第四話 二度目の空
一九五九年十二月十一日
夜明け前の砂漠で、平台のトラックが待っていた。
荷台に吊りかごが載せられ、その上に、まだしぼんだままの気球が長く伸びている。男たちが懐中電灯を手に、索の一本一本を照らして歩いた。誰かがヘリウムの弁を開くと、乾いた音がして、白い膜が持ち上がりはじめた。
トゥルース・オア・コンシクエンシズの町の近く。三週間あまり前、同じ砂漠から同じ男が飛び立った。
キッティンジャーは、吊りかごの座席に腰を下ろしていた。
彼は、手袋をはめた両手を膝に置いた。
技術者が、最後の留め具を確かめた。指で引き、もう一度引く。それから、一歩下がった。
午前六時半。
トラックが走り出した。風に向かって。気球が吊りかごの真上に来たとき、留め綱が解かれた。
吊りかごが、荷台を離れた。
*
空は、まだ青かった。
あの日と同じ、底の抜けた青だった。上のほうから、黒が染み出している。
高度七万四千七百フィート。
キッティンジャーは、計器を読み上げた。無線の向こうで、通信係が復唱する。声は落ち着いていた。いつも通りだった。
「準備はいいか」
「いい」
彼は、座席から腰を浮かせた。
浮いた。
肘をつく必要はなかった。体をよじる必要もなかった。手袋が座席の縁をつかみ、膝が伸び、彼は縁に立った。
下を見た。
雲はなかった。茶色い大地が、どこまでも平たく伸びていた。
「行く」
彼は、空へ踏み出した。
*
一秒。
体が、何にも支えられなくなる。
二秒。
背中は、静かだった。
地上では、ジョン・ポール・スタップが、ストップウォッチを握っていた。三週間前、格納庫で上着のポケットに入れたものだった。押したのは、無線が「離れた」と告げた瞬間だった。
三秒。
体が、ゆっくりと回りはじめた。
左へ。
あの日と、同じ向きだった。
四秒。
キッティンジャーは、目を開けていた。
片足を、下げた。
片腕を、下ろした。
五秒。
回転が、止まった。
空が、上にあった。大地が、下にあった。
六秒。
七秒。
空は、動かなかった。
それが、いつまで続くのかは分からなかった。
八秒。
九秒。
十秒。
地上で、観測員の声が低くなった。
「まだだ。まだ、出ない」
スタップは、答えなかった。目は、ストップウォッチの針にあった。
十一秒。
あの日、座席から立ち上がるのにかかった時間。
十二秒。
十三秒。
十四秒。
背中で、何かが弾けた。
小さな傘が飛び出し、ふくらみ、後ろへ流れる。それが、もう一つの傘を引き出す。人の背丈ほどの傘だった。風をつかみ、大きく開いた。
体が、引かれた。
足のほうへ。
ぐい、と。
キッティンジャーは、足を地球に向けて、まっすぐに落ちていた。
地上で、観測員が接眼鏡から顔を上げかけ、また押し当てた。
「開いた」
それだけ言った。
スタップの親指が、ボタンを押した。
針を見た。
ストップウォッチを、上着のポケットに戻した。
*
落ちていく。
小さな傘に引かれて、男は落ちていく。速さはほとんど落ちない。安定傘は、落ちる速さを止めるための傘ではなかった。落ちる人間を、まっすぐに保つための傘だった。
荒れた海で、小さな袋に引かれて、舳先を風上へ向ける船のように。
空気が、少しずつ濃くなる。
風の音が、聞こえはじめた。薄い空では聞こえなかった音だ。ヘルメットの外で、低く唸っている。
五万五千フィートを、彼は落ちた。
濃い空気の中で、気圧の仕掛けが動いた。背中の主傘が、大きく開いた。
体が、強く引き上げられた。
それから、静かになった。
吊られて、揺れている。
あの日、目を覚ましたときと同じ揺れだった。
ただ、今度は、目を閉じていなかった。
砂漠が、近づいてくる。灌木の影が、一つずつ見分けられるようになる。
彼は、膝を曲げた。
地面が来た。
跳躍から、十二分三十二秒。
*
男たちが走ってきた。
ジープが止まり、扉が開き、何人もが砂の上を駆けてくる。誰かがヘルメットの留め具に手をかけた。誰かが傘の紐をたぐり寄せた。
誰も、声を上げなかった。
前のときとは違って、手首の脈を取る者はいなかった。
キッティンジャーは、自分の足で立っていた。
*
一週間ほどして、オハイオの整備室に、木の箱が届いた。
フランシス・ボープレは、作業台の端でその蓋を開けた。
主傘。安定傘。小さな補助傘。いずれにも砂が残っている。彼はそれを一つずつ台に並べ、吊り紐を指に通していった。根元から先まで。
最後に、胸の予備傘を取り出した。
袋の留め紐は、結ばれたままだった。
彼は、それを開けた。
中の白い布は、畳まれていた。
一つ一つの折り目が、彼の手が押したときのまま、そこにあった。皺一つ増えていなかった。
予備傘の補助傘も、そこにあった。彼が縫い込んだ紐も、そこにあった。
紐は、切れていなかった。
ボープレは、白い布の上に手のひらを置いた。
しばらく、そのまま動かなかった。
作業台の向こうでは、あの若い技術者が、別の傘の紐を指に通していた。
ボープレは、手のひらを布から離した。
そして、留め紐をほどき、折り目を一つずつ開きはじめた。
次に、畳むために。
(第四話 完)




