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六話 姉妹の絆

『この子を娘として育てることにしました。名はコレット。マノン、貴女は姉として振る舞うのですよ』


 マノンが初めて、コレットと名付けられた赤ん坊を見せられた日のこと。

 どうせいつか絶望させて殺すのなら、仲良くする必要はあるのだろうかと疑問に思った。

 いや、絶望させるために姉として振る舞わないといけないのか。どちらにしろ面倒であると。


 とはいえ、人間界でも希少種である勇者は、魔術の実験に使えるかもしれない。

 何度でも蘇る肉体であれば、アンデッドと違い、常に新品の検体として利用できる。


 そんな打算的な考えも浮かぶ。――すぐにベルナディアにたしなめられ禁止にされたのだが。


 ――魔族の社会は完全な実力主義だ。 


 力なきものは尊敬に値せず。それは魔王の血族であっても例外ではない。

 むしろ玉座に近い立場であるこそ。圧倒的な能力を求められるのは当然だった。


 マノンはベルナディア同様。高位のダークエルフと黒龍の血を引いている。

 幼少から魔術の研究分野では非凡な才能を見せていたが、だがしかし、純粋な戦闘能力では下級魔族程度のものしかない。


 自分の身すら守れない王族が、民を導けるはずがない。


 ベルナディアの御前では、マノンも『魔王の娘』として敬われているが。

 母の庇護下から離れた途端、臣下から侮蔑に近いものを向けられる。それが魔族の常だ。 


「……くだらない」


 マノンは部屋に閉じ籠り、魔術研究を続ける日々を送っていた。

 研究内容は――特に決まっていない。どうせ氏族からは正当な評価をされないのだ。

 どんなに優れた研究結果も。あの非力な魔王の娘のものだと知られると失笑されるだけだ。


 山積みになった本の海に埋もれて、無意味に時間を浪費していく。  


「……おねえさま」

 

 扉の陰から小さな生き物が覗いていた。

 コレットが興味津々で、マノンの部屋兼研究室を見ている。


 二つの長命種の血を引くマノンにとって、人間の成長は一瞬だった。

 赤ん坊だったコレットはひとりで歩けるようになり、最近は【中央居住区】と【魔術研究区】を自由に行き来している。


 そして罠に引っ掛かり、血塗れになって「いたい、いたい」と泣いている姿もよく見かける。

 人間である彼女を助けようとする者などこの城にはいない。当然だろう。 


 唯一の味方であるベルナディアも、ほとんど不在だ。


「おねえさま、あそぼ!」


「うるさい。勝手に入ってくるな」


 しっしっと追い払う。コレットを見ているとイライラするのだ。

 無力な癖に、泣き虫な癖に。自分の弱さに自覚がないところが特に。


 たとえ母上に頼まれていたとしても、こんなのを妹と認めたくなかった。


 ただし――研究者としては、勇者の奇跡に関しては別だ。


 どんなに肉体が損傷していても、すぐに完全再生する奇跡の術。

 もしもその奇跡をこの手で再現できれば、さすがに誰もが自分を認めるだろう。


 と同時に、おぞましいなとも思う。勇者の奇跡というものは。


 たとえば人食い生物にとっては無限の食料になり得る。

 たとえば魂を抽出すれば無限のエネルギー源に変換できるだろう。


 まるで、人間たちが己の目的を果たすために生み出した、万能兵器ではないか。

 二度と蘇らないよう殺してやる方が、むしろ慈悲があるのではないかとすら思う。


「……おねえさま」


「お前に構っている時間はない。出ていけ!」


 コレットを部屋から追い出す。すぐに廊下から小さな悲鳴があがる。

 どうせ罠にかかって死んだのだろう。バカバカしい。


 ――いい加減、母上もアイツを早く楽にしてあげればいいのに。


 ~~


「母上。コレットは、いつ処分するのですか」


「……そうね、もう少し、もう少しだけ待ってもらえるかしら」


 ベルナディアは冷酷な魔王だ。

 人間に慈悲など欠片も持ち合わせていないはず……なのに。 

 コレットのことになると、明らかに言葉を濁すようになっていた。 


 ある日のこと。


「ははさま! 会いたかったです!」


 コレットが玉座の間にやってきて、ベルナディアのもとへ一直線に走っていった。

 久しぶりに会うことができて、城内で唯一の味方である母親に、嬉しそうに両手を広げて。


「貴様! 魔王様に気安く近づくか!」


 護衛の者が剣を抜いた。そして、母親に甘えようとしただけのコレットを、無慈悲に斬り付けたのだ。


「……は、はさ……ま」


 悲しそうな表情を浮かべて、手を伸ばしたまま事切れたコレット。

 その瞬間、ベルナディアは無言で立ち上がると、凄まじい覇気で、護衛の者を壁の果てまで吹き飛ばした。


「王の御前を、薄汚い血で汚したな」

 

 言葉こそ威厳に満ちていたが。責務を全うした護衛兵への、その怒りには正当性はなく。

 コレットが斬られた際の、ベルナディアの隠し切れない動揺を、マノンははっきりと目撃したのだ。

 

 まさか、魔界を統べる魔王ともあろうお方が、人間の小娘に絆されたとでもいうのだろうか。 


 ~~


 しばらく経って。魔界全土で人間界への侵攻の機運が高まる中。

 ベルナディアは魔界の有力な氏族をけん制するため、長期間城を離れることになった。

 

『姉妹で仲良くするのですよ』


 ベルナディアから直接、コレットの監視役を頼まれ、マノンは渋々引き受けた。


 魔王が不在の城内では、どこにいてもマノンを嘲笑う声が聞こえてきた。

 やはり誰も自分を認めてくれないのだ。マノンはまたしても研究室に閉じ籠る。


「ねえさま、この絵本なんて書いてあります?」


「うるさいな……」


 イライラする。どうしてこうもイライラするのか。

 ああ、そうか。同じなのだ。自分もコイツも、母親以外に味方がいない。弱者なのだ。


 それを理解して余計に腹立たしくなり、とくに意味もない研究を続ける。


 しばらくして、実験材料を切らしていることに気付く。

 配下の者に取りに行かせようとするも、返事はなかった。


「……野暮用ができた、しばらく戻らないけど。お前はここで大人しく待っていなさい」


「コレットも、一緒にいきます!」


「ついてくるな! お前なんかの助けなんていらないっ!!」


 コレットを強く押し退けて、逃げるように部屋を出ていく。

 マノンは足りない素材を採取するために、単身で【極限環境区】に向かった。

 

 【貪食の魔樹海】――肉を喰らう昆虫や巨大な食肉植物が根を張る危険地帯。

 上級魔族でも滅多に立ち入らない樹海は、研究材料の宝庫でもあった。


「……っ」


 猛獣の叫びを聞き、マノンはびくりと肩を震わせる。

 【極限環境区】を護衛もなしに訪れたのは初めてだった。


 ここで引き返してしまえば、臆病者だとまた馬鹿にされる。

 私は魔王の娘なのに。マノンは震える手で杖を握り直す。


「あった……白幻花」


 目的の品はすぐに見つかった。

 必要数を摘んで、帰ろうとしたそのときだった。

  

「っ……!」


 音もなく、忍び寄っていた太い蔦が足に絡まりついた。

 身体が浮かび上がり、宙を回転した。杖を落としてしまう。

 

 抵抗しようにも、無防備な四肢は完全に封じられていた。

 

「いや……やめっ! はなせ!!」


 粘液を伸ばした大きな口が開き、少しずつ、足から飲み込まれている。

 捕食対象をゆっくりと溶かし吸収する、上級魔族すら餌とする巨大食肉植物。


 その胃袋に、死と闇の世界に閉じ込められる。


 マノンは最期の抵抗として、全身に防御壁を貼る。強酸の消化液を防ぐ。

 しかし弾力性のある植物の胃袋は、武器を持たないマノンの力ではどうしようもない。


「母上、母上!! 誰か……っ!」


 必死に助けを呼ぶも、声が外に届くわけがなく。

 届いたところで、危険な【極限環境区】に誰も寄り付かない。

 

「だ……だいじょうぶ。きっと城の誰かが……私がいないことに気付いて……」


 ――果たしてそうだろうか。本当にそう思うのか。

 貧弱な魔王の娘が死んだところで、むしろ多くの氏族にとって都合がいいだろう。

 きっと気付いても、わざと見捨てられる。誰も助けには来てくれない。


 こんなときでも、冷静さを失わない自分が恨めしい。

 助からないんだ。ここで死ぬんだ。そう理解してしまった。


 ……絶望のまま。時間だけが過ぎていく。


「………………」


 巨大食肉植物に飲み込まれてから、一体どれだけの時間が経過しただろうか。

 龍の性質で、身体の大部分を冬眠状態にすることで飲まず食わずでも数ヵ月生存できるが。


 防壁を維持するために魔力を垂れ流している今、意識だけがぼんやりと浮かんでいる。


『コレットをお願いね。貴女はお姉ちゃんなのだから』

 

 母上の言うことを初めから聞いていれば。

 今頃は、美味しい料理を堪能していたのだろうか。

 時間を忘れてくだらない研究に没頭できていたのだろうか。 


 たくさんの後悔が溢れて、頬を流れていく。

 我慢できず、嗚咽が漏れ出る。寂しい。怖い。


「……あつっ、いたっ………………えっ?」


 意識がハッキリとしていく。本能で生命の危機を感じ取ったのだ。

 肌が焦げていた。嫌な臭いがする。それは命を繋ぐ魔力が尽きかけている証拠。

 纏っていた防御壁が薄まり、消化液がマノンの肉体を徐々に焦がし始めていたのだ。


「……やっ……やだぁ……!! やだやだやだ、だして! ここからだしてよぉ!! おねがいします!! しにたくない、まだしにたくないの!!」


 いつだって、魔王の血族としてそういう覚悟はしていたはずだった。 

 だが、いざその時になると、みっともなく泣きじゃくるしかできない。


「母上、ははうえ!! たすけて、とけたくない、たべられるのやだの!!」


 何も見えない暗闇の中、誰にも気付かれないまま消化される。

 魔王の娘である自分が、その辺の虫と同じ末路を辿る。あまりにも、あまりにも惨めだ。


「たすけ……て、おねがい……っ」


 誰でもいい。なんでもする。命が助かるならなんだってするから。

 走馬灯のように記憶が脳裏を駆け巡る。退屈で平和な毎日の映像ばかりが。 

 でも最後に浮かんだのは、部屋に残してきた、寂しそうにしていた小さな妹の姿。


『――――さま!』


 声が聞こえる。

 死に際に届く幻聴だろうか。人間がこんな場所まで来られるはずがない。

 それに、さんざん冷たく扱ってきたのに。あまりに身勝手で、都合が良すぎる。


 それでも、マノンは必死に、祈るように、手を伸ばす。


「……おね……がい……たす……け……コレット!!」


『――――さま! マノンおねえさま!!!!』


 瞬間、暗闇の世界が割れた。目が眩むほどの光が差し込む。

 全身を引き寄せられて、地面に強く打ち付ける。衝撃で息ができない。


「おねえさま!!」


 コレットが、マノンの弱った身体をきつく抱きしめていた。

 こびりついた消化液に触れ、コレット自身の肉体が焼け爛れているのもお構いなしに。


 植物を外から切り裂くのに使われたであろう、持ち手が血で滲んだボロボロのナイフが傍らに落ちていた。


「ずっと探して、おねえさまの声が……植物の中から聞こえて……!」


 どうして、【極限環境区】の深部にコレットが。

 わかっている。そんなの――方法はひとつしかない。


「私を追って……ここに来るまで、何回死んだの……!」


 百はくだらないだろう。もしかすると千を優に超えているかもしれない。

 何度でも蘇るとはいえ、肉体が砕け、燃やされて、溶かされる痛みは、恐怖はなくならないはず。

 とても怖かったのだ。自分は溶かされかけたのだと、想像しただけでマノンは涙が止まらない。


 コレットがいつも、こんな思いをしているなんて。考えもしなかった。


「これっと……これっとぉ!! ありがとう……ありがとぉ……っ」


「おねえさまが、無事でよかったです」


 コレットは、マノンが落ち着くまでずっと、血豆だらけの手のひらで姉の背中を擦っていた。


「きっとははさまも、心配しています。帰りましょう」


 コレットは衰弱して動けないマノンを背負い歩き出す。

 自身もほとんど飲まず食わずだったために、ふらふらと覚束ない足取りで。


 少し進んでは、コレットは倒れ、そのまま力尽きる。

 生き返ると、再び立ち上がり、またマノンを背負って歩き出す。


 死を超越する、狂気じみた意志力。

 勇者の奇跡とは関係ない、コレット自身の魂の強さ。


 恐ろしさすら感じる。でも今は、その小さな背中が何よりも頼もしい。


「どうして……私を……助けに来てくれたの……?」


 今まであんなに冷たく扱ってきたのに。

 困っていても見捨てて、突き放してきたのに。


「ははさまも、マノンおねえさまも、コレットの大切な家族だから」


 ただ、それだけ。

 

「だいすきだからっ」 


「……っ」


 魔界に連れて来られたコレットは、自分が人間であることに気付いていなくても。

 周囲の魔族から歓迎されていないことはわかっている。この子には――家族しかないんだ。


「降ろして……!」


 マノンはコレットの背中から降りると、自分の足で歩きだす。

 この子の姉として、これ以上不甲斐ない姿は見せられない。そう思ったのだ。


「こうした方が、早く帰れる……から」


「……はいっ!」


 マノンとコレットはしっかりと手を繋いで、支え合い、懸命に歩き続けた。

 知らせを聞いて急ぎ城に戻ってきたベルナディアに救出される際も、ずっと身を寄せ合って。

 


 ――そして、現在。



「おねえさま! 今日も【極限環境区】を冒険しましょう!」


「はいはい。また地図を拾ってきたんだね」


 部屋に飛び込んできたコレットの両手には魔導書が。

 マノンは研究を中断して、かわいい義妹の隣に立つ。


 前回の冒険で手に入れたのは、魔王専用湿布薬。

 今回は果たしてどんなくだらないガラクタだろうか。


 マノンは――今も研究を続けている。その目的はただひとつ。


 このおバカで愛おしい義妹が、いつか勇者の束縛から解放されて、

 真の意味で『家族』になれる、そんな素敵な魔法を見つける出すのだ。

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