14.女教師、進んで奴隷となる
転移魔法。失われし、古代魔法である。
古代魔法とは、かつて存在しながら、現在ではその使い手が絶えて久しい魔法を指す言葉であった。
例えば、創造魔法。無から有を生み出す魔法。あるいは、時間停止魔法。文字どおり、時の流れを止める魔法。
そうした、神の奇跡としか言いようのない所業を、この世に再現してみせる。それほどまでに、古代魔法とは、途方もないものであった。
「……」
どさり、と。キルケーが、その場に膝から崩れ落ちた。
「ど、どうしたんですか、先生……」
カレンが、慌てて声をかける。だが、その目は――彼女のことなど、まるで映していなかった。完全に、アスベルだけを捉えている。
(何……これ……気持ち悪い……)
口の端から涎を垂らしながら、何やらぶつぶつと呟くキルケーをよそに、アスベルたちは、無事に魔法学院への帰還を果たした。
◇
場所は変わって、魔法学院。学院長、ガンダールヴルの執務室である。
ガンダールヴルは、事の顛末を、アスベルとカレンから聞き取った。彼は、まず誰より先に、アスベルへと頭を下げた。
「アスベル君。ありがとう。そして、すまなかった。我が校の教員が、君に、そして生徒たちに迷惑をかけてしまったこと、深く詫びよう」
ガンダールヴルは、此度の件を、キルケー一人の責に帰すことをしなかった。学院そのもの、ひいては、自らの責任として引き受けようとしていたのである。
「生徒の命を危険に晒してしまった。わしは、その罪を償わねばならぬ。……学院を、去るつもりだ」
「いえ、そこまでなさる必要は、ないのでは……」
カレンも、頷いた。
「そうですよ。アスベルのおかげで、皆、無事だったんですから」
「ありがとう、二人とも」
ガンダールヴルは、微笑んだ。だが、その目の奥に宿る硬い決意は、揺らぎそうになかった。
「君たちを、危険な目に遭わせた。それは、紛れもない事実だ。アスベル君がいなければ、君たちは、今頃命を落としていたであろう。取り返しのつかぬことになるところだったのだ。辞するのが、筋であろう」
どうやら、相当に此度の件を、重く受け止めているらしい。アスベルは、いささかやり過ぎではないかと感じていたが、カレンは、あわや命を落とすところであったこともあり、それ以上強くは言えずにいた。
そのときであった。
「お待ちください、学院長……!」
ばん、と、大きな音を立てて扉が開かれる。そこに立っていたのは、キルケーであった。
――ただし、その首には、ごつい首輪が巻かれている。
「ど、奴隷の首輪……!?」
カレンが驚くのも無理はない。それは、奴隷に付けられる首輪であると同時に、逃亡を防ぐための雷撃の魔法が施された、いわくつきの魔道具であった。
これを身につけているということは、すなわち、キルケーが奴隷の身分になった、ということを意味していた。
誰の、と、その場の全員が問う前に、キルケーは、瞳を潤ませながら、アスベルの前に跪いた。
「アスベル様、ご主人様♡」
「「「は……」」」
ガンダールヴルでさえ、呆気に取られていた。
「ど、どういうことじゃ、キルケー君」
「はい、学院長。此度の件、すべてわたくしの落ち度でございます。全責任を取り、教員を辞職いたします。そして――自ら奴隷の身となり、アスベル様の奴隷として、生涯をかけて償ってゆく所存です」
「「「はぁ……」」」
ガンダールヴルをはじめ、その場の全員が、キルケーの奇行を理解しかねていた。
「え、え? 何なの、このおばさん……頭、おかしいの?」
「はい!」
「はい、って……」
思わず引くカレン。アスベルもまた、話の展開に、まるでついていけずにいた。
「ど、どうして、奴隷になどなったのですか……。まさか、恩人であるガンダールヴル学院長と、学院に、これ以上迷惑をかけぬためですか」
(それならば、まだ立派な心がけと言えるが……。ならば、一応の得心もいく)
「え?」
「「「え……」」」
キルケーはもとより、その場の全員が、驚いていた。まずキルケーが、心底意外だと言わんばかりの表情を浮かべた。まるで、そのような考えなど、微塵もなかったとでも言いたげな態度であり、正直、いささか失礼な話であった。
続いて、残る三人もまた、そのような殊勝な理由など、まるで頭になかったらしいキルケーの、常軌を逸した振る舞いに、戸惑いと驚きを隠せずにいた。
「わたくしは、ただ、アスベル様の……はぁはぁ♡ ど、奴隷になりたかっただけですのぉ……♡」
「「「……」」」
ガンダールヴルといえば、一部で聖人と称されるほどの人物である。此度の件も、しでかしたのは一介の教員であるにもかかわらず、自らが責を負い、学院長の座を退こうとしたほどであった。
そのガンダールヴルでさえ、キルケーの言動には、素直に引いていた。
「アスベル様の、お傍にいたいのですぅ……♡ 古代魔法の使い手だなんて、素・敵ぃ……♡」
「……すまない、アスベル君」
とうとう、ガンダールヴルまでもが、詫びる始末であった。
「い、いえ……。その、どうしましょうか……」
ひとまず、キルケーが全責任を負うという形に落ち着けることはできる。それが、最も穏便な収め方であろう。キルケー自身も、奴隷となることを望んでいるのだから、なおのことであった。
「君に、任せよう」
「あ、はい……」
(ガンダールヴル学院長には、特待生として拾っていただいた恩義もある。この程度のことで辞職などさせては、決して良くない。……奴隷など、俺は望んでもいないが、それで丸く収まるというのならば)
「分かりました。これを、俺のものとして、受け入れます」
「はぅうう! 嬉しすぎて、お漏らししてしまいそうですわぁあああ!」
アスベルは、頭を抱えた。その様子を見て、カレンが言う。
「初めて見たわ。あんたが、本気で困ってる顔」
入学試験のときも、魔物の森でのときも、常に泰然としていた彼が見せた――初めての表情であった。
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