表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
PR
53/61

怪盗の似顔絵は誰にも似ていない

 人の顔を記録する方法はいくつもあります。


 名を書く。


 特徴を書く。


 似顔絵を描く。


 写真板へ焼きつける。


 それらを大勢の証言と照らし合わせれば、記録は少しずつ正しい顔へ近づいていく。


 人は、そう信じています。


 けれど。


 一人は、男を見たと言いました。


 一人は、女だったと言いました。


 一人は、白い外套を見ました。


 一人は、外套などなかったと言いました。


 彼らは、嘘をついていたのでしょうか。


 それとも。


 同じ名で呼ばれる、別々の姿を見たのでしょうか。


 ――ナミ=エル

「どれがルヴェールですか」


 ミラベル=ワトリアが尋ねると、グレアム警部は机の上を見回した。


 ヴェルム=クロウ市警の聞き取り室。


 彼の前には、三枚の似顔絵が並んでいた。


 一枚目は、頬の細い若い男。


 二枚目は、角張った顎と豊かな口髭を持つ壮年男性。


 三枚目は、長い耳と鋭い目を持つエルフ族。


 どれも、怪盗紳士ルヴェールを描いたものだという。


「今のところ、全部だ」


 グレアムは答えた。


「怪盗というのは、ずいぶん忙しいんですね」


「昨日の晩だけで、種族を二度、年齢を三度変えとる」


 聞き取り室の外には、怪盗を見たという市民が列を作っていた。


 王冠事件から一夜。


 怪盗ルヴェールがヴェルム=クロウ市立古美術館へ侵入し、七葉銀冠を盗み出したという報道は、朝刊が刷られるより早く街中へ広まっていた。


 白い外套。


 銀色の仮面。


 旧王家の冠を狙う予告状。


 夜霧へ消えた怪盗紳士。


 ミラベルの記事には、《白鴉》という呼び名が使われた。


 本人が名乗ったわけではない。


 黒鴉館の探偵に対する白い鴉。


 見出しへ収まりやすく、読者にも覚えやすいという理由で採用された名だった。


 その呼び名は、一晩で街のものになった。


 聞き取り室の扉が開く。


 大きな画板を脇へ抱えたドワーフ族の女性が入ってきた。


 五十代ほど。短く切った灰色の髪。指先には黒鉛が染み込んでいる。


 市警の似顔絵師、イーダ=ベルクだった。


「四枚目だ」


 イーダは新しい似顔絵を机へ置いた。


 今度のルヴェールは、小柄な老人だった。


 深い皺。


 垂れた瞼。


 薄い唇。


 頭には、古い夜会帽のようなものを被っている。


 グレアムは額を押さえた。


「一晩で三十年ほど老けたか」


「証人がそう言った」


「証人は本当に怪盗を見たのか」


「それを調べるのは、あんたの仕事だろう」


 イーダは椅子へ腰を下ろし、黒鉛の棒を削り始めた。


「私は、見たと言われた顔を描く。誰と誰が同じ人物を見たのかまでは描けない」


 ミラベルは四枚の絵を見比べた。


「共通するところはないんですか」


「目が二つある」


「それ以外は」


「鼻が一つある」


「イーダさん」


「冗談じゃないよ」


 イーダは黒鉛の粉を紙から払った。


「鼻は細い。顎は四角い。頬は丸い。耳は長い。額は狭い。髪は多いが、頭頂部は薄い」


 四枚の似顔絵を指先で順番に叩く。


「全部を一枚へ入れろと言われたら、怪盗ではなく化け物を描くことになる」


 グレアムは、廊下へ向かって声を張った。


「次を入れろ」


     ◇


 最初に入ってきたのは、美術館の老警備員だった。


 昨夜、展示室へ通じる階段で、ルヴェールと短時間向き合ったという。


「若い男です」


 警備員は断言した。


「二十五、いや、三十前後。背が高く、顔は細い。声も男でした」


 イーダが新しい紙を画板へ留めた。


「目は大きかったか、細かったか」


「鋭い目でした」


「大きいか細いかを訊いている」


「鋭かったんです」


「目尻は上がっていた?」


「仮面で見えませんでした」


「眉は」


「それも仮面で」


「鼻筋は」


「仮面の下から少し」


「まっすぐだった?」


「おそらく」


「おそらくは描けない」


 警備員の声から、少しずつ確信が抜け落ちていった。


 イーダは質問を続ける。


「自分より背が高かったんだね」


「はい」


「同じ床に立っていた?」


 警備員は黙った。


「階段でした」


「どちらが上」


「怪盗です」


「では、実際の身長差は分からない」


 グレアムが記録係へ言った。


「《証人より高身長》を消せ。《階段上段より証人を見下ろしていた》と書け」


 記録係がペンを止めた。


「ですが警部、新聞には長身と」


「新聞の記者は今ここにおる」


 グレアムは、親指でミラベルを示した。


「本人の前で新聞を証拠にする気か」


 ミラベルは小さく姿勢を正した。


 イーダがさらに訊く。


「声は低かった?」


「若い男の声です」


「本人の声だと、どうして分かる」


「喋ったからです」


「劇場には、老人を演じる若者も、男を演じる女もいる。あんたは声を聞いた。声の持ち主の身体までは見ていない」


「しかし、男の服でした」


「それは服の証言だ」


 警備員は困ったようにグレアムを見た。


「私は、間違ったことを言っているんでしょうか」


「いや」


 グレアムは首を振った。


「あんたは見たことを話しとる。ただ、見たことと、そこから思ったことを分けているだけだ」


「では、確かなのは何です」


 警備員は考えた。


「白い手袋です。あれは間違いありません。手摺へ触れたとき、近くで見ました」


「外套は?」


「白です」


「照明は」


「展示灯と、窓からの月明かりです」


「新聞を読む前も、白だったと覚えていたか」


 警備員の口が止まった。


「灰色だったような気もします」


 ミラベルは、手元の取材帳へ目を落とした。


 朝刊の挿絵では、ルヴェールの外套は真っ白に描かれている。


 記事にも、《白い外套を翻し》という一文があった。


 市警の初期発表と、二人の目撃証言をもとに選んだ表現だった。


 ただし、その二人も、同じ照明の下で同じ外套を見たわけではない。


 ミラベルは嘘を書いたつもりはなかった。


 けれど、紙面で一つの色に固定された外套は、目撃者の記憶の中まで白く染めていた。


「白い手袋」


 グレアムは記録係へ告げた。


「それだけは確定へ入れろ。外套は《明色。白または灰色》だ」


 警備員が退室したあと、イーダは紙へ、仮面の下から確認できた目元と口だけを描いた。


「これでは顔になりませんね」


 ミラベルが言う。


「顔を見ていないんだから、当然だ」


 イーダは答えた。


     ◇


 二人目の証人は、美術館裏を通りかかった馬車御者だった。


 屋根から通りへ降りてきた人物を見たという。


「女でした」


 椅子へ座るなり、御者は言った。


「間違いありません」


「顔を見たのか」


 グレアムが訊く。


「暗くて、顔までは」


「では、なぜ女だと分かった」


「走り方です。軽かった。男なら、もっと肩が揺れます」


「すべての男が同じ走り方をするのか」


「そういう意味じゃありません。ただ、女のようだった」


 グレアムは記録係へ告げた。


「《女性》ではない。《走行姿勢を証人が女性的と解釈》だ」


「長いですね」


「短くして意味を変えるな」


 黒髪に見えたものは、帽子の下の影だった可能性がある。


 杖だと思ったものも、御者が確認したのは細長い形だけだった。


 傘か、工具か、折り畳み式の棒かは分からない。


「私は役に立たないんでしょうか」


 御者が不安そうに訊いた。


「そんなことはない」


 グレアムは答えた。


「暗い場所で、顔を見ていない人物が、軽い走り方をして、細長い物を持っていた。そこまでは役に立つ」


「それだけですか」


「それ以上にすると、あんたの証言ではなくなる」


 イーダは御者の証言だけを使い、細身で中性的な輪郭を一枚描いた。


 老警備員の似顔絵とは、目元も顎も一致しない。


 さらに、先に集められた証言者ごとの似顔絵を机へ並べる。


 イーダは、その上へ薄い透写紙を重ねた。


 若い男の輪郭。


 老人の皺。


 エルフの耳。


 女のように見えた口元。


 それぞれを別の透写紙へ写し取り、順番に重ねる。


 線は一本にもならなかった。


 目は四つの位置へずれ、顎は細くも四角くもなり、耳の長さは重なるたびに変わった。


「これを一枚へまとめることはできますか」


 ミラベルが訊いた。


「できる」


 イーダは答えた。


「一枚へまとめれば、誰の証言にも少しずつ似る」


 透写紙を重ねたまま持ち上げる。


 そこには、人の顔らしい何かが浮かんでいた。


 だが、実在する誰かの顔には見えなかった。


「そして、誰にも似なくなる」


 イーダは透写紙を離し、それぞれの似顔絵へ戻した。


「別の人間を見た可能性があるなら、別々に残す。それが一番正確だ」


     ◇


 三人目の証人は、十歳ほどの少年だった。


 胸には白い紙羽根を留め、銀色の紙を切り抜いた仮面を頭に載せている。


「ぼくは全部見ました」


 少年は誇らしげに言った。


「怪盗は美術館の屋根に立っていたんです。真っ白な外套で、銀色の仮面をつけて、長い杖を持っていました」


「顔は」


 グレアムが訊く。


「仮面の下は、すごくきれいな男の顔です」


「見えたのか」


「少しだけ」


「どこから見た」


「美術館前の広場です」


「何時ごろだ」


 少年は詰まった。


「夜です」


「夜のいつだ」


「鐘が……十回くらい」


「昨日の夜、君はどこにいた」


 グレアムが机の上の紙へ目を落とす。


「母親の話では、西環区の叔母の家で夕食を食べていたそうだな。美術館までは子どもの足で一時間かかる」


 少年の胸が縮んだ。


「でも、見たんです」


「新聞でか」


「ちがいます」


「では、誰から聞いた」


「友達が見たって。それから朝刊にも絵が」


 少年は、そこまで言って黙った。


 ミラベルは少年の語った姿を思い返した。


 白い外套。


 銀色の仮面。


 長い杖。


 屋根の上。


 舞い散る白い羽根。


 すべて、朝刊の挿絵に描かれていた。


「それから、夜霧へ消えたんです」


 少年が言った。


 ミラベルの指が、取材帳の上で止まった。


 《怪盗は白い外套を翻し、夜霧へ消えた》


 自分が記事に書いた一文だった。


「怪盗ごっこをしたの?」


 ミラベルが柔らかく訊いた。


 少年は警戒しながら頷いた。


「ぼくがルヴェール役でした」


「何回くらい?」


「五回。ううん、七回」


「毎回、屋根から飛び降りた?」


「荷車の上からです」


「白い羽根も投げた?」


「みんなで作りました」


 少年は胸につけた紙羽根を外した。


 新聞の広告欄を切って作ったものだった。


 裏側には、石炭店の値引き案内が残っている。


「何度も演じているうちに、本当に見たような気がしたのね」


「嘘じゃありません」


 少年は強く言った。


 泣きそうな顔だった。


「そうね」


 ミラベルは答えた。


「嘘をつこうとしたわけではないと思う」


 グレアムが記録係へ告げた。


「《本人による直接目撃なし。新聞挿絵および伝聞に由来する再構成》」


「再構成、ですか」


 ミラベルが聞き返す。


「嘘と書けば、この子が悪いことになる」


 グレアムは言った。


「だが、見たとも書けん」


 少年が退室したあと、聞き取り室には短い沈黙が落ちた。


 ミラベルは机上の朝刊を見た。


 少年の記憶を作った怪盗。


 その姿を作る言葉の一部は、自分が書いたものだった。


「警部」


「なんだ」


「記事に書かれたことは、証言に使えないんですか」


「使える」


 グレアムは答えた。


「新聞を読んだという証言にはな」


     ◇


 午後。


 《ヴェルム=クロウ日報》の編集室には、怪盗ルヴェールに関する投書が山積みになっていた。


 正体を予想する手紙。


 怪盗を称賛する詩。


 自称目撃者による長文。


 予告状を真似た、脅迫にも冗談にもならない文章。


 白い紙羽根も、十数枚届いている。


 新聞用紙。


 菓子の包み紙。


 宿題用紙。


 どれも、本物のルヴェールが残した紙羽根とは似ても似つかない。


 それでも投書には、


 《白鴉の羽根を拾いました》


 と書かれていた。


「ワトリア、ちょうどいいところへ来た」


 広告担当が、一枚の原稿を差し出した。


 《銀仮面、本日入荷》


 《白鴉外套、子ども用あり》


 劇場用品店の広告だった。


「明日の朝刊へ載せたいそうだ」


「白鴉外套?」


「白くて長ければ、何でも白鴉外套になるらしい」


 窓の外から、子どもたちの声が聞こえた。


 一人が白い寝具布を肩へ巻き、別の子どもが木の枝を警棒にして追いかけている。


「待て、白鴉!」


「捕まえられるものなら、捕まえてみたまえ!」


 怪盗役の子どもが荷箱の上へ飛び乗る。


 その言葉も身振りも、朝刊に描かれた怪盗に似ていた。


 ミラベルは、挿絵を描いた絵師を探した。


 彼は次の紙面に使う図版を彫っていた。


「この怪盗の顔は、誰の証言を使ったんですか」


 ミラベルが朝刊を広げる。


 挿絵のルヴェールは、白い外套を翻し、銀色の仮面をつけ、屋根の上へ立っていた。


「顔はほとんど描いていないだろう」


 絵師は作業を止めずに答えた。


「仮面と影だけだ」


「でも、街ではこれがルヴェールの姿になっています」


「絵が悪いのか」


「そういうわけでは」


「記事に、白い外套と銀の仮面と書いてあった。夜霧へ消えたともな。だから、そのとおりに描いた」


 絵師は版木から顔を上げた。


「違うものを描けばよかったのか」


 ミラベルは答えられなかった。


 挿絵師が勝手に怪盗を作ったわけではない。


 彼は、記事に書かれた要素を一枚の絵へまとめただけだった。


「《白鴉》の記事、ずいぶん評判がいいぞ」


 オルセン編集長が言った。


「明日も見出しへ使う。短くて目立つ」


「本人は、その名を名乗っていません」


「街がそう呼んでいるなら、もう名前だ」


「私たちが広めたんです」


「最初に書いたのはうちかもしれん。だが、今朝だけで他紙が五社使っている」


 編集長は窓の外を示した。


 白い布をまとった子どもたち。


 銀色の仮面を並べる露店。


 紙羽根を帽子へ差した新聞売り。


「もう新聞だけの言葉ではない」


「だから、正しいことになりますか」


「正しいかどうかと、定着したかどうかは別だ」


 編集長はそう答え、次の紙面へ視線を戻した。


 一度紙面へ置いた顔は、記事を離れて歩き始めていた。


 その顔を見た者が、今度は目撃者として市警へ並んでいる。


     ◇


 夕方。


 ミラベルが再び市警を訪れると、聞き取り室の机には十枚近い似顔絵が並んでいた。


 細い青年。


 老紳士。


 仮面の女。


 耳の長いエルフ。


 髭のないドワーフ。


 どの絵も、一人以上の証言に忠実だった。


 だからこそ、並べるほど同一人物には見えなかった。


 イーダは新しい紙へ、薄い輪郭だけを描いていた。


「これが最新ですか」


 ミラベルが訊く。


「確実に分かっているところだけ描いた」


 紙には、顔の外周と仮面の位置だけがある。


 目も鼻も口もない。


「顔がありません」


「見えていないからね」


 イーダは輪郭を眺めた。


「仮面の形も証言が違う。丸い、細い、片目だけ、両目。銀、白、黒」


 消し布で、仮面を消す。


「輪郭も、衣装で変えられる」


 外周を消す。


 紙には、何も残らなかった。


「これが一番正確だ」


 イーダは白紙をグレアムへ渡した。


 グレアムは怪盗記録を開いた。


 顔貌欄へ書く。


 《顔貌、特定不能》


 性別欄には、《男性》と記されていた。


 王冠事件以前の犯行記録から、何度も転記され続けてきた一語だった。


 グレアムは線を引き、その上へ訂正印を押す。


 《未確認》


 年齢。


 《未確認》


 種族。


 《未確認》


 身長。


 《衣装、履物、立ち位置による偽装の可能性あり》


「何も分かっていないのと同じですね」


 ミラベルが言った。


「違う」


 グレアムはペンを置いた。


「分かっていないことが分かった」


「新聞には、顔のない怪盗とは書けません」


 ミラベルは机上の白紙を見た。


「見出しには名前が要るし、挿絵には輪郭が要ります」


「なら、分からん輪郭まで勝手に作るな」


 グレアムの言葉は、責める調子ではなかった。


 机上の似顔絵へ向けられているようでもあり、市警が長く使い続けてきた記録へ向けられているようでもあった。


「でも、顔がなければ、どうやって探すんです」


 入口に立っていた若い警官が訊いた。


 壁へ貼るための手配書を持っている。


 顔貌欄の空いた手配書だった。


 グレアムは答えた。


「顔以外を見ろ」


「顔以外?」


「あいつは予告した時刻を守った。王冠だけでなく、その所有を証明する記録へ手を出した」


 グレアムは十枚の似顔絵をまとめた。


「顔は変えられる。服も、声も、背丈も変えられる」


 一番上の絵を裏返す。


「だが、何を盗むかは、その人間が選ぶ」


 若い警官は、顔のない手配書を壁へ貼った。


 空白の下に、怪盗ルヴェールの行動特徴だけが並んでいる。


 ミラベルはその紙を見ながら、取材帳を開いた。


 翌朝の記事の見出しを書く。


 《白鴉の正体に迫る》


 しばらく見つめ、線を引いて消した。


 代わりに、


 《十人が見た怪盗に、同じ顔はなかった》


 と書く。


 挿絵欄には、


 《似顔絵掲載せず》


 と記した。


 さらに、《白鴉》という呼び名の横へ注記を加える。


 《新聞各紙が使用する呼称。怪盗本人の自称ではない》


 窓の外から、子どもたちの声が聞こえた。


 明日も白い外套は街を歩くだろう。


 銀色の仮面も売られる。


 新しい目撃者も市警へ現れる。


 それでも。


 新聞が、誰も見ていない新しい顔を一つ加えることだけはなかった。


     ◇


## 観測余録 描かれなかった顔


 市警の記録には。


 怪盗ルヴェールの似顔絵が、十枚添付されました。


 若い男。


 老いた男。


 エルフ。


 ヒト族。


 あるいは、女だったかもしれない者。


 どの似顔絵にも。


 誰かの証言がありました。


 しかし。


 すべての証言が、目撃だったわけではありません。


 誰かが見たもの。


 見たと思ったもの。


 新聞で知ったもの。


 あとから記憶の中で組み立てられたもの。


 それらを、同じ重さの目撃として重ねることはできません。


 最後に市警が残したのは。


 似顔絵ではなく。


 《顔貌、特定不能》


 という一行でした。


 顔を描けなかったことを、失敗と呼ぶ者もいるでしょう。


 しかし、ときには。


 分からないものへ、分からないと記すことが。


 もっとも正確な記録になるのです。


 ――ナミ=エル

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ