「三人を死なせ。一人の名前と人生を奪い。さらに一人を殺した」


「止まれば、もっと多くが死ぬ」


「なら」


 レオンは遮った。


「その危険を記録へ残し。ほかの者へ選ばせるべきだった」


「結論が出る前に、工場が潰れる」


「モルガ夫人にも」


 複製された総帥印。


「イーダにも」


 偽名で生きた十二年。


「エリアスにも」


 死ぬ前に届いた死亡記録。


「都市にも」


 《B―0》の穿孔。


「あなたは、何一つ選ばせなかった」


 オルドは黙る。


「あなた一人が選び」


 レオンは言った。


「その責任を、記録と機械と都市へ押しつけた」


     *


 グレアムが前へ出た。


「オルド=ガルム」


 二人の警官が。


 左右から距離を詰める。


「エリアス=フォルン殺害。記録偽造。危険設備への不正命令。非常警報設備の破壊」


 警部は。


 十二年前の死亡閉鎖票を見る。


「旧第六記録工房事故における、死亡記録偽造および救助妨害の容疑で逮捕する」


 オルドは抵抗しなかった。


 警官へ腕を取られる直前。


 モルガを見た。


「総帥」


「その呼び方を」


 モルガは言った。


「今は、やめてください」


 オルドの顔に。


 初めて。


 何かが崩れた。


 後悔ではない。


 恐怖でもない。


 自分が守ったと信じていたものから。


 自分の名だけが外された者の顔だった。


 金属の拘束具が。


 両手首へ閉じられる。


 短い音。


 非常警報とは違い。


 今度は、途中で途切れなかった。


     *


 オルドは。


 事故当夜。


 自分が停止作業を指揮していた場所を通り。


 正面扉へ向かった。


 その途中。


 生者照合板の前で。


 足を止める。


 黒い硝子には。


 試験用の名が残されていた。


 ――エリアス=フォルン。


 ――生存。


 ――記録筒室・入室確認。


「死人の名を」


 オルドが低く言った。


「いつまで、生者として残すつもりです」


 リナが答えた。


「死んでいたことにされた人たちが」


 エリアスの監査報告書を抱き締める。


「生きていたと認められるまでです」


 オルドは何も言わなかった。


 グレアムに促され。


 再び歩き始める。


 正面扉が開く。


 朝の煤霧。


 市警の護送車。


 外で待つ記者たちの声。


 それらが。


 停止した塔の中へ流れ込む。


 オルドが連行され。


 扉が閉じた。


     *


 《レギストラ》は、沈黙したままだった。


 黒い生者照合板には。


 エリアス=フォルンの名が残っている。


 本人は、もう戻らない。


 だが。


 その名を死者へ移した命令が。


 何だったのかは明らかになった。


 午後十時三十一分。


 本人が生きているうちに届いた死亡記録。


 午後十一時十分。


 エリアスを、生者の数から外した死亡閉鎖。


 その二十一分後。


 記録に書かれた事故による、肉体の死。


 紙は。


 未来を知っていたのではない。


 死者を記述していたのでもない。


 一人の人間を。


 記録筒室へ誘い込み。


 都市の生者から外し。


 安全装置の保護を失わせ。


 機械へ引き渡すために作られた。


 死ぬ前に届いた死亡記録。


 それは。


 予言ではなかった。


 殺人命令だった。

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