第10節 ― イル=ヴァスの問い
黒鴉館二階。
ミラベルのペン先が、二百十四人目の名前へ向かう。
レオンは、ノクス=モリアンの論文を机へ置く。
窓の外では、霧を裂いて高架鉄道の汽笛が鳴った。
彼らの時間は、まだ流れている。
だが。
あなたへ届けられる記録は、ここで一度、頁を閉じる。
ごきげんよう、読者諸君。
わたしは、イル=ヴァス。
ここで、記録を止めよう。
新しい証拠は加えない。
語られていない人物も。
神の奇跡も必要ない。
必要なものは、すでにあなたの前へ置かれている。
一。
ローデン家霊廟の扉は破られていない。
石棺の上蓋を封じた家封も。
市封印も。
接合部も損なわれていなかった。
二。
シラス=モーンの靴には、第一環の地上区画には存在しない赤褐色の土が付着している。
よく似た泥は、地下納骨環の排水溝に残っていた。
三。
死体は仰向けで発見された。
だが。
死斑は身体の左側へ偏り、発見時の姿勢と一致しない。
シラスは、死後の一定時間。
左側を下にして置かれていた。
四。
石棺の内張りは古い。
だが。
底部の布だけが、新しい糸で縫い直されている。
その布は。
石棺本体ではなく。
鉄枠へ収まった木製の底板と一体になっていた。
五。
シラスの胸に置かれていた、ノア=フェルの埋葬札。
区画番号には。
元の数字へ重ねて打刻した痕跡がある。
享年を示す「七」は。
ほかの数字よりわずかに傾き。
上端の角が欠けていた。
六。
ノアの墓は、空ではなかった。
だが。
そこに納められていた遺骨は。
現場での予備検分では、小柄な老年のドワーフ女性である可能性が極めて高い。
少なくとも。
十七歳のエルフ男性ではない。
七。
体表温度から受ける印象と。
死後硬直の進み方は一致しない。
体表温度だけでは。
死亡時刻を確定できない。
外套の外側に、雨へ打たれた跡はない。
だが。
内側には湿気があり。
左袖には、緑青に似た汚れが残されている。
地下第二納骨環には。
冷たい気流と。
緑青の浮いた旧冷却通風管がある。
八。
旧棺昇降機は、十五年前に廃止され。
撤去されたと記録されている。
しかし。
機械は地下へ残っていた。
手動で動作し。
歯車には、比較的新しい潤滑油がある。
その昇降台は。
ローデン家専用の縦坑を上り。
石棺の底へ接触した。
底部の木板と内張りは。
地下から押された力に合わせ。
一体となって、わずかに動いた。
完全には開いていない。
底面側の留め具が。
実際に解除され、再び固定できるかも。
まだ確認されていない。
九。
地下移管を示す鉛筆の印は、正式な記号ではない。
確認された印は。
いずれもマレク=ドーンが記入した頁。
または、主任として確認した頁に残されている。
ただし。
彼がすべてを書いたという証明にはならない。
十。
シラスは、報告を予定していた前夜。
マレク=ドーンとの最終確認を予定していた。
そして。
灰環大墓苑の旧運用覚書には。
ノクス=モリアンの論文から、前半だけが引用されていた。
法が保全するのは、死体そのものではない。
死者の名と、埋葬された場所との関係である。
その原文は、そこで終わっていない。
名と場所の関係を切断した者は。
死体を盗んだのではない。
死者が存在した場所を盗んだのである。
以上。
記録された事実を疑う必要はない。
疑うべきは。
その事実が、どこへ所属しているかである。
では、読者諸君。
石棺は、本当に密室だったのか。
死体は、いつ石棺へ入れられたのか。
ノア=フェルの札は、誰を示すために置かれたのか。
墓碑。
遺骨。
埋葬札。
区画台帳。
長年の墓所不正において。
犯人が守ろうとした記録は、どれか。
そして。
石棺へシラスの死体を入れた方法と。
長年の墓所不正で。
死者を移し。
その移動を隠した方法は。
同じ地下設備と。
同じ記録の仕組みによって。
守られてはいないだろうか。
答えを語れば、これは記録になる。
問いを残せば、これは事件になる。
さあ。
観測を再開しよう。




