観測記録 ― 観客は何を見たか
探偵譚において、目撃者とは、事件を見た者である。
暗い路地を走り去る外套。
窓辺に立っていた人影。
血に濡れた刃。
引き金へ掛けられた指。
そして、犯行の瞬間を見たという証言。
誰を見たのか。
何を見たのか。
どこから見たのか。
読者諸君は、まずそれを確かめるだろう。
では。
目撃者が、五百人いたならばどうだろう。
五百人が、同じ劇場にいた。
五百人が、同じ舞台を見た。
五百人が、玉座に座る王を見た。
王は、ゆっくりと右手を掲げた。
王は、自らの声で最後の言葉を告げた。
「名は滅びぬ。役に残る」
鏡の王妃が踏み込んだ。
銀の剣が、王の胸へ突き立てられた。
鮮血が黒い礼装を染める。
王は玉座の上で崩れ落ちた。
幕が下りた。
満員の月硝子劇場を、喝采が満たした。
誰も疑わなかった。
疑う理由など、どこにもなかった。
王は動いた。
王は喋った。
王は刺された。
王は倒れた。
そのすべてを、五百人が見ていたのだから。
ひとりならば、見間違いかもしれない。
ふたりならば、思い違いかもしれない。
三人ならば、示し合わせた可能性もある。
だが、五百人である。
一階の平土間席。
二階の桟敷席。
三階の最後列。
異なる場所から、異なる目で、同じ王の最期を見届けた。
ならば、それは事実である。
王は第三幕で生きていた。
王妃の剣を受け。
舞台の上で死んだ。
実に明白である。
実に疑いようがない。
ただし。
幕の裏で仮面を外したとき。
王を演じていた男は、すでに死んでいた。
剣を受けた傷はなかった。
胸から流れた血は、彼の血ではなかった。
そして検死は告げる。
男が息を止めたのは、第三幕が始まるよりも前。
玉座が舞台へ運ばれるよりも前。
王が右手を掲げるよりも前。
五百人が生きた男を見たと証言する、その時刻よりも前だった。
ならば。
舞台の上で右手を掲げたのは、誰だったのか。
五百人が聞いた声は、誰のものだったのか。
王妃の剣を受け、血を流し、玉座へ沈んだものは何だったのか。
そして。
五百人の観客は、いったい何を見たのか。
ごきげんよう、読者諸君。
わたしは、イル=ヴァス。
虚偽の言葉ではなく、疑われなかった事実の縁に立つ観測者である。
この事件に、死者を蘇らせる奇跡はない。
亡霊も。
呪いも。
神の見せた幻も必要ない。
あるのは、ひとつの舞台。
ひとつの死体。
そして。
その死体が生きていると証言した、五百人の目撃者だけである。
観測神格イル=ヴァスは、ここに第三の事件を開く。
王は動いた。
王は喋った。
王は刺された。
五百人すべてが、その瞬間を見ていた。
ただし王は。
幕が上がる前から、死んでいた。
ならば、問おう。
死者は、いかにして第三幕を演じたのか。
題して――
死者は第三幕を演じる。




