第12節 ― 一台の列車に三つの名前
グレアムが三枚の認証写しを机へ置いた。
紙の端が、黒鴉館の窓から入り込む風に持ち上がる。
ミラベルは包帯を巻いた手で文鎮を動かし、三枚を押さえた。
第四六号機関試験車。
第十二号廃材輸送車。
第八号空車回送。
夜間運行局では、三枚を運行時間の順に並べた。
三台の管理時間は少しずつ重なっている。
同じ時間帯に。
東部。
中央。
西部。
それぞれ別の区画を走っている。
ゆえに、同じ車両ではあり得ない。
これまでの結論だった。
机の反対側では、エレノアが旧鉄道訓練所から写し取った地図を広げている。
暖炉の前にはブラム。
空いた革張り椅子のそばへ伏せ、目を閉じていた。
イル=ヴァスの問いが去ったあとも。
部屋には、答えを待つ沈黙だけが残っている。
ミラベルは第四六号の運行票を持ち上げた。
続いて第十二号。
第八号。
時刻欄を揃えようとして、手を止める。
「順番が違います」
エレノアが顔を上げた。
「四六、十二、八でしょう」
「番号の順番ではありません」
「では、時刻?」
「それをやめます」
ミラベルは三枚を重ねた。
「警部。運行記録に書かれた時間は、すべて同じ種類の記録ですか?」
「違う」
グレアムが一枚を取り上げる。
「運行時間欄は、その部署が列車を管理していることになっている時間だ。出庫、信号通過、入庫の現認印は、実際に現場で確認された時刻になる」
「三台が同時に存在する根拠は?」
「運行時間欄だ」
三つの部署が作成したはずの欄。
そのすべてへ、同じ誤字が残っていた。
制動確忍済。
「管理時間は、同じ下書きから転記された可能性があります」
ミラベルが言った。
「では、現認印だけを見るの?」
エレノアが尋ねる。
「場所と一緒に並べます」
ミラベルは三枚を時刻順から外した。
第四六号を左。
第十二号を中央。
第八号を右。
エレノアが地図を机いっぱいに広げる。
東部排水保守路。
中央旧坑道接続路。
西部貨物転送路。
現在の記録では、三つの管理区に分かれている。
だが、古い地図の真鍮線は途切れていない。
東から中央へ。
中央から西へ。
都市の地下を一本の弧となって走っている。
《第零環支線》。
ミラベルは第四六号の運行票を東部へ置いた。
第十二号を中央へ。
第八号を西部へ。
三枚の紙が、古い線路に沿って並ぶ。
「現場で確認された時刻を読みます」
ミラベルは第四六号の認証写しを開いた。
「第四六号が東部で最後に確認されたのは、午前零時十八分。東部第三閉塞です」
グレアムが時刻印を確かめる。
「間違いない。信号員と試験機関士の署名がある」
「第十二号が中央で最初に確認されたのは?」
「午前零時二十五分。中央旧坑道東信号」
七分後。
地図の上では、二地点を旧第零環支線が直接結んでいる。
ミラベルは、警察が旧測量記録から算出した所要時間を横へ置いた。
「東部第三閉塞から中央旧坑道東信号まで、保守機関車なら三分五十秒」
「途中で止まる時間が要る」
グレアムが言う。
「番号札と所属板も替えないと」
エレノアが続けた。
「前照灯の覆いもね」
「東部機関庫で交換試験をしてもらいました」
ミラベルは別紙を開く。
「番号札、所属板、前照灯覆い。二人で作業すれば、一分五十秒」
走行、三分五十秒。
外装交換、一分五十秒。
合計、五分四十秒。
現認記録の空白は七分。
「一分二十秒残ります」
ミラベルが言った。
「停車と再発進を含めても、成立します」
エレノアの指が、東部から中央へ線路をなぞった。
「四六号が東部で消えた七分後に、十二号として中央へ現れる」
「次です」
第十二号の西側記録。
「中央で最後に確認されたのは、午前零時三十一分。中央西境界信号」
第八号の最初の現認。
「午前零時三十八分。西部転送路地下門」
再び七分。
中央西境界から西部地下門までの走行時間は四分十分。
番号札、所属板、前照灯覆いを交換しても、合計は六分。
「一分の余裕がある」
グレアムが低く言った。
「三つ目も見ます」
第八号は午前零時四十四分、西部第二閉塞を通過している。
その後の回送終了印は午前一時二十分。
だが、その間に車両を直接確認した記録はない。
「運行時間欄だけを見れば、三台は同時に存在します」
ミラベルは三枚の上部を指した。
「でも、現場で実際に見られた順番は違う」
東部、零時十八分。
中央、零時二十五分。
中央、零時三十一分。
西部、零時三十八分。
「一度も逆転していません」
エレノアが言った。
「東部で最後に見られたあと、中央へ現れる。中央で消えたあと、西部へ現れる」
「しかも、一台で移動できる時間がある」
グレアムが三枚を見下ろす。
「外装を替える時間まで含めてな」
現場の署名は本物だった。
東部の信号員は、四六の札を掲げた列車を見た。
中央の書記は、十二の札を掲げた列車を見た。
西部の係員は、八の札を掲げた列車を見た。
誰も、自分の目で見たことについて嘘を書いてはいない。
ただ。
彼らが確認したのは、外から読める番号札と所属板だった。
車台番号でも。
車軸番号でもない。
「真鍮片の照会結果は?」
エレノアが尋ねた。
グレアムは、新たに届いた薄い記録を机へ置いた。
「車軸台帳と照合できた」
古い犬用水入れから見つかった真鍮片。
刻まれていたのは、運行番号ではない。
左前輪へ使用されていた車軸の管理番号だった。
「この車軸は二か月前、摩耗のため交換されている」
グレアムが台帳を指す。
「取り外されるまで装着されていた車台番号も残っていた」
「現在の車軸は?」
「第四六号として検査したとき、お前たちが控えた番号と一致する」
ミラベルは二つの記録を並べた。
真鍮片に刻まれた旧車軸番号。
交換後の新車軸番号。
交換記録の中央には、一つの車台番号。
「真鍮片は、現在の車軸そのものではありません」
ミラベルが言う。
「以前、同じ左前輪へ使われていた車軸の管理札です」
「だから、四六号で確認した番号とは違っていた」
エレノアが理解する。
「でも、交換前と交換後は、同じ車台へ属している」
「ええ」
四六。
十二。
八。
それらは車台を識別する番号ではなかった。
夜ごとの作業へ割り当てられる、公称運行番号にすぎない。
車輪と車台には。
番号札を掛け替えても変わらない、別の履歴がある。
「十二号と八号には、独立した車台番号が登録されていません」
グレアムが言った。
「運行票には番号札と所属だけ。車両台帳の参照欄は空白だ」
「一台ずつ存在するなら、本来は三つの車台記録が必要です」
ミラベルは答えた。
「でも残っているのは、一つの車台の交換履歴だけ」
ブラムが三度、同じ左前輪を嗅いだ理由。
不規則な車輪音。
軸受けの油。
同じ位置へ残った傷。
それらは、番号の違う三台に偶然共有されたのではない。
番号を変えた一つの車台に、残り続けたものだった。
エレノアが、信号箱から見つかった紙片を地図の横へ置いた。
「汽笛もつながります」
三地区の略号。
長音。
短音。
細短音。
同じ三音の並びが、東部、中央、西部の信号記録へ残されている。
東部で聞かれたのは、零時十八分。
中央では、零時二十五分。
西部では、零時三十八分。
三枚の現認記録と同じ順番だった。
「共通符号を三台が使った可能性はありました」
ミラベルが言う。
「でも、地理と時刻を重ねると」
「同じ汽笛を鳴らす列車が、東から西へ移っている」
エレノアが続ける。
さらに。
ブラムの身体に残っていた三種類の汚れも、同じ順序だった。
東部工房の赤茶色の煤。
中央信号設備の黒い油煤。
西部貨物区の灰色の鉱滓粉。
犬は、三つの別々の場所を無関係に歩いたのではない。
一本の線路を走る何かを、東から西へ確認していた。
ミラベルは三枚の運行表を、地図の線に沿って近づけた。
東部の第四六号。
中央の第十二号。
西部の第八号。
三枚の端が触れる。
「列車が消えたんじゃありません」
グレアムが顔を上げた。
エレノアは、紙から目を離さない。
ミラベルは地図の東端から西端へ、指を滑らせた。
「一台の列車が、記録の上で三台に分けられたんです」
部屋の向こうで。
暖炉の薪が崩れた。
東部では、第四六号機関試験車。
第十三停車所か、その周辺の閉鎖設備で、番号札と所属板、前照灯の覆いを替える。
中央では、第十二号廃材輸送車。
もう一度、外から見える印だけを交換する。
西部へ入れば、第八号空車回送。
三つの部署は、自分の区画で見た番号を正しく記録する。
だから、三枚の紙には嘘がない。
始発地から終着地まで、一台の車台を追った記録だけが存在しない。
「管理時間を重ねたのは、一台では移動できないように見せるため」
エレノアが言った。
「その欄を作った下書きが一つだったから、同じ誤字が残った」
グレアムの指が、《確忍》の文字を叩く。
意味のない一字が。
三つの部署を、紙の上で結んでいた。
ミラベルはオルガの手紙へ目を落とす。
本物の文章。
本物の署名。
だが、本来とは違う時点へ置かれ、別れの手紙として読まれたもの。
「同じ構造です」
「ヨアヒムさんの転居と?」
エレノアが尋ねる。
「ええ。偽物を作ってはいません」
退職届。
署名。
口座。
過去に書かれた謝罪文。
そして列車も。
運行番号。
業務名。
現場の署名。
すべて本物だった。
「本物を、本来とは別の出来事へ所属させた」
一人の男は、街を去ったことにされ。
一台の列車は、三台として記録された。
「何を運んでいる?」
グレアムが低く尋ねた。
「まだ分かりません」
ミラベルは答える。
「ただ、三台に分けて隠す必要があるものです。ヨアヒムさんは不正運行を告発しようとした。私たちが調べ始めると、制動管が切られました」
「通常の廃材ではないな」
「少なくとも、鉄道局の正規監査から隠して運んでいます」
「密輸列車か」
エレノアが呟いた。
ミラベルは、すぐには頷かなかった。
積荷は見ていない。
誰が乗っているかも。
どこから来て、どこへ運ばれるのかも分からない。
「列車を止めて確認する必要があります」
グレアムは三枚の運行表を地図へ押しつけた。
「誰が記録を作った?」
「三部署の運行時間を横断して調整できる者」
エレノアが言う。
「第十三停車所の位置と、番号を交換する手順を知っている者」
「夜間運行監査室は条件に合う」
グレアムの声には、ゲルハルト=ノールの名が浮かんでいた。
「ノールさんが資料を用意したことは確認されています」
ミラベルが言う。
「ですが、本人が制動管を切った証拠も、列車へ乗った証拠もありません」
「疑ってはいる?」
「疑っています」
「なら、そいつを押さえるのは俺の仕事だ」
グレアムが答えた。
「お前は列車を見つけろ」
ミラベルは暖炉の前を見る。
ブラムは、いつの間にか顔を上げていた。
東部機関庫。
中央信号箱。
西部地下門。
毎晩。
午前零時十三分から。
主人の外套には反応せず。
三つの番号を持つ同じ車台だけを確かめる。
「主人を探していたんじゃなかったのね」
エレノアが犬へ言った。
ブラムは彼女を見ない。
ミラベルは三夜分の巡回記録を開いた。
走った。
止まった。
嗅いだ。
最初は、それだけでは意味を持たなかった言葉。
いまは、その横に時刻と場所がある。
ブラムは列車へ追いつこうとはしていない。
飛び乗ろうとも。
主人の匂いを求めてもいない。
決められた地点へ先回りし。
通過を確認し。
次の地点へ向かっていた。
「追跡ではありません」
ミラベルが言った。
「巡回です」
「ヨアヒムさんに命じられた?」
「ええ。この列車が予定どおり三つの区画を通るか、確認する仕事です」
「なぜ最後に黒鴉館へ?」
ミラベルは、ブラムの首輪を思い出した。
緊急時。
霧燈通り十三番地。
クラウス記録調査事務所へ。
「異常があったとき、ここへ知らせるためです」
「でも、ブラムは話せない」
「だから、同じことを繰り返した」
ミラベルは犬の前へしゃがんだ。
「誰かが、その行動を記録として読むまで」
ブラムは返事をしない。
ただ、包帯へ鼻を近づけ、血の匂いが残っていないかを確かめた。
グレアムが懐中時計を開く。
蓋の金属音が、部屋へ響いた。
「午後十一時十八分」
壁時計も同じ時刻を示している。
午前零時十三分まで、五十五分。
「今夜も走ると思うか」
ミラベルは三夜分の記録を見る。
同じ時刻。
同じ経路。
同じ現認間隔。
そして、手押し車を本線へ衝突させようとした細工。
「走ります」
エレノアが息を呑んだ。
「断定するの?」
「不正運行を終わらせるつもりなら、私たちを殺す必要はありません」
列車を出さず。
番号札を外し。
第零環を再び閉じればよかった。
それでも、制動管は切られた。
「相手は、今夜もこの線路を使う必要がある」
ミラベルは地図へ指を置く。
「だから、列車は来ます」
「午前零時十三分に?」
「それが、最初の運行開始時刻です」
「黒鐘塔の時刻と同じなのは?」
エレノアの声が、わずかに揺れた。
ミラベルも、その数字へ別の意味を重ねそうになる。
だが首を振る。
「いまは、列車を止めることだけを考えます」
兄の失踪と関係があるのか。
偶然なのか。
誰かが意図的に選んだのか。
それは、まだ分からない。
「止めれば、分かります」
グレアムは認証写しを事件記録へ挟み、黒鴉館の扉を開けた。
廊下には、市警の部下が二人待機している。
「地下鉄道警察へ伝えろ」
声が階段まで響く。
「第四六号、十二号、八号を別々に追うな」
部下が手帳を開いた。
「一台の車台が通る、一本の線路を押さえろ」
「配置は?」
「東部機関庫。中央信号箱。西部地下門」
グレアムは、地図の中央を太い指で叩いた。
「第十三停車所への進入路もだ」
エレノアは旧信号図と汽笛符号の写しを鞄へ収めた。
「リナへ連絡します」
「位置と時刻を伝えてから動け」
「もう書いてあります」
グレアムが彼女を見る。
「先に?」
「一人で行かないという約束には、連絡を残すことも含まれるでしょう」
「少し意味が違う気がするが」
「成長したと褒めてもいいのよ」
「判断は帰ってからだ」
エレノアが帽子をかぶる。
ミラベルも記録帳を閉じた。
そのとき。
暖炉の前で、ブラムが立ち上がった。
まだ、午前零時十三分ではない。
犬は扉へ向かい。
途中で止まる。
ミラベルを振り返った。
命令を待っているのではない。
ともに来るかを確かめている。
ミラベルは鞄を肩へ掛けた。
「行きましょう」
三枚の運行表は、机の上へ残された。
三台の列車としてではなく。
一本の線路を走る。
一台の車台へ与えられた、三つの名前として。




