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蒸都ヴァルテリアと偽装記録の探偵〜記録が嘘をつく街で〜  作者: 秋月キアラ
【予告】第5話 十三人目は返事をする
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【予告】観測記録 ― 少女の人生は、誰が記すのか

 少女が生まれる。


 産声を上げ。


 小さな手を握り。


 まだ自分の名を知らぬうちに、家族はその名を紙へ記す。


 出生の日。


 父母の名。


 家の住所。


 受け継ぐ血統。


 記録官は欄を埋め、印を押し、少女がこの世界へ生まれたことを認める。


 その日から、少女は名を持つ。


 だが。


 その名を最初に記すのは、少女自身ではない。


     *


 やがて少女は学校へ入る。


 決められた制服へ袖を通し。


 髪を整え。


 襟を正し。


 名簿に記された席へ座る。


 教師は少女の名を呼ぶ。


 少女は返事をする。


「はい」


 その一言によって、今日もそこにいることが確かめられる。


 遅刻。


 欠席。


 病気。


 素行。


 努力。


 理解。


 服装。


 礼儀。


 教師は少女を見て、帳面へ記す。


 試験には点数がつき。


 作文には評価がつき。


 音楽には優劣がつき。


 礼法には品位がつく。


 優秀。


 平凡。


 不注意。


 内気。


 反抗的。


 従順。


 一度そう記されれば、その言葉は少女より先に、次の教師のもとへ届く。


 教師は顔を見る前に評定を読み。


 寮母は声を聞く前に素行記録を読む。


 少女が昨日までとは違う人間になっていても。


 紙の上では、昨日のままである。


     *


 学園を出れば、別の記録が待っている。


 社交界は少女の評判を記す。


 誰と話したか。


 誰へ微笑んだか。


 誰の招待を断ったか。


 誰の隣で踊ったか。


 言葉が多い。


 笑い方が軽い。


 視線が強い。


 教養がある。


 慎みがある。


 良い家の娘である。


 妻にふさわしい。


 評判には公印がない。


 照合番号もなければ、訂正を申し立てる窓口もない。


 それでも評判は、正式な記録より速く広がる。


 本人の知らぬところで複写され。


 別の言葉を加えられ。


 本人が否定するころには、すでに事実として扱われている。


 人は、それを記録とは呼ばない。


 だが。


 少女の将来を決める力を持つならば。


 それは記録と、何が違うのだろう。


     *


 やがて契約官が、少女の名を新しい書類へ記す。


 家と家。


 財産と財産。


 土地と土地。


 商会と商会。


 祝福。


 義務。


 居住地。


 相続。


 同じ紙へ二人の名が並ぶまでに。


 どれほど多くの者が、少女の人生を書き加えてきただろう。


 家族は将来を選ぶ。


 教師は能力を量る。


 社交界は価値を決める。


 契約官は、それらを正式な文面へ整える。


 少女が何を望むかを尋ねるより先に。


 少女のためだと言う。


 守るためだと言う。


 幸福にするためだと言う。


 まだ若いから。


 経験がないから。


 危ういから。


 間違えないように。


 道を外れないように。


 将来を損なわないように。


 実に整然としている。


 誰も少女を傷つけるつもりはない。


 誰も少女の名を奪ったつもりはない。


 ただ。


 少女に代わって、書いただけである。


 善意の筆は、悪意の刃より見つけにくい。


 血を流さない。


 悲鳴も上げさせない。


 紙を破りもしない。


 正しい欄へ。


 正しい文字を。


 正しい書式で記す。


 そして最後に、本人へ差し出す。


 これは、あなたの人生です、と。


     *


 では。


 少女が、その紙を受け取らなかったならばどうなる。


 決められた席を離れ。


 教師が記した評価を疑い。


 家族が用意した道から外れ。


 他人が置いた場所から、自分の名を持ち出したならば。


 人々は言うだろう。


 反抗的である。


 無分別である。


 危険である。


 誰かに惑わされた。


 何も分かっていない。


 それもまた、記録される。


 少女が自分の人生を取り戻そうとした行為さえ。


 別の者の手によって、別の意味へ書き換えられる。


 ならば。


 少女は、どこへ自分の意思を記せばよい。


 家族の帳面か。


 学校の名簿か。


 社交界の噂か。


 契約官の書類か。


 あるいは。


 まだ誰にも読まれていない、自分だけの一頁か。


     *


 ごきげんよう、読者諸君。


 わたしは、イル=ヴァス。


 記された言葉の裏側に。


 記すことを許されなかった意思を観測する者である。


 名簿に名前があれば、その少女はそこにいる。


 欠席と記されれば、そこにはいない。


 退学と記されれば、もう生徒ではない。


 優秀と記されれば、その名には価値が与えられ。


 不適格と記されれば、その名の前から道が消える。


 実に簡単である。


 実に正確である。


 そして。


 人間を、その者自身よりも紙の中へ閉じ込めるには、都合がよい。


 だから、問おう。


 自分の名を自分で記せぬ者は。


 その人生の所有者と呼べるのだろうか。


 名を呼ばれ。


 決められた言葉を返し。


 他人の筆で評価され。


 他人の選んだ場所へ、その名を置かれる。


 その少女は。


 本当に、そこにいるのだろうか。


 学園は少女の名を記す。


 少女は、その名で返事をする。


 ただし。


 紙に記された少女と。


 その場に立つ少女が。


 同じ者であるとは限らない。


 ならば、問おう。


 その返事は――誰のものなのか。


 題して――


 十三人目は返事をする。

挿絵(By みてみん)

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