4 謀略の前に
二週間が経過した。
シレーネは、いつものように全身を覆う銀色の甲冑を身につけ、支給された青いマントを背に王宮に参上した。
王宮に行けば、まずその日の任務をカーネルから告げられる。特に任務がなければ、カーネルの書類仕事を手伝うこともある。
だが、この日は違った。
シレーネが王宮に入るとすぐに、正面からカーネルが歩いてきたのだ。
「カーネル、どうしたの? 私が行くまで待てないほどの緊急任務かしら?」
シレーネは軽く言った。だが、カーネルが首を振る。
「アスラルが戻る」
「いつ?」
「これから……おそらく、直ぐだ」
アスラルが戻り、次の遠征に出た時、女王ヴァルメスに反逆し、殺害することに決めていた。
そのアスラルが、いよいよ戻るという。
「どうしてわかるの? 私にさえ、手紙でだいたいの日程しか伝えてこなかったのよ」
「手紙ではそれ以上のことは伝えられまい。私が知っているのは、ヴァルメスがそう言っているからだ」
「陛下が? なんて言ったの?」
カーネルは、シレーネの甲冑に視線を向けた。シレーネがヘルムの面貌を上げる。
「『アスラルが王宮に来たら、すぐに連れてこい』だとさ」
「いつ来るって?」
「ヴァルメスがああいう言い方をする時は、1時間以内に来る」
「それで、カーネルは忠実に陛下の元に連れて行くために、アスラルを迎えに出てきたというわけ?」
「そんなはずがあるまい。アスラルを連れて行けば……ヴァルメスは情熱的だぞ」
カーネルは口角をあげた。笑ったのだ。含みを持った笑いに、シレーネは赤面した。
「じゃあ、どうするのよ」
「知れたことだ」
カーネルは、懐から折りたたまれた紙を取り出した。
「……次の指令? 陛下に逆らうの?」
「逆らいもしないさ。アスラルが王宮に入らなければ、命令に逆らったことにはならない。アスラルにはこのまま、西に行ってもらう」
「……陛下は本当に、アスラルを……」
「ああ。アスラルを王にするだろう。自らが女王なのだ。別の男を王にする。その意味はわかるな?」
「……譲らないわ。アスラルだけは」
「ならば、やることは一つだ」
カーネルは再び歩き出す。アスラルがいつ戻って来るかわからない。王宮に入れてしまえば、その後に指令を渡したところで、カーネルは女王を裏切ったことになる。
「でも……要は、王宮に入れなければいいのよね」
「シレーネ、余計なことは考えるな」
カーネルは渋面を作った。
「心配しないで。王宮には入れないわ」
「王宮に入らなくても、ヴァルメスは近くに来ていることを知れば、アスラルを奪いに来るぞ」
「そう」
シレーネは舌打ちした。めったに人前に出ることがない女王が、アスラルを探しに街中に出て来ることを想像し、鳥肌が立った。
女王は美しい小柄な女性だ。だが、間違いなく人間ではないのだ。
シレーネはカーネルと歩調を合わせ、王宮の入り口とされている正門から外に出た。
「シレーネ、俺が戻るタイミングがよくわかったな」
正門から出たシレーネの目の前に、最近愛馬にしたという名馬フォルテールにまたがったアスラルがいた。
「もちろんよ。私が、アスラルが戻るのを見逃すものですか」
突然のことに動揺しながら、シレーネがしどろもどろに答える。
アスラルの愛馬フォルテールは青白い肌をした珍しい馬で、女王に献上された馬の中から女王自身が選んでアスラルに与えたものである。
一飛びで千里を行くと言われ、フォルテールにまたがったアスラルが真っ直ぐに女王に戦果の報告に行こうとすれば、シレーネに止める手段はない。
だが、アスラルは馬を降りた。
甲冑を着たままのシレーネを両腕に抱いた。
「アスラル、私はどこにも行かないわ。それに……淑女に対する振舞ではなくてよ」
「ああ。すまない。突然目の前にシレーネが現れたから、我を忘れた」
「その気持ちはわかるわ」
シレーネは、頬が綻ぶのを止められず、面貌をあげたままなのを忘れて満面の笑みを作った。
アスラルが、隣に立つカーネルに視線を向ける。
「カーネル、あまりシレーネに近づくな」
「妬いているのか?」
「ああ。最近遠征が多いのも、カーネルがシレーネを狙っているんじゃないかと心配しているところだ」
「あらっ……もうアスラルは、私を自分のものだと思っているの?」
「そうではないから、妬いているのさ」
シレーネは答えられなかった。こみ上げてくる笑いを止められなかった。
カーネルが言った。
「シレーネに憧れない男はいない」
「カーネル」
アスラルが顔を向けた。ヘルムで顔はわからないが、睨んでいるのだろう。
「だが、シレーネに付き合える男もいない。私を含めてな」
カーネルが片目を瞑る。アスラルが笑ったことは、声でわかった。
※
アスラルに指令を渡すと、カーネルは王宮に戻った。
アスラルを王宮には入れたくない。それはシレーネにとっても同じことだった。
シレーネは、アスラルと次の指令について相談したいと持ちかけ、アスラルは応じた。
アスラルは決して愚鈍ではないが、能力は戦闘に特化している。
騎士として十分な力を持ちながら、知力に特化したカーネルとは真逆である。
シレーネ自身は、戦闘力も知力も両者の中間にあると認識している。
それはアスラルも同意見のようで、指令を受けるとまず、シレーネに相談するのが習慣になっていた。
できるだけ王宮から引き離すために、王城と隣接している公爵家ではなく、やや離れた伯爵家を利用することを提案した。
つまり、シレーネの自宅に招いたのだ。
アスラルがシレーネの自宅を訪れるのは、珍しいことではない。
同じ青の部隊に配属されてから、任務以外はシレーネの屋敷にいることが最も多かったかもしれない。
「これじゃ、西部全域の平定じゃない」
シレーネは自宅である屋敷のリビングでくつろぎながら、カーネルが渡した指令書を読んだ。声に出して読み上げたのは、アスラルが昼間はヘムルを外すことはないためだ。
ヘルムの隙間からでは、文字を読むのは難しいからである。
「……どのぐらいかかる?」
「出発して、蛮族を平定して、戻ってくる……普通なら3年、アスラルが私の言う通りにしたとして……半年かしら」
「それでも長いな。その間……また、シレーネなしか」
「私がいないと不安?」
最強の騎士であり戦士であるアスラルに、こんな口が利けるのはシレーネだけである。その優越感に、シレーネは自然に笑みを作っていた。
「戦場に出てしまえば不安はない。不安があるとすれば……シレーネに他の男が言い寄らないかどうかというところか」
「それが心配なら、さらって連れて行ったら?」
「さらわなくては、一緒に来てはくれないのか?」
シレーネは、自分が満面の笑みを讃えていることを自覚した。
自覚しても、止めることができなかった。
乳母のミモレが用意してくれたお菓子と紅茶に触れる。自分の相好が崩れていることを誤魔化すためである。
普段は用意されても、手は伸ばさない。一緒にいるアスラルが、ヘルムのままでは食べられないからだ。
「食べる? 美味しいわよ。隙間から入れてあげる」
シレーネは、小さな焼き菓子を取り上げた。
「ああ。頼む」
答えるアスラルも楽しそうだ。
シレーネは、アスラルのヘルムの隙間からお菓子を入れながら言った。
「ついていきたいのは、私も一緒よ。蛮族の戦士に、女がいないとは限らないもの。それに、もし蛮族の族長が命乞いのために自分の娘を差し出したら、アスラルでも拒めないんじゃない?」
アスラルは、ヘルムの隙間から差し込まれた焼き菓子を口にした。
シレーネの指先が、アスラルの唇に触れた。
アスラルの舌がシレーネの指に触れたが、互いに引かなかった。
「『俺に近づくような女はいない』と誰かが言ってくれるといいのだが」
「最強の騎士で、王権に最も近い男に、近づかない女がいるとは思えないわよ」
「そうか?」
「自覚がないのね。でも、このフォレスト王国では大丈夫よ。アスラルに近づく女なんていないわ」
「……どうして、このフォレスト王国限定なんだ?」
「私が睨みを聞かせているからよ」
シレーネは断言し、アスラルは楽しそうな笑い声をあげた。
シレーネの言ったことは、冗談ではない。アスラルに興味を持つ数多の貴族令嬢を、ことごとく屈服させていたのだ。
「……アスラルがだれか別の女のものになるなんて、我慢ならないわ」
それが、仮に女王といえども、同じことだ。その言葉を、シレーネは飲み込んだ。
「では……俺はどうすればいいんだ?」
「遠征部隊に、猛虎騎士団を加えましょう」
「ふむ。それは、どういう意図で?」
「この間まで、アスラルの従僕をしていたドーレルという子が、猛虎騎士団に正式に騎士として採用されたと聞いたわ。庶民の出としては大出世ね」
「ああ。俺が鍛えたからな」
「可愛い顔をしているらしいし、アスラルと私のことをよく知っているはずね」
「ああ。俺の幼馴染と言ってもいい。シレーネとは面識はあったかい?」
「いいえ。私は会ったことはないわ。でも……マリカから聞いたの。マリカっていうのは、私に仕えてくれている侍女よ」
「ドーレルのことをどう聞いている?」
「ほかの女を相手にするより、男の子を相手にしたほうがいいわ。男なら私とは勝負にならないし、庶民の出なら、邪魔なら排除するのは簡単だもの」
「……俺がほかの女に気をとられないように、という目的で猛虎騎士団をつけるのなら、俺はドーレルを積極的に……そういった目的で誘うことになるが」
「ええ。そうね。そうして」
「シレーネ……」
「なに?」
「俺はシレーネに、同じことを求めないぞ」
「わかっているわよ。カーネルが言ったでしょう。私に近づこうとする男は、アスラルぐらいよ」
「……そこがわからない」
「だって、アスラルだもの」
アスラルにとって自分がどれほど重要な存在なのかを自覚し、満足したシレーネは、アスラルに蛮族攻略の作戦を授けた。




