9 毒殺
シレーネは、監禁された部屋に忍んできた乳母ミモレにより、アスラルの近況を聞かされた。
伯爵家に仕えているといっても、庶民の乳母である。市中での噂話の域を出ないはずだ。アスラルのことがそれほど話題になっているのだと知れる。
ミモレの話では、アスラルは女王に呼ばれたと称して、フォレスト王国でも辺境の村を訪れていたらしい。
その話が王に知られると、王は元女王に関する探索を禁止し、行ったものは死罪にすると勅令を出した。
だが、アスラルはそれを知っているのか知らないのか、自領に戻れとの命令にも従わなかった。
結果として数々の騎士団がアスラル逮捕、もしくは処刑に向かったが、全て返り討ちにあっているとこのとだ。
「当然ね。さすがはアスラルだわ」
「お嬢様、喜んでおられる場合ではございませんよ。このままでは、クローゼル家の坊ちゃんといえども、死罪は免れません。今のところ、公爵家にまで責任を問うことはないと伯爵様はおっしゃっていますが……あの坊ちゃんは指名手配されるかどうかの瀬戸際というではありませんか。お嬢様、あのような男にいつまでも拘ることはないと思いますよ」
ミモレの言い分はもっともだ。貴族令嬢として考えたら、王となる道がなくなった公爵家の跡取りであり、しかも本人が反逆罪に問われ指名手配される寸前ということであれば、アスラルに嫁ぎたいというのは賢明ではない。
「でもミモレ、私にはアスラルしかいないのよ。あの人がもし……私を拒絶するなら、私はあの人を殺して私も死ぬ。そうでなければ、私はいつまでもあの人を追い続ける」
「お嬢様……そこまであの男を思っているのですか」
「ええ。そうね」
「わかりました。では、私も腹を括りましょう」
年老いた乳母が、しっかりと頷いた。
「腹を括るって、ミモレ、何をするつもりなの?」
尋ねたのは、戦う力を持たず政治に影響力を持つこともない乳母が、一人で何をしようというのかという、嘲りを込めた思いが、シレーネに浮かんだからである。
だが、ミモレは口先だけではなかった。
ミモレは、大きな荷物を押して、部屋に入ってきたのだ。
ミモレから一言も触れなかったため、王宮勤めをしている老女に扮装しているのだろうと、シレーネも言及しなかった。
ミモレは、大きな荷物にかぶさっていた布を取り除いた。
大きな籠が台車に乗っていた。
布を取り、さらに籠の蓋を外す。
「マリカ?」
「はい」
答えたのはミモレだった。
籠の中にいたのは、シレーネと同年に生まれ、幼馴染として一緒に育ってきたミモレの孫娘であった。
籠の中には、それ以外にもシレーネが普段自室で使用していた食器や下着、寝具や日用品が詰め込まれていたが、人一人が隠れていたという衝撃に、シレーネもマリカ以外には視線が向かなかった。
マリカは籠から出ると、膝をついた。
「このマリカ、シレーネお嬢様の身の回りのお世話と、毒味役を務めさせていただきます」
マリカが決意を語り、乳母のミモレが頷いた。
シレーネは耳を疑った。
「誰かが、私を毒殺しようとしているの?」
「これは、伯爵様の言葉です。伯爵様は、カーネル男爵とも親しいのですが……」
「では、カーネルの意見ということかもしれないのね」
シレーネが知るカーネルという男は、騎士でありながら策謀を得意としていた。
フォレスト王国を復興させるために邪神を蘇らせて王に据え、裏切られたと知ると自ら討伐した。それがカーネルだ。それだけでも、深謀遠慮の程がうかがい知れる。
「はい。アスラルの坊ちゃんは、まだ公爵家によって守られているから、騎士団が討伐に向かっているそうです。もし指名手配されれば、すでに公爵家の力が及ばない状況であり、貴族としての扱いを一切しないことに決めることだと。国王はもはや、女王ではなくアスラルを敵としてみなし……もっとも脅威となる、婚約者でありかつての青の部隊の仲間であるシレーネお嬢様に、殺害の命令が下るだろうと」
「……では、カーネルはどうなるの? 彼も同じ仲間のはずよ」
「自分の身が危なければ、勝手に逃げるだろうと、伯爵様はおっしゃっていました」
シレーネの父の見方は正しい。カーネルは、青の部隊という女王の側近であった立場にありながら、現在でも宰相の地位にいる。
罪に問われるような真似はしないだろうし、たとえ罪に問われる場面でも、うまく切り抜けるだろう。
「では……これは、毒を探知するための食器というわけね」
籠の中に、シレーネが普段使用してきた食器に加えて、銀製品の皿やナイフが紛れていた。
銀製品は、毒に反応して変色すると言われている。
「はい。おっしゃる通りです。ですが、銀の食器に反応しない毒物もあるのだと聞きました。ですから、私が毒味役となります」
マリカがはっきりと言った。シレーネは首を振る。
「ありがとう。マリカの覚悟も、ミモレの心遣いも、とても感謝している。でも、これは駄目よ。王や王妃の毒味役ではないのよ。アスラルが指名手配されれば、確実に私を毒殺しようとする。そのために私を監禁しているのだというのがカーネルの意見ならば、おそらく正しいわ。アスラルが止まるはずがない。アスラルを止められる人間なんていない。なら……遠くない将来、確実にマリカは命を落とすことになる。しかも、私に変わってね。そこまでして、伯爵家に仕えることはないでしょう」
シレーネの手をマリカが取った。
「伯爵家のためではございません。シレーネお嬢様、お嬢様のお役に立ちたいのです」
「命を失うのよ」
「私が死ななければ、お嬢様が毒殺されるのでしょう。ならば、同じことです」
シレーネは、機能している右目が霞むのを感じた。
「……そこまで……でも、マリカが死ぬとわかっていて、やらせるわけにはいかないわ。私に、そんな価値はないもの」
マリカが掴むシレーネの手に、乳母のミモレが皺だらけの手を重ねた。
「そんなお嬢様だから、なんとしてもお助けしたいのです。お嬢様に命じられてやるわけではないのです。私たちが勝手にするだけなのです。私たちは、もしお嬢様に拒否されてもここに残ります。その時は、伯爵家のご奉公を辞める覚悟です」
「本気なのね」
「はい」
マリカとミモレの声が重なる。
シレーネは不承不承ではあったが、小さく頷いた。
※
乳母のミモレは密かに帰って行ったが、孫のマリカはシレーネの部屋に残り、さらに一月が経過した。
もともと、シレーネが一人で監禁されているはずの部屋である。
冬の国であり、夏でも夜は冷える。
マリカはシレーネのベッドで共に眠り、もともと少なかった食事を二人で分け合った。
取り分けた食事をマリカが食べ終わり、時間を置いてシレーネが手をつける。
シレーネがテーブルで時間を測っている間、いつもマリカがお茶をいれてくれた。
監禁状態だといっても、伯爵令嬢である。外に出られないだけで、不自由ない生活を送れるだけの調度品は設えられていた。
シレーネはカップを並べ、茶葉を入れ、マリカがお湯を持ってくるのを待った。
突然だった。
なにかが床を打つ音に、シレーネは振り向いた。
床の上に、ヤカンが転がっていた。
持っていたはずのマリカが倒れている。
シレーネは慌てなかった。
マリカの脈をとる。
事切れていた。
シレーネは歯を食いしばり、マリカの体を抱き上げた。
ベッドに運ぶ。
シーツを乗せ、マリカの左側の顔に、自分の仮面を乗せた。
散らかった部屋の中はそのままにしておき、テーブルの上からナイフとフォークと手にした。
通路側の壁に背中を預け、シレーネはナイフを握り、マリカの死体を寝かせたベッドを見つめ続けた。




