6 シレーネの罰
1ヶ月が経過した。
シレーネは王宮の医務室から来客用の寝室に移されたが、いまだにベッドから出ることはできなかった。
伯爵邸から派遣された乳母のミモレがつきっきりで看病し、ミモレの孫のマリカが伯爵邸との連絡役を担った。
女王ヴァルメスの退位が正式に発表されたと聞いたが、死亡とまでは発表されなかった。
死亡したと発表すれば、死因の追求をしなければならないのだと、見舞いに来たカーネルが語っていた。
カーネルはシレーネより重傷のはずだったが、回復は早かった。
ヴァルメスの討伐から1ヶ月後には歩き回れるようになっていたのだ。
カーネルは、ヴァルメスの災厄がシレーネに向かったのではないかと推測した。
長く女王と過ごしてきたのはカーネルであり、先に裏切ったのも、とどめを刺したのもカーネルのはずだ。
「私が呪われたというの? 随分、理不尽ね」
見舞いに来たカーネルにシレーネは言った。
声は出すことができた。だが、体が動かない。
「原因は一つだ。わかっているだろう」
「……アスラルね」
「ああ。この世界での居場所を奪われてまで、アスラルを誰にも渡したくなかったということだ」
「ヴァルメスは死んでいないの?」
「こちらの世界では死んだうちに入るだろう。肉体を滅ぼしたのだからな。だが、あれは災厄といえど神の一族だ。完全に滅することはできない」
「……そう。じゃあ、いつかアスラルを求めて蘇るのかしら」
「可能性はあるだろう。それほど短時間には戻らないことを祈るばかりだ。それから、国王にはリバレッカが就任した」
カーネルは話題を変えた。シレーネは自分の記憶を辿る。
苦労して、記憶の片隅からリバレッカという男の名前を探し出した。それほど印象には残っていない。
「バラの騎士団、赤の部隊の隊長だった男ね……確か、侯爵に過ぎないのではなかったかしら」
「シレーネ、青の部隊は解散することになった。バラの騎士団は一つしかない」
「では……アスラルはどうなるの? リバレッカはまだ30歳ぐらいでしょう? アスラルに王位を譲るはずもない。アスラルは、騎士としても居場所を無くしてしまう」
「そうだな。だが、あれは公爵家の嫡男だ。自分の領地に戻れば、何も不自由は……領主になれば、そうも言っていられないか」
カーネル自身は男爵である。カーネルはすでに王都から離れた場所で領地経営を行なっている。
ほぼ王都にいるため、手紙のやりとりだけで済ませているらしい。
「私は、アスラルの帰る場所を守れなかったのね」
「それは私も一緒だよ」
そう言ってカーネルは席を立った。
だが、シレーネには、この時カーネルが何を言っているのか、理解できなかった。
※
さらに1ヶ月が経過した。
シレーネは、優しく柔らかいものが押し付けられた感触に目を覚ました。
部屋は暗かった。
カーテンが全て降ろされ、真っ暗になっていた。
いくつかロウソクの明かりが灯っている。
「……誰かいるの?」
「シレーネ、よく頑張ったな。陛下を守ろうとしてくれたのだろう。礼を言う」
「アスラル?」
「ああ」
シレーネは、目を凝らした。そうすれば、暗闇を見透かすことができるのではないかと思った。
アスラルの顔を見たかった。
再び、左の頬に温かいものが押し付けられた。
左目は見えていなかった。
シレーネは手を伸ばし、手が動くことに驚きながら、自分の左頬に触れていたアスラルの燃えるような赤髪に触れた。
「アスラル、恥ずかしいわ。ひどい怪我をしているでしょう?」
シレーネは、この2ヶ月間ほとんど体を動かせず、ミモレの世話になっていた。
ヴァルメスの呪いだとカーネルが言ったのは、本当のことなのだろう。
その呪いを破れるのが、アスラルだったのだろう。
「陛下を守った名誉の負傷だ。恥ずかしいことなんかない」
「私は……結局守れなかったわ。アスラルも聞いたでしょう? 新しく、リバレッカという男が王になったわ」
「ああ。英雄王と名乗っているそうだ。簒奪者に過ぎないというのに」
アスラルは、ヴァルメス女王に心酔している。そのことを、シレーネは痛感した。
「アスラル……あなた、これからどうするの? 青の部隊は解散するらしいわ」
「そうだな……まず、結婚するかな」
「えっ?」
「シレーネ、受けてくれるかい?」
アスラルは、右側に回った。シレーネの左目がめしいていることを理解したのだ。
5ヶ月ぶりに見るアスラルの顔は、美しかった。
一切陽の光を浴びないようにしているため肌は病的に白いが、端正な造形に力強さがあいまった、とても美しい青年だった。
「アスラル……うれしいわ。でも、私はベッドから動けないし……」
「俺が手足になるよ」
シレーネのまだ機能している右目から、涙が溢れて落ちた。
純粋に嬉しかった。
ずっと望んできたのだ。
だが、甘えてはいけない。シレーネは唇を噛み締め、喜びの言葉を飲み込んだ。
「……駄目よ」
「俺では、駄目か」
「違うわ」
このままでは、アスラルが失恋したと思い込む。シレーネは、全てを失ってしまう。そう感じて、必至に呼び止めた。
「これから、アスラルはもっともっと活躍するでしょう。私では、足手まといになる」
「そんなことはない」
「いくらでも綺麗な女の人がきて、外国からも婚約の申し入れが殺到するでしょう」
「シレーネ以上の女性がいるはずがない。少なくとも、俺にとっては」
「今は、そう言ってくれる。とても嬉しいわ。私も、すぐにでも結婚したい。でも……何年か経った時、私と結婚したことを後悔するアスラルを見たくない。私は……それには耐えられない」
「そんなことはしない」
アスラルが膝をつき、シレーネの手をとった。
右頬に口づけした。さっきは、左頬に同じことをしたのだろう。左の頬では、それを感じることができなかったのだ。
「証明できる?」
「どうすればいい?」
シレーネはアスラルを見つめた。美しく整った顔を、真っ白い肌が形作っている。
今はまだ、アスラルの素顔を知る者はほとんどいない。
だが、アスラルのために光を抑えた夜会が、今後は数多く開かれるようになるだろう。
多くの貴族とその子弟たちがアスラルの素顔を知ることになる。
すでに一戦士としては異常なほどの戦果をあげている若者が、どんな容姿をしているのか、知ることになる。
「……3年間、一切女性に触れないこと。興味を持たないこと。アスラルの中で、女性といえば私しかいない。そんな状況を維持できたなら、私はアスラルを信じるわ」
「俺の父たちは、侍女たちは数に入らないと俺に言ったことがあるが……」
「したの?」
「何を?」
シレーネは確信した。アスラルはまだ、女性を知らない。ずっと、戦うことだけを叩き込まれてきたのだ。
「駄目。侍女だけじゃない。仮に相手が、魔物でも動物でも駄目よ。私が信じられなくもの。でも……相手が男の人ならいいわ」
アスラルが女性に興味がない。そういう噂が流れれば、そもそも近づこうとする女性がいなくなる。
シレーネはそう計算した。
「わかった。約束する。じゃあ、3年後に結婚だな」
「約束を守れたらね」
「守るさ。決して、シレーネを失望させたりしない」
アスラルはシレーネに顔を寄せ、止まった。
シレーネは、初めて唇を奪われるのだと期待しただけに驚いた。
「どうしたの?」
「約束を果たすまでは、シレーネにも触れられないな」
シレーネはおかしくなった。あまりにも、アスラルは生真面目だ。
その生真面目さが3年続けば、約束も守れるだろう。
だが、3年後にどうなっているかはわからない。
これまで戦いしかしてこなかったアスラルにとって、青の部隊が解体されたという事実はあまりにも大きいものだ。
生活は激変する。その時に、3年間同じように生真面目であり続けることができるだろうか。
アスラルが約束を守れなかった時、シレーネはアスラルに棄てられた女ということになる。
アスラルはそれを恐れ、シレーネに口づけさえしなかったのだ。
「約束を守る自信がないの?」
「そんなことはない」
アスラルは笑った。シレーネもヴァルメスを討伐して依頼、初めて声をあげて笑った。
その時、体が非常に軽く感じた。
ずっと、ほぼ体を動かせず、その状況で2ヶ月間ベッドに寝ていたのだ。体の感覚すらほとんどなかった。すべてが、戻って来たように感じた。
腕が上がった。
腕からシーツが落ちた。
怪我も汚れもない、見知った自分の腕だった。
「動くわ」
「んっ? シレーネは、ずっと動いていただろう?」
アスラルは言った。シレーネ自身気づいていなかったが、アスラルの目にはシレーネはただ寝ているだけで、動けないようには見えていなかったのだろう。
「ずっと……私、動いていたの?」
「ああ。こうして」
アスラルは、あえてシーツ越しにシレーネの腕をとり、動かして見せた。
「動くわ。アスラル、あなたって本当に……」
ヴァルメスに愛されていたのだろう。シレーネが動けなかったのは、やはり災厄の神ヴァルメスの呪いだったのだ。
アスラルが来たことで、それが解かれた。
「『本当に』?」
「なんでもないわ」
アスラルに、シレーネがヴァルメスを討伐したことは知られてはならない。
シレーネは言葉を飲み込んだ。
シレーネは、アスラルと話をした。
ヴァルメスの話題に触れないように、子どもの頃の話をした。
二人とも、よく話した。
時間が経つのを忘れて、二人は話し続けていた。
「これ以上はいられないな」
「そうね」
「また、来ていいかい?」
「そんなに長くここにはいないわ。体もすぐに良くなるし」
「そうだな」
アスラルは、再びヘルムを被って立ち上がろうとした。
アスラルは、ずっとシレーネの視線の高さにいた。
シレーネはアスラルの顔だけを見つめていた。
だから、気づかなかった。
アスラルが立ち上がった。
シレーネは、それまで顔の向きすら自由には動かせなかった。
2ヶ月間、一度も自分の顔を見なかった。乳母のミモレが見せないようにしていたのだ。
アスラルの鎧は、傷一つなく磨き上げられていた。戦場から戻ったばかりとは思えないほど綺麗だった。
シレーネは、アスラルの鎧に映る自分の顔を見た。
顔の半分がない。そう見えた。
シレーネの顔の左側は、焼け焦げたように皮が張り付き、腐った死体のようだった。
「ひっ……」
シレーネは言葉を失った。
アスラルが振り向く。
だが、アスラルの態度に変化はない。アスラルから見て、ずっとシレーネは顔の半分を失った女だったのだ。
「アスラル……」
「どうした?」
「無理しなくていいのよ」
「俺には、シレーネ以上の人はいないよ」
アスラルは変わらなかった。
シレーネに触れることすら遠慮して、アスラルは出ていった。
一人になり、自由に動けるようになった体をよじらせて、シレーネは泣き続けた。




