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第2節 ― 死体は運河を遡る

 第六歯車閘門は、建造物というより、運河へ埋め込まれた巨大な機械だった。


 黒煉瓦の岸壁に挟まれた水路を、二枚の鋼鉄水門が断ち切っている。


 門扉の高さは三階建ての建物を超え、その表面には無数の鋲と補強梁が走っていた。水に濡れた下半分は黒く、上部には乾いた煤が縞のように積もっている。


 両岸にそびえる閘門塔から、太い蒸気管が幾重にも伸びていた。


 管は巨大な歯車箱へ入り、そこから鉄鎖と駆動軸へ分かれ、水門の内側へ沈んでいる。


 ごうん。


 鋼鉄の歯が噛み合うたび、腹の底へ響く振動が石造りの足場を伝った。


 白い蒸気が弁から噴き出し、海霧と混ざる。


 潮。


 油。


 濡れた縄。


 石炭。


 錆びた鉄。


 西港の匂いが、一度に鼻へ押し寄せた。


「これが、ひとつの水門ですか」


 蒸気辻馬車から降りたミラベルが、帽子を押さえながら呟いた。


 目の前の閘門室には、小型の艀なら数隻まとめて入る。水面は上流側より低く、濡れた石壁に残る色の違いが、水位の変化を示していた。


「一つの閘門だ」


 グレアム警部は先を急ぎながら答えた。


「外港から市内へ入る船は、ここで水位を合わせる。下の門を閉め、閘門室へ水を入れ、上の門を開ける。海へ出すときは逆だ」


「門を通るだけで、ずいぶん時間がかかりそうですね」


「船は坂を上れんからな」


 レオンが濡れた石壁を見上げた。


「水面を階段にしているんです」


「先生にしては分かりやすい説明です」


「君に合わせました」


「必要ありません」


「では、より正確に――」


「現場に着いてからにしろ」


 グレアムが振り返りもせず言った。


 通路の先には、市警の灰色外套と、水上警察の濃紺制服が入り乱れていた。


 閘門脇の荷役路には規制鎖が張られ、その向こうで作業員たちが足を止めている。


 石炭を積んだ艀。


 布を掛けた木箱。


 係船索を握ったまま待たされている船頭。


 水路の両側には貨物船が列を作り、煙突から吐き出される煤煙が、低い霧の天井へ溜まっていた。


「いつまで止める気だ!」


「生鮮品が傷むぞ!」


「水上警察が封鎖したんだろう!」


「市警だ!」


 岸から怒鳴り声が飛ぶ。


 それに負けない声量で、濃紺制服の男がグレアムへ詰め寄ってきた。


「警部。ここから先は航路管理区域です」


「死体が出た場所でもある」


「水上で発見された死体は、まず我々が収容する規則だ。このままでは運河交通が止まる」


「動かした死体は、元の場所へ戻せん」


「まだ殺人と決まっていない!」


「だから調べとる!」


 二人の声が、閘門塔の壁へ反響した。


 周囲の警官たちは、聞こえないふりをしている。


 レオンは口論する二人ではなく、水上警察官の喉を見た。


「おそらく、警部が到着する前から続いています」


「どうして分かるんです?」


 ミラベルが小声で尋ねる。


「あの警官の声が嗄れている」


「聞こえとるぞ、クラウス!」


 グレアムが怒鳴り、口論を打ち切った。


「現場検分が終わるまで、上流側の荷役路を封鎖する。閘門は運河局と相談して、必要最低限だけ動かせ。死体も所持品も、市警の許可なく触るな」


「航路の遅延責任は」


「俺の報告書へ書け。保険屋が文句を言うなら、そいつも連れてこい」


 水上警察の男は奥歯を噛み、踵を返した。


 グレアムは帽子を深く被り直す。


「水の上へ浮かんでいたというだけで、死体まで自分たちの物だと思っとる」


「所有権の問題ではありません」


 レオンが言った。


「分かっとる」


「警部が最初に管轄と言いました」


「お前はどちらの味方だ」


「死体の味方です」


「死体は税金を払わんぞ」


「生前は払っていたでしょう」


 グレアムは返事をせず、規制鎖を持ち上げた。


「こっちだ」


 上流側の岸壁へ入ると、港の喧噪が少し遠ざかった。


 閘門室へ流れ込む水音と、蒸気機関の規則的な鼓動だけが重く残る。


 石の通路の端。


 運河へ張り出した点検足場に、灰色の防水布が掛けられていた。


 その横に、背の低いドワーフの男が立っている。


 褐色の革前掛け。


 油染みのついた厚手の作業服。


 白くなり始めた髪を後ろへ撫でつけ、腰には閘門鍵と工具を束ねている。片手には真鍮枠の水位計を持っていた。


「ハルド=ブレック」


 グレアムが紹介した。


「第六歯車閘門長だ」


「閘門長ではない。主任閘門技師だ」


 男は不機嫌そうに訂正した。


「書類では同じだ」


「書類を作る奴は門を動かさん」


 ハルドはレオンとミラベルを順に見た。


 最後に、レオンの黒い外套と鑑定鞄へ目を止める。


「記録院の人間か」


「元です」


「なら、まだ少しはましか」


「現役より?」


「紙より先に水を見るならな」


 ハルドは足場の端へ寄り、上流の水面を指した。


 運河は倉庫群の間を縫い、幾つもの橋の下へ消えている。


 水面には木屑と煤が浮かび、ゆっくりと上流水門の方へ流れてきた。


 その岸壁の途中。


 水面すれすれの高さに、大きな鉄格子が口を開けている。


 幅は人の肩幅を大きく超え、高さも、屈めば人が通れそうなほどある。奥は暗く、煉瓦造りの水路が倉庫街の下へ続いていた。


 格子前の水面に、赤い標識杭が浮かんでいる。


「あそこです」


 グレアムが言った。


「午前五時十分。上流水門から十数歩、大型洗浄排水渠の外口付近で発見された」


「倉庫区の洗浄排水を流す水路だ」


 ハルドが付け加えた。


「今は閉じとる。朝の排水も止めさせた」


 レオンは鉄格子と標識杭を見比べた。


「遺体は格子に引っ掛かっていた?」


「いや」


 グレアムが答える。


「格子の少し前で浮いていた。発見者が鉤で岸へ寄せ、その位置を杭で残した」


「発見者は」


「夜明けの点検に出た作業員二名だ。名前は控えてある」


 レオンはそれ以上、大型洗浄排水渠について尋ねなかった。


「昨夜の通常水路の流れは」


「海向きだ」


 ハルドは即答した。


「何時から何時まで」


「夜の潮門閉鎖から、朝最初の水位調整まで」


「途中で逆流は」


「ない」


「閘門操作による一時的な変化は」


「閘門室の中なら起きる。だが、上流水路の物を海側から押し戻すほどの流れは起きん」


 レオンは現在の水面を見た。


 木片が運ばれ、上流水門の前へ集まっていく。


「断言できますか」


 ハルドの太い眉が動いた。


「三十一年、この門を動かしている」


「年数ではなく、昨夜の状態についてです」


 ミラベルがわずかに息を呑んだ。


 ハルドの顔から、残っていた愛想が消えた。


 だが、怒鳴りはしなかった。


 水位計を石床へ置き、濡れた壁の線を指でなぞる。


「上流側は、この高さを保っていた。下流側は夜の排水で下がった。水は高い方から低い方へ行く」


「操作記録は」


「記録筒へ残っとる」


 ハルドは胸を張った。


「昨夜の通常水路は、ずっと海向きだ。海側から流れてきた死体が、自然にここへ上がることはない」


「絶対に?」


「死人だろうが流木だろうが、水は坂を上らん」


 閘門塔の上から、作業員の声が飛んだ。


「上流通航票、挿入!」


 ハルドが顔を上げる。


 操作台では、作業員が細長い真鍮票を差込盤へ入れていた。


 表面には船名。


 裏側には、幾つもの切り欠きがある。


「船名票ですか」


 ミラベルが尋ねた。


「門を通る船の票だ」


 ハルドが答える。


「名前は人間が読む。裏の切り欠きは機械が読む」


 盤の隣には、上流と下流、二つの差込口が並んでいた。


 片側へ船名票が入ると、内部で金属音が鳴り、反対側の差込口へ赤い遮断板が下りる。


「両方から同時に船が来たら?」


「二枚目が入れば、安全爪が落ちる。前後の門も給排水弁も止まる」


「船同士が閘門室でぶつからないため?」


「そうだ」


 ハルドは作業員へ手を上げ、確認の合図を返した。


「機械は船を見ん。差された票を見て動く」


 蒸気弁が開き、白い蒸気が噴き上がった。


 巨大な歯車が、低い音を立てて回り始める。


 レオンは差込盤へ一度視線を置いたあと、防水布へ向き直った。


「遺体を見せてください」


 防水布の脇には、港湾医務官が待っていた。


 白い上衣の上からゴム引きの前掛けを着け、片手に金属製の記録板を持っている。


「動かしていないな」


 グレアムが尋ねる。


「発見位置から、この足場へ引き上げただけです。身体の向きと深さは記録しました」


「誰が触った」


「発見者二名。私。水上警察官一名です」


「名前を控えろ」


「すでに」


 グレアムは防水布の端を持ち上げた。


 ユリウス=カーウェンは、濡れた外套を着たまま横たわっていた。


 顔色は青白い。


 水に濡れた髪が額へ貼りつき、閉じた瞼にも細かな水滴が残っている。衣服は身体へ重く張りつき、袖と裾から水が石床へ垂れていた。


 ミラベルは一歩近づき、足を止めた。


 黒鴉館で名前を聞いたときには、まだ「監査官」という職業だった。


 帳簿を調べる男。


 港湾記録の不一致を追う男。


 今は、濡れた石の上へ横たわる、一人の死者だった。


 ミラベルは帽子を取り、胸元で持った。


 レオンは黙って膝をつく。


「死因は」


「溺死の可能性が高い」


 医務官が答えた。


「可能性」


「肺と気管に水がある。死後に沈めただけなら、同じ状態にはなりにくい」


「断定には検死が必要」


「そうです」


「水の成分は」


「簡易検査で塩分を確認した」


「海水と同じ濃度か」


「そこまでは測っていない」


「微生物や砂の検査は」


「現場でできると思いますか」


「できないから聞きました」


 医務官は口を結んだ。


 ミラベルが手帳を開く。


「分かっているのは、肺に水が入っていること。その水に塩分が含まれていること」


「ええ」


「海水であるかどうかは、まだ分からない」


 医務官は少し間を置いてから頷いた。


「正式には」


「正式でなくても同じです」


 レオンはユリウスの外套へ視線を移した。


 襟。


 肩。


 胸元。


 濡れた布地に、細長い暗緑色の繊維が何本も絡んでいる。


 レオンは鑑定鞄から真鍮製の鑷子を取り出した。


「触れても?」


「付着位置は記録済みです」


 レオンは一本をつまみ上げた。


 濡れた繊維が、朝の薄明かりを受けて鈍く光る。


「海藻ですか」


 ミラベルが尋ねた。


「海藻のように見えます」


「違うんです?」


「見ただけでは分かりません」


 レオンは繊維を折らないよう、小さな硝子板へ載せた。


「植物かもしれない。染料の原料かもしれない。縄や梱包材の繊維かもしれない」


「海藻である可能性もある」


「あります」


「塩分を含む水と、海藻に見える繊維」


 ミラベルは死者の外套を見た。


「海で溺れたようには見えますね」


「見えることと、証明されることは違う」


 レオンは硝子板を医務官へ渡した。


「別に封じてください」


 医務官の脇には、遺留品を載せた金属盆が置かれていた。


 濡れた鍵束。


 硬貨入れ。


 懐中時計。


 そして、水を吸って膨らんだ革表紙の手帳。


「これは?」


 ミラベルが尋ねた。


「内ポケットから回収した」


 グレアムが答える。


 革表紙は水を含み、頁同士が張りついている。露出した端のインクは滲み、文字の形を失っていた。


 レオンは手を触れず、頁の膨らみを確かめた。


「ここで開かないでください」


「読めないんですか」


「無理に剥がせば、紙も文字も失います」


 レオンは医務官へ言った。


「吸湿紙で挟み、閉じたまま乾燥室へ。頁が分かれたあと、復元を」


「市警の文書鑑定へ回します」


 グレアムが答えた。


「ユリウスさんの手帳なら、調べていた内容が書かれているかもしれない」


 ミラベルが言う。


「かもしれません」


 レオンは手帳から視線を移した。


「今は、読めない手帳です」


 ユリウスの右手は、半ば握り込まれていた。


 指の間に、濡れた灰色の紙片が挟まっている。


「これも発見時から?」


 レオンが尋ねる。


「ああ」


 グレアムが答えた。


「まだ外していない」


 紙片は、普通の帳簿紙より厚かった。


 水を吸っても繊維が崩れていない。耐水処理を施した公用紙に見える。


 端の一方は裁断され、もう一方は不規則に破れていた。


 破断面には、長い繊維が何本か引き伸ばされたまま残っている。


 表面には円環状の圧印の一部。


 その下に、連続番号と思われる数字の上半分だけが見えていた。


「船籍票ですね」


 ミラベルが息を潜めた。


「船籍関係の用紙です」


 レオンは訂正した。


「同じ紙と圧印は、船籍票だけでなく、閉鎖申請や照合票にも使われます」


「番号は読めますか」


「二文字分の上側だけです。これだけでは照合できない」


「破れた相手が見つかれば?」


「破断面と圧印、番号を合わせられます」


 レオンは紙片へ近づき、表裏を観察した。


 裏面の縁には、淡い青黒い汚れが染みている。


 ただし、水中で付着したのか、それ以前からあったのかは分からない。


「記録してください」


 レオンが言った。


 ミラベルは手帳へ書く。


「灰色の耐水紙。片側は裁断、片側は破断。円形圧印の一部。連続番号の断片。裏面に青黒い汚れ」


「紙片は、指ごと乾燥させてから外します」


 医務官が言った。


「破断面を傷めないように」


「分かっています」


 グレアムが腕を組んだ。


「港湾監査官が船籍関係の紙を持っていても、不自然ではない」


「ええ」


「死ぬまで握っていたとは限らない」


「水中で絡んだ可能性も、誰かが握らせた可能性もあります」


「相変わらず、選択肢を減らさんな」


「減らすには証拠が要ります」


 レオンはユリウスの足元へ移った。


 革靴は水を吸い、色を失っている。


 靴底の溝には運河の黒い泥が入り込んでいた。


 だが、その黒の間に、別の色が残っている。


 赤い。


 細かな粉。


 水に洗われながらも、踵の深い溝と縫い目の内側へ沈んでいた。


 レオンは鑷子の先で、粉を少量だけ掻き出した。


 白い採取紙へ落とす。


「赤煉瓦か」


 グレアムが覗き込む。


「赤煉瓦の粉に見えます」


「この閘門にも煉瓦はあるぞ」


 ハルドが言った。


「黒煉瓦です」


 ミラベルは足元を見た。


 第六閘門の床も壁も、煤を含んだ黒褐色の煉瓦と灰色の石材で造られている。


 鮮やかな赤い粉は見当たらない。


「ここへ来る前に付いた可能性がある?」


「あります」


 レオンは採取紙を折り畳んだ。


「ただし、水中の堆積物や、引き上げた場所も調べる必要があります」


「現場周辺の試料も取らせる」


 グレアムが警官へ合図した。


 レオンはユリウスの袖へ視線を戻した。


 右袖へ顔を近づける。


 水。


 運河の油。


 煤。


 湿った革。


 その奥に、場違いな香りが混ざっていた。


 甘く。


 鋭く。


 舌の奥をわずかに痺れさせるような匂い。


「ワトリア君。ここへ」


「匂いを嗅ぐんですか」


「触れないで」


 ミラベルは慎重に身を屈めた。


 最初は眉を寄せる。


 だが、もう一度だけ浅く息を吸うと、目を瞬いた。


「……香辛料?」


「何に似ています」


「薬棚にも似ています。少し甘くて、でも刺すような」


「丁子油です」


「なぜ袖口に?」


「分かりません」


「香料か、薬に使ったのかも」


「どちらも可能性はあります」


「匂いが残っていることだけが事実」


「ええ」


 グレアムが溜息をついた。


「お前たち、死体の前で言葉の仕分けをするな」


「今しなければ、あとで混ざります」


 ミラベルは手帳を見ながら言った。


「肺に塩分を含む水。衣服に海藻に見える繊維。手に船籍関係の灰色の紙片。水濡れした革手帳。靴底に赤い粉。袖口に丁子油の匂い」


「そうです」


「このうち、海で死んだことを証明するものは?」


「まだ一つもありません」


 医務官が不満そうな顔をした。


「肺の塩水と、海藻らしい繊維がある」


「海で死んだ可能性を支える材料です」


 レオンは立ち上がった。


「ただし、海でしか得られないものだと確認されていない」


「なら、どこで死んだと言うんだ」


「まだ言っていません」


「溺れて、塩分を含む水を吸い、服には海藻のような物がある。普通に考えれば海だ」


「普通に考えた結果、死体は水の流れに逆らってここまで来たことになります」


 レオンは上流運河へ顔を向けた。


 黒い水が、ゆっくり海門の方角へ流れている。


 浮かぶ煤。


 木片。


 切れた縄。


 すべてが同じ方向へ運ばれていく。


「海で溺れた死体が、海と反対の方向へ進み、複数の水門を越え、第六閘門上流の大型洗浄排水渠前で見つかった」


 ミラベルが続けた。


「自然には不可能だ」


 ハルドが言った。


「昨夜の通常水路は、最初から最後まで海向きだった。水は上らん」


「では、二つの可能性があります」


 レオンが言った。


「人間が、死体を流れと水門の上流へ運んだ」


 グレアムが低く言う。


「あるいは」


 ミラベルはユリウスの濡れた袖を見た。


「この人は、海では死んでいない」


 誰も、すぐには答えなかった。


 閘門塔の上で警笛が鳴る。


 蒸気弁が開き、白い蒸気が高く噴き上がった。


 巨大な歯車が動き始める。


 水門の内側で水がうねり、低い波が石壁へ打ちつけた。


 それでも、上流水路の木片は海側へ流れ続けている。


 ハルドはその水面を睨んだ。


「門は昨夜も、この向きに水を送っていた」


「操作筒も確認します」


 レオンが言った。


「好きなだけ見ろ」


 レオンは赤い粉の包みを鑑定鞄へ収めた。


 そして、ユリウスの指に挟まれた灰色の紙片へ、もう一度目を向ける。


 船籍関係の紙。


 塩分を含む水。


 海藻に見える繊維。


 海から来たように見える痕跡は、揃っていた。


 だが。


 水だけが、その結論を拒んでいる。


「クラウス」


 グレアムが呼んだ。


「何が分かった」


「カーウェンが、午前五時十分、第六閘門上流の大型洗浄排水渠外口付近で発見されたこと」


「それは見れば分かる」


「肺に塩分を含む水があること。衣服に海藻に見える繊維があること。船籍関係と思われる紙片を握っていること」


「それも聞いた」


「海で死んだという証拠は、まだないこと」


 グレアムの顔が険しくなる。


「なら、死体はどこから来た」


 レオンは答えず、運河の上流を見た。


 霧の向こうに、黒い倉庫群が連なっている。


 煉瓦壁。


 貨物クレーン。


 煙突。


 係留された艀。


 そのさらに奥へ、歯車運河は市街を切り裂くように続いていた。


「それを調べるために来たんです」


 水は海へ流れていた。


 死体は、その上流で見つかった。


 海から来たのなら。


 ユリウス=カーウェンは、死んだまま幾つもの水門を越え、運河を遡ったことになる。


 あるいは。


 最初から、海などにはいなかった。

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