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7 3年後に訪れたもの

 シレーネは、鎧を着なくなっていた。

 鎧からドレスに着替えた。

 ただし、顔の左半分は、常に銀色の仮面で隠していた。

 バラの騎士団青の部隊として活動していた頃には避けていた夜会やパーティーにも、むしろ積極的に参加するようになった。


 シレーネは、剣を持たずとも神童と呼ばれた令嬢である。

 騎士から社交界に舵を切ると、瞬く間に宮廷の華と評されるようになった。

 だが、シレーネに求愛する者はいなかった。それは、パートナーがいると思われたからではない。

 シレーネに近づいた者で、焼けただれた半面に目を背けない者はいなかったからだ。


 一方、騎士の立場を失ったアスラルは、公爵家の領地に引きこもり、王都には姿を見せなくなった。

 シレーネはアスラルを社交界に何度も招待したが、アスラルは自分の領地から出ようとはしなかった。

 かつての青の部隊で、最も立場を変えなかったのはカーネルである。


 元々、騎士であっても政治を担当することが多かった男だ。

 新王リバレッカの治世でも、宰相として重宝されていた。

 シレーネは、宮中の男たちに相手にされなくても、全く意に介さなかった。


 シレーネは待っていた。

 アスラルを待っていた。もし、アスラルが自分を選ばなかったとしたら、その時は死ぬつもりでいたのである。


 ※


 シレーネが待ち続けて、3年が経過した。

 この日、王が主催する舞踏会に参加したシレーネは、騎士として鍛えた肉体を駆使して見事にダンスを踊ってみせた。

 激しい踊りは周囲の目を惹きつけ、ダンスに自身がある男たちが次々にシレーネに手を差し伸べた。


 体を逸らし、回転し、相手を変える。

 それが数度におよび、いよいよクライマックスを迎えようという時になって、突然曲調がゆったりとしたものに変わった。

 踊っていたのはシレーネだけではない。


 周囲で踊っていた男女が、曲にあわせてゆっくりとした動きに変える。

 ドレスの女性がタキシードの男の胸に抱かれる光景が随所で見られた。

 同時に、シレーネは一人となった。

 激しい踊りには、熟練の踊り手であるシレーネに挑むように手を伸ばしてきた男たちが、静かな踊りになると避けていく。


 曲調を変えさせたのは誰か、わかっていた。

 シレーネは、玉座の男を残された右目で睨みつけた。

 英雄王リバレッカは、玉座に頬杖をついたまま、シレーネを見下ろして冷笑していた。

 相手は王だ。シレーネは、すでに騎士ではない。


 伯爵令嬢の一人に過ぎない。

 シレーネは、ゆったりと寄り添うように踊る男女を避けながら、ホールを後にした。

 洗面台に移動する。

 磨かれた銀の鏡を前にした。


 長い絹の手袋を脱ぎ、水に浸した。

 左の仮面を外す。

 焼けただれた皮膚が張り付いていた。下の白骨が見えるのではないかと思われるほど、酷い火傷の跡が残っている。


「……醜い顔」


 思わず呟いてから、濡らした手袋でシレーネは顔の火傷を冷やした。

 シレーネは、アスラルと結婚するつもりだった。

 醜く変わってしまったからといって、本当にアスラルが変わらずにいてくれるなら、シレーネが変わらなければならないと感じた。


 醜い顔だからと、隠れてはいられない。

 むしろ堂々人目に晒し、アスラルを信じることこそ、自分の役目なのだと考えた。

 だからこそ、シレーネは騎士をやめ、誰よりも積極的に社交界に関わってきたのだ。

 シレーネが画面を戻す。


「戻るのか?」


 シレーネに背中を向けたまま、声をかけた男がいた。

 声だけでわかった。いや、声をかけられなくても、わかっていた。


「カーネル、珍しいわね。舞踏会にくるなんて」


 洗面台ではあるが、トイレではない。化粧を直し、髪を調える場所だ。利用するのに男女の区別はない。だが、女性が使用している時に、男は普通なら入らない。


「舞踏会に用があったわけではない」

「私に用なの?」

「ああ」

「いいの? 青の部隊同士の接触は避けろ。あなたがそう言ったのよ。さっきの質問だけど……戻らないわ。あの男、リバレッカの奴……わざと一番盛り上がったところで、私に恥をかかせるために曲を変えたのよ。誰が戻ってやるものですか」


「私たちが接触しているのを見られるのはまずい。警戒は忘れるな。それから、王の悪口は言うな。どれだけ気に入らなかろうと、あれは王なのだ」

「ええ。わかっているわよ。その程度のことはね。それで、私に用があったのでしょう。誰かに見られたくないのなら、早く済ませたら?」

「そうだな。アスラルのことだ」


 シレーネの心臓が跳ね上がった。

 アスラルと最後に会ったのは、シレーネが顔の半分を焼かれた時だった。

 およそ3年間、アスラルには会っていない。


 情報は集めていた。

 アスラルが他の女にうつつを抜かしているという情報があれば、シレーネは自ら命を断つつもりだった。

 だが、この3年間、アスラルは自領の経営に精を出し、戦闘の訓練を怠らずに続けているという情報以外には、入ってこなかった。


「もうじき3年が経過するわ。余計な心配だったみたいね。アスラルがどうしたの? 私に会いたがっているの?」


 シレーネは、アスラルのことを考える時だけ、焼けただれた左側の顔のことを忘れられた。


「3年だと? 3年という年月に意味があるのか?」

「もう、言ってもいいでしょうね。アスラルは、私と結婚したいと言ったの。私の、この醜く焼かれた顔を見た直後にね。でも、私が信じられなかった。私は……アスラルに条件を突きつけたわ。3年間、一切他の女に目もくれなければ、アスラルを信じて結婚するってね。私が条件をつけられる立場でも、そんな相手でもなかったのにね。そんな条件、意味なんかなかったのよね」


 シレーネは、無心に話していた。言葉が止まらなかった。

 アスラルのことになると、いつもこうなるのだ。

 カーネルは、思慮深げに視線を伏せながら、口を開いた。


「その話、アスラルにしたんだな?」

「当たり前じゃない。アスラルと私の約束だもの。本人に言っていないはずがないでしょう」

「……アスラルは、私たちの中で最も強く、ヴァルメスの影響を受けている」


「まあ、そうでなければ、あの人の戦闘力は説明できないわね。でも、だからなんだと言うの? 確かに、あの人は戦うことしか知らない。でも、本人がそれを自覚している。そのことが、アスラルの最大の長所だと思うわよ」

「アスラルが、3年後に結婚するつもりなのだと、ヴァルメスが知ったかもしれんということだ」


 シレーネは、磨いた銀でできた鏡をずっと見つめていた。鏡に映るカーネルと話していたのだ。

 シレーネが振り向いた。直にカーネルを見た。


「何があったの?」

「アスラルが完全武装して、愛馬フォルテールにまたがって出立したらしい。『女王が呼んでいる』公爵家の者にそう告げたそうだ」


 シレーネは、左手の手袋を外していた。やや乱暴に、肘まである右手の手袋も外した。

 かつては、手の甲から腕にかけて、鮮やかなバラの紋章が刺青のように刻まれていた。

 女王ヴァルメスが3人の手に血を垂らし、刻まれたものだ。

 この3年間、刺青は黒く沈み、忌まわしい沁みのようにこびりついていた。


「女王は滅んだわ。そうでしょう?」

「残念だが、あれは神だ。完全に滅ぼすことはできない。実体を破壊し、元々眠っていた山の中に戻すことはできた。誰かが再び起こさなければ、永遠に眠り続けるだろう」

「誰かが起こす? まさか……アスラルのことを言っているの?」


「いや……女王の正体を、アスラルは知るまい。アスラルは、ヴァルメスが祀られていた場所も知らないはずだ。だが、ヴァルメスが呼び寄せようとするのであれば、それは間違いなくアスラルだ」

「そうでしょうね」


 3年前、女王に直接仕えているのは3人の騎士だった。そのうちの2人が裏切ったのだ。

 アスラルが女王に気に入られていなかったとしても、アスラルしか女王を助けようとはしないだろう。


「アスラルが、少し過剰に女王に心酔していたのは知っているけど……アスラルはその……好きなのかしら?」

「女性として、という意味であれば、違うだろう。だからこそ、私はアスラルに恨みはない。ただ遠ざけただけで、ヴァルメスを討伐することにしたのだ」


「そうよね。なら、騎士としての忠誠心というわけね。それが聞けてよかったわ」

「シレーネ、どうするつもりだ?」

「さあ。でも、アスラルに女王を助けさせるわけにはいかないんでしょう? もう少し、情報が欲しいわね」


「わかった。アスラルは国王に警戒されている。黒猫騎士団が監視しているはずだ。本当に女王からなんらかのメッセージを受け取っているのかどうか、アスラルであれば行動から判断できるだろう。あの男が、普通の行動はとるまい」

「ええ。アスラルのことは教えて。なんでもいい。わかったことは全てよ」


 シレーネの注文は、ただの趣味である。

 そのことを理解したのだろう。

 カーネルは低く笑い、結局一度も振り返らず、歩き出した。

 シレーネは、濡らした手袋に手を入れようとして、諦めて畳んでから洗面所から外に向かった。


 舞踏会が催されている王の間には2度と行くつもりはなく、それは現実になった。

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